雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

昭和59年(1984)単車事業再建第2期に 51歳

2011-07-15 11:41:26 | 自分史

 ★2年前までは、海外販社は殆どが大赤字、特に主力のアメリカ市場が100億を超す赤字で、それらが決算では川重本体との連結決算になるものだから、本社財務も頭が痛かったのである。

本社のエリートたちも販売と言う未経験の分野の経営がどうすれば黒字になるのか、その辺が解らなくて困っていたようである。

『こんなの人災だから、大丈夫黒字になる』などとと言っていたら、『それならお前やってみろ』と企画を任されたようなものである。

昭和57年の10月からの1年半で、いろいろあったが、販売会社の損益は全社黒字に転換したのである。

3年目を迎えるこの年は、単車再建第2期と言うことで、為替も円安に振れるなど大いに周囲の情勢も追い風で、問題事業部であった単車事業本部は、翌年の事業計画では本社あたりから全社で一番の収益を期待されるなど、様変わりの状況になったのである。

別に忍術を使ったわけでもなく、現状をちゃんと分析して、常識で考えられるようなことを、『大きな仕組みに取りこんで対策』しただけのことである。

『仕組み』をちゃんと造れば、そんなに努力などしなくても、『自然に』上手くいくようになっているのである。 その時々の、事業環境を分析して、『常識で考えた対策』をすればいいのだと、常にそう思っている。

『2輪業界は』とか、『この国では』、とかあまり特殊に考え過ぎるとかえってダメなような気がする。 『この業界では』、などと言うのは、自分たちがやれないときの『言いわけ』に使われていることが、結構多いものである

 

●大体、販売と言う形態は、どんな規模でも成り立って当たり前なのである。 売り上げを伸ばさなければ儲からないなどと言うのは『錯覚である』 小売りでも、大きな店でも、大企業でも、どんな規模でも優良企業は、世の中にいっぱい存在する。売り上げの大小ではないのである。

●販社が、赤字を出すのは、欲をを出して頑張った時が一番危ないのである。二輪事業などは、誰も注文などない時点から開発し、生産し、仕入れをし、在庫を持って、ユーザーに届けていくシステムである。その商品の『いい悪い』は、あくまでも他社の商品との優劣関係の上に成り立っているのである。昨日までよかった商品もホンダさんがそれ以上のモノを出したら、その時点でダメに変わってしまうのである。

●長年やっているのだから、大体のカンは働くのだが、『上がちょっと頑張れ』と言い、サラリーマンの部下が『ちょっと頑張りすぎたら』それは大体大怪我をするのである。二輪事業で業績悪化は、その殆どが「頑張り過ぎ」で、大概その「原因はトップ」が作っているのである。 それに気がついていないだけで、「善意の人災」なのである。

●仮に1台10万円の粗利があったら、1000台で1億円、1万台で10億円である。ちょっと売れると10億円の利益ぐらい、まさに簡単なのだが、ちょっと余ったりすると、それ以上の金利や値引きが発生して、折角工場で作った商品が利益を生むどころか、どんどん赤字を生み出すモノに変身してしまう。

●ただ、商品が不足して売り損ったら、「めちゃめちゃ損した」気分になるのも、その通りなのである。 商品はある意味『麻薬』だと思った方がいい。 誰も注文などしていないものを見込み生産しているのである。売り先が他人資本ならまだリスクは少ないのだが、直販会社は身内そのものなのである。

●その辺の、ところが難しいところで、目標台数を売れと言われると、販売会社の経営は難しいのだが、「販社を黒字にせよ」などと言うのはそんなに難しいことではないのである。元々営業外の金利や、値引きで赤字だったので、1年あったら完全に大丈夫と思っていたのだが、その通りになっただけの話なのである。

●そのための対策資金を本社財務が何100億円も手当してくれたので、非常に簡単だったのである。 ただその前の年も同じように手当てをしたのだが、機能しなかったのは、全体の仕組みを中央でコントロールすることなく、末端の個別改善の積み上げで、頑張って赤字を減らそうとしたからだと思っている。

 

★この年、振り返って見ると、いろいろやっている。

本社が再建屋として送りこまれた大庭本部長だったので、社長以下本社幹部も、単車事業に関心もお持ちであったので、逆に単車の言うことも結構聞いて頂いたのである。

KMCも100億ほどの期間損益を1年目で黒字転換を果たしたのだが、人員整理や、在庫処分などの対策が主なので、、少しは前向きな希望のある対策をと、当時3か所に分かれていた社屋を、新たに土地を購入し新天地に新社屋を建てようと言う提案を、田崎さんと組んで起案しているのである。

大庭さんが派手なことはお好きな性格も幸いしたし、この2年間の実績で本社幹部からもそれなりの信用は得ていたので、確か総額20億円ほどの新社屋プロジェクトも、GOが掛ったのである。現在のあの立派な社屋がこの危機と言われた時期に建てられたのは、1年で得た本社の信用と旧い街なかの旧社屋が結構高く売れたからである。

田崎さんも、台数については、コンサバテイブで、開発部門の技術屋さんたちは、折角作ったのに台数を売らぬと不満げだったし、大庭さんも高橋さんもどちらかと言えばお元気で、頑張るのがお好きなのである。 私はかって初めての営業の東北で、頑張り過ぎて翌年困り果てた経験もあって、この数年間は元気なことを言っても、実際の台数は絞っていたのである。

大庭さんに、お前らは『軍歌を歌うけど足踏みばかりで、一向に前に進まない』などとオコラレタが、頑として言うことを聞かなかったからよかったのである。でも、基本的に大庭さんからも結構信用はあって、何となくそれで収まっていたのである。

川重の社長になってからの田崎さんも、『質主量従』のコンセプトで川重の全体経営をされていたようで、それが財務体質の改善に繋がったのだと思っている。

 

★この年の4月、企画室の組織改正で、企画部と生産企画部を分離している。 企画部は世界全体をコントロールする本社機能だけに集中したのである。

ホンダ、ヤマハ、スズキさんが競争企業なのだが、それぞれ本社がある。 この事業に「本社機能」が要るのか要らないのか?という命題なのである。

私は、「絶対に要る 」と思ったのである。 だから一番先に組織に作ったのは、関連事業課だった。私自身は、常に本社機能のことだけを考えていて、その機能だけを果たしてきたのだが、この年の4月には、生産企画部を分離して、川重本社の工場に対するヒヤリングや、設備予算、開発費関係は、みんな大前さんにやって貰っていたのである。翌年には法務班も作ったりしたが、何時の間にか今はまた、元の企画室に戻ってしまったような気がする。

逆に言うと、直販会社を相手に「営業部」などなぜ要るのか? と思ったりしている。

事業の性格がどんどん、世界展開になってきて、日本での「メーカー」機能はどんどん縮小する傾向にある。事業のヘッドクオーターとしての『本社機能』はますます、その重要度は増すのではなかろうか?

