雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

田崎雅元さん

2017-01-17 20:23:02 | 発想$感想

 

★ 夕方の6時、突然電話が鳴った。

 受話器をとってその声を聞いてホントにびっくりした。 

 その声は、田崎雅元さんだった。 全く昔とおなじ田崎さんで、それから7時15分まで、1時間以上喋っていた。

 田崎さんの電話はいつも長いのだが、その電話もこの4年間全くなかったのである。ちょっと体調を壊していて、電話もできないぐらい悪かったのに、昨年末あたりから復調したという。

延々1時間以上話していたが、話ぶりからは100%昔の田崎雅元さんがそこにいたのである

いろんなカワサキの仲間がいるが、一番腹を割って『話が出来る』のは田崎さんかも知れない。なかなか1時間の長電話など普通では出来ないものである。長い電話と言えば、大槻幸雄さんとも、長い電話をすることがある。

お二人とも、創世期のカワサキのレース仲間だし、一緒にいろんなことをした仲間だから長電話も大丈夫なのである。

カワサキがレースで初めて『監督というポジション』を創ってレースをしたのは、昭和40年(1965)の鈴鹿6時間耐久レースで、大槻幸雄監督・田崎雅元副監督だったのである。

これは、たまたま次回の『カワサキの二輪事業と私 昭和40年』の年のことなのである。そして同じ年の8月、大槻さんはドイツへ、田崎さんはアメリカへ行くことになって二人の送別会をやったりしてるのだが、そんな田崎さんが、戻ってきて、私は本当にうれしいのである。

 

★実は、電話がある前に、田崎さんには、手紙を書いて出したところなのである。

私は、2年ほど前から年賀状を出すのを止めてしまったのだが、田崎さんから早々と賀状を頂いていたのである。

どうしようかなと、思っていたのだが、『寒中見舞い』ということで、結構長文の手紙をしたためたのである。その中にも『もしできるのなら電話でも下さい』と書いたので、それで掛かってきたのかと思ったが、手紙の投函は昼過ぎだったから、それが着いているわけはないのである。

そういう意味ではいいタイミングだった。

電話でいろいろ話す前に書いているので、『よかった』と思っている。

 

   

 

 これは、何年前になるのだろう。 東日本大震災のあった年の同じ3月の初めに、平井さんが主宰した『カワサキの想い出、そして未来』での幕開けの挨拶をしてくれた田崎さんである。

 

その後も彼とはいろいろあって、毎年開催されているカワサキワールド主催の『ミニ・トレイン』もそれを起案したのは、福井昇くんと私だし、それを田崎さんが、神戸市に繋いでくれて実現したのである。

   

 

 私の現役時代、レース時代からずっと密接に関係があって、いろんなことを二人のコンビで仕上げたプロジェクトもいっぱいなのである。そういう意味では、一番長く付き合ったのが田崎さんなのだが、この数年体調を崩して、表に出てこなかったのだが、電話の調子は、全く以前と変わりはなかったのである。

 

 今年はどんな年になるのかな? と思っていたが、年初から想定外のことが、中山和子さんの『ビオ・ファーム丹波』に続いて『田崎雅元さんの復活』と二つ続いている。

 酉年の年男なのだが、今年はオモシロくなるかも知れない。

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船場モータース 岡田博さんのこと

2017-01-17 06:47:27 | カワサキ単車の昔話

★今週送られてきた二輪車新聞に、衛藤誠さんのこんな記事が載っていた。

船場 今年で創業70周年』 とある。

    http://www.semba.co.jp/index.html

 

      

 

記者の名前は載っていないが、衛藤誠さんにしか書けない内容になっているからそう断定するのである。

大阪の二輪販売店の老舗、今は『船場』となっているが、かって『船場モータース』と称したこの写真の店のオーナー岡田博さんとは、数多いカワサキの販売店の店主の中でも、カワサキが一番お世話になった方だと言ってもいい。

岡田さん一流の『見識』を持ち、何故か中国語の先生などをしていた岡田博さんと私は親しくお付き合いがあったのだが、それは今の『船場』の経営を引き継いでいるご兄弟がまだ学生さんだった、1970年、大阪万博が行われたその頃からである。

今年は『船場70周年』とあるからその時すでに20年以上も経っていた老舗なのである。私は結構親しくさせて頂いたが、端的に云うとなかなか『とっつきにくい』ところがあって、岡田博さんにこちらから近づいて行った方は数少ないのだが、この記事を書かれてる衛藤誠さんなどは、何故か岡田さんと波長が合って、衛藤さんの書かれた『船場の記事』も沢山あるのである。

 

★船場モータースの岡田博さんと、カワサキが密接に繋がったのは、昭和45年(1970)年末大阪万博の年、私が大阪営業所所長になってからのことである。

それまでは、船場モータースとのお取引もあったのだが、どちらかというと『スズキ主体』に売られていて、カワサキのことを『ホンダは別格、世界のヤマハ、日本のスズキ、明石のカワサキ』と私に言われていたのである。

