雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

Z50周年記念祭   雑感

2022-10-26 07:49:19 | カワサキワールド

★ 11月19日にZの故郷明石で行う「Z50周年記念祭」の準備にこの3日間、
 運営委員の向笠・登山さんと一緒にあちこち走り回っていました。

 この記念祭の開催を最初にご相談したのは
 Zの開発総責任者であった大槻幸雄さんなのです。

 そんなこともあって2日目には大槻幸雄さんに会の進行状況のご報告と
 当日の会の進行内容をご報告してきました。
 御年92歳におなりなのですが、結構お元気です。


 これはそんなご報告をした舞子ビラでの写真です。

 

 
 そのあとカワサキプラザ神戸舞子を訪問した時の写真で、
 このプラザの経営者・モリちゃんこと森田さんも当然、このイベントには参加です。



 


 これが2日目ですが、
 3日目の昨日は、朝からまず明石のでの現場打ち合わせをしたのち、
 イベント翌日に皆でお邪魔する鶉野飛行場跡地へ行き、
 加西市役所の皆さんと打ち合わせをしてきました。
 

 鶉野飛行場跡地は私は初めてでしたが
 こんな模型飛行機などが展示されていますし、

 




飛行場の滑走路の跡地

 


 平和記念の碑などがあります。




 
この鶉野飛行場跡地で、明石でのZ記念祭の翌日11時から、
記念祭に出席されたメンバーなどが集まりますが、
大槻幸雄さんと私も現地に行こうと計画しています。
 

★そして今回「Z50周年記念祭」をこんなコンセプトで
 Z発祥の地明石で行うことになったのですが、

 

 
 Zファンたちは日本全国から集まりますし、
 カワサキ関係者は大槻・稲村・百合草・山田さんなどの技術陣や
 販売関係の多彩なメンバーなど、日本のTOPレーシングライダーたち10数人も顔を揃えます。
 更に日本の二輪業界のTOPメンバーの方々や国会議員さんの参加もあって、
 総勢150名以上の豪華メンバーで、大成功のイベントになることは間違いありません。

 そんな中で殿堂入りをされた大槻幸雄さんや山本隆さんへの花束贈呈
 サイン会など華やかな催しがいっぱいです。

 私自身は、カワサキ創生期時代のご紹介をするのですが、
 そんな時代に各分野で活躍された方々が結構沢山ご出席頂けるので、非常によかったなと思っています。

 10年前に、三木でZ40周年記念祭をやった時のメンバーの殆どの方が今回も参加です。 

 

  
 今回50周年は写真の両端の向笠さん、登山道夫さんが運営委員の中心として活動されているのですが、  

 

 
 そんなZの愛好者の方々と一緒に
 かってカワサキに籍を置いた開発者営業関係者
 更にはライダー諸氏販売店の皆さんが一緒になって
 企画・運営・実行するこのようなプロジェクトに参画出来ていることは
 私にとっても本当に喜ばしいことで、忙しかった3日間でしたが、
 充実した3日間でもありました。
 


 
 
 
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カワサキZ50周年祭 明石から世界へ

2022-10-24 06:18:49 | カワサキワールド

★来る11月に明石で「カワサキZ50周年祭」と銘打って、
 明石から世界へ、Zの偉大なる足跡と未来 なるイベントを開催する。

 全国からZのユーザーたち、カワサキのかっての関係者
 レーシングライダーなど総勢150名以上が集まる会合になりそうである。


 

 
 その状況は世界に英語ライブ配信される計画で進められている。
 

★昨日は KAWASAKI Z1 FAN CLUB で最後の打ち合わせが行われた。
 この会の発起人・運営委員・司会を担当する腰山峰子さんなど

 こんなメンバーが集まった。
 発起人には吉田純一・山本隆さんと
 運営委員はKAWASAKI Z1 FAN CLUBのメンバーたちが担当されて、
 その準備を進めているのである。

 


 二輪の世界でもいろんなイベントがあるが、
 こんなに多士済々、二輪業界のそれもトップレベルの人たちが集まる会合は
 なかなか見られない。


★ もうずっと以前のことだが、
 「カワサキの想い出、そして未来」と銘打ったイベントが
  カワサキの名物男・平井稔男さんが主宰で開催されたのは
  あの東北大地震の年だったが、

  

 
 
 あの時には、川重の社長・副社長経験者という
 文字通り川崎重工業TOPメンバーが出席だったし、
 今回も出席される大槻幸雄さんや稲村・百合草さんなどのご紹介だけを
 司会に代わって、私がやているのである。
 

 


あの時から司会は今回と同じ森田・腰山コンビなのである。

いたら必ず「彼の心の故郷カワサキ」の催しには出席してくれるのに、
あの時、こんなに元気だった金谷秀夫は残念ながらもういない。

 
 
 
 私が今、Facebook で使っているこの写真は、
 その時に出席して頂いたホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ・BS
 レースライダーたちである。




 今回の会合も、
 これに劣らない多士済々のメンバーが集まるし、
 業界雑誌などの取材なども予定されている。

 カワサキが二輪事業に進出したのは昭和35年(1960)のことで
 名車Z1が世に出たのは昭和47年(1972)で今年は50年になるのだが、
 そんなカワサキの二輪事業スタートからの創生期がどんな時代で、
 どんなことがあったのか?