人数は少ないのだろうが、事務屋諸君が頑張らねばならない時期に来ていると思っている。昭和59年、もう30年近くも前の話だが、このあたりの年次、結構事務屋も頑張ったのである。

技術屋さんたちも、勿論頑張って、この苦しい時期にNinjaなど生まれているのである。 ただこんな技術屋さんの頑張りを事業展開の中で、効率化する仕組みの構築は、事務屋の仕事なのである。

動かす金も、売上高も何千億円、川崎重工業の中でダントツトップなのである。みんな力を合わせて頑張ろう式の個別最適値の合算ではダメで、全体最適値をトータルシステムで創りだすのは、『事務屋の仕事=本社機能』だと思っていたのである。

 

★この年の秋、国内のジェットスキーのレース組織のJJSBAを立ち上げるべく、かっての私や、田崎さんの上司の苧野豊秋さんと一緒にアメリカに行っている。

この年あたりから、国内でも西武自動車などが輸入して、ぼつぼつとジェットスキービジネスもスタートしたのだが、明石の単車事業部の中には、ジェットスキー関係の部門は皆無だったのである。 当時の企画課長の武本一郎さんなどが、これを事業部の新しいビジネスにしようと動き出したのである。

それまでは、アメリカ人の発案のJSは、その特許をカワサキが買って、発動機事業部がそのエンジンを生産し、リンカーン工場で作って、アメリカのKMCだけがアメリカで販売していたのである。

苦しい時期だったが、アメリカの新社屋も、ジェットスキーの事業部としての世界展開も、この年に動き出しているのである。

 

★そのころ、家庭は、息子が大学3年、娘が大学1年生、二人といも私立で下宿の生活。家内は専業主婦であり、私の収入だけでの生活であった。

日記を見ると、この年初めてボーナスが手取り100万円を超えたりしているが、生活は多分一番苦しかったのだと思う。

でも、娘は50ccの免許を取ってバイクを買えと言うものだから、スズキの50ccを買っている。妹が免許を取ったものだから、兄貴も何の勉強もせずに、明石の試験場に免許を受けに行ったら見事学科試験不合格である。  50ccの学科試験など落ちた人など聞いたことのない試験なのに、やはり常識だけでは通らないのかもしれない。

そんなことでみんなが冷やかすものだから、よほど息子も、気になったのだろう。 それから、黙ってアルバイトして自分で金貯めて、何処かの自動車学校で4輪の免許を取ってきたのである。誇らしげに『俺は、4輪免許を取った』と威張っていた。

息子はサッカーで春秋、2部で優勝して、めでたく1部昇格で最終学年を迎えることになたった。

娘はどちらかと言うと、私に似ていい加減なところがあって、大学の入試の発表をわざわざ見に行っているのに、自分の番号を見おとして『落ちた』と言って、滑り止めに受けていた私学の入学金22万円を払ったりしているのである。そのあと合格通知が来て、丸損である。一緒に行っていた自分よりよく出来る子が落ちていたので、通っているはずがないと、よく見なかったとか言っていた。でも、このこと、娘と話したりしたこともない。家内に聞いた話である。

確かこのころ、家のローンとは別に、銀行に幾らか借りていて、返済など出来ないので、毎月手形の期日書き換えで金利だけ払っていた、そんな時期だったと思う。

51歳、息子が卒業して就職するまで、そんな我が家の家計だったのだと思う。

ただ、私は100%家内任せで、一切家計には関係していない。車などの高額なものも、ガソリン代、衣服代など、煙草を吸っていた時は煙草代も、一切自分で払ったことはないが、その代わり結婚以来小遣いなど、貰ったこともない。大体、出張旅費の残りぐらいで十分だったし、特に欲しいものは、家からの金で払うのが当たり前のことになっている。

そう言えば、子供の頃から、定額の小遣いなど一切貰った経験もない。お年玉も貰わなかったような気がする。

欲しいものがあったら、家の誰かに言ったら買ってくれる、子供のころはそれが親だったリ、結婚してからはそれは家内である。自分独りで決めて自分で買ったのは、三木の土地と家ぐらいで、その増築を勝手に決めて進めたのは、家内である。私は殆ど任せて口など出していない。

世に言う、小遣いが、『上がった、下がった』などは、全く経験もないし、関係もないのである。

 

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なでしこジャパン

2011-07-15 04:31:43 | スポーツ

★昨日は、夜中からずっとサッカーを見ていた。

なでしこジャパンは、なぜこんなに強いのだろう。

1点先制されたけど、大丈夫だろうと思ったほど、ボールを支配していたし、見ていてホントに危なげなかった。

同点になってからは、すぐ追加点も入ったし、3-1はなんだか格の違いがあるような錯覚さえ覚えるような完勝だった。

 

日本中のマスコミが『なでしこジャパン』をトップニュースで伝えたし、号外も出た。

どこの新聞も歓喜の写真付きで、ニュースを報じている。

 

着物姿のサポーターの姿もあった。

 

★号外の様子は、フジニュースネットワークがUstreamで、各地の声を生々しく流している

『FIFA女子ワールドカップ ドイツ 2011」の準決勝で、日本がスウェーデンを3 - 1で破り、決勝進出を決めた。メダル決定の歴史的瞬間に、日本列島が熱狂に包まれた。

日本では、午前3時すぎにもかかわらず、眠い目をこすりながら、列島中が声援を送った。
そして都内では、日本とスウェーデンのサポーターが、肩を並べて観戦した

そして訪れる歓喜の瞬間。
日本が3 - 1でスウェーデンを破り、決勝進出。銀メダル以上が確定した。
佐々木 則夫監督は「、今度アメリカということで、本当、待望のね、目標のチームですから、精いっぱい頑張りたいと思います」と語った。

東京・新橋駅前では、号外が配られた。
東日本大震災の被災地、宮城・石巻市では、「頼もしいかぎりですね。やっぱ被災地でもね、女性が頑張んなきゃって、必死に思っちゃうんですよ」といった声が聞かれた。
 
ここまできたら目指すは1つ。史上最強のなでしこたちが世界一を懸け、決勝戦に挑む。 』  とその記事に書かれている。

★ 日本だけでなく、スウエ―デンの新聞は、
『スウェーデン最大手の新聞「ダーゲンス・ニュヘテル」は、勢いに乗るなでしこジャパンを「女子サッカーのバルセロナ」などと絶賛。厳しい戦いを予測した。』
ようだし、
お隣の中国の新聞や、ブログなどでも、なでしこジャパンは、注目されたようである。
次は決勝戦、もし優勝でもしたら大変なことである。
銀メダルでもスゴイのに、選手達は世界一を目指してやっているようである。
男子のJリーグなどと比べると、女子サッカーは、マイナーと言わざるを得ないし、世界一のチームがやっている環境ではない。
こんな快挙で、女子サッカーの日本での試合が、一挙に盛り上がるかもしれない。
神戸は、女子サッカーに熱心だった。今回も神戸からの選手も沢山いるらしい。
多分、家から10分ほどの、三木総合防災公園のサッカー場では、女子サッカーは試合をするはずである。
帰国して、そんな試合があったら、ぜひ生の選手を見てみたい。
とにも、かくにも、世界一と言われるアメリカとの決勝戦、頑張って欲しい。
神戸は、女子サッカーに熱心だった。今回も神戸からの選手も沢山いるらしい。
多分、家から10分ほどの、三木総合防災公園のサッカー場では、女子サッカーは試合をするはずである。
帰国して、そんな試合があったら、ぜひ生の選手を見てみたい。
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原発も危険だが、その流れもちょっと危険だ

