雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

孫・門野哲也 大学リーグ戦デビュー

2019-10-28 11:33:18 | スポーツ

★私には男の子ばかり4人の孫がいる。
孫・門野哲也が一番末っ子なのだが、この9月にアメリカのサンデイエゴ大学にサッカー推薦で入学したのだが、10月に始まった大学サッカーのリーグ戦にキーパーながら先発出場デビューしたようである。

 最近、DNAについていろいろ思うのだが、4人の孫たちを見ていると、自分の親たちは勿論、私や家内などに似てるところも勿論あるのだが、もっと以前のいろんな方たちの、いろいろなものを受け継いでいるように思えてオモシロい。

 門野哲也はサッカーのキーパーをしているのだが、背が185cmもあるのは、誰に似たのだろう? 周囲にそんな大きな人はいないのだが、これは小さなころからアメリカで育ったいい環境とその食事の影響かなと思ったりしている。

 少々『怖がり』で、『自信過剰』なところなのは、私に似ているところもあるのだが、その程度は、比較にならないくらいのレベルなのである。

 『怖がり』は高いところは苦手なのだが、小さい頃は公園の急な階段も怖くて降りられなかったのである。 私自身も結構何事でも『自信』を持って臨むほうだが、哲也の場合は、常に『自分が一番』だと思っている節がある。

 私も、息子もスポーツはやっていて『そこそこのレベル』ではあったのだが、『プロ選手』などはとても、発想の外だったのに、娘のほうの孫二人は『プロサッカー選手』を目指すと言って、次男は今春その夢を果たしたのだが、末弟のほうは、『プロ選手』になるのは当然のような口振りなのである。

 ひょっとしたら私の『ひい爺さん』は明石松平藩の剣道指南番だったというし母方の伯父楠見幸信は、昭和の初期日米対抗野球でベーブルースが日本に来たころはまだプロ野球はなかったのだと思うが、慶応の同僚宮武・山下・などと共に日本代表に選ばれていたようだから、そんなDNAを受け継いでいるのかも知れない。
因みに、楠見幸信は国鉄スワローズがスタートした時の初代総監督なのである。

 
確かに、相当のレベルであることは間違いないのだが、中学3年生の頃にヴィッセル神戸の練習に参加させてもらった時も、確かに高校生のキーパーと遜色なかったし、むしろ上かなと思ったが、堂々としていたのである。


   

 
こどもの頃から、サッカーの超有名選手たちと何度も一緒に写真を撮った『いい環』に育ったことが自信になっているのかも?

 これは小学生の頃、あのベッカムと一緒に。
 このころから、ひと際大きい。

 


 
これは中学生の頃だと思うが、アメリカ代表監督のクリンスマンさんと。
 この時も背だけは負けていないし、
 クリンスマンさんの息子さんが、Strikers FCにいたこともあって、しょっちゅうご一緒だったのである。


  

 
これは高校生の頃だが、
本田よりはちょっと背は高いかも知れない。
 
  



これは、このサッカー場のこけら落としのゲームに出場して、アメリカのサッカー界の有名人と一緒の写真のようだが、本田佳祐はこの日に来ていて、一緒に写真を撮ったようである。

  

 


★そんな 門野哲也だが、この秋サンデイゴ大学に入学した。

サンデイゴ大学は昨シーズンは成績不振だったようだが、今年はそんな環境から脱皮すべく、有望新人をこんなに獲得したようである。
 こんなアメリカ人の中でも一番背は高い。

 


10月にリーグ戦が始まって、キーパーというポジションは1人だけだから、なかなか出場の機会はないのではと思っていたが、1回生ながら先発出場しているようである。



   


   

 
娘がこんな実況放送のテレビをLineで送ってきたので、そこからピックアップした動画とその動画からの写真である。


サッカーの動画も面白いが、『キーパ』を見るのはなかなか大変である。
失敗は即『失点』で、『得点』には絡めない。
 



★これは三木に遊びにきたとき、息子はわざわざ鎌倉からやってきた。

 このころは、今の体型が考えられないようなデブなのだが、
 兄貴の門野真也と共に、 そのお師匠さんは 息子だったのである。

この二人がサッカーのプロになるなどとは、流石に息子も思っていなかったと思うが、どうやら二人のサッカー・プロが生まれそうである。

  


 
兄貴は今はフォワードだが、哲也はずっとこどもの頃からキーパー希望で、
小学生の頃から、かってのメキシコ代表キーパーの個人指導を一貫して受け続けているので、 その『自信のほど』も解らぬではない。
 この方の指導を何度も観たが、あれくらいやると上手くなるのも納得である。
 



 
次男の門野哲也は、今年の春『プロの夢』実現したのだが、
4年後、『門野哲也のプロ入り』を果たして私は観ることが出来るだろうか?