 もう60年以上も前のことでもうその時代を語れる方がホントに限られてきているのだが、
 今回の会合にはその時代を語ることが出来るカワサキ関係者も、
 結構沢山出席されるので、貴重な話が聞けることになるのだろう。

 そう言う意味で、昨日の会合は、いろんな意見が交わされたが、
 非常に楽しい有意義な会合だったと思っている。

 11月19日の会合まで、
 すでに1か月を切っているのだが、
 その会合で「カワサキ創生期の話」をさせて頂くことになっているのは、
 非常に光栄なことだし多分私にとっても最後のスピーチになるだろうから、
 それなりに心して準備させて頂いているのである。
 
 

 
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鈴鹿8耐 カワサキSSTクラス優勝  おめでとう

2022-10-22 05:58:52 | カワサキワールド

★川重から「かわさき」が送られてきた。
 その287号は「鈴鹿8耐 特集」だった。

 「鈴鹿8時間耐久」も3年ぶりの開催なのである。
 前回は「カワサキが優勝」したとあって、
 そのカップの返還式に橋本川重社長も現地に行かれたようである。


 
  


 現役時代は7月末の1週間は鈴鹿サーキットで過ごすことが定番だったし、
 カワサキの「鈴鹿8耐初優勝」は1993年イトーハムレーシングだったのだが、
 その優勝を現場で観たし、イトーハムとのスポンサー契約も直接担当だった。
 そう言う意味ではこのマシンんも懐かしい。


 



★今年は残念ながらカワサキは2位だったのだと思っていたら、
 それは鈴鹿8耐に参戦した全64チームのうち53チームがEWC(=エンデュランス・ワールド・チャンピオンシップ)でそのカテゴリーでは2位だったようだが、
残り11チームがSSTクラスで、 SSTとはスーパー・ストッククラスのこと。
EWCより改造範囲が狭くて、ノーマルのポテンシャルが勝敗を分けるので、
特にヨーロッパでは人気だとか。
 そんなクラスがあることなど知らなかったが、
そのSSTクラスは、Kawasaki Plaza Racing Teamが205周でクラストップでゴール、
 見事、優勝だったというのである。

   


 「かわさき」にも、
 このように特集されていた。


 


 知らなかったが、
 遅ればせながら「優勝おめでとう」である。



 
 
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昨日のZ1会と11月のZ50周年記念祭  雑感

2022-09-22 06:17:35 | カワサキワールド

★ 昨日は恒例のZ1会のゴルフでした。

  年4回、4月・6月・9月・11月と年4回あるのですが、
  現在の私のゴルフは1年を通してもこの4回だけになっています。
  そんなことですから、スコアもいい筈はないのですが、
  大槻幸雄さんが会長を引かれて、今では私が一番の年長者と言うことで、
  結構なハンデーを頂いてるので、昨日もアンダーで廻れて、
  5位入賞など非常に楽しいゴルフでした。

 


★今年はZが誕生して50周年になります。
 Zの開発責任者であった大槻幸雄さんも日本自動車工業会の殿堂入りをされましたし、 Z1・Z2が歴史遺産車にもなりました。

 そんなこともあってこの11月にZが産まれた明石の地で、 
 Z50周年を祝う会を開催するということで進行中です。
 Zのユーザーさんがその中心ですが、
 カワサキの大槻幸雄さんをはじめ歴代の関係者や、山本隆・星野一義・清原明彦などのカワサキのライダー諸氏、
更には他メーカーの宇野順一郎・田中隆造・吉村太一さんなど錚々たるメンバーの参加がすでに確定し、
現時点でも参加人数は100名を超えていますので、大成功の素晴らしい会になるであろうことは間違いありません。

 この会の後援には日本二輪車文化協会(会長吉田純一)Z1会も入っていますので、
昨日のZ1会コンペで改めて参加のお願いをしたので参加メンバーはさらに増える見込みです。
因みに昨日のコンペの同伴競技者は吉田純一さんでした。
 
★ 私も現役時代から沢山のイベントを手掛けましたが、
 開催当日まで出席者などはなかなか確定が難しいのが現実かと思います。
 今回はそんなこともあって立食パーテイー形式になっていますから、
 少々の増加にも対応できるようなシステムになっています。

 これは2011年の東日本大震災のあった年ですから、もう10年以上も前のことですが、
 
 「カワサキの想い出そして未来」というイベントには、当時の川崎重工業社長田崎雅元さん以下錚々たるメンバーが参加されましたので、
 このメンバーの紹介の時だけ私が司会を務めています。
 その年のブログからの写真です。

 

 これもその時出席頂いた各メーカーのレース関係者で、
 この写真のうち4人は今回の会合にも出席です。
 金谷秀夫が若し元気なら、彼はZ1会のメンバーでもありましたし、
 間違いなく参加だったのですが残念です。
 
 



 今回の会合も日本二輪車文化協会の関連では二輪に関心を持たれる大物国会議員さんの参加もあるかも知れません。
 まだ開催当日まで2か月もありますから、それまでにはさらに新しい参加希望者が出てくることは間違いなくて、
 なかなかメンバー確定は難しいのが現状かと思います。
 
 今回の会の司会者は大成功だった『カワサキの想い出そして未来』
 更には10年前の『Z40周年記念祭』にも
 司会を務められた『森田・腰山コンビ』ですから
 安心して会の進行をお任せ出来ると思っています。

      
     

 今回のイベントのほんとの主催者は『二輪を愛する末端のユーザー諸氏』かも知れません。
 そんなことで色々と心配事もあるようですが、
 私は現時点で『もう成功間違いなし』と信じています。
 今後、まだ2か月ありますが、若し変化があったとしたら
 『いい方向への変化』だと思っています。

 昨日のZ1会での反応を見て、それを特に感じた次第です。
 いい1日でした。
 

 