2011-07-14 05:04:24 | 発想$感想

★原発は危険だ。 原発は将来廃止して自然エネルギー中心の『新しい仕組みを構築する』

そんな方向には殆どの日本人は、いま賛意を示すのだろう。

そんなに難しいことは解らぬが、私もそのように思っている。

 

昨日の朝、大西宏さんのブログを読んだ

『目的ではなく手段から出発している太陽光政策』と題して、いろいろと発想されている。

そして最後には、

『おそらく生まれてくるのは、電力の全体のしくみの進化ではなく、新たな利権ではないかという気がします。

市場価格を無視した高い買取料金で、すべて買い取られるというのでは、それは姿を変えた公共事業だからです。』

と結ばれている。

 

『脱原発』も『太陽光問題』も、もう一つの流れになってしまっているような気もする。

 

 

★午後には、日本経済新聞にこんなニュースが流れた。

孫正義氏「きょうが第一歩」 メガソーラー普及へ35道府県集結  

ソフトバンクとと地方自治体が連携し、大規模太陽光発電所を全国10カ所程度に設置する構想が具体的に動き出すと言うのである。

総会では今後の取り組み方針などを確認し、国のエネルギー政策への提言も検討した。会長には岡山県の石井正弘知事を選出、孫社長が事務局長に就任することが決まった

ソフトバンクが専門の事業会社を新たに設立し、一部では今年中に着工、来年にも発電を開始したい考えだ。

ただ、実現には発電した電力の全量買い取りを電力会社に義務付ける「再生エネルギー特別措置法案」の成立が不可欠など、先行きはまだ不透明な情勢だ、などと報じられている。

 

国の施策などが、遅過ぎてこれはどうにもならぬと思うが、

孫さんの動きは早過ぎて、それに35もの府県の知事が集結賛同するのは、これまた何となく違和感があって、

大西宏さんの言う、『新たな利権』と言うか、流れに乗り遅れないようにしたい、人の心理を利用したような気もしないでもない。

 

★何でも、反対論や極論はあるもので、

日本が危ない。孫正義の野望』

などと言うサイトも、現れた。 

確かに、菅さんの後押しでもないと、如何に孫さんでも日本国中の知事を動かすのは難しいのかも知れない。

 

大体原発がなくなっても、既に今ある自家発電で十分賄えるなどと言うテレビの特集も昨日の昼やったりしていた。

 

★夕方、総理が記者会見『脱原発』を表明。

その方向については、その方向でいいのだと思うが、

今回も、党内議論なく独走、そのプロセスもはっきりしない。

もうすぐ辞めると言う総理が、党内の議論もなく、方向だけ言いっぱなしでは・・・・・

個人が言っているのではない、一国の総理が言っているのである。

 

方向はいいのだが、

孫さんも、菅さんも、ちょっと急ぎ過ぎではないのか?

 

 

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公園は綺麗だが、縦割りの弊害か?  

2011-07-13 05:17:45 | 発想$感想

★最近、健康のためにちょっと、運動をしている。

毎週、市民プールに泳ぎに行くのだが、その前に、プ―ルの直ぐ隣の三木山森林公園を散歩して、ひと汗かいてからプールで泳いでいる。

つい先日の『朝の運動』にアップしたように、三木山森林公園は、ちょっと普通の公園では体験できないような、 山道もいっぱいあって、山の中のような様相のところもある

 

 

 

★次の日には、バーべキュウ広場から、少し下って芝生広場を歩いてきた。

 入り口からこんな遊具のある坂道を上り詰めた左手に、バーべキュウ広場はある。

 

日曜日だったので、10時半だと言うのに、もう何組かはスタートしていた。

広場と言っても森の中である。

 

 

 人が沢山いるのは、そこだけでその横の道はこんな様子である。

 

 こんな高台の眺めのいい東屋もあって、そこからは下りになる。

 

 先日、歩いた山に中のような感じはなくて、散歩道として、よく管理されている。

 下りきると突然こんな光景が広がる。

 

 

ようやく公園らしい姿になるが、それでも流れは自然のままである。

お昼近くになると網を持った子供たちで賑わうことだろう。

 だらだらと登ってきて、振り返ってみた景観である。

三木山森林公園と言うだけあって、山道のような中を歩いてみても、非常によく管理、整理されていて、小さな小道のようなところにも、ちゃんと気配りがなされている。

公園のコンセプトから、自然に対する対応は流石なのである。

 

 

 

★梅雨が明けたと言うのに、昨日は梅雨空のようなどんよりとした天気になったので、

三木山森林公園ではなくて、直ぐ隣の三木総合公園の中を歩いてみた。

市民プールはこの公園の一隅にある。 野球場も、陸上競技場も、テニスコートもあるスポーツ公園なのである。

 

 

 真ん中にこんな自然の木が生えている。 枯れてしまわないかとちょっと心配である。

 

 

こんな写真は、なかなか撮れない。

裏山を登ってさらに下ったちょうどプールの反対側からである。大体こんなところに来る人がいない。

何度か『庭園つきのプール』とご紹介したプールである。

 

 

さらに降りると、こんな景色になる。水着のままこの庭園をぶらつくこと可能なのである。

然し、ちょっと手入れが昔ほどでもない。

 

 

 

 野球場の向こうにはこんな水辺もあるが、立派に作られているのに、ちょっと寂れた感じである。

スポーツをする利用者の方に関心が集中しているのだろうか?

 

 ここを抜けたところまでが、公園の区域で、

この池の辺りは現在は、公園にはなっていない。

 

 

今はまだ公園にはなっていないが、なかなか綺麗である。

ちょうど今、公園に編入の申請手続き中なのである。

 

  

 小雨が降ってきたが、釣り糸を垂れている人がいる。

四方を囲った柵もないし、魚釣り禁止の看板もない。 昔のままの自然な残っていい風情である。

公園になってしまったら、すぐ『立ち入り禁止』とか、『魚釣り禁止』に若しなるのなら、公園に編入されない方がいい。

三木市役所の管轄課はどんな判断をするだろう?

