雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略の時代 17

2020-07-12 05:27:30 | 私の生き方、考え方&意見

★ このシリーズも17回になった。
 今回は『新宿ショールーム』 について
 『私の生き方、考え方&意見』というシリーズの中で纏めてみたい。


   


 
   こんなビルの1階がショールームで、屋上には、こんな看板が掛かっていた。
 上下を占拠していたので、
 『カワサキの自社ビル』だと思っていた人も多いようだった。


 時代はカワサキが国内市場で史上最高の時代、
 『7万台の販売目標を達成した』平成の初期のことなのである。
 ただ、このショールームを創るのには、それなりの葛藤もあったのである。

 確かに場所も立地もいいのだが、
 費用は『看板と共に1億円』も掛ったのである。




 当時の冊子にも髙橋鐵郎さんと共にこのように登場していて、
 確かに『グッドタイム』をお届けしていたのだが、


 



 この時代の『カワサキの象徴』が新宿ショールームであったと言ってもいい。
 何よりもその立地が素晴らしかったのである。

 
★25年も経つと場所もはっきりとは分からなかったのだが、
 当時ここを本拠にしてた植村武くんが
 Facebookでいろいろ教えてくれてやっと解ったのである。
 
 地図ではもう一つ解らないが、ちょっと道路がカーブしているので、

 
 

 

 真っ正面にビルも看板も見えて、
 JRの車窓からも真正面に見えるという『最高の立地』だったのである。

 

 


 
これは植村くんが送ってくれた『Googleマップ』から
いろいろやってみた写真なのだが、こんな感じに見えるのである。



★1989年からの10年間の私の最後の国内販売担当時代のことをこのように纏めている。

  
    



そんな中に、平成4年5月『ショールーム・新宿看板設置』という項目がある。
このシリーズ、100回ほど続くかな』と言ってるのはこんな項目を拾っていけばいいので、ホントに幾らでも材料はあるのである。


   



★この年の8月には東京営業所はこのビルの3階に事務所を移していて、
まさに『カワサキのビル』のような感じだったのである。

当時の二輪の販売店はまだまだ『綺麗』とは言えない時代だったから、
このショールームは立地と共にひと際抜きんでていて、
自工会の二輪部会の方からも
カワサキさんだけでなく二輪業界の地位向上になっている
との評価も頂いたりしたのである。

二輪車は名実ともに世界一』の商品なのだから、
世界一の商品』は、それに相応しい場所で販売されて然るべきと思っていた。


この冊子にも書かれているように、
常に『末端ユーザー』にその視点は向けられていて、
当時の『plaza』はいろんな形での全国展開だったのである。
いろんなスタイルがあったが、
そのいずれもが『業界のトップ』と言って間違いないそんなレベルでの展開だった。


 




★さらに、このショールームで特筆できるのは、
アフター・ファイブ』と称して、5時以降はユーザーに対する販売も行ったのである。
当時のARK からカワサキOBの五島・関くんらが手伝ってくれての展開だった。

二輪のユーザーの想いをマーケッテングする『マーケッテング』主体の発想で、『サービス機能もない店でもユーザーは買うのか?』と思ったのだが、
当時の二輪販売店には行きたくない』というユーザーも結構いたのである。
 
ユーザーにはいろんな人がいて、そんな多彩なユーザーに対応することこそが、
『二輪全体のパイを広げる』と思っていたのである。


★それは兎も角、このショールームはどんな形で実現したのか?
 当時、東京には神田に既にショールームは設けていたのだが、
 『新宿にいい場所がある』というので私は一人で現地を見たのである。

 平成4年1月15日、ちょうど国松君の結婚披露宴が午後からあった
 そんな日の朝だった。
 
 現場を見て『いい』とは思ったが、看板を入れて1億掛かるという。
 髙橋鐵郎さんにも現地を見て貰って、
 3月5日にGOサインがでて、
 平成4年6月7日に『プラザ新宿』はオープンしたのである。



★ 販売台数も7万台、450億円の売り上げもあったが、
 カワサキの国内グループの一番元気だった時代と言ってもいい。
 カワサキの東京の営業はこのビルの3階が本拠地だったのである。

 先述の植村くんも『懐かしい時代』だったと言っていた。
 Facebook にこんなコメントを頂いていて、
 今もFacebook でも繋がっている柏原久さんが
 『アークアシスト課』を仕切っていた時代なのである。


  



 活気のあった『いい時代』だったなと思っている。

 もう25年も前のことだが、『想い出』はいいものである。



 

コメント
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