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カワサキの二輪事業の黎明期 その3   雑感

2022-09-18 06:04:23 | カワサキワールド

★ カワサキの二輪事業の創成期とはいつごろまでのことか?
 前回には「昭和41年(1966)までの5年間」などと書いたが、
 川崎重工業・川崎車両・川崎航空機の3社合併で川崎重工業となる以前の「川崎航空機工業時代」かなと思ったりもする。
 

 川崎航空機工業時代は三社合併の昭和44年(1969)4月までなのだが、
 それまでに開発された車は、125B7/B8などの全くの実用機種に始まって、
 1966年アメリカ市場用に開発された250A1から

 
 

 マッハⅢなど、
 業界に先駆けたユニークなスポーツバイクが世に出ているのだが、

 


当時の国内市場は50㏄モペット全盛期で、
ホンダ・スズキ・ヤマハの競合3社はモペットが主力だったのだが
アメリカ市場中心に動き出したカワサキだけが、
ユニークな250cc以上のスポーツバイク開発の主力を移していたのである。


★今年11月の明石で開催される「Z50周年記念祭」には既にZのユーザーを中心に100名以上の出席者が決まっているのだが、
これらA1やマッハⅢの開発を直接担当された大槻幸雄・百合草三佐雄さんや
当時のアメリカ市場開拓に貢献した種子島径さんなどの出席も決まっていて、
これは盛大な内容のある立派なイベントになることは間違いないのである。

 そんな会合での幕開けに「カワサキ二輪事業の創成期」と言うテーマでのスピーチをすることになっているのだが、
 限られた時間の中でのスピーチなので、
 当時の「写真を中心にした説明」にしようと思っていて、今その写真の選定に掛かっているのである。

 そんな中で冒頭に使おうと思っているのがこの写真である。


   
 

 私は昭和32年(1957)の入社なのだが、
 その1年前の川崎航空機工業の65年も前の貴重な写真である。
 現在の川崎重工業明石工場なのだが、当時は「神戸製作所」と呼ばれていた。

 川崎航空機工業は軍事産業だったという理由で戦後7年間ほどの中断があったのだが、
 再開後は歯車・ミッション製作や米軍のジェットエンジンオーバーホール
 それにベル・ヘリコプターの生産などが行われていたのである。

 私は入社後財産課に配属されたのだが、再開後の経営はまだ苦しい時代で、
 膨大な土地や戦前から残っていた機械などの財産物件の売り食いで、
 経営を繋いだりもしていたのである。

 そんな時期に、生産から末端販売まで世界市場を手掛ける「二輪事業」は会社の命運を掛けた「失敗の許されない事業」だったのである。
 そんなこともあって、非常に競争の激しかった50㏄モペットなどの小型機種は、三社合併を機にその生産を中止し、
 独自の「中大型スポーツ機種」に開発・生産・販売を絞ったことが、良かったのかも知れない。



 
 

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8月19日はバイクの日

2022-08-20 04:55:56 | カワサキワールド

 8月19日は「バイクの日」である。
 私自身はバイクも持ってないのだが、
 人生の半分以上をバイクと深く関わって生きてきたし、
 89歳になった今もなお、何となく「バイク」と関りを持ちながら生きている。


  


 今年2022年は、カワサキZ発売50周年に当たるので、
 この11月にはZ発祥の地明石で「Z50周年記念祭」を祝おうというイベントもあるのだが、
 その発起人の一人になったりしている。

 私が二輪と関係が出来たのはカワサキが二輪事業をスタートさせた昭和35年(1960)の翌年、
 正式に単車営業部が発足して、そのスタート時期から二輪事業に関係したのでもう60年以上も前の話なのだが、
 それ以降退職する1999年まで一貫してカワサキの二輪事業に関係してきたのである。



★ 最初の頃はどうなるのか解らないほどの二輪事業だったのだが、
  今年2022年の「バイク好き300人が選ぶ車種ランキング」で第1位にニンジャ・カワサキ」が選ばれるなど、
  カワサキの二輪事業が元気なのはご同慶の至りである。



 

 
 
★ この「Ninja」というネーミングはアメリカのKMCのアメリカ人の提案だったのだが、
 当初明石の技術部は反対だったのをKMCが当時の大庭本部長を口説いて成立したのである。
 そんなことで当初のNinja900Ninja」の称号を使ったのはアメリカ市場だけで、ヨーロッパはGPZ900R だったのである。


 


 アメリカ市場は当初から「Ninja 」を使ったのだが、
 当初明石の技術部が反対した理由は「黒装束の忍者のイメージ」が暗いということなのだが、
 当時のアメリカのNinja のイメージは「007のかっこよさ」だというのである。




 そんないろいろあったNinjaだが、このネーミングはなかなか好評で、
 今でも継承されているのである。

 カワサキが二輪事業を始めた頃は、
 川崎航空機工業には航空機に関心のある人はいっぱいいたし、エンジンのプロはいっぱいいたが
バイク」のことが解っている人はあまりいなかったというのが真実で、
 その当時の二輪事業を裏方としてひぱった
 カワサキのマシンのデザインの先進性はすべてアメリカ人のアイデイアだったと、少なくとも私自身は思っている。
 A1でランクの側板が無くなったし、マッハでタンクマークがなくなったり、
 このデザインの先進性はカワサキが先頭を走って、二輪業界の流れを創ったのである。

 最近のことは何でもすぐ忘れてしまうのだが、昔のことはよく覚えている。
 そんな「バイク」にはもう60年ものお付き合いになった。

 ところで「バイクの日」が出来たのは1989年で、
 政府が二輪車の交通事故撲滅を目的として制定したようである。
 昨日はそんな「バイクの日」だった。



 
 


 
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カワサキの電動バイク

2022-08-11 07:30:54 | カワサキワールド

★ 二輪はそのガソリンエンジンに大きな特徴があるのだが、
 時代は四輪も含めて「電動の時代」に移っていくのだろう。

 今回の鈴鹿8耐の舞台で「カワサキが電動2輪を公開」というニュースが流れている。

 その見出しだけを並べてみる。


 






 


 


  こんな風に取り上げられているのだが、
  その独特のエンジン技術がウリで、永年事業継続してきたカワサキだが、
  今後はどのようなことになっていくのだろうか?