 

 

 何かな?と思ったら弓道場である。 ずっと向こうに陸上競技場、野球場、プールこの写真の右手上がテニスコートである。

全体のコンセプトは、スポーツ公園なのである。

 そこから、坂を上ってくると、こんな景色になる。

左が三木市の三木綜合公園、  道を挟んで右側は、兵庫県立三木山森林公園である。

写真でご覧になったように、どちらも広大で綺麗なのだが、自然に対する配慮は、断然三木山森林公園の方がいい。

三木市の公園は、スポーツ施設と言う感覚が強いのか、

スポーツ施設に対する配慮や、その利用者には非常に気は遣っていて、応対もいい。

プールなど夏場は60歳以上250円と、ビックリするようなサービスなのだが、せっかくの庭園は、予算がないのか、何年か前に比べたらちょっと荒れたなと言う感じなのである。

まあ、言えばいろいろとキリがないが、全てのことまで気が回らないのは、お役所の常と言うべきか、民間でも同じ様なものである。

 

★ご覧の通り、普通の市なら考えられないような規模の立派な公園が、県と市の管理で二つ隣接しているのだが、

この二つを『繋ごう』と言う発想は、全くと言っていいほどナイのである。

『そんなこと想いもよらぬ』と言う全くのタテ型思想のタテ型管理である。

道を挟んで、森林公園側にちょっとした入り口や、道を整備したら、二つの公園は繋がるのに、と思ってしまう。

 

同じ人間でも、県民と市民を使いわけよと言われているような気がする。

私のようにプールで泳ぐ前に、3,40分の散歩をしてから泳ごうと言う人も、一度森林公園の駐車場に車を置いてまた移動なのである。

自由に行き来が出来たら、スポーツ公園からのジョギングなども出来るのにと思っている。

 

 でも、こんな話が一番難しいのかも知れない。

お役所の発想と言うか、官も民も上から目線は普通である。末端の消費者よりも、『取引先』や『直接の利用者』に目線は言ってしまうのである。

同じようなことが東北で、国と県、県と市の間で、起こっているのではないだろうか?

今、日本の仕組みで一番弊害になっているのは、『タテ型発想』『タテ型組織』だと思っている。

 

こんなことを言いたかったのかも知れない。こちらのブログで書いた

 

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梅雨が明けた、ニュースいっぱい

2011-07-12 05:18:21 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今年の梅雨が明けたそうである。

こんな梅雨明けのニュース

気象庁は8日、四国と中国、近畿、東海が梅雨明けしたとみられると発表した。

梅雨明けの時期がこのまま確定すれば、平年より四国は10日、中国と近畿、東海は13日早く、いずれの地域も昨年より9日早い。

いよいよ夏である。今年の梅雨入りは例年より早かったような気がする。

同じように秋の訪れも早いのだろうか?

節電の夏、本格的に始まる。

 

サクラの林の下に咲くルドベキア、不思議な光景になった。(2011/7/2自然文化園 桜の流れ横)    草花の詩からお借りしました

 

★エアコンのない夏を経験したことのない人が、人口の半分ぐらいいるのだろうか?

イヤもっと多いのかもしれない。

エアコンがなければ、夏が過ごせないようなことを言っているが、昭和30年代はまだエアコンはなかったのでは?

確か会社にク―ラ―がつきだしたのは、1970年代からだろう。

三木に移り住んだ40年ほど前は、家にはエアコンはつけていなかった。明石や高槻に比べて『三木は涼しい』と言っていたものである。

 

突然の電力事情の悪化とやらで、関西でも節電論議がかしましい。

関電の節電要請は、あちこちで論議を呼んでいる

どちらかと言うと、みんなリスク回避、責任逃れのような気がする。

世の中すべて『贅沢過ぎる』ように思う。

 

橋本さんもいろいろ言ってるが、確かに大きなところ=エアコン対策をやらねばダメだろう。 危険になったらみんなエアコン切ればいいような気がする。

後2カ月たてば結果は解るのだが、何となくカンだが、何の問題もないのではないか?

 

★中国も勝手なことを言う。 中国も確かにスゴイ国になったが、新幹線の技術は日本や川重から得たと考えるのが普通だろう。

川重会長の大橋さん、この方は車輛事業部出身の鉄道のプロだから、この人の言葉を信じたい

それにしても、昨今の中国は大国としての品格に欠ける。

昔、孔子がいたり、論語が存在した、同じ大国かと疑いたくなる。

東洋の仲間として、もう少し何とかして欲しいものである。

 

★政治に関連する話は、どれも品格に欠けることが多くてとてもお隣の中国のことばかりも、言っておられない。

原発問題もいろいろあるが、原発は安全かもしれぬが、一旦事故が起きると問題が大き過ぎる。

誰が考えても『脱原発』の方向だろう。

幾ら安全と言われても、いったん事故が起こった時のリスクが大き過ぎる。

ちょっとぐらいコストが高くついても、安全な方がいい。

 

原発などに頼らなくても、日本の電力事情は大丈夫である.

人間追いつめられたら、幾らでも知恵は出る。

 

★最近の明るいニュース、『なでしこジャパン、世界のベスト4』である。

アメリカ、フランス、スウェ―デン、そして日本である。

これはスゴイなと思う。

若しチャンピオンにでもなったら、日本の女子サッカーどんなことになるのだろうか?

 

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システム、仕組みについて雑感

2011-07-11 04:12:39 | 発想$感想

★もう20年以上も前の現役時代のことだが、

後、立命館大学の教授をされたりしていた、服部吉伸さんと親しくお付き合いをさせて頂いた。 当時から本も書かれていて、こんなことを言われていた。

『流通業とは「自分の仮説の正当性を問うビジネスである。」
消費者の変化の本質を掴み、変化をどう自己の対策に置き換えるかと言うことが問われている。

システムとは手続き通りに仕事を進めてゆけば、意図した目的が実現できる仕組みでなければならない。現在のシステムは単なるデーターのアウトプット体型に過ぎない。
システムによって組織が変わる。やがて販売最前線が力をつければ、現在の多段階の企業組織は短縮化ないしは簡素化される。極端に言えば二段階妥協しても三段階に簡素化すべきである。

何が企業を変革するのか。それは企業コンセプトである。
企業コンセプトを見直し再提起しなければ第二次創業とはならない。
従って企業コンセプトは方針戦略より上位の概念である。』   などなど・・・・

実業を展開していた職務柄、『非常に共感を覚えた』ものである。

 

今でも、しょっちゅゥ『仮説を立てて、その正当性』を追っかけているし、目線は常に『末端の消費者』である。

世の中で、システムとか、仕組みとか、言葉の上では仰るが、『組織を作ったりすること=仕組み』などと錯覚しているきらいがあって、いつまで経っても意図した目的が実現されないことが殆どなのである。

二輪の流通形態など、こんなにインターネットが進んだ世の中で20年前の形態そのままなので、いつまで経っても『末端消費者の満足』など得られていないし、その結果市場が伸びない原因の一つに繋がっている。。末端の消費者の価値観がこんなに多様化している世の中で、お仕着せの販売方法など、消費者の極一部の人の満足にしか対応できていないのでhないだろうか?  より柔軟な末端のユーザーが望む対応こそが望まれるのである。

何よりも企業展開のコンセプトが不明確で、売り上げの増大、利益の確保など低次元のことばかりが経営目標になっているように思えてならないのである。

 

★昨日の日曜日の午後、このところずっとお付き合いが続いているカバン屋さんが、新しいこんなブログを立ち上げた

カバン屋さんは、今度新しく、アメリカからハーレーを輸入して、日本で売ろうと言うのである。


つい先日、こんな写真とともに、ブログでご紹介したのだが、

販売は、それこそユニークなシステムを創り上げて、ネットの力を最大限利用して、

さらに、NPO The Good Times の基本システムや繋がりを利用して、

極端に言えば、店舗も持たず、従業員もいなくて、『ユーザーの期待に応える満足の提供』を、その商品とともに提供しようと言うのである。

 

★カバン屋さんのコンセプトもなかなかのものである。

商売のやり方は、基本的にカバンと一緒で『いい商品』を末端ユーザーが求める『満足』に対応して、単なる安価と言うことだけではなくて、

かってのハ―レ―の名門、兵庫メグロとのコンビで、業界最高級のサービス能力も、そのシステムの中に包含して、

単に売るだけでなく、ユーザーが求めた場合は、いろんな展開が可能のような、兵庫メグロ神戸のブログもスタートしたし、ツイッターも、Facebookのファンクラブ的な要素も、

NPO The Good Times の基本システムも盛り込んでの展開を考えている。

 

カバン屋さんでは、『日本一親切なカバン屋さん』を目指して大成功だったのだが、今度のハーレーどんななことになるのだろうか?