何とかそれが『観られる』ように私も頑張って生きていきたいと思っている。

 
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人生で一番頑張った時期   3

2019-10-28 06:29:19 | 自分史

★ 『人生で一番頑張った時期』 として私の40歳前後の数年間をアップしているが、それは50年近くも前のことなのに、
当時の仲間たちとは不思議なほど今でも関係があったりする。


 

 

今年の春にあった吉田純一さんの叙勲パーテイーでの写真だが、
かってのカワサキの仲間たちもいっぱい集まったのである。

一緒に写ってる平井稔男さんはかっての神戸営業所長で純ちゃんの上司なのである。


 


 当時のいろんな仲間が集まった。
左から平井さん、柏原久さんは吉田純ちゃんのカワサキ同期生、渡部達也さんはカワサキ定期採用一期生で1年先輩、当時の京都営業所長の藤田孝明さん、彼は私と川崎航空機の同じ年の入社で、野球部で三遊間コンビだった。

前に座ってるのが二輪車新聞の衛藤誠さんで、もう60年以上のお付き合いである。


  



 これは村島政彦さんだが、Facebookでは繋がっているのだがお会いするのはホントに何十年ぶりである。弟さんの村島邦彦さんとはNPO The Good Times 関係でもお世話になっていて、何度もお会いしているのだが・・・



         



こんな懐かしい方にもお会いした。
この『人生で一番頑張った時期』を書くきっかけになった『和歌山の阿部ちゃん』である。


    


 これがいまのお店だが、かってのカワサキの和歌山営業所の後である。
 この和歌営業所も、当時阿部ちゃんと一緒に創った想い出の営業所なのである。

 

 

 

お店の写真と言えば、これはかっての大阪母店の南営業所で、
当時大阪では、南にも北にも、東にも営業所を出して、そこである程度の基盤を作ってから、それを順次『のれん分け』していったのである。


このかっての南営業所をお店にしたのが、吉田純一さんの『オールカワサキ』なのである。
  




こちらは『八尾カワサキ』  
こちらがかっての大阪東営業所、
吉田さんの少し後に、同じく独立開業されてスタートしたのである。


  



一番『のれん分け店』が多かったのは兵庫県だが、
灘カワサキ』『西宮カワサキ』『明石カワサキ』『加古川カワサキ』『姫路カワサキ』など みんな従業員ののれん分けなのである。

当時の販売店は殆どが自転車屋さんだったので、
特に兵庫県は『オートバイ専門店』をするような候補店が少なかったので、カワサキの従業員たちが、順次独立開業しての販売網となったのである。

かってのカワサキファクトリライダーだった、山本隆さんも、ちょうどこの時期に引退して『山本レーシングサービス』を立ち上げている。  

そんな山本さんやMFJのモトクロス委員長・田中隆造さんらとの写真だが、白いジャンパーを着ているのが、名古屋の斎藤昇さんである。

 
   


今はこんな立派なお店をお持ちだし、『ツイン・サーキット』のオーナーでもあるのだが、
斎藤さんとは当時の特約店契約時に懐かしい想い出がある。

 


斎藤さんは、かってはスズキのご出身で、
当時『春日井スズキ』という、小さなお店で開業したところだったのである。
カワサキの特約店』を希望されたのだが、ちょど向かい側に『大きなお店』があって、その方が『春日井スズキなどと契約するなら、うちは契約しない』と言われるので、斎藤さんには『ちょっと待っていて』と言って待っていただいたのである。

 『カワサキ特約店』の条件の中で一番重視したのは、店の大きさなどではなくて『店主の人柄・心意気』みたいなものだったので、斎藤さんには半年ほど待っていただいての『特約店契約』となったのである。
ちょうどその頃、Z2が出て順調に成長されて行かれたので、いい運をお持ちなのだと思う。

堺の伊藤彰さんと何故か気が合って、親しくお付き合いをされているのだが、お二人からは、今でも突然電話が掛かってきたりする。
斎藤さんからも、昨年暮れ突然長い電話を頂いたのである。


★人の出会いは、さまざまだが、そんな出会いを大事にしたいと思っている。
 私自身は40年程カワサキの二輪事業に従事したのだが、国内のカワサキオートバイ販売、今のKMJには、3回出向をして半分の20年を過ごしていることもあって、
 川崎重工業の単車事業部には、流通段階でのノウハウが必要な時期に『逆出向』をしていたような感じもあって、親しい仲間たちも勿論川崎重工業の中にもいるのだが、その数で言うと、末端の二輪業界の方々や、レース界などのほうが圧倒的に多い、ちょっと普通のサラリーマンとは違った生き方になっている。

Facebook では、このブログに今まで名前の出た方の他に、関初太郎・村島邦彦・西郷善治さんなど、この『人生で一番頑張った時期』にご一緒した仲間たちと、毎朝出会っているのである。

定年後に出会った方も結構多くて、自分でもオモシロい人生だなと思ったりする。 
  
 
 『人の世の幸不幸は 人と人とが逢うことからはじまる よき出逢いを』

 とあるが、ホントに出逢いは大事にしたいなと思っている。


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