  今年の1月にカワサキのTOPは、
 「電動も内燃機関も全部やる」と語り、
  年内に3台以上の電動車両を発表すると言っているのだが、
  鈴鹿8耐という大舞台でそ一部を披露したということか。


  

  
今回、鈴鹿8耐でその走行シーンを生披露したが、車両の詳細は何も語られなかったようで、それは鈴鹿8耐の前夜祭でのデモランで、
発表というよりは「ファンサービス」であったようである。
電動とHEV2台のプロトタイプがホームストレートを走行したもので、
走行デモのみで、車両細部の撮影などはNG、車両の詳細も全く語られなかったようである。


★ ファンサービスの「デモ・ラン」だったようだが、
 年内にホントにニューモデルとしてとして発表されるのだろうか?

 今年はカワサキZ50周年で、この11月にはZファンたちが明石で
 「カワサキZ50周年祭」を盛大に開催する企画が進行中なのだが、
 50年も経つと時代もマシンも全く新しく様変わりしていくものである。

 カワサキの新電動バイクを早く現実に観たいものだと思っている。
 


 

  
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2022年という年   カワサキZ50周年祭ー1

2022-06-26 06:20:37 | カワサキワールド

★ 今年は2022年だが、もう6月も終わりに近く、あと半年を残すのみとなったが、
 今年はどうやら後半の6か月が忙しくなりそうなのである。

 もう旧い話だが、カワサキの名車Z1が発売されて50周年になるので、
 今年の11月明石で「カワサキZ50周年祭」というイベントをやろうということになっている
 この「カワサキZ50周年祭」の具体的な企画・運営は、
 KAWASAKI Z1 FAN GLUB登山道夫・向笠暁彦さんが中心で進められることになるのだが、今月第1回の打ち合わせ会があり、私との3人でその概要だけが決まったのある。
 7月中旬に第2回目の会合があるので、更に具体的なことが決まっていくことになるだろう。
 

  
  



★ カワサキの二輪事業1960年(昭和35年)に明石工場内に一貫生産工が建設されてスタートするのだが、
当時の発動機事業部の営業部の中に単車営業が初めてスタートしたのは、翌1961年12月半のことである。
その新しくできた単車営業課に私は異動・赴任することになるのだが、
実際に業務が動き出したのは1962年からで、
当時売られていた車は、125㏄B7モペットM5だったのである。

  
   

 この車はエンジンは川崎航空機の技術部で開発されたのだが、
フレームは明発工業が担当しそのフレームの欠陥で、大量の返却車が出るという大変な事態だったのである。
 私が営業に異動した翌年1月には大量の返却台数のため、
マイナス17台の生産台数」を記録したりしたのである。

 そんなカワサキ単車の営業活動がスタートしてからは60周年で、
私にとってみれば「単車スタート60周年」なのである。
 もう当時の上司も、当時の仲間の方たちも殆どが亡くなられてしまっていて、
 当時のことを語れるのは、開発・生産分野は兎も角、企画・広報・営業・レース関連などは、
 極端に言うと私だけになってしまっているのである。


★ただこの1962年はカワサキにとっても、私自身にとっても非常にラッキーな記念すべき年で、
9月には125ccB8の発売があり、この車が実用車としては非常に好評で、B7の不評に代わって好調に売れ続けたのである。


  


 個人的なことだが、この年の12月に私は結婚しているので、
今年の12月21日まで生きていたら「結婚60周年」にもなるのである。

 鈴鹿サーキットが出来たのもこの年で、1962年11月には日本で初めてのロードレースが開催されたのだが、
そのレースを製造部のメンバーたちがバスを仕立てて観戦に行き、
ロードレースなるものを初めて見て感激し「カワサキもレースを」と翌年の青野ヶ原モトクロスに出場するのである。
その結果は予期せぬ1位から6位まで独占する完全優勝という結果となって、このことがカワサキ単車事業の本格的な事業進出に繋がっていくのである。

 
  



★この辺りの裏話を含めて、カワサキの単車事業の黎明期の話を、
11月の「カワサキZ50周年祭」には私が皮切りにお話することになっているのだが、山本隆さんは、この青野ヶ原のモトクロスにはプライベートで出場されているのである。
後、カワサキのファクトリライダーとなって、3年連続日本モトクロスチャンピオンになった山本隆がなぜ6位までにも入れなかったのか?
この辺りの話は、当日山本隆さんが語られるかも知れない。

これがZ40周年のいイベントを三木で開催した時の写真だが、
今回の50周年はさらに盛大な会合になるように頑張りたいと思っている。

 


今年の後半の大きな出来事になることだけは間違いなく、
私個人にとってはワサキ単車の事業スタート60周年のイベントになり、人生最後のイベントになるかも知れない。
そんなことで 11月の当日のイベントまで、その推移をt連載で、纏めてみたいと思っている。
その第1回の記事なのである。

  

 