Facebook は既にスタートしている。

ツイッターも当然お持ちである、横でフォロワー16万人の情報発信力のNPO公式ツイッターが協力する体制を取る。

今度創ったブログも、日本語が英語を始め、各国語に翻訳されて、世界の人たちが読めるものになっている。

これは、新しくアメリカで立ち上げた、ネット展開のソフト会社、DANTHREEのブログソフトと同じものである。

 

★『システムとは手続き通りに仕事を進めてゆけば、意図した目的が実現できる仕組みでなければならない』 と思っていて、

NPO The Good Times もシステムそのものだから、上手に使えば『意図した目的=楽しいグッドタイム』は間違いなく得られるのだが、

ブログやツイッターなどもシステムなのだが、

一般的に、システムを上手に利用できる人は、結構少ないのが現実である。アクテイブユーザーなどと言う言葉があるように、ちゃんとアクテイブにシステムを利用している人は、極わずかであるのだが、逆に専門的に上手に利用すれば幾らでも効果は増大するものである。

NPO The Good Times 会員さんたちも、2年か経過してやっとちゃんと専門的に使ってみようかと言う人たちが続いている。

今年に入ってからの入会の 

● e-音楽@みき はツイッターもブログも、タンブラーも、Facebook も縦横に駆使した展開だし

 

●新しく入会したshirokuroさんは、これはまた、楽しみな展開になることは間違いない。

 

●海の向こうのアメリカのDANTHREEは、新しくソフト会社を立ち上げての展開で、日本の会員さんの中にも協力希望がいっぱいである。

 

●さらに新しく飛び込んできたニュースは、関東のインタ―ナショナルトレ―ディングムラシマを中心に、専門企画担当を置いての展開を企画中である。

 

★そんなことで、昨今『新しいシステム構築』で、結構忙しいのだが、毎日にハリがあっていい。

適当に忙しいのは、いいことである。

そしてそれぞれが、何となく繋がっているのがいい。 『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を過ごそう』

ネットシステムが、基本だから簡単に繋がってしまうのである。

 

オモシロイ世の中に生きている。

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三木山森林公園、朝の運動

2011-07-10 04:42:49 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★何ヶ月か前から、少し体重を落とそうと、柄にもなく散歩など、毎日ではないがやっている。

先日は、家の近所の散歩の写真2度ほどブログにアップした。

これは廣野のゴルフ場の方面少し高い丘の方向である

 

その高台の方から眺める向こうの方に行ってみたら、キツネに沢山であったりした

毎日同じ道を、同じように散歩される方が殆どだが、どうもそう言うのが苦手である。車で通る道も行きと帰りでは違うところを走ってみたいのである。

 

 

★週に2,3度市民プールに泳ぎに行くのだが、その前に、3、40分直ぐヨコの三木山森林公園を歩くことにしている。

つい先日は、もみじ谷と名付けられている散歩道を歩いてきた。

 

 

三木山森林公園は広大で、甲子園球場の20倍の広さなのである。幾つもの散歩道が選べるのがいい。

昨日は、こんな山道を歩いてみた。  通った順路通りに写真を並べてみる。ちょうど50分の行程だった。

 駐車場わきに、こんな道案内が立っている。 ピクニック広場の方に歩くことにした。

 

 直ぐ、こんな小路になってしまう。  200メートルほど歩くと、

 こんなピクニック広場が突如現れる。誰も人影もない。

それこそゴルフのアプロ―チの練習など、格好の場所である。ゴルフをする人ならだれでもそんな誘惑にかられるような場所である。

奥の方も同じくらいの広さがある。

芝生も、ちゃんと手入れされている。

 

 そこからまた先を目指す。 道はさらに細くなる。

 

 この道はまだ、広い方である。上り下りもいっぱいあって、歩くのも大変である。

何ヶ月か前の、まだ歩きなれない時なら、多分バテテしまっていただろう。

 

 

 スズメバチに注意、マムシに注意の看板も目に止まる。

 

 

 

 こんな山道でも、散歩する人もいる。 向こうの上り坂、二人の人影をご覧いただけるだろう。

あの坂を下って来て、いま登っている。谷でお二人とすれ違った。

 

 

立派な竹林もあるし、小さな流れもある。

 そして、やっと

 森の小劇場の裏手に辿りついた。

 池には睡蓮が咲き、鯉も小魚もいっぱいいる。

この左手には広大な芝生広場が広がっている。

 

4

中央の建物の一隅にある森の風美術館。

ずっと展覧会がひらかれている。 小林欣子先生の門下生の『欣洋会展』だった。

 梅雨の晴れ間、もう夏である。 輝く青空だが、歩いてきた道は、日蔭ばかりである。 

熱中症は大丈夫だと思う。

 10時20分にでて、約50分汗びっしょりになった。

三木山森林公園の『みきやま通信』と言うブログが、7月から立ち上がっている。

そこにも『欣洋会展の案内』が出ている。

 

このあと、

すぐ隣の、庭園付きの市民プール、写真撮影が禁止なのが残念だが、広い庭園内にプールの建物があって、水着のまま散歩できる。

そこで汗を落として、昼には家に戻る。 なかなか贅沢な朝の2時間だが、出費はプール代250円也、入場料、駐車料など一切掛らない。

 

三木は、緑が多くて、どこに行っても緑が見えるのが最高である。

 

 

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左嵜啓史 がやってきた

2011-07-09 05:00:25 | NPO The Good Times

★昨日の午後、左嵜啓史がバイクに乗って突然やってきた。

左嵜啓史君  知っている人は知っている鈴鹿8耐& LOVE BIKE メッセンジャ―である。

今年区切りの10年目の夏だそうである。

3月の『カワサキの想い出そして未来』のステージを務めてくれた

NPO The Good Times の会員さんでもある。

姫路のガレージハラダさんから電話があって、ぜひ会いたいとわざわざ三木まで訪ねてくれたのである。

カバン屋さんと一緒に、いい時を過ごした。 こんな若い人が、名指しで会いたいと言ってくれるのは、無性に嬉しいものである。

 

 

 こんな感じで到着。バイクの後ろには愛用のギターを抱えた渡り鳥。

既に、全国4000キロ以上を走破して、夜は大阪でMOTO PADとまた何かやるらしい。

 

