雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

田崎さんが送ってくれた写真から

2017-06-17 07:18:12 | カワサキ単車の昔話

★私は、いろんな記録は持っているのだが、現役時代の写真は殆ど持っていない。

先日来、田崎雅元さんが、いろいろと写真をいっぱい送ってくれてるので、その中から旧いものを並べてみたい。

 

 

 

 まずこの写真、多分 MCFAJの富士の裾野の朝霧高原であった全日本モトクロスの写真ではないかと思う。

 山田熙明さん、当時は技術部長のころだが、髙橋鐵郎さんは解るが、田崎さんその間かな? メカニックの福田・藤森さん、など何となく解るがあとはよく解らない。井出哲哉さんと松本博さんかも知れない。

 

  

 

 これは鈴鹿アマチュア6時間耐久、カワサキが初めてレース監督大槻幸雄・副監督田崎雅元と監督を指名したレースで、ロードレースはこれが2度目、会社が認めたロードレースとしては初めてのレース、1962年6月13日。

その1ヶ月前の5月13日、鈴鹿ジュニアロードレースに、会社には内緒で初めてロードレースに出場し、山本隆がホンダに次いで3位入賞を果たしたので、一気にロードレース熱が盛り上がったのである。このレースにも、私と田崎さんは密接に関係しているのだが、現場には行っていない。3位入賞など『夢のまた夢』の話が現実となったのである。

カワサキが初めて鈴鹿を走った日     http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8356d318b5dc414c15dd1b7488a09f63

 

この6時間耐久レースには、3台のマシンで、加藤・飯原のテストライダーチーム、岡部・梅津のカワサキコンバット、歳森・金谷の神戸木の実クラブの3チームで出場した。

山本隆は、1か月前のジュニア・ロードレースに出場したので、『アマチュア』の資格がなかったのである。そんなことで歳森康師が急遽連れてきたのが金谷秀夫で、金谷はこれがカワサキの初めてのレースである。

多分、一番手前が歳森康師、真ん中が岡部能夫、一番右は加藤か、飯原だと思う。途中歳森・金谷組も、加藤・飯原組もトップに立ったりしたのだが、両者とも転倒、岡部は1周目トップグループでスタートしたのに、『スプーン・カーブ』に水があってトップグループが何台か転倒などと言う派手なレースだった。

カワサキも、スズキも、ヤマハも当時のモトクロスライダーがいっぱい出場していた。

 

 

    

 

カワサキのアメリカ市場・開拓当時、そのリーダーの浜脇洋二さんが名付けた『7人の侍』がいたと言われている。

そのうちの6人が揃って写っている、貴重な写真である。

田崎さんがアメリカに渡ったのは、『鈴鹿6時間耐久レース』のあった年の8月、その年大槻さんもドイツ留学が決まって、8月10日にレースチームで二人の送別会をやっている。

浜脇さんの本によるとブラジル市場調査の帰り、アメリカによって、アメリカには二輪の市場があると思ったのは1964年3月のことで、ここからアメリカ市場開発が始まっているのである。

この時点ではすでに、川崎航空機では単車再建の方針が決定して、広告宣伝課なども創られ、私はそれを担当したりしているのだが、市場は国内だけだったのである。浜脇さんは社内でアメリカ市場への進出を提案し9月に本社企画から輸出課長となっている。

アメリカ市場の開拓は、ここから始まっているのである。浜脇さんがまずアメリカに連れて行ったのは企画に一緒にいた渡辺くんだと思う。彼は私の大学の後輩なので、『アメリカに行きます』と挨拶に来てくれた。

そして、その次にメンバーに加わったのは、トーハツにいてアメリカ市場にいた杉沼浩さんで、濱脇さんがどこからか見つけてきたのだと思う。これが1964年の末か65年の初めだと思う。

私も国内のことはきっちりと記憶があるのだが、アメリカの話は、何となくしか解っていなかったのに、ごく最近田崎さんがいろんな話や写真を送ってくれるので、時系列に改めて整理できることになったのである。

田崎さんがアメリカに行ったのは、明石工場としては第1号で、その任務はサービス・エンジニアだったという。それが1965年9月でその赴任地はシカゴだったのである。そして、サービスをやるには部品はMUSTということで、シカゴに部品会社を立ち上げることを提言し、それがAKMとしてできたのは1966年のことで、そのために部品の担当者の黒田くんをアメリカに呼び、会社の経理をやるために、私と同期の久保勝平くんが、アメリカに渡り、さらに明石から種子島経さんが加わって『7人の侍』となったのだろう。

この部品会社AKMが、後の販売会社KMCの母体になっているのである。

 

 

 これは1973年とあり、岩城さんも顧問となっておられるが、KMCの初代社長は当時の川崎航空機常務であった岩城良三さんだった。 そして右端は、7人の侍の一人で、上の写真には抜けている杉沼浩さんなのである。

 

 田崎さんからの写真、他にもいっぱいある。

 

  

 これはIKS20周年 ということであれば、多分89年以降だろう。IKSには直接関係のない、私がいるのはよく解らないが、ひょっとしたら記念講演のスピーカーとして呼ばれた時だったのかも知れない。

左から3番目が山田晴二さん、この時はIKS社長だが、濱脇さんの次のKMC社長でもある。私の右は同期の鈴木啓司さん当時はIKSにいたと思う。後列のメンバーも、皆さん懐かしい顔ぶれである。

 

 

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 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

 

 

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