雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

阪神・淡路大震災から23年

2018-01-17 11:55:37 | 発想$感想

阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、淡路島北部沖の明石海峡を震源として7.3の兵庫県南部地震が発生した。近畿圏の広域が大きな被害を受け、特に神戸市市街地の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6435名に達し、東日本大震災に次ぐ被害規模であり、戦後に発生した自然災害では、犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を上回り、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった

 と記録されている。

 

  

 

 当時は私も未だ現役だった。

 その日のこと、当時のことも鮮明に覚えていると思っているのだが、ホントに当時どのような感想を持っていたのか、日記を調べてみた。

 

  

 

6時少し前、大地震。約1分ほど家が倒れるのか、これはすごい、本当にこれは地震なのか。地震とは別の何か別のものではないかと短い時間のうちに思った。大変なものだった。会社に出たが事務所は散乱、部品庫は被害特になし、新車倉庫で600台が転倒。ショールームは2,3階のガラスが割れる。電気が通じてTVを見てから、この地震のすごさが解った。神戸・西宮あたりはすさまじい。門野君宅は二つとも潰れたという。典子はそこに手伝いに行って連絡はあったが、今はどうしているのか。火災は神戸市内で続いている。』 

 と書いている。

 

 この短い文章に結構その時の想いが正確に記録できている。

少々、その日のことを解説すると、

 ● 正直、これは「地震ではない」爆発か何かが近くで起こったのではないかと思ったりした。普通に経験している地震の揺れとは違う全く別次元のものだったのである。

 ● 停電はしたが、家は大丈夫だったし、神戸の状況など全く解らないので、そのあといつものように『犬の散歩』もして出社した。

 ● 停電で信号はついていなかったが、道は大丈夫で明石の玉津事務所に出社した。何人かの人も出社していた。

 ● 明石の川重の工場にも行ってみたが、こちらは殆ど出社していない。ショールームの状況などチェックしたが大した被害はない。

 ● 9時過ぎ電話が通じたので、高橋本部長宅に現状報告したら『お前いまどこにいるのか?』『会社です』『ひどいことになってるぞ』と仰るのである。高橋さん宅は芦屋の高台だから、阪神間の被害の様子がお解りの様なのである。それでもそれがどの程度のものかはよく解らなかった。

 ● 10時頃だったか電気が通じて、阪神間の様子がテレビに映って、この地震のすさまじさに、びっくりして、これはどうにもならないと帰宅したのである。

 ●娘婿の実家は神戸の新開地だったので、店も家も潰れたとの連絡だけは入ったのである。

 

周囲の状況が解っていないと、その時把握しているレベルの情報による判断での行動になるということがよく解った。

 神戸の状況が全く解らない状況では、地震の揺れが収まると、いつもの通りの行動に戻ってしまうのである。

 犬の散歩もしたし、出社するのは当然で、その時点での最大の関心事は、電気が止まってしまっているので『熱帯魚の水槽の温度

が低くなること』が心配で家内に温度を見て湯を足して欲しいと頼んで出かけたのである。

会社に出てきた連中もみんな同じ状況で、その時の一番の被害は倒れた600台の新車の処置だったのである。

高橋さんに電話で聞いた時も、こんなにひどいとは思わなかったのだが、10時過ぎにテレビを見て『ぶったまげてしまって』これは会社にいても仕方がないと、みんな帰宅させたのである。

 

★会社の生産は21日から再開されたが、この地震で二輪事業はある意味『恩恵を受けた』のである。

国内はもとより世界中から『生産がムツカシイだろうから』と受注が殺到して、国内でもバックオーダーが何ヶ月も続いたのである。

人間は、夫々周囲の状況をみて、或はその状況を推測していろんな判断をし、行動するものだということはよく解った。

そんな思い出を持っている『阪神・淡路大震災』である。

もう、アレから23年の月日が流れたのである。

 

 

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朝日新聞は??・・・百田尚樹さんは??

2018-01-17 05:53:33 | 私の生き方、考え方&意見

産経新聞にこんな記事が載っていた。

      http://www.sankei.com/politics/news/180116/plt1801160015-n1.html

 

 

   

 

  作家の百田尚樹さんがツイッターでこんな発言をしたらしい。

  『・・・・朝日新聞は日本の敵だが、そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵。』

 とツイートして12000を超えるいいねと6000に近いリツイートとがあったようだ。

 

 

    

 

 

 私は、朝日新聞の読者だが、朝日新聞の政治的な姿勢については同調はしていないし、むしろ反対の立場である。

  ただ、世の中には、政治的な信条だけでなくいろんな意見が存在することもまた事実なのである。

 日本国民すべてが百田さんのような『激しい意見』になってしまうと、それこそ戦時中の日本のようになってしまうから、『朝日が日本の敵』かどうかは別にして、朝日の意見に同調する人もまたいるはずで、それを『日本の敵』と決めてけてしまうのはどうかな?と思ったりする。

 

 

 

   

 

 

朝日新聞広報も、そのツイッターでこのように応酬している。

 それについて、産経の記事にはこのように書かれている。 

 

『百田さんは16日、「朝日新聞の広報さん」と呼びかけた上で「私はたしかに朝日新聞と読者を敵視したようなツイートをしましたが、差別的な発言はしていません。なんでもかんでも、すぐに『差別だ!』と、がなりたてるのはやめませんか。精神が弱者ビジネス丸出しですよ」と投稿した。ネット上では百田さんに対し、賛否両論のコメントが殺到した。』

 

 

 

差別的な発言』とは??  百田さんの発言は、『朝日の読者は日本の敵』とまで言い切っているのだから、これは明確に『差別している』のではないかと思う。

 朝日も『私たちはこれからも建設的で多様な言論を尊重し、読者と共につくる新聞を目指します。』と言っているが少なくとも、安倍政権に対しては、『建設的で多様な言論を尊重している』とはとても思えない『偏重な独断先行の意見』であることは間違いないのである。朝日新聞にお勤めの方がすべて『朝日新聞に書かれているような思想の人ばっかり』であるとすれば、『それは異様な集団』だと思うのである。

そういう意味で『朝日新聞は??・・・』といつも思っているのだが、『でも百田さんも別の意味で朝日新聞のような人だな』と思ったりしているのが、正直な気持ちである。

正田さんがどのように仰ろうとも、私は『朝日以外の新聞に切り替えたりはしないだろう朝日をとっているのも子供の頃からの『家の習慣』だからそれが続いているのである。

戦前の朝日新聞はダントツの超一流の新聞』だったが、『所謂・軍国主義の守護神みたいな新聞』だったように思っているのである。

変われば変わる』ものである。

 

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