カバン屋さんのお店で、楽しい会話に花が咲いた。

左嵜啓史君 、滋賀だと聞いたので、滋賀カワサキの宮本進君ご存じですか? と尋ねたら、

『親戚みたいなものです。こんなところで宮本進の名前を聞くとは』と言う言葉が戻ってきた。

カワサキの仲間は、数多いのだが、宮本進君は仲間を通り越して、大阪時代の同志なのである。

それを聞いただけでも、左嵜啓史君 との距離がぐっと縮まった。

 

 ★8耐まで全国64日間の旅の中の1日。

お会い出来て、チェッカーフラッグにも『みんな繋いで楽しい時を過ごそう』と書き込みさせて頂いた。

 

 お土産にこんなCDを頂いた。

★ブログも解ったので、すぐNPOの仲間たちのブログに登録した。

明日、更新されるモノから自動的に現れる。先程、これも8耐OBライダーの NPOのHP担当の まっしまさんにチェックしたら間違いなく届いている。

ツイッターは、SUZUKA8H ではなくてSAZAKI8H である。

左嵜啓史 SAZAKI8H  バーバー原田にて、顔剃り中。 http://t.co/GpDz8qy

 

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昭和58年(1983)50歳、単車再建30代、40代の若手が頑張った

2011-07-08 05:10:01 | 自分史

、★昨日の朝のツイッターで次の様に呟いた。
『rfuruya1 昭和58年、(1983)私は50歳だった。カワサキの二輪事業は危機だったが、全社の協働で乗り切った。トップも若手も頑張った。自分史。http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1 政府も協働体制をとホントにそう思う。 』

このとき、ほんとに大変だったのである。単車再建委員長をされていた山田専務は、ホンネで50%以上この事業は続けられないと思っておられたようである。もう後はないと思っておられた。だから当時まだなりたての新米部長の私に本部企画を、アメリカのKMCの社長に私よりまだ若い田崎さんを、普通では考えられないような体制を敷かれたし、本社財務も何百億と言う金を半ば賭けのような形で二輪事業に投じてくれたのである。
実際にこのスキームを動かしたのは、本社の財務の若手だったが、社長以下トップが本当にその気になって、若手の意見に乗ってくれたのである。

今の東日本大震災に対する政府の対応に『協働』する姿勢が、与党にも野党にも、どこにも見られない。未経験の分野に対応するには、個別努力の積み上げでは絶対に解決しないのである。日本の縦割り体制が対応のブレーキになってしまっている。

朝から、そんなことを思っている。
私は、自分ではそんなに知識もないのだが、ちゃんと知識を持っている人や、周囲の人たち、特に上の人たちを上手に繋いで動かすことには結構自信がある。 
リーダーシップなど下に対して権限の範囲内で発揮するなど誰でもできて当然である。上に対して発揮出来たらホンモノだと思っている。

昨日のexciteのブログの前半の文章である。  78歳の今も、50歳であった当時もそう思っていた。

 

★この時代カワサキの二輪事業の再建は、ほんとに川崎重工業全社の総力を挙げてのものだった。

この年の6月には全社の体制も変わって、委員長の山田さんも副社長に昇格されて、財務の松本新取締役が実質KMCの管理担当として、毎月の取締役会でKMC報告をされていたのである。そのために私は毎月松本さんにKMCの状況を報告し、経営会議や取締役会に陪席していたのである。

7月からは社内で再建屋と呼ばれていた大庭本部長が単車に来られるなど、全社総力体制であった。危機対策として取られた本社トップの判断は非常に的確であったと思われる。

そんなトップマネージメントの意思を受けて、KMCの実務を展開したメンバーは次表のとおりである。

私が50歳になった年だから、この大問題に対応したメンバーは、すべて、30代40代の若手だったのである。 もう28年も前の話だから、当時若手だったメンバーたちも今現役で頑張っているのは、鉄道部門の責任者をしている松岡君だけでみんなOBになってしまった。

当時KMCの社長をしている田崎さんも48歳の若さだったのである。

 

*印が付いているのが、この年から新しく送りこまれたメンバーであり、特徴的なのは本社財務や国内販売会社からの財務、やマーケッテング、販社管理の専門家など、若いけれどそれなりのノウハウを持つプロ集団だったのである。資料の中にも書かれているようにその動きの中心になったのは、国内の販社から逆出向した富永、日野君だったのである。販売会社の第一線を経験したノウハウ、ソフトが大いに役に立ったのである。

この後、突如起こったPL問題対応には、本社法務班から小里君が出向したり日本の保険会社がビビってしまって保険を引き受けなかったときは、現地に保険会社を立ち上げて独自に対応したり、非常にダイナミックな対応が出来たのは、みんな若くて、発想が新鮮だったからである。

日本側の受け皿も、小川、前田君以下独特のソフトノウハウを持っていたし、この表には載っていないが、営業面は繁治君、生産面のリンカーン問題は大前―佐伯ラインで直結していたし、総力を挙げてと言う体制は出来ていた。

そして川重本社は、そんな若手の発想や対応に本当に柔軟に対応してくれたのである。

当時のKMC問題の対応や、単車事業の経営方針は単車企画と本社財務で連携していたが、財務担当の横山さんが私と同期だったこともあり、上手く繋がっていたし、かっての同僚の田中―小川ラインもほんとに具体的に動いてくれたのである。

みんな私よりは若かったので、40代や30代だったのである。、経験などなくても仕事が出来るのは、年などには関係ないと信じるようになったのは、もっと昔からそう思っていたが、この年でそれは確信に変わっている。

78才になった今も30代や40代の若手と対等に付き合っているのは、私の常識では、『若いほどよく仕事は出来る』と思っているからである。下手に年を取ると自分の職位を守ることだけに汲々とする人も多くて、それがホントの仕事の障害になってしまったりするのである。

 

★単車事業でこんなに事務屋軍団か機能したのはこの年が一番であったと思うが、

こんな危機的な状況ではあったが、技術部門の開発は休まず続いていて、初代Ninjaが発売されたのもこの年なのである。

当時の技術部は私とレースコンビを組んでいた安藤さんが責任者だったし、昭和35年入社の百合草君らが中心の時代である。企画課長をしてくれていた武本一郎さんも大前さんもみんな35年組で、企画、技術、生産部門との風通しも非常によかったのは幸いであった。

7月から、本部長に就任された大庭さんは、技術、生産分野は、専門で造詣が深く、受注部門の自由に開発の出来ない部門と違って、何を造るのも自由という二輪部門には至極気に入られて、非常に熱心に取り組んで頂いた。

危機的状況ではあったが、溌剌と元気いっぱいの時代だったと思う。

開発費を捻出するために不本意だが、レースを止めたのもこの年だったし、本社の開発費ではなく武本一郎さんが生産部門の金からジェットスキーのボアアップ費用を忍術を使って捻出して、450、550ccのジェットスキーエンジンの開発を独自にやったのもこの年だった。このヒットでジェットスキーは飛躍的な伸びを示したのである。

二輪事業展開の基本システムは、前年の10月から3ヶ月の間に既に組みあげていたので、この年は私自身は現場や本社を飛び回って、いろんな人を繋いでいただけである。

 

