雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキの昔話 3題

2023-03-01 06:56:02 | カワサキ単車の昔話

カワサキの二輪事業には、私はご縁があって
 カワサキが2輪事業をスタートさせた1960年(昭和35年)から
 約40年1999年まで担当させていただいたので、
 その間の想い出話もいっぱい持っている。

 今では普通に語られていることも、
 ちょっとしたことから残っているので、
 若しあの時「そんな判断」をしなかったら、どんなことになっているのだろうか?

 そんな「カワサキの昔話 3題」をご紹介してみよう。


★まずはカワサキだけが今も持っている「ユーザークラブKAZE」だが、
 kAZEがスタートした1989年当時は、
 ホンダはHART,ヤマハはYESS、スズキはじゃじゃ馬など各メーカーともユーザークラブを持っていて、
 むしろカワサキはそれに追随する形だったのである。

 ただ遅れてスタートしたカワサキは、 
 KAZEのユーザー管理をするソフト会社ケイ・スポーツ・システム」を立ち上げて、
 本格的に取り組んでスタートしたので、30年も経った今も、残っているのはKAZEだけなので、
 当時は3万人に近い会員で他メーカーを圧倒していたのである。
 
 当時ホンダのHARTは会員10万人と豪語していたが、
 現場に集まるユーザーの数はカワサキが圧倒していたので、
 ホンダさんから「カワサキは一体何人いるの」との質問を受けたりしたのだが、
 「ホンダさんは10万人」と言ってるじゃないですかというと、
 「あれは延べ10万人で、現実は1万人ちょっとです」というお答えだったのである。

  

 カワサキが3万人もいて、今も残っている理由は、
 どのメーカーも年会費を取るので1年経つとその期限が来て、
 毎年人数を維持するのは結構ムツカシイのである。
 カワサキはそれを見越して会員カードをJCBと組んで「JCBカード」にしたので、
 その期限が来ても辞めることがムツカシイのである。





 
 その第1号の機関誌は1989年1月に発行されているのだが、
 こんな立派な形ではなくて、カワサキのニュースを何枚か、
 一つの封筒に入れて送っていたのが最初で、
 こんな立派な形になったのは数か月後のことなのである。


★今回の機関誌にはこんな「ジェットスキー」のニュースも載っているのだが、
 ジェットスキーがカワサキの正規の商品として取り扱われるようになったのは1983年からで、
 それまではこれは二輪事業部の商品ではなくて、
 発動機事業部が開発し、アメリカのリンカーン工場で生産し、
 アメリカの販社KMCだけがアメリカ市場で販売していて、
 当時、日本には商社を通じてホントに少数が輸入されていたのある。


 


 そういう意味では「カワサキの正規商品」ではなかったのだが、
 これを川崎重工業の正規商品として、取り扱うようになったのは、
 1983年大庭浩本部長の頃で、当時の企画課長武本一郎さんが発議し、
 ジェットスキーが日本を含め世界展開になったのは、それ以降のことなのである。
 若しあの時、武本課長がそんなことを言いださなかったら、
 ジェットスキーはその後どのような展開になってたのだろうか?
 ただ、その時も私は国内に「ジェットスキー専門」の販売会社を設立し、
 ボート屋などではなくて「ジェットスキー専門販売網」を創ったし、
 JJSBAなどのレース協会と新しい遊びジェットスキーの世界を創りだしたのである。


★ 今回のKAZEの裏表紙には「Ninja」が載っている。
 最初の「Ninja」もちょうどその頃、大庭本部長時代に開発されたものだが、
 そのネーミング「Ninja」はアメリカのKMCのアメリカ人の発案で、
 このネーミングに明石サイドの技術部が「忍者の印象」が暗いと猛反発だったのである。

 


 その「Ninjaのネーミング」について、
 今では日本側が反対したとネットなどでも書かれているが、その記述は何となく迫力がない。

 実はより具体的にその経緯を知ってるのは私だけなのである。
 日本側の猛反対の意向を受けて、アメリカ出張時大庭本部長自らKMCに説得を試みられたのだが、
 アメリカ側の反発が強硬で、当時のKMCの田崎社長が徹底的に反論、
「Ninja」はそんな暗いイメージではなくて「007ようにカッコいい」イメージだというのである。
 事実アメリカでは当時Ninja という映画などもあって、そのイメージは日本とは全く違った新しいものだったようである。
 その時は大庭本部長をしても説得することが出来ずに、
 最初のマシンはアメリカだけが「Ninja」で、




 欧州市場などには「GPZ900」のネーミングで発売されたのである。
 その大庭さんと田崎さんの「Ninja論争」のその場に同席してたのが私だけなので、そんな経緯を知ってるのも私だけなのである。

  
   


 
 その後、Ninja のネーミングは好評で
 このGPZ900シリーズだけではなくて、
 いまではカワサキを代表する「スーパースポーツ車の冠」として使われているのである。


★ こんなカワサキの昔話を語れるのも、今では私だけになってしまったのかも知れない。
 世の中は「ひょんなこと」から「ひょんなこと」になるのである。
 何事も物事は片手間ではなくて「ちゃんと専門的に取り組むこと」が肝用なのである。
 
 私だけが語れる「カワサキの昔話 3題」である。


コメント
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