 
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父の日   雑感

2022-06-20 07:10:46 | カワサキワールド

★昨日は『父の日』だった。
 今までもあまり意識したことはなかったのだが、
 今年はもう1か月近く前にアメリカの娘夫婦から私宛にナッツが届いたりした。多分これは父の日プレゼントだと思う。

 
 『父の日』をネットで調べてみるといろいろ詳しく載っている。

●父の日は、毎年6月の第3日曜日で、今年の父の日は6月19日(日)
●母の日が5月の第2日曜日ため、父の日も第2日曜日と思ってしまう人が多い
●父の日は、母の日と同じくアメリカ発祥の祝日
●誕生のきっかけは、ソノラ・スマート・ドットという女性の嘆願による
●1909年に牧師教会へ「父親へ感謝する日も作ってほしい」と嘆願
●1910年6月19日に、初めて父の日の式典が開催された
●1972年、父の日が6月第3日曜日に国の記念日として正式に制定された
●日本では現在のように広まったのは1980年代に入ってから
●母の日に贈るギフトと言えば赤のカーネーションだが
●日本では父の日に贈る花は、黄色のバラ

  


★ 確かに父ではあるので『父の日』を祝って貰う資格だけはあるのだが、
 この歳になると別に祝って貰っても貰わなくても、どうということはない。

 スーパーに買い物に行ったら、殆どの商品に『父の日』と書かれていて、
 これは商売に利用されていることは間違いない。
 家内が一応は『父の日』だからと刺身などを買ってくれた。

 世の中いろんな日があるが、みんなどちらかというと当の本人よりは、
 世の商売に利用されている方が多いのかも知れない。

 いずれにしてもこんな『父の日』もあと何回あるのかもわからない。
 どんな1日でも、大切に生きたいと思う。

★ そんな『父の日』にKAWASAKI Z1 FANCLUB の登山道夫さんと
 向笠暁彦さんからお呼びがかかって
 『Z誕生50周年祭』開催のご相談を受けた。

 いろんな具体的な構想が話されたが、
 Zの開発責任者の大槻幸雄さんを中心に、今年の10月ぐらいにZ発祥の地明石でこの催しを開催しようということだけは大体決まった。

 これからその具体的な内容を決めていくことになると思うのだが、
 『Z40周年』を三木で開催した時のステッカーだが、
 この催しも盛大で大成功だったし、

    

 その後もこんな『カワサキZの源流と軌跡』という本も出版されて、
 私もその執筆者の一人なのだが、

  

 
 いろんな関係者の方たちも、どんどん高齢になられて、
 こんなカワサキ創成期の歴史を語れる方たちも少なくなっていくので、
 多分、この『50周年の催し』が最後になる可能性も高いのである。

 『今年の10月明石で大槻幸雄さんを中心に』という基本構想だけは決まったので、
 「今年の父の日」は私にとって最高のプレゼントは
 『Z誕生50周年祭開催のニュース』であったことは間違いない。
 
 この会に参加を希望されるであろう方も、このブログやFacebookでこの記事を読まれると思うのだが、、
 この1か月ぐらいのうちにその具体的な内容も決まるだろうから、
 楽しみにしてお待ち頂きたいと思うのである。

 NPO The Good Times のメンバーたちも大勢参加されるだろうが、
   NPO The Good Times の 新しい門出になればいいなと私は思っている。
 


 
 
 

 



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カワサキ・Z1会 積山 喜規さん  雑感

2022-06-13 06:24:10 | カワサキワールド

つい先日、カワサキZ1会の第80回記念コンペが行われて、
 積山 喜規さんからその記念写真が送られてきた。

 



 この会は年4回、三木セブンハンドレッド倶楽部を舞台に行われている。
 20年も長く続いているのは、コンペに参加する「メンバーたちがいい」こともあるのだが、
 この会の世話人の方々が本当に熱心なのである。

   仲和俊さん(写真後列、左から2人目)を中心に4人でおやりなのだが、
 それはホントに見事と言っていいほど行き届いていて、
 会員に対する連絡から、事後報告まで本当に徹底してそれぞれが各分担をおやりなのである。

 毎回写真を撮られるのは、積山 喜規さんで今回はプレーはされなかったのだが、
 担当の写真だけ撮りに会場まで来られたという熱心さなのである。

   この集合写真を撮った時は、なぜか元会長の大槻さん新会長の丹波さ
 それに『メーちゃんこと・山本信行さん』が間に合っていなかったのだが、
 いつ追加して撮られたのか? ちゃんと右上に入っているのである。

★ 簡単なことなのかも知れないが、なかなかできないことである。
 その積山 喜規さんから私にFacebook のメッセージでこの写真が送られてきたのだが、
 何故なのかよく解らないのだが、せっかく送って頂いたので、このようにアップしているのである。

 折角の写真だが、ご本人の積山 喜規さんだけが写っていないので、
 積山さんのFacebook の写真をご紹介しよう。


 
  
 
 こんな感じの方である。
 Facebook には、写真もご趣味の積山さん
 いっぱいいい写真があったので、その中の何枚かをご紹介してみよう。

  



 



  





 ご趣味が多彩だし、
 よくあちこち動かれてるなと感心、やはり若さかな?


