雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

関初太郎 さんのこと

2019-12-03 05:37:00 | カワサキワールド

★ Facebook にこんな『私との2ショット』の写真を使っている関初太郎さん、
  もう60年近いお付き合いである。




 
三木のKAWASAKI Z1 FAN CLUB での写真だから、もう5年ぐらい前のことだと思うが、確か豊岡への一泊ツーリングの時ではなかったか?
 昔のことはよく覚えているのだが、最近のことはすぐ忘れてしまうのである。



  


 
ご自身のFacebook にも書かれているように、
昭和42年(1964)カワサキオートバイ定期採用第2期生での入社だが、
私が初めて関君に会ったのは、昭和45年の12月に私が大阪母店長に異動して、彼は京都営業所にいたころで、それ以来60年に近いお付き合いなのである。

 
★ 関初太郎さんについて『関初太郎 雑感日記』とチェックしてみたら、
このブログを始めて5ヶ月目の2007年2月に、こんなブログをアップしている。


その頃はまだブログに写真のアップも出来なかった頃だと思うが、こんなことが書かれている。
 
『以前、苧野豊秋さんのことを書いたとき、「Hさんに聞きました」というKshopさんのコメントを頂いたが、どなたのことか解らなかったのだが、昨日の私のブログ「反町ジャパンの反町くん」に高1、中1の息子さんたちがサッカーに熱中しているとのコメントを頂いた。
今回はKshopをクリックすると、モトボックスセキのホームページが現れた。
関君だったのか。読んでいてくれてたのだ。』

などと書いている。
彼がまだ独身時代の若い頃、京都の営業所が新幹線の高架下で狭くてみすぼらしい頃だが、藤田孝明君率いるこの営業所は、久後淳一郎、関初太郎、柏原久、吉川健一など、ユニークなのが揃っていた。総資本率10%の実績をずっと続けていた私の知る限り、カワサキの歴史の中でも最も充実した内容の営業所だった。

彼はその後、東京営業所時代に急逝された城北カワサキさんのお店の後を継いで販売店に転身するのだが、その時の東京所長も藤田孝明君で、彼の『ユニークな対応』が彼の販売店への転身のきっかけになったのである。

その後、新宿のショールームで新しい形の5時以降はショップに転換する『After 5』という新しい形の展開でも同じカワサキOBの五島さんなどと一緒に仕事もした仲間でもある。
販売店というよりは、ずっと仲間という意識のほうが強かった。

私の最後の勤めの札幌にいたころも、『南,五島,関、佐々木』というカワサキの懐かしいメンバーでわざわざ札幌まで遊びに来てくれたりしたのだが、これはまさしく『新宿のAfter5』の担当メンバーなのである。


★彼は信州・長野の出身で、『信州そば』などもよく送って頂いたりしたのだが、
 『蕎麦湯』は湯をかき混ぜずに静かに『うわずみ』を注ぐために、こんな容器になっていると教えてくれたのは、関初太郎さんであったことは間違いない。

 

 
 冒頭に書いた『豊岡へのツーリング』の時、蕎麦で有名な出石のこんな蕎麦屋の2階で昼飯を食ったのだが、その時関初太郎さんが教えてくれたことなのである。

  
  

 

人間の記憶はなかなかオモシロいもので、こんなことだけは確り、覚えているのである。

そんな関君やカワサキの同期入社の吉田純一さんや柏原久さんなどとは、
今もFacebook で繋がっていて、ネット上では毎日お会いしているのだが、
関さんのFacebook ページに、『私とのツーショット』の写真をお使いになったのはいつ頃からなのか?
これは実は、初めて気が付いたので、こんなブログを改めてアップしたのである。

 『昔の仲間たち』は、『私の人生の宝物』なのである。
 


 

コメント
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