クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

生かされて62歳

2009-12-02 05:56:10 | Weblog
62年前の今日、僕は東京・世田谷で生まれた。1ヶ月の早産、超未熟児、お産婆さんも、周りの大人も?を幾つも付けるほどであったと言う。敗戦後2冬目の東京では、未熟児の保護施設等皆無。保育器も全く無い。その子の生命力だけが頼りであったと、大人になってから母に聞かされた。そして、母の母乳は出ない。でも生きられた。幸いにも進駐軍の救援物資、ララのミルクの特配が受けられたからだ。今のアフリカ諸国と同じ状況のようだ。嫁や若いお母さん方には想像も出来ぬ、過酷な環境。でも、62歳の誕生日を迎えられた。神に感謝。これも戦争の悲惨さを伝える一助になればと書き残す。僕は諸々の幸運が重なり生きられたが、天に帰った命も少なくないであろう。
未熟児として生まれた僕は、高校に上がる迄の幼・少期は虚弱で、学校も休みがちであった。青年期になると一変し、健康体になった。20代の頃は2ヶ月間1日も休まず、朝から深夜迄働き続けても、倒れる事はなかったが、そう言う無理な働き方は、年をとってからたたる。定年後の体調は悪くなり、気力も衰えた。再就職の道もあったが。
定年前に比べ経済的には苦しくなったが、2人の孫の元気な声を聞き、クーとココとの暮らしは、充分満足出来る暮らしである。こんな生活を与えて下さった神様に感謝。もっとも、孫が近くに居らず、クーやココが一緒でなかったら、寂しい老後となっていただろう。
神に生かされて62年、あとどれ程生きられるか分からぬが、僕のこの世での命の終わる日、神様に感謝の祈りを捧げられるであろう。勿論、家内や息子一家、2ニャンにも。