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第80回のZ1会ゴルフコンペ

2022-06-08 19:05:52 | カワサキワールド

今日は『第80回のZ1会ゴルフコンペ』だった。

 年に4回開催されていて今年で20年になる。
 そのZ1会会長の大槻幸雄さんが90歳を越えられて、
 会長を丹波さんに譲られることになり、
 今回は『大槻幸雄会長に感謝』の特別コンペだった。

 私は2004年4月の第10回大会から大槻さんに誘われて入会し、
 殆ど毎回休むことなく出場しているからもう18年にもなるのである。

 今回はそんなことで、コンペ後の会合で
 大槻さんに感謝の花束や

 


 丹波新会長から感謝状などが渡されたりした。
 




★ 大槻幸雄さんはZ1の開発責任者として知られていて、
 そんなことで『Z1会』なるゴルフコンペも存在するのだが、
 私が大槻さんと初めて出会ったのは、カワサキの初めてのロードレース出場の時で、
 大槻さんが初代レース監督、私が運営マネージメントを担当だったそんなレース関係での出会いなのである。

 昭和40年(1965)5月に山本隆が非公式に鈴鹿のロードレースに出場しホンダに次いで3位に入賞したものだから、
 カワサキも正規にロードレースに参戦することになり
 翌月の鈴鹿アマチュア6時間耐久レースに3台のマシンで、
 カワサキコンバット(梅津・岡部)、神戸木の実(歳森・金谷)テストライダー(飯原・加藤)の3チームで出場し、
 その監督をされたのは大槻幸雄さんだったのである。

 そんなこともあって、当時の鈴鹿ロードレースに関係のあったメンバーがZ1会には沢山いて、
もう亡くなってしまったが、歳森康師・金谷秀夫・飯原武士もメンバーだったし、その当時のメカニックの藤原良弘さんや私なども参加しているし、
清原・塚本などのほかレースに関わった人たちが沢山参加しているのである。

 大槻さんにお祝いの祝辞を述べられているのは、
 かってのフランスカワサキの耐久チームは世界を席巻していたのだが、
 そのオーナーだった遠藤治一さんなのである。



  

そんないろいろと楽しい『第80回のZ1会ゴルフコンペ』だったのである。



 
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Z50周年     雑感

2022-04-29 05:30:20 | カワサキワールド

★ 昨日は久しぶりに登山道夫さんに会ってきた。
 ちょっとした所要があったのだが、
 先日電話したら、息子さんがコロナに罹って隔離中だという。
 そんなことがあって登山さんもコロナに罹ったそうだが、
 今は完治したのでどうぞいらしてくださいと仰るので、
 防災公園のジョッギングの後、お宅にお邪魔したのである。

 まずはコロナの話から始まって、
 そのあとが登山さんが久しぶりに買ったというカワサキの新車のこと、
 この真ん中の車である。

 


 この車なのである。
 私は40年もカワサキの二輪事業には関係したが、
 マシンや技術的なことはさっぱりで、
 この新車のネーミングも聞いたが、すぐ忘れてしまった。
 
 



 Zマニアの登山さんの講釈をひとしきり聞かされて、
 こんな写真を撮って来た。

 ご機嫌な登山さんとその新車である。




 これがメーター周りだが、時間は9時33分、
 まだ走行距離1200km、
 値段は160万円ぐらいだとか。

 



 タンクの上には「Z50周年」のマークがある。





  Z1が発売されたのが、昭和47年末(1972)
  国内にZ2が発売されたのは昭和48年2月なのだが、当時私は大阪の第一線の責任者だった。
  ちょうどカワサキ特約店制度がスタートした年で、
  当時のZ2は42万円ぐらいだったと思うが、
  今はこの新発売のニューマシンより高い値が付くというから不思議なものである。

★ 登山道夫さんはNPO The Good Times の事務局長さんなのだが、
 KAWASAKI Z1 FAN CLUB も主宰されていて
 これは2013年7月7日に当時のグリーンピア三木
 Z40周年を記念して、ユーザーはじめ関係者が集まって盛大にお祝をしたのだが、その時の記念ポスターなのである。

 もうあれから10年の月日が経とうとしている。
 ほんとに時間の経つのは早いものである。

 

 

 その時の写真の数々である。 
 大槻幸雄さんはじめカワサキの当時のメンバーも集まったし、
 Zのユーザーはじめ、業界の有名人が多数参加されて大成功だった。



 
 その日の最後に撮った記念撮影の写真である。




 あの日からもう10年になろうとしている。
 Z発売50周年を記念して、
 もう一度「50周年の記念行事」が出来たらいいなと思っている。

 KAWASAKI Z1 FAN CLUB ゴルフコンペZ1会も健在だし、
 何よりもZの開発責任者・大槻幸雄さんがご健在なのである。


   

 
  これは結構な有名人の顔が並んでいるが、
  「片山義美をしのぶ会」での写真なのである。

  

 みんな50年前からのおつき合いなのだが、
 当時はただの若い二輪の愛好者だったのに、
 それぞれ立派になられたものだと思うのである。

 50年前、Zは空前のヒット作となったのだが、
 50年後にこんなことになるとは、誰も想像だにしなかったのである。

 こんなカワサキの独特の世界を創って頂いた皆さんに感謝である。



 

  
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第79回のZ1会だった

2022-04-07 06:05:58 | カワサキワールド

★ 今年第1回のZ1会ゴルフコンペだが、
 通算では79回も続いているカワサキ伝統のゴルフコンペなのである。

79回も続いているのは仲和俊さんという懇切丁寧な名幹事がいるからだし、
ここに集まるメンバーの人たちが素晴らしく、
独特の何とも言えない雰囲気を持っているからだと思う。

この写真は、
いち早くFacebook に松田真弥さんがアップされたのでお借りしているのだが、
この会はこの仲さんのスタート前の注意事項伝達から毎回始まるのである。

 
 


 そして昨日はかってのフランスカワサキ御大将遠藤治一さんの
 始球式から始まった。


 


