雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

Team Green 監督重本修次郎くんのこと

2014-08-13 05:42:05 | 7万台の挑戦の時代

★1990年代 カワサキの長いレースの中でも、

Team Green の実績が燦然と輝いた時期のTeam Green 監督重本修次郎くんがこの8日に亡くなったという悲しい知らせを受けた。

 

 昨日重本くんの訃報を聞いてFBにこんな動画をアップした。

 

 

 

★1990年代当時のカワサキは、『7万台への挑戦、 新しいカワサキのイメージ創造』に向かってグループ全体が邁進していた時期である。

その主たる役割を担ってくれたのが、Team Green を中心とするレース活動であり、イメージ創造活動を担う広報活動だったのである。

そしてそれらを纏めて『遊び半分ではいい遊びは出来ない』と遊びのソフト会社『ケイ・スポーツ・システム』が当時のカワサキグループのトータル活動を支えてきたのである。

 

7万台の目標がほぼ達成されようとする時期に、川重工の幹部職員250名を前に、国内グループ活動状況の話をしたのは、企画部門でも、営業部門でない3つの部門の責任者、KSSの南常務レース担当の重本部長広報担当の小林課長と私の4人で担当し、打ち合わせなど一切なしのぶっつけ本番での喋りだった。

その中の重本くんが話した一部をご紹介してみたい。  

当時のカワサキのレース活動の基本コンセプトが語られている。

それは非常に高い目標であったと同時に、レースの世界でカワサキが輝いていた時代でもあったのである。

 

           

             

 

               

 

                

 

  ここで重本くんが述べているように、

単にレースに勝つと言うだけではなく、広い視点でのレースの位置づけが出来ていたと思うし、その実績でもカワサキのレースの歴史の中で、非常に大きな実績を残しているのである。

 

     

重さんは、生前ゴルフはまさにシングルだった。

彼にゴルフを勧めて、初めてラウンドしたのが、SPA直入のすぐ近くのコースだったのである。

教え子に直ぐ抜かれてしまった。

 

       

 

生前の写真を探したが、こんなZ1会でのレース関係者との小さな写真しか見つけられなかった。

最近、なぜ顔を出さないのか? 病気だとも聞いていなかったので、突然の訃報は驚きなのである。

今年からTeam Green は、ファクトリ―のような感じに生まれ変わったが、

重本監督時代、野村くんが支え、技術担当としては、今のマイスターの森田優治くんの3本柱で、本当に確りとした活動だった

その実績からも、その時代Team Green 関係で育った塚本、宗和、鶴田、北川、梁くんやサテライトの月木では多田くんや岩城一さん、BEET強かったし

      

 

 こんなサテライトチームを含んだ活動で、それは20年後の今にも生きているように思う。

 

当時の国内の責任者の私が、メーカーの幹部職員への報告会のレポーターとして選んだ3人は、当時のカワサキオートバイ販売グループの核だったのである。

重本くんにも、本当にいろいろと援けて貰った。

まさか私より先に逝ってしまうとは思いもしなかった

安らかにお眠りください。 心からのご冥福をお祈りいたします。

 

 

 重本修次郎氏  御逝去の弔電   
        2014.8.13
    
 あごひげの似会う重さん、あなたの訃報の入手が遅れ、告別式に参列できず    
ほんとに申し訳ありません。    
 重さんは仕事でもゴルフでも大先輩で、良く教えてもらいました。 Z-1会コンペ    
では数回優勝され、ベスグロの常連でした。あの小さな身体で、何であんなにボールが    
飛ぶんだろうと不思議でなりませんでした。 ほんとに練習の賜物だったのですね。    
人一倍練習されていたのですね。    
 また、川柳や木工細工もお上手で、ほんとに多芸多才で、人生を謳歌されたと思います。    
町内会の仕事が一段落したら、またZ-1会に復帰してもらえるものと信じていましたのに    
残念でなりません。 御冥福をお祈り致します。    
 ご遺族の皆様 どうぞご自愛下さいませ。    
                                     Z-1会一同    

コメント
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