雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

新入社員時代の想い出     その3

2022-02-19 07:05:31 | 自分史

★新入社員時代の所属は業務部財産課だったのだが、
 毎年2回、上期と下期に財産物件の減価償却計算という作業がある。
 個々の財産物件に償却率を掛けてその償却額を減価してゆくという単純な計算だが、
 1件1件単純な計算をやるだけだが、当時のタイガー計算機を使っての単純作業の繰り返しで、
 根気と時間が要る単純作業なのである。

 こんな単純作業の繰り返しそのものは私は意外に得意分野で、
 別に嫌いでもなっかたのだが、
 入社2年目の10月に事務機械化の会計機のショーがあって、
 世の中『事務機械化』なるものがスタートしだしたのである。

 それを見て「減価償却の機械化」なるものに興味を持ったのだが、
 当時川崎航空機には米軍のジェットエンジンオーバーホール工場があって、
 IBM室なる組織もあり、IBMの機械があったのである。
 まだ、日本にはIBMなどどこにもなくて、
 日本にIBMが普及するのは東京オリンピックの頃だから、
 それよりは約10年も前の話なのである。

 ジェットエンジン部門以外ではIBMを利用している部門などまだなかった時代なのだが、
 財産物件の減価計算を『IBMによる機械化』でやろうと決めて、
 昭和34年11月から「減価償却のIBM機械化」に取り組んだのである。
 
 IBMの機械そのものはあるので、その機械に償却計算を乗せればいいのだが、
 社内でも初めてのことで、教えてくれる人は誰もいなかったのだが、
 IBM室の久森君が手伝ってくれて、
 それから約1年、その機械化のために没頭したのである。

 IBM と言ってもまだこのようなパンチカードシステムの時代で

 
  

 このようなパンチカードに必要項目をコード化し打ち込むシステムなのである。
 そう言ってしまえば簡単なようだが、
 カードシステムなのでコード化した内容を打ち込むにしても
 その桁数に制限があるため、コード化そのものもなかなかムツカシイのである。
 
 ちょっと説明すると下のカードの「所属」から始まっている項目を
 すべてコード化して、『数字』で打ち込めばいいのだが、
 一番難しかったのは『物件名』で、5ケタの数字すべての財産物件を表示できることがMUSTなのである。
 そのための分類をやるのだが、機械化と言ってもカードシステムだから、
 コード番号を効率的につけないと、カードの分類に時間が掛かってしまうので、
 最も分析頻度の多い順番にしなければ、効率が悪いのである。
 例えば人を分類するときに「年齢別・住所別・男女別」などいろいろあるが、
 一番利用頻度の多い順にコード化しないといけないのである。
 


 これがその当時作ったIBMに乗せるための基本カード
 たまたま日記帳に挟んであった。

  
 
 
 このカード1枚に財産物件一つを記入するのだが、
 この減価償却のIBM化を明石工場だけでなく、岐阜工場も本社も巻き込んでの『全社統一』を図ったので、
 本社や岐阜工場を巻き込んで入社2年目の私がその旗を振ったのである。

 「IBMによる事務の機械化」などは初めてのことで、経験者もいなかったので、
 新人ながら旗を振ることが出来て、
 ちょうど1年掛ったのだが、この「減価償却のIBM機械化」は実現したのである。

★ もうずっとのち、IBMも日本でも一般化した時代に、IBM社の講習を受けたことがあるのだが、
 その時の講習の冒頭に「何かIBMと関係のあったこと」を喋れと言われるので、
 『昭和35年に減価償却の機械化』をやったと言ったら、
 IBMの方から「10年間違っていませんか? 日本にIBMが入ってきたのは昭和40年代からです」と言われたりしたのである。

 このIBM化が私が入社してはじめてやった大仕事で、
 この機械化をやったために、財産課では減価償却という大作業がなくなって、
 10人近くいた人員がほんの数人になってしまったし、
 私自身も財産課から新しく出来た単車営業部への異動になるのである。


★ それ以降、退職するまでずっと「二輪事業一筋」だったので、
 私の現役時代、単車以外の経験はこの財産課の4年間だけと言ってもいいし、
 その4年間が『新入社員時代』と言えるのだが、
 『新入社員らしからぬ4年間』であったことは間違いなくて
 その間「新しいこと」ばかりをやったものだから、
 その後も『新しいこと』は『あいつに任せば何とかする』と思われたのかも知れぬが、
 その後もこのように全く引き継ぎのない『新しい仕事』ばかりが、
 最後まで続いたのである。

 ●1961 新単車営業課
 ●1962 新広告宣伝課
 ●1963 カワサキで初めてのファクトリーレースチーム
 ●1967 新仙台事務所設立
 ●1972 業界初二輪専門店制・特約店制度
 ●1977 CKD市場開発室・東南アジア市場開拓
 ●1979 新カワサキオートバイ販売設立(アメリカダンピング対策)
 ●1984 ジェットスキーJJSBA設立
 ●1985 JSビジネスの国内を含めた世界展開
 ●1987 一般ユーザーが走れるサーキットSPA直入
 ●1988 国内ユーザークラブKAZE設立
 ●1991 新しいカワサキのイメージ戦略
 ●1994 新国内自動車学校設立
 
 現役時代、殆ど4年単位で異動したと言ってもいいし、
 職場を変わったのだが、時代が変わったり、新しい仕事ばかりだったので、 
 前任者からの引継ぎは全くなかったサラリーマン生活だったのだが、
 そのスタートがこの新入社員時代の4年間だったのである。

★新入社員時代、こんな4年間だったのだが、
 この間に『家内との出会い』があり、結構熱烈な『恋愛時代』なのである。
 次回はその私の青春時代をご紹介してみたい。


 
 
 
 
コメント
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