 
 今回の優勝者は藤原良さんだったが
 彼はカワサキの創成期のレースチームメンバーなのだが、
 このZ1会は 不思議なほどレース関係者も多いのである。



 


 たまたまこの席にいる3人は塚本・多田・清原(後ろ姿)という
 かってのカワサキのレースを背負ったライダーたちだし、
 左の女性が松田真弥さんである。




 この写真にもカワサキの初代のレース監督大槻幸雄さんも、
 フランスカワサキの遠藤さんも、
 かってBSのGPライダーだった的野さんも写っている。





★ それにネットをおやりの方も結構多くおられて、
 Facebook のトモダチで繋がっているので、
 このブログにアップし、Facebookに転記するといろんな方たちから『いいね』が頂けるのである。

 昨日私と一緒のメンバーは幹事の仲さんと渡部達也・小林茂君という私のカワサキ現役時代の仲間だったのだが、お二人ともFacebookのトモダチだし、

コンペ前に一緒に写したこんな写真も仲さんを除いて
Facebook のトモダチなのである。

 

 

 この会がこのような雰囲気で続いているのは
 会長の大槻幸雄さんのお人柄によるところが大きいのだが、
 90歳をすでに越えておられる大槻さんも実はFacebook のメンバーなのである。
 
   


 次回の開催は6月だが、
 私は今回のコンペは後半の4ホール目から足腰に違和感を感じて、
 大したことはなかったのだが若し悪くしてしまうとと、大事をとってプレーは止めてしまったので、
 第80回のZ1会には元気にプレーをしたいと思っている。

 そのためにはゴルフに対しても少し真剣に練習でもしようかと思っている。
 やはり89歳にもなると、ぶっつけ本番だけのゴルフではだめかなと感じるところがあったのである。

 少し真面目に練習でもするとひょっとしたら『エイジシュート』も狙えないかなと厚かましいことを想ったりしているのである。

 

  
 
 


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伊藤ハムレーシングカワサキの想い出

2022-04-02 06:05:12 | カワサキワールド

カワサキバイクマガジンの今月号は『特別仕様車大全』と題して
 懐かしい特別仕様車の数々が並んでいるのだが、
 それらを代表して私にとっても懐かしい伊藤ハムレーシングカワサキこんな特別仕様車が載っていた。





 この年1993年の鈴鹿8時間耐久レースでは、カワサキ念願の初優勝を
 スコット・ラッセルとアーロン・スライトのコンビでもたらしたのだが、
 そのマシンZXR-7伊藤ハムレーシングカワサキのこんなカラーリングだったのである。

 


 1993年と言えば、私自身は国内市場担当で、
 1991年には念願の国内市場7万台の販売目標も達成し、
 レース活動も非常に積極的に行っていた時期で
 この年の鈴鹿は4時間耐久8時間耐久カワサキが制し
 ラッセル・スライトで念願の優勝を果たしたし、
 塚本・北川コンビが日本人ライダーのトップに位置したのである。

 カワサキの中にモータースポーツ部なる職制が初めて出来て、
 岩崎茂樹くんが初代部長を務めた年でもあり、
 私は毎年岩崎と一緒に車を鈴鹿まで走らせていて、
 この時期の7月末は鈴鹿サーキットで10日間ほど過ごしていたのである。

 鈴鹿8耐は2018-2019 FIM世界耐久選手権の最終戦でもあり、
 世界耐久選手権のランキングは「チームSRCカワサキ・フランス」が常にリーダーとなっていたのだが、
 何故か、高速耐久と言われた鈴鹿8耐だけが優勝できなかったので、
 本当に念願の初優勝だったのである。

★レースは直接の担当ではなかったが、
 『伊藤ハム』とのスポンサー契約などは担当して、
 思わぬ優勝でもあったので、その晩鈴鹿で伊藤ハムの方と祝杯など挙げている。

 この年のことをカワサキバイクマガジンはこのように記事にしているが、
 こんなZXR400を350台限定で販売したとあるが、
 これは私がやったことなのだが、すっかり忘れてしまっていた。
 こんな記事になっているから間違いなくやったのだと思う。 
 



  

 それは兎も角、
 当時出来たばかりの博多イムズに、カワサキは展示スペースを持っていて、
 そこに優勝記念車として伊藤ハムレーシングカワサキのマシンを展示したことはよく覚えている。

 当時のイムズ最先端のビルでビル自体に話題性があり、
 鈴鹿8耐の優勝マシンを飾るには格好の場所だったのである。

 
 知らなかったが、そんなイムズも昨年32年間の幕を閉じた様である。

  
 



  みんな遠い昔の想い出となっていくのである。
  ただ、当時のカワサキはまさに時代の先端を走っていて
  かっこよかったなと我ながら想っている。

  伊藤レーシングカワサキのマシンのカラーリング、
  改めてみると『かっこよく』仕上がっていると思う。


 
 
 
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二輪車の世界と私     雑感

2022-02-09 06:34:52 | カワサキワールド

★私は現役時代には二輪の世界に40年ほどいたのだが、
 個人的には二輪車も持っていないし、乗れるけどそんなに乗ったりもしない。
 技術的には全然ダメなので、その性能やメカについては全く駄目である。
 でも二輪車の世界には魅せられて、ハマってしまったところもある。
 
 引退した今でも、二輪関係の方とはいろんなところでお付き合いがあるし、
 そんな一つが未だに「二輪車新聞」や「カワサキバイクマガジン」が送られてくるので、
 二輪業界のことなど何となく解っているのである。


