雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキブランド と 私が出会った技術屋さん

2014-12-03 08:21:31 | カワサキワールド

 

カワサキバイクマガジンが 送られてきた。

今月号の目玉は、世界の話題となっている Ninja H2/ Ninja H2R である。

 

 

          

 

Ninja H2 の方は国内で270万円で発売されると発表されたばかりである。

今後、間違いなく カワサキのブランドを継承する 機種になって行くに違いない 。

 

 

★今までのカワサキの歴史の中で、名車やヒット機種はいろいろあるが、

カワサキブランドを強烈に印象付けたものはマッハⅢ  と Z1  900/750 の2機種がその代表格であろう

 

これらの機種の開発者たち、エンジン開発者は、2サイクルの松本博之、 サイクルの稲村暁一さん、そしてその開発責任者が、大槻幸雄さんなのである。

年次で言うと、大槻さんが、私の2年上、稲村さんが1年下、松本さんは私とほぼ同年代なのでよく存じ上げている。

誤解を恐れずに言うと、よく言えば個性的だが、率直に言えば奇人変人なのかも知れない。

いろんな技術的な要素などもあるのだろうが、開発者の強烈な個性が、強烈なマシンを生み出すことは間違いないのである

 

 

★ 私は、企画やマ―ケッテング分野が長く 技術屋さんとの接点は少なかったのだが、不思議なほどこの3人の方とは繋がっていて想い出も多いのである

 

●大槻幸雄さん

3人の中でも、特に関係があったのは大槻さんで、カワサキ創成期のレース仲間だし、その後(昭和41年、1966)FISCOの日本GP監督が大槻さんで、そのチームのマネージメント担当が私だったのである。

その翌年から二人ともレースを離れて、大槻さんは市販車の担当をされることになり、私は東北の営業担当となったのだが、デ―ラ―会議に来られた際、世界一の二輪を創る と言っておられたのが『Zの構想』だったのだと思っている。

大槻さんとは、今現在も繋がっていて、Zの40周年記念イベントをアメリカで行った2年前には、Zの開発などには何の関係もない私に『おまえも来い』などと仰るものだから、その時点で KAWASAKI Z1 FAN CLUB を創ることになったりしたのである。  ttp://z1fc.com/

 

 

● 松本博之さん

カワサキの歴史の中で、一番のヒット商品と言うか一番数を売ったのは、Kawasaki GTO 110ccであることは殆ど知られていない。

CKD なので台数は記録されていないのだが、東南アジアで生産されて毎年20000台も売れたダントツの大ヒット商品なのである。http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/10713ef4387a2f8db272a3acfa1804e7

この機種の開発をお願いしたのだが、当時の技術部長の大槻さんは頑として首を縦に振ってくれないのである。

その時『私が造りましょう』と助け船を出してくれたのが松本博之さんで、その一言で生まれたのが、Kawasaki GTO 110cc なのである。

この機種によってカワサキの東南アジア市場の今がある と言っても過言ではナイ。

カワサキの2サイクルエンジンは松本さんの手によるものが多く、マッハⅢも勿論松本さんが開発担当なのである

 

稲村暁一さん

この人の開発に懸ける真面目さと言うか一途さは、尋常ではナイ。

稲村さんについては、雑誌でもよく語られているし、ご自身でも言っておられるあの通りなのである。

彼は今ゴルフコンペZ1会の副会長だが現役の頃、彼にゴルフを教えたのは私なのである

 

そのころは、こんな環境だったのである。  ホントか?  と思われる方が多いと思うがホントの話なのである。

当時の理事室はめちゃくちゃ広くて、その一部には、本格的なゴルフの打ちっぱなし場があって、幾らでもゴルフの練習が出来たのである

それを創ったのは、アメリカのリンカーン帰りの佐伯企画部長で、(元川重副社長)発想が日本離れ?していたのである。

当時の事業本部メンバーは、高橋鉄郎本部長以下、カワサキの創成期を支えたメンバーが事業本部のトップを構成していて、事業本部の名称もCP事業本部(コンシューマー・プロダクト)などと、カッコよかった時代なのである。

そんな奇人、変人みたいなのが揃っていたので、そんなムードの中で、カワサキらしい特徴のあるマシンが生まれやすかったのかも知れない。

Ninja 900 が開発されたのも稲村さんが技術部長時代で、その担当者の一人が山田浩平くんだったのである

 

いまはNinja のネーミングは定着したが、このネーミングの発想はアメリカからで、当初は日本側は『黒装束のイメージ』でダメだししてたのを、当時のKMCの社長をしていた田崎さんが、『アメリカではゼロぜロセブンのカッコいいイメージ』と大庭本部長を口説き落として決まった経緯がある。

その場は、大庭さんと田崎さんと私の3人しかいなかったので、これは間違いのない話なのである。あのとき、あんな経緯で決まった Ninja が30年たった今も続くとは、誰も思っていなかったに違いないのである

 

 

★前述した3人の技術屋さんのほかに、 いろいろと深く関係のあった技術屋さんがもう一人いる。

それが今回発表されたNinja H2/ Ninja H2R  の開発責任者の山田浩平くんである。   

 

何年か前に、

山田浩平くんが技術本部長になった時に、手紙をくれて、『私が本部長の間に、カワサキらしい車を開発したい』と決意表明とも取れる、技術本部長の就任挨拶を頂いたのである。山田浩平くんは、若いころX-11の開発を担当していて、そのサーキット走行などで当時のTIサーキットや、SPA直入の走行テストで面倒見たので親しいのである。

その後も、ひょこむという SNS にも『胡蝶』さんと言うハンドルネームで参加していて、私の周りの二輪のユーザーたちとも、直接繋がっていたのである。そのころアップした私のブログ、『胡蝶さんのブログ』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/d4d93d0b0851aeae5460c7296bf1511b  にはこんな風にいろいろと纏めている。何年か前に、大槻さんと明石の川重を訪ねた時、山田浩平くんも応対してくれて、そと時『300馬力のマシンを創っています』などと言っていたのである。

 

確かに、こんな技術的に高度なマシンの開発には、川重工の技術がいることも確かだが、一番のベースは、開発する人の強烈な個性や、マシン開発に懸ける想いが一番のベースだと思うのである。

こんなカワサキのちょっと桁はずれた、おもろい人たちも最近では少なくなっているのだが、それはオモシロイ人がいないのではなくて、奇人変人の素質のある人がそれを発揮できる環境にナイ、ちょっとまともな雰囲気になり過ぎているのではと、思ったりするのである。

 

かって単車の事業本部長もなさった大庭浩さん(元川崎重工社長)が私にしみじみと言われたことがある。

『船などと違って、二輪はホントに1人でで創ってしまうな』    

エンジンと車体やデザインなど何人もの人たちの協働作業だが、その基本コンセプトは強烈な想いのある1人の技術屋さんが創ってしまうのである

それが出来るのが、また二輪独特のオモシロさなのである

 

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