雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

チェリーヒルズクラブ と 田崎雅元さん 

2019-09-15 06:33:25 | 発想$感想
★昨日は『日本女子プロオープン at チェリーヒルズゴルフクラブ』なるブログをアップしている。

その中にも書いているが、家から近かったこともあるし、何度もプレーしたゴルフ場で、4月の桜の時期には、大学の野球部OB会のコンペをやったので絶好の時期のチェリーヒルズを知っているのである。

そのほかに、カワサキの単車事業部関連でも何回かゴルフコンペがあって、
確か、田崎雅元さんが何かをやったゴルフ場だった』ことまでは覚えているのだが『それが何だったのか』が思い出せなくて、ブログを書きながらいろいろ考えたのだが、思い出せなかったのである。

 ブログを始めた2006年9月以降のことなら、『〇〇〇〇〇雑感日記』と検索したら殆どのことは現れるのだが、それ以前のことは、日記で探し出すぐらいしかその術がないので、日記で調べることでもないと諦めてしまったのである。




★ 昨日、田崎さんから、突然メールを頂いたのだが、こんなメールだった。

古谷さん、貴方のチェリーヒルズ紹介ブログを読みました。
とても想い出のあるゴルフ場です。1996年2月12日、マーケティングミーティングで世界の販社トップを集め大コンペを開催しました。プリンスコースNo4で、私の国内初の
ホールインワンが出て大騒ぎになりました。
新年度の素晴らしいスタートで、幸先良しと意気軒高、お祝いは高くつきましたが、100万円の保険のバックアップもあり、楽しい思い出になりました。 ・・・・・
私のグッドタイムスです。    チェリーヒルズ様様でしょうか?』

そうだ、『ホールインワン』だったのである。
当時は私も国内の販売の責任者だったので、そのコンペは私も出場していたのだが『優勝だったかな?』とも思ったのだが『ホールインワン』とは気が付かなかったのである。
 頂いた『記念品』も忘れてしまったが、結構『いいもの』を頂いたこと、それを『100万円のホールインワン保険』が使えたという話は、聞くと思いだすので、人間の記憶は頼りないものである。


★1990年代は、川崎重工は大庭浩さんが社長、髙橋鐵郎さんが副社長、田崎さんはCP事業本部長時代で、みんな私のお友達のような親しい先輩、仲間たちが、川重の中枢を占めていて、私の担当していた国内市場も7万台の大目標を達成し、鈴鹿8耐にも初優勝するなど『絶頂期』と言われた時期で、大庭さんに指示されて、川重関連会社の全社長さんや川重全役員を前に『国内市場の独特の市況展開説明』などもした私としても絶頂期だったのである。

1996年には田崎さんは川重常務、97年には専務取締役CP事業本部長として、建機 精機 汎ガス 遅れて ロボット 事業を統括していた時代だった。


★いま思い出しても、いい時代だったなと思うのである。

田崎さんは、その後、川重社長になられたりするのだが、私と田崎さんの関係は、『私が1年先輩』だったこともあって、あまり職位などには関係なく、『いい関係』がその当時も続いたし、『同じような不意議な関係』が当時から20年以上経った今も続いているのである。

 私も田崎さんも、朝鮮・満州の大陸育ちで、ちょっと異質なところがあって、ある口の悪い後輩たちは『古谷・田崎は日本人じゃないから』と何事にも『物怖じしない』対応を評したりしていたのである。

田崎さんと『本音で付き合えた』のは、早く亡くなってしまったが『岩崎茂樹』を入れた『この3人』かも知れない。
川重の社長などになると、周囲がそのように、仕立ててしまうところがあるようだが、私と田崎さんの関係はずっと『若い頃のいい関係』そのままで続いている。

 

これは極々最近の写真だが、
岩崎茂樹さんのご縁で繋がった登山道夫さんとも
気軽に写真に納まってくれる田崎さんなのである。

  
   
 
 ご縁があって、今でもずっとメールのやり取りはあるのだが、
私は、しょっちゅう田崎さんのこと、このブログでアップしてるし、Facebook にも転写するので、結構私の友達は『田崎さんのこと』ご存じなのである。

 お互いもう80代だから、いつまで続くのかはよく解らぬが、70歳代に何年も病気で寝ていた田崎さん、突然、生き返って今はゴルフもなさるほどの回復ぶりで、会うと『昔通りの田崎節』なのである。

 ゴルフは私のほうがちょっとだけ上手かったが『ホールインワン』はしたことがない。
 お互い、いつまでも元気で、生きていたいものである。
 

 
 


コメント
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