★その二輪車新聞の最新号に「小型二輪30年連続増175万台」とあった。
 750cc以上の所謂大型車の分野だが、30年も連続して増え続けているというのである。
 
 販売台数ではなくて「保有台数」なので、それだけの数のバイクが今日本にあるということである。
 この分野はカワサキの主力分野だから、
 銘柄別のシェアはひょっとしたらカワサキがトップかも知れない。


 こんな記事で、
小型二輪は175万台に
軽二輪は初の200万台越え」とある。
 
 
 

 二輪の分類は原付1種・原付2種・軽2輪・小型2輪に分かれていて、
 これは排気量50cc以下・50cc以上・250cc・750以上なのである


★ 日本の二輪車市場は、戦後100社を超えるメーカーが存在したのだが、
 ホンダ・スズキ・ヤマハ浜松勢に席巻されて、
 かっては三菱富士重BSもいたのだが、
 唯一大きなメーカーで残ったのはカワサキだけなのである。

 さらに特徴的なのはホンダスーパーカブヤマハメイトに代表される
 50㏄の原付1種がメイン市場という世界でも珍しい市場だったのである。

 下図をご覧になればお解りのように、
 国内の出荷台数は昨今激減しているのだが、
 それは原付1種の50㏄モペットが減ってしまったので、
 逆に250cc以上の中・大型車市場は堅調に推移しているのである。
 

 私が現役時代はこの図表以前の40年間なので、
 50㏄モペットはあの「HY戦争」の時代がその頂点だったし、
 逆に250cc以上の中大型スポーツ車の分野は微々たるものだった。

 4社の中で独りカワサキだけが、その中・大型スポーツ車を中心に、
 業界の中でも独自の販売戦略を展開していたし、
 私自身はその中心にいて、結構面白かったのである。

 当時の業界の主力機種50㏄の分野では、カワサキは全く駄目だったが、
 「中・大型スポーツ車」の世界では機種でも販売網政策でも、 
 業界を一歩リードして走っていたのである。
 保有台数の分野だが30年連続して増え続けているということは
 個人的にも本当に「嬉しい限り」なのである。


★ そんなカワサキの二輪事業の中で、いろんな機種にいろんな想い出があるのだが、

 まずはこの250A1、カワサキが世に出した初のスポーツ車だと言っていい。
 これがその時のカタログだが、これは私の広告宣伝課時代の作なのである。
 
 



 この車の開発時代は、まだ名神がガラ空きの時代で
 名神高速でその走行テストなどやったりしたのだが、
 あの金谷秀夫歳森康師など、レースライダーたちが手伝ったりしているのである。

 デザインの分野にもアメリカ人たちのアイデイアがいっぱい入っていて、
 「タンクはメッキ」が定番だったのに、それがカラーになったのはA1が最初なのである。

 いまでこそカワサキのイメージカラーはグリーンなのだが、
 A1の時代はまだレーサーなども「赤タンクのカワサキ時代」なのである。


 A1の後に続いたのが、マッハⅢで、
 この車からはタンクマークとニーグリップが消えて
 所謂「カラータンク」となったのだが、これも業界初だったのである。
  



    これは1970年のバイソンだが、
 この時期からカワサキのイメージカラーが、
 アメリカのレースでの影響を受けて「ライムグリーン」が使われるようになるのである。



★ これが当時の「ライムグリーン」のレーサーだが


 「赤タンク」もそうだが、この「ライムグリーン」も別に社内の正規の規定などで決まったのではなくて、
 社内の誰かが勝手に決めてしまったのである。

 二輪事業という末端民需大量生産販売事業は当時の川崎航空機にとって全く初めての事業であったし、
 やることなすこと、みんな初めての経験ということばかりだったので、
 社内には極端に言えば何の規定もなかったことが多かったし、
 当時の上司の方よりは、市場に近いところにいる若手のほうが、
 業界での知識などに詳しかったという、オモシロイ時代だったのである。


★ 1960年代後半からスタートしたカワサキのレース界での活躍は、
 世の脚光もあびる実績を積んだのだが、
 国内レースはモトクロスからのスタートで「赤タンク」だったのだが、
 これを決めたのはデザインルームなどではなくて、
 青野ヶ原のモトクロスに出場したレーサーを造った製造部の人たちなのである。

 そんなことからモトクロスからスタートしたファクトリーマシンのタンクも
赤で「赤タンクのカワサキ」と呼ばれていた。
 ロードレスに参戦してみると、ホンダのレーサーが赤タンクなので、
 レース担当だった私は内心「これは困ったな」と思っていたのである。
 
 カワサキの初のGP参戦は1966年のFISCOなのだが、
 この時のカワサキのGPマシンのタンクも赤なのだが、
 幸いにしてこの年はホンダが参戦しなかったので、赤タンクが重なることはなかったのである。
 
 この年が私のレース担当最後の年だったのだが、
 その後、アメリカでのレースで「ライムグリーン」が登場してほっとしたのを覚えている。

 そんなこともあって、アメリカでライムグリーンに決めた経緯を知りたかったのだが、
 現役時代には聞く機会もなくて、退職してZ40周年記念をアメリカで開催した時に
 当時のKMCのR&D 責任者だった斎藤定一さんに会って、直接聞いてみたのだが、
 「ライムグリーン」を決めたのはR&Gで、
 選んだ色の『ライムグリーン』は、それなりに勇気の要った選択だったのだが、そんなことはあまり気にせずに決めた様である。 


 
★いろんな想い出も多い二輪の世界なのだが、
 いまもなお、Facebook などで繋がっているトモダチも
 二輪関係の方や二輪ファンが圧倒的なので、
 二輪と一緒に生きてきたなと思っている。
 

 
 
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