カワサキは当時はW1の時代で、それまでの125cc主体の『実用車のカワサキ』から、A1,H1,など『中大型のスポーツのカワサキ』に脱皮しようとしていたころなのである。従来地方の東北や九州がカワサキの主力市場だったのだが、ようやく東京・名古屋・大阪など大都会の販売に力を入れようとしていた時期だったのである。

岡田博さんは、なかなかムツカシクて並のセールスでは、もう一つ上手く行かなかったのだが、当時大阪にいた宮本進くん(後滋賀カワサキ)は旧い代理店の出身者だったので、当時のカワ販の人たちにない独特なものを持っていたし、私自身も大阪に来るまでの4年間、東北の代理店営業担当だったので、そんなちょっと変わった二人で『船場モータース』を担当したら、岡田博さんは一転『猛烈なカワサキ推進者』に変貌したのである。当時は、岡田さんとは言わずに。みんな『船場さん』と呼んでいたし、私も『岡田さん』と言ったことはなかったかも知れない。

そこで創ったのが、記事にもある『大阪共栄会』を立ち上げその会長に就任して推進して頂いたのである。この『大阪共栄会』はその辺にある一般の会とは違って、大阪のうるさいけど猛烈に熱心なカワサキファンの販売店の集まりみたいな会だった。『堺の徳野三兄弟のおやじさんの浜寺モータース』、現在もカワサキをやってる『堺の当時は伊藤モータースの伊藤さん』、今でも慕う人の多い『野崎モータースの野崎さん』かっては近畿メイハツにいた『吉永オートサービスの吉永さん』当時の販売店でけた違いに『大きな業容だった西形さん』、『AJで活躍されてる須川さん』などなど、そんな人たちをまとめてくれたのが岡田博さんなのである。

大阪で25店ほどのお店だったが、めちゃくちゃ熱心で、共栄会の会合はいつも夕方から営業所の2階でやっていたのだが、夜中にまでなることも珍しくなかったのである。

その『大阪共栄会』からスタートしたのが『カワサキ特約店制度』なのだが、私が大阪営業所長からカワ販本社に戻って『特約店制度の全国展開』を担当した時に、その『特約店制度説明会』に講師の一人として全国を飛び回ってくれたのが岡田博さんで、実際にやってる特約店の店主の話だったので、非常に説得力があったのである。

衛藤さんの記事はそのことを書いているのである。

 

カワサキ特約店制度は、大阪を皮切りに昭和48年(1973)Z1の発売を機に展開されていくのだが、Z1の発売があったおかげで各特約店の経営は飛躍的に拡大していくのだが、船場―モータースも含め、大阪の特約店も、当時一緒にスタートした京都も名古屋も、順調に推移しカワサキ独特の販売網となっていくのである。

このカワサキ特約店制度の成功に、岡田博さんは、大いに貢献して頂いたし、この制度のスタートに当たっての記事を二輪車新聞の一面に大々的に取り上げて頂いたのが、衛藤誠さんなのである。

衛藤さんとは今でもお付き合いがあるので、もう50年以上になるのだが、彼はまだ現役で頑張っていて、『カワサキについて一番詳しい人』は衛藤誠さんかも知れないのである。私にとってもこの大阪共栄会・特約店制度時代は懐かしく、この当時お付き合いのあった方たちはいまでもお付き合いが続いている。

岡田博さんの息子さんご兄弟の弟さんとは何度もお会いして面識もあるし、もう亡くなってしまわれた方も多いのだが、古石喜代司・竹内優・宮本進・伊藤彰・藤田孝明・吉川健一・柏原久・平井稔男・関初太郎さんなどなど、今でもFacebookで繋がっていたりして、懐かしい想い出いっぱいなのである。

 

★ 昨年暮れ、かってハーレージャパンの社長をされていた奥井俊史さんにお会いする機会があった。

お会いしたのは今回が初めてなのだが、私と奥井さんを繋いで下さったのは岡田博さんで、奥井さんがトヨタからハーレージャパンに来られた頃、あまりにも4輪と違う二輪の世界にビックリされてた頃、『カワサキの古谷さんに・・』と繋いでいただいたのである。先日お会いした時もその頃の話に花が咲いた。

 

  

 

 岡田博さんを師と仰ぐ株・忍者の伊藤彰さんもいて、奥井さんとの話が弾んだのである。

 

 

 

 船場70周年、船場さんがもう一度『繋いでくれた』のかも知れない。

 奥井さんとは、『もう一度どこかで、話の続きをしましょう』ということでお別れしているのだが、

 果たして、そんな機会があるのかどうか楽しみにしているのである。

 

 『船場70周年』 益々のご発展を祈念したいと思っている。

 

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