雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

正月の風習    雑感

2022-01-07 07:18:25 | 発想$感想

★ 日本の正月の風習はいろいろあるのだが、だんだん薄れていくのかも知れない。

 私自身はこども時代を外地で育って、
 日本でいう「お祭り」はなかったし、
 新年の「初詣」なども神社がなかったので経験がないのである。
 
 なぜか「お年玉」も貰ったことがないし、
 所謂、内地の正月とは違ったものだったような気がする。

 戦後、日本に引き揚げてきたのが12月8日だが、
 その1年目の正月は本家も戦災で焼けてしまっていて、
 田舎に疎開していたのだが、その正月は「おせち」などなかったのだと思う。
 兎に角「食糧難」の時代だったので「おせち」どころではなかったのだと思う。


★ 今年の「年末年始」は孫・二人もいて4人家族で「おせち」で祝ったが、
 それ以外の我が家の正月の風習ととしては
 「しめ飾り」を玄関に飾ったのと「年賀状」ぐらいかも知れない。

    
 
 

               



年賀状」は兎も角「しめ飾り」をしているおうちは、
 近所でも我が家ぐらいで、殆どの家にそれは見られらないし、
 少なくとも家並みを眺めた限りでは、普段と全然変わらない。


 旧い三木の町には神社はいたるところにあるのだが、
 ここには神社なるものは存在しない。

 だから正月の風習として残っているものは、「おせち」と「年賀状」ぐらいで、
 そのおせちもいつのころからか、家で作るのではなく購入するようになって、
 それもだんだんと少なくなって、今年は1段の小さいのを人数分用意しただけである。
 「おせち」そのものがそんなに美味しいものでもないようにも思うし、
 何日も「おせち」ばかりを食わされるのは有難迷惑なのである。

 我が家もおせちは元旦の朝だけで、昼は回転ずしを食いに行った。
 元旦なのに、お客はいっぱいだったから、
 「おせちより回転ずし」という人も普通になってきているのだろう。

 
★「年賀状」は毛筆で100枚すべて手書きで書いて出していたのだが、
 母が亡くなって喪中はがきを出したのを機会にそれ以来止めてしまって
 もう10年近くになる。


 「年賀状」の風習はいつからなのか?
  
 今のような年賀はがきが出たのは戦後のことだから、
 戦後の風習かなと思ったら

 

 

 「年賀状の起源」と検索すると

 年賀状は平安時代から始まったとされています。
 平安時代の貴族、藤原明衡がまとめた手紙の文例集の中に、年始の挨拶の文  例があり、これが残っている最も古いものです。
 江戸時代に入ると、今の郵便の先駆けとなる「飛脚」が充実し、庶民が手紙で挨拶を済ませることも増えていきます。
 現在のようなはがきスタイルになったのは、1873年(明治6年)に登場した官製はがきがきっかけで、明治20年前後には、年賀状を出すことが年始の恒例行事となります。
 その後1949年に、いち民間人であった林正治氏からのアイディアで、お年玉つき年賀はがきも登場しました。

 とあってその起源は、平安時代に遡るようである。
 然し一般化されたのは戦後の話で、
 一時は多くの人が出していたのだが。
 最近は年賀状を出す人は50%まで下がっているという。


  
  
 私は今は出さないのだが、今でも20通以上の年賀状が届くので、
 ネットでご返事できる方はFacebook でご挨拶するのだが、
 それ以外の方にはペン書きで、それぞれの方に、
 それぞれの文面で、お礼のハガキを出している。


  

  
  そのハガキ文面も松の内とそれ以降とでは異なるようで、
  1月8日以降は「寒中お見舞い」となるのである。
  
  例年は15日になってからゆくりと出していたのだが、
  今年は初めて「松の内」の間に出したので、
  「おめでとうございます」でいいのだそうである。

  そんな日本の風習も、若い方はだんだんと年賀状を出す方が少なくなているようで、
  その理由としては以下のようなことで、尤もだと思うのである。

 ●メールやLINE、SNSの普及により年賀状を出す人は年々減少している。
 ●住所を知らない方が増えたため年賀状を出さずにLINEなどで済ます。
 ●また、1人1人に送らずにSNSで挨拶するのも近年、主流となっている。
 ●平成が終わるのと同時に年賀状を卒業する人も増え、減少傾向にある。
 
 正月の風習もなかなかムツカシイが、
 あと10年もするとずっと変わったものになるのかも知れない。


 

コメント
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