雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

三木防災公園で、今日出会った方

2019-10-26 12:13:01 | みっきぃふるさとふれあい公園
★ 雨も上がったので三木総合防災公園に走りに行った。

何か、大きな催し物があるようで、いつもとはちょっと様子が違うのだが、いつもの通り
サッカー場の周りを一周して戻ってくると、芝生広場にはいっぱいテントが並んで、いろいろとやっている。

  


 歩いていたら、『稲田三郎』さんにお会いした。
しばらくぶりである。 ちょうど開会式があったところでそれに出席されていたようである。
今回、三木商工会議所の会頭になられるとか。
久しぶりだったので、5分ほど立ち話をしてお別れした。





 兵庫県が主催する 『北播磨 農と食 の祭典』という催し物なのである。

 駐車場のほうに歩いていたら、『三木金物』の旗があったので、2枚ほどシャッターを切ったのがこの写真である。




 
 これが2枚目、カメラを持っている私に向かって、こんな笑顔、



 『ご無沙汰しています』と声を掛けられて、一瞬、どなたかと思った。
 
三木市長の仲田一彦さんである。  
市長選挙の時に一度お会いしただけだが、ちゃんと覚えておられるのは流石である。

お元気そうですね。 お孫さんはアメリカでご活躍とか?』 と言って頂いた。
今年の春に、孫・門野真也のこと神戸新聞に載ったので、ご存じなのだろう。

稲田さんからも『古谷さんも、お孫さんも元気だ』と言って頂いて、稲田さんは多分私のこのブログずっとお読みだから、ご存じなのだと思う。

 お二人とも社会のエライさんなのだが、普通の方と同じように喋ることが出来るのは、『私の特技』みたいなものである。

 86歳になってるが、20代や30代の若い人たちとも結構上手く喋れる。
 因みに、稲田さんは私より20歳お若いし、三木市長の仲田さんは、ちょっと調べてみたら、まだ46歳、私より40歳もお若いのである。


★ この催し、防災公園では今日・明日もあるようなので、
 ご関心のある方は、一度ご覧になってみてください。

 入場料・駐車料も無料です。
 


 
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人生で一番頑張った時期    1

2019-10-26 07:04:41 | 自分史
★ 86年生きてきて、その人生を振り返ってみると、常に一生懸命頑張って生きてきたと思うのだが、
一番頑張った時期は?』と聞かれたら40歳前後の5年間』と答えるかも知れない。

昭和32年(1957)に川崎航空機に入社し、単車事業という全く新しい事業に関わったこともあって、私の現役時代の基盤はこの川崎航空機時代に身についたものだと言っていい。

入社後12年が経過した昭和44年(1969)に、川崎航空機・川崎車両・川崎重工業の三社合併があって『川崎重工業』となるのだが、それはカワサキの二輪事業にとって、特に国内市場は大変な時期だったのである。

   



★カワサキの二輪事業は当初は国内市場だけでスタートし、50ccモペットも含めた『実用車のカワサキ』だったし、その主力市場は、東北・九州などの地方が主力で大都会では全く売れていなかった。

1960年代後半から『アメリカ市場』に進出し、250A1・マッハⅢなどのスポーツ車を開発し、アメリカ市場が活気が出始めたそんな時代であった。
逆に、国内市場は、50ccが主力で、ホンダカブ・ヤマハメイトなどのモペットに押されて、カワサキはなかなか大変だったのである。

 私自身は、当時最大の市場であった東北6県を担当していたのだが、当時はまだ自前の地方代理店が存在していて、東北6県にも13ほどの代理店があって、そこからサブ店に委託販売をしていたのである。

3社合併』の条件の中に、採算性の悪い50ccの生産は止めて、川崎重工業の二輪事業は『中・大型スポーツ車のカワサキ』を目指すという基本方針の大転換があって、国内市場は根本的な構造改革が求められていたのである。
従来の販売構造の大転換だし、『50ccの生産が無くなる』のであるから、その対策は急を要したのである。


★それは昭和44年4月のことで、私は仙台事務所の所長ではあったが、所長と言っても未だ36歳の若造で、川重の職位で言うと『係長』の時代なのである。

この政策の大転換は、代理店も大変であったが、国内市場を担当していた『カワサキオートバイ販』にとっても根本的な構造改革を求められるもので、一番代理店が多く、一番数を売っていた東北6県の対策が一番ムツカシク、この『東北6県対策』は、当時の田中誠社長自らが陣頭に立って旗を振られたのである。

 そんなことで、昭和44・45年は田中社長が自ら東北に来られて、直接私にその対策指示があったのである。 かっての川崎航空機の取締役であった田中社長と未だ係長の私が直接の対策検討をすることなど、普通の時期ではとても考えられないことだったのだが、そんなことは言っておれない状況だったのである。