★この年、主力市場のKMCには3回出張しているし、田崎さんは2度ほど明石に来ているので殆どずっと会っていたようなものである。

ヨーロッパにも、4月にフランス、イギリス、ドイツ、オランダと現地を訪れて、当時フランスは伊藤忠の遠藤さんがやっていて、初めて彼と会ったのもこの年だった。この出張は山田専務のお伴だったので、各国で最高級のレストランなど、なかなか普通では経験できないような場所に連れて行ってもらった。

山田さんは副社長になる寸前ではあったが、中学の先輩だし、レース担当していた時代にはデグなナ―の契約を一緒にやったりした仲間のような感覚もあった。何故か伊藤忠の遠藤さん独特の彼の雰囲気がお気に入りで、3人だけの時はホントに仲間の雰囲気で、ルマンのGPレースを見に行ったり、ゴルフをしたり、ヨーロッパはアメリカと違って、結構のんびりとした出張であった。

遠藤さんとは、いまでもZ1会でお付き合いは続いていて、今年も一緒にラウンドしたりしている。

みんな若かったが、ほんとに頑張ったし、実績もちゃんと上げて、前年100億を超える赤字を出したKMCを始め全販社が黒字転換を果たしたのである。この年の終わりごろには、本社の信頼も得て、翌年度は事業本部も黒字、60年は50億円の黒字を期待されるまでになったのである。

私にとっても、事業部も、川崎重工自体も、非常に大きな転機になった、50才を迎えた1年だった。

 

★この年が50才になった年だとは、今回自分史を纏めてみて初めて気がついた。

個人的には42歳から始めたゴルフだったが、結構熱心にやっていて、この年オフィシャルも10になっている。 80台は普通、たまには30台のスコアも出ると言う時期で、アメリカ出張でも何回もゴルフを楽しんだ。

アメリカのゴルフは日本とは違って、会社が引けてからでもみんなでハーフを回ったり、日本のジョギングのような感覚で、練習場に行く方がかえって金が掛ったりした。

日本でも月例に独りで出かけたりしていた。

息子は大学でもサッカーに熱中していて、2年生だったが、関西学生選抜に選ばれたりして韓国遠征に参加したりしていた。まだ関学は2部で、春は全勝優勝したのに、秋は入れ替え戦で負けて、一部昇格はダメだった。娘は高校3年生バスケットに熱中していた。二人ともサッカーとバスケットで、いまの人生が決まっているようにも思う

休日はゴルフか、サッカー観戦、そうでないときは野池でフナ釣りをしていた時期である。

体重は日記の何処かに72キロの記述があって、何とか60キロ台になどと言っているから今から思うとスマートなのである。ちなみに今は82キロなので何とか70キロ台に戻したいと思っている。

 

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昭和58年(1983)50歳 単車事業再建、大庭本部長体制スタート

2011-07-07 05:25:49 | 自分史

★前年度の後半、突如として単車事業本部の企画担当を命じられ、高橋鉄郎さんにアメリカから戻って頂いて、実質的に全軍の指揮を取って頂く体制を、10月からの3ヶ月でほぼ創り上げたのだが、

57年度の実績は国内販社並びにオーストラリアを除いては、事業本部を始め海外全販売会社が赤字で、その中心であるアメリカのKMCの赤字額は55百万ドル(円換算で百億円を悠に上回る)額であったから、それが連結される川重本体としては、誠にアタマの痛い問題であったことは間違いない事実なのである。

そんな中でスタートした昭和58年度は、特に川重本体の連結対象となる直販子会社の損益は事業計画を組んだ時点で、全社黒字、そして結果としても全社黒字と言う、1年で様変わりの状況となったのである。

単車問題で本社財務が一番アタマの痛かった、海外販社の期間損益の赤字からの脱却という最優先の課題は、1年間でほぼ目途がついたのである。

7月には事業本部長として、大庭浩さん(後川崎重工業社長、故人)が着任されるのだが、単車事業部の基本システムはそれまでの1年間、青野本部長の時代に、ほぼそのレールが敷かれていて、大庭さんはそのレールの上の機関車としての役割で、大いにその力を発揮されたのである。

そんな1年間の月ごとの動きを、会社の資料や、私の日記から纏めたものである。

個人的に纏めたものではあるが、企画と言う中枢機能を担当していたので、間違いなくこの通りの動きだったのである。

 

 ★特に、当時の単車の関係者の方は、ご覧になると思いだされることも多いと思う。

当時の単車事業は一事業本部の問題ではないほど大きくて、本社の山田専務が単車再建委員会の委員長、財務の松本新取締役がその纏めで、元単車の企画室長をされていた堀川常務以下財務の全軍が関係されていた。

堀川さんが単車の企画室長時代に私も田崎さんも、企画の課長でいて、それなりに信頼もあったので、本社財務との関係はKMCのことも含めて、私と本社財務から単車に来てくれた小川君と二人で引き受けていたのである。本社財務の人たちもお目付け役として送りだした小川優君の言うことは全て信頼してくれたのである。

当時川重が発行した社債の額の殆どをドラスチックに単車事業につぎ込んでくれた本社財務の応援がなかったら、とても単車再建などおぼつかなかったのである。技術屋さんのメンバーが殆どである単車事業でほんの数人の技術屋さんしか、こんな事実はご存じないのである。

そのほんの数人の中に、高橋鉄郎さん(のち川重副社長)と、田崎雅元さん(のち川重社長)と言う技術屋さんがおられたことは、その後の川重の経営に大いにプラスしたと私は思っている。バランスシートや資金繰りの解る技術屋さんなど本当に少ないのだが、お二人ともそれを実践で経験なさっていて、技術屋さんは興味を持ちだすとどんどん勉強するものだから、特に田崎さんのこの分野の知識は相当なものである。

最初の先生は私なのだが、多分今ではついていけないレベルにあると思う。

 

★上の表に期間損益を黒字にするだけでなく、『KMCの累損38Mドル(当時の円で100億円近い)を消去する』などの目標を私と田崎さんの間で、立案しているが、

当時川重社内で再建屋と呼ばれていた大庭さんの意識の中にあった再建は、他の受注事業部と同じ単なる期間損益の黒字化だけだった。当時の状況からしたら、累損消去などの大それた目標など本社財務も持っていたわけではなくて、私と田崎さんで勝手に大きな目標を創ったのである。

大庭本部長からは『わしはそんなこと聞いていない』と言われたが、独立会社の再建とは期間損益の黒字化などと言う『単純なものではないのです』と説得してしまったのである。ただ、明石の事業部とKMCは繋がっているので、アメリカを100億円改善することは、単純に言うと明石の事業部側は100億円の利益が悪化することになる。出先の田崎さん、当時川重では部長は、黒字だが、明石の事業本部長の担当部門は赤字と言う、サラリーマン社会ではなかなか難しい構図なのである。

事業部の企画は私の直接の担当分野だから、そこが管理している事業計画の数値をわざわざ赤にすることなど、普通のサラリーマンは考えないのだが、末端の販売会社は仮に部長職がやっている会社でもまさに事業経営をホントにやっているのだが、単車事業部と言う事業部制の経営など、管理損益なのである。それがホントに解っている方が少ないのが、残念だと今でも思っている。販社の黒字は事業の力のアップに本当に繋がるのだが、事業部の黒字など、事業部を担当する人たちの役員の数が増えるぐらいのことにしか繋がらないのである。

