雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

7万台への挑戦、益子町のサーキット

2008-06-24 04:37:11 | 7万台の挑戦の時代
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1990年4月に直入町に新しいサーキットを完成させスタートした。
このプロジェクトはもともと川重がテストコース用地として土地を所有していテ、その極く一部を使っての小規模なものであった。
そのため計画から2年の歳月で工事も完成しスタートが切れたのである。

同じコンセプトで従来のレースだけのものではなくむしろ会員制の一般ユーザーが気軽に走れるスポーツジムのような中規模のサーキットを関東にも造ろうと検討を開始した。



そんな話が伝わるだけで、幾つもの候補地が上がったのだが、その中でも益子町のサーキット候補地は殆ど着工寸前まで進んだのである。
グループ企業の川重商事と一緒に進めたプロジェクトであった。

この年の初めから話が持ち上がり、10月には中間構想として『株式会社益子スポーツパーク定款案』まで出来上がっている。

発起人としては益子町町長、カワ販社長、川重商事社長など、土地は国有林の借地で国有林の再活用などが言われだした頃で、その許可もそんなに難しくなく降りていて、ほぼスタート寸前まで行っていたのが、突如として町側から断りが入って実現しなかったのである。

人間の記憶は不思議なものでこのプロジェクトなどは人の任せずに殆ど主務担当のような動きをしていたのだが、何故町側が断わってきたのか、あまりはっきり思い出さないのである。



手元に残っている構想書によると、第三セクターによる運営とし、町の要望によりサーキット以外テニスコートなども併設することになっている。
場所は益子ccの直ぐ近くの国有林、水戸と宇都宮のほぼ中間、ホンダの茂木の少し南に位置していた。
当時既にホンダも茂木を計画中であったが、サーキットのコンセプトが異なるので近くにあっても問題ないとの認識であった。

このようなサーキット建設など、みんな未経験の分野であったが、
『環境アセスメント』では哺乳類、鳥類、昆虫など生き物の四季に亘っての調査や、音量問題、交通量などいろんな面からの検討が必要で、これらは殆どクリアした段階までいっていたのである。


益子町も町のイメージや知名度の向上や経済効果なども含め町長以下議員さんなどみんな乗り気であったのだが、最後住民の反対か何かでどうしてもムリだったようである。

このプロジェクトは年が明けて91年の春に中止を決定している。


この時代は、候補地はいろんなところから、幾らでも出来た。
そんな時代であった。
益子が潰れて直ぐ次に出てきたのが、松井田町のサーキット構想である。
これも、カワサキよりは地元の町のほうが熱心であった。

この話は平成3年、91年にスタートしてその後何年も掛かるのだが。これも結局実現をしなかったプロジェクトである。

関東のサーキットはいずれもカワサキにとっては「幻のサーキット」に終わったのだが、松井田は私にとっては特に懐かしい思い出である。



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