田中社長の試案は、50ccなしでは東北6県の代理店の経営が持たないので、具体的には東北6県の代理店を一つの『協同組合』に纏めてしまおうというドラスチックなものだったのである。

 方向としては解るが、形は『協同組合』だが、今までそれぞれが独立してやってきた会社が、一つに纏まるようなものだから、各代理店の社長との意見調整も要るし、具体的な交渉・意見調整は全て私がやらねばならなかったのである。

代理店の社長さんは、ずっと年上の方だし、この仕事は『バイクを売り込む』などの単純なことではなくて、各社長それぞれ、いろんな思惑などもあって、ホントに大変だったのである。

それぞれの代理店が会員となり、6社を『協同組合』に纏めて、『その運営は理事長が纏める』ことにはなっているのだが、実質はその事務局を担当する仙台事務所(カワサキ)が旗を振るそんな体制になったのである。


★ この東北6県の代理店統合対策は、具体的には3社合併の1年後、昭和45年の4月頃からスタートし、9月末までの6か月で仕上げることがMUST条件だったのである。

 東北6県対策もさることながら、カワ販本体としては、実用車のカワサキから『中大型スポーツのカワサキ』に脱皮すべく、従来は殆ど売られていなかった、東京・大阪などの大都会対策が急務であり、田中社長からは、10月からは大阪・近畿地区の担当を内示されていたのである。

 そんなこともあってあって、『東北協働組合』は10月16日に発会式を行うことになり、私自身は、10月24日に仙台を立って10月25日には高槻に引越しし、10月26日に大阪営業所に出社するという、誠に忙しい半年を過ごしたのである。

こんな経験をしたことが、その後の私の活動で、少々ムツカシイことに出会っても『大したことは無い・何かなる』と思うようになったし、『半年あればできる。 半年かかっても出来ないことは10年掛かっても出来る保証などない。』などと思うようになったのである。


★ 私が担当することになった、大阪営業所と近畿地区(京都・滋賀・奈良・和歌山)は、当時大阪母店と言われ私はその母店長としての異動だが、大阪営業所だけは営業所長兼務のまさに第1線担当だったのである。

 それまで東北6県で年間5000台以上を販売してきた台数に比べたら、大阪営業所の販売台数は、誠に少なくて、まさに『実用車のカワサキ』だったので、大阪では実用車は殆どでないし、スポーツ車も実績がないような状況だったから、ホントに白紙からのスタートだったのである。

 当時からスポーツ車では多くの実績を持っていた『船場モータースの岡田博』さんからは、こんな風に言われてしまったのである。

 『東北では結構売られていたようだが、大阪では、ホンダは別格、世界のヤマハ、日本のスズキ、明石のカワサキ、そんな程度の評価です』と。

 確かに、そう言われても反論する実績もなかったのだが、そんな大阪がこれから後何年かの間に、カワサキの中では勿論、二輪業界に於いてもその流通政策に於ては、ホンダの親しい友人が『流通機構ではカワサキに10年遅れた』と年賀状に書いて頂けるような躍進を遂げるのである。

 これはカワサキの人たちも頑張ったが、それ以上に、カワサキの特約店の方たちが頑張ったし、昭和48年に大阪でスタートするカワサキ特約店制度は昭和50年度には全国展開となるのだが、その旗を直接振ったのは私だし、大阪でも、全国展開でも一番手伝って頂いたのは、船場モータースの岡田博さんなのである。

 そんなホントに頑張った『5年間』がどんなものだったのか、自分史として何回かに分けて書いてみたいのだが、なぜ突然こんなことを思いついたのかというと、
 来月の11月10日に、Z1 FAN CLUB の登山道夫さんがFacebookにこんな記事をアップされたのである。


  

  
 ここに出てくる『阿部ちゃん』も当時の仲間だし、和歌山は大変だったのである。
 
 当時は紀の川沿いに『小屋』のような営業所しかなかったのだが、やっと和歌山駅前に一人前の営業所が創れて、これはホントに懐かしいので、そんな昔のことを日記で調べていたら、いろんなことが思い出されて、
 これは『カワサキの歴史』として残しておこうかと、書き出したのである。

 どんなものに纏まるかは、自分でもよく解ってはいないのだが、
この当時の5年間、私も、カワサキの従業員も、それ以上に特約店も頑張ったと思うので、当時の『頑張り具合』を纏めてみようと思ったのである、

 『和歌山の阿部ちゃん』もそんな頑張った一人なのである。
 11月10日にホントに何十年ぶりにかっての『和歌山営業所』で『阿部ちゃん』にお会いできるのが楽しみなのである。

 
 
 

 
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