雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

高齢者社会に思うこと

2010-08-03 05:44:52 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
★今、NHKで高齢者社会の問題をやっている。
高齢者社会での死と直面するなかでの生き方や葬儀のあり方などを取り上げている。


★他人ごとではない、間違いなく我が家も高齢者家族である。
家族構成は3人、わたしたち夫婦に母がまだ健在である。
母は明治42年生まれ101歳と1カ月である。私も後期高齢者77歳、家内が73歳。

母は最近までまずまず自分のことは自分で出来ていた。
1ヶ月のうち24日は、ショートステイで養老施設でお世話になっているのだが月に2回は家で過ごしている。
そのパターンは変わらないのだが、ごく最近になって、どうも衰えが目に見えて進行している。

杖は持っていたが、手をひかなくても歩けていたのがもう手を引かないと危ない。
眼底出血で病院に通いだしたが、先週初めて車椅子を借りて、駐車場からの移動につかった。

★今までは、母の面倒はみていたが、『介護』という概念はほとんどなかったが、今後は『介護』が必要になるだろう。
最近は言葉の使い方が難しくて認知症と言うのだろうが、昔の言葉のボケが急激に進行した。
個人的には認知症と言う本当に病気のように思われる言葉よりはボケの方が響きも明るくていいと思う。

本人もそれを認知して、最近口にする言葉は、
『最近は、何にも解らなくなってしまった』と
『早く死にたい』である。

今までは、結構しっかりしていたので、自分で出来なくなってはがゆいのだと思う。
『自分で何もできないのなら、死んだ方がいい』と言うのも実感のようである。
それに101歳になったことは、ちゃんと解っていて『どうせそんなに長くは生きないのだから、痛い目の治療などは受けたくない』という。
これも本音のように思う。

こんな母を見ていると、人間弱り切ってしまう前に死を迎える方が幸せのように思う。
もし98歳ぐらいで亡くなっていたら、ほとんど思い残すこともなく『早く死にたい』などと口にすることなく人生が終われたのにと思ったりもする。
私の祖母も102歳で亡くなった。その祖母も98歳ぐらいまでは元気だったのに最後の2年間は寝たきりであった。

★今は介護施設などもいろいろとあって、やり易くはなっているが、
母もこの後、どんなことになるのか?
家にいる間が3日ぐらいならいいのだが、5日にもなると結構大変なのである。

家族構成のあり方もいろいろ問題を含んでいる。
みんな核家族になって親が同居の世帯が少なくなった。
確かに、嫁姑の関係はよほどのことでない限り、うまくはいったりしない。
そういう意味では、昔で言う養子の関係がいいと思う。

今アメリカから娘と孫が戻ってきているが、ずっとこちらにいてなかなか夫の親の方には寄り付きたがらない。
たまたま今日はそちらに顔を出しているが、またすぐ戻ってくるだろう。
今朝までは、母が家にいたのである。
孫たちもボケの進行した母を珍しいものを見るように見ていたり、先日はトイレに行く母の面倒を見たりもしたのである。

そんなつまらぬことでも、してくれたら助かる。
日本の核家族の家庭環境もちょっと考え直したらいいのではないかと思ったりする。

★NHKの放送でやっていた葬儀の問題も、今後は変わっていくだろう。

今日はお盆で明石の長寿院の住職がお参りにこられた。
この応対などももっぱら母の担当であったのだが、今は私が対応せざるを得なくなっている。
伯父が長寿院の檀家総代などもしていたので、お寺さんも気を使われているのだと思う。
私は本音で、そんなことが面倒で明石から新天地三木に移ってきたりしたのだが、
母の葬儀は至極簡単に身内だけでやろうと思う。これは母もその通りに思っている。
101歳も長生きしてしまうと、母の知っている人たちはみんな先に逝ってしまわれているのである。

母が亡くなる時、私が生きていたら間違いなくそうするが、世間の目などもあって簡単にするのもまた難しいようである。
葬儀は不要と言う遺書まで書いて亡くなった方の葬儀も、普通一般の葬儀と同様に行われたりした。

★こんな高齢者社会になって、独居の人たちも多い。
しっかりしているうちはいいが、母などを見ていると、これがもし一人なら大変である。
近所の人の助けなどでは、間違いなく追い付かない。

しかし、そうなってしまうことが必然のような今の高齢者社会である。
単なる年齢ではなくて、実態に応じた対応が要るのだろうがその基準がまた難しい。
母は今でも介護1級である。
その資格では、養護施設には申し込んでも入れないのである。

先日も施設の方から、『申し込みを出すように』言われているのだが、
その一方で、『介護1級』では入所は難しいのである。

『入れて頂けるのなら出しますが、いつかわからないでは出す気になれませんね』
『101歳ですから、そんなに待ってたらそのうち死んでしまいます。』
と申し上げたが本音である。
せめて95歳以上は、等級もあるが年齢も間違いないので、年齢基準でも作れば、113歳まで、生きる人も少なくなるのではと、おもったりする。

親が95歳になれば、それを介護している子供も間違いなく『老人』なのである。
老々介護は、これは大変だと思っている
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