その黒字化への改善の順序は末端の『アメリカが先』と言う方針を、大庭さんはよく受け入れて頂いたし、本社財務もそれは当然望むところで、大いに後押ししてくれたのである。数年後KMCの累損は見事に消去されて、大西副社長以下当時の財務の関係者や田崎さんなどとお祝いの宴席を持ったことが懐かしく想い出される。私にとって、現役時代の一番想い出深い宴席になっている。

こんな事が決断できたのも、故人になってしまわれた堀川運平さんが、海外販社さえちゃんとしたら、『日本の事業部の50億ぐらいの赤字はいいですよ』と私に耳打ちして下さったから、出来たのかも知れない。 川崎重工業自体の経営は、単車の赤字ぐらい当時の造船の利益で管理コントロールの範囲内だったのである。

 

★大庭浩本部長は、社内でも『こわい』と言うことで定評があった方である。

大庭さんが単車に来られると言うことで、私の後輩で建機で大庭さんの番頭役だった田付さんなどはわざわざ『大庭対策メモ』を送ってくれたりした。

でも、単車の水は大庭さんに合っていたのかもしれない。他の事業部のように上の言うことは何でも聞く様なことではなくて、、大庭さんの言われることにもNOという答えを出すこともしばしばあったのである。そんなユニークな人たちが揃っていた。

そんな中でも、ひょっとしたら、私が一番NOと言った数が多かったのかもしれない。大庭さんは、技術博士だから、理論的にちゃんと筋の通った説得でないと、とても聞いて頂けないのである。NOという限りはその理由がちゃんとなければならない。

ただ、不機嫌になった時の顔が誠にこわいので、なかなかみんな説得するまでにはいかないのであろう。本部長のお顔はこわいので『顔を見ずに申し上げます』などと言いながら、いろいろ申し上げたが、いろんな上司に仕えたが、大庭さんが一番私の言ったことを取り上げて頂いた上司であることは間違いない。

田崎さんなども、大庭さんに対して言ったNOの数は、率の上では高いのだと思うが、直接顔を合わす時間が圧倒的に私の方が多かったので・・・・

そんなことが言えたのも、東京からの単身赴任であった大庭さんの夜のお伴を高橋鉄郎さんが独りで引き受けて頂いて、根回しをして頂いたからでもある。

 

★大庭さんが単車に来られることが決まった時、大西副社長に高橋さんと呼ばれて『大庭君をよろしく』と直接頼まれたのである。

当時単車は、本社など外から見たら、とても変わった『よそ者を受け付けない』事業部のように思われていた節がある。

確かに、受注産業とは違って、自らの意思で商品を開発し、見込み生産で売れるか売れないか解りもしないモノを作り、日本だけでなく世界各国にばらまく。そこには販売会社もあって、社長がいるのだが日本に戻ってくると課長だったリ、係長だったリするのである。当時の川重で関係会社の社長やトップは川重の役員を務めた人など、世に言う天下り先みたいなもので、そこの社長が現役の掛長など、考えられなかったのだと思う。 今ではそんなこともないのだろうが、当時は経験者がまだ少なくて、リンカーン工場を担当していた佐伯君(のち川重副社長)などもひょっとしたらまだ課長になっていなかったかも知れない。

そんな事業が本社からは理解できなかったのである。

大西さんには国内販社の再建時に、毎月報告に伺っていたので、不思議なぐらいよく存じ上げていた。

課長時代にカワ販の常務に突如なった時も、高橋さんが最終書類の説明に行かれて、大西さんから、『誰が本当は旗を振るのか?』と質問があって『古谷です』と答えたら、『それなら常務にしておけ』と言われて常務が実現したのだと聞いている。

大庭さんが来られて2カ月後の9月、本社部長連中を集めての懇談会の席上で、

『単車は思ったより確りしている。川重の中で将来性のある事業である。』と言って頂いた。2カ月間だったが、大庭さんが受けられた単車事業の印象は強烈であったに違いない。

この年を境に、単車事業はいろいろと苦難も続くのだが安定への道を歩むことになるのである。

 

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明石のため池事故で思うこと

2011-07-06 05:47:07 | 発想$感想

★明石で起こったため池での小学生の水死事件、なぜか大きく何度もマスコミで報道された。

タッチャんのそれに対する呟きである。  ツイッターで『リツイート』したら、100人を超す方が、さらに『リツイート』されている。

 

渡部達也 tmmrwata 明石で小学生3名ため池で水死。これにより、ため池遊び禁止、学校は水泳の教育を見合わせる判断。こんな学校だから何時まで経っても責任逃れが無くならない。むしろ水泳を教育し、何が危険かを教え、子供の自覚や知識経験を積ませる方向が望ましい。禁止・禁止・禁止の教育はNG    

Joki Kimぼたもち@⑨と呼んでくれたまえ藤レモネはるルイ砂利/月読碧hkのぎねねくぼ みなみ&ang; よこともRyo Irieうしがえる桑名潤平

 

100人以上の方がリツイートされたと言うことは、この意見に『共感された』と言うことだろう。

私自身も、今の日本の社会の風潮は、何かおかしいと思っている。

少し意を強くして、感想を。

 

★人はこの世に生まれて、成人したら自分の判断で、自分の力で、自ら歩む道を歩いていくのが普通なのである。

自分のことは、『自分で守る』と言うことがベースであるべきだ。

どうも日本の現状は、それらをみんな他人任せにしてしまっているきらいがある。

 

子供は、誰が育てるのか?

子供を育てるのは、親が育てるのが当然である。親の責任がまず第一で、子供は保育園や学校が育てるものと思ってしまっているのではないか?

ため池で子供がおぼれた。不幸な出来事ではある。然し学校にどんな責任があると言うのか?

『規則を守る』『社会の決めごとを守る』と言うことは、勿論学校でも教えるべきだが、親もまた教える責任がある。

柵があるのにそれを乗り越えて入った。

それはいけないことだが、そんなことをしたがるから『コドモ』なのである。

 

アメリカのやり方がいいか悪いか? は別にして、

アメリカでは小学生は、たとえ安全な公園でも大人の付き添いなしにコドモだけで出かけることは『絶対禁止』なのである。

小学生の外出は、たとえそれが通学の登校下校でも、親の同伴はMUST なのである。

『コドモ』の社会での独りでの行動は、厳しく親が罰せられる。

そして決めたことは、みんながちゃんと守る『大人の社会』なのである。

 

★日本はどうも、子供も大人も同格のような育て方で、社会そのものの仕組みが『子供の社会』のようである。

こんな風潮のまま育った親たちが、自分が判断し、自分で守ればいいことを、社会や国に求めるので、日本の道はガードレールで満ち溢れた国になってしまっているし、ため池には柵が張り巡らされたりするのである。

あまり、車の通らない山道には、アメリカなどガードレールなど設置されていない。 自分で気をつけて走ればいいのである。

 

何でも、社会や国に守って貰う風潮が嵩じて、自らの国もアメリカに守って貰おうとする。

もう少し、自分のことは自分で判断し、自らを守る。そんな判断が出来る国民になって欲しい。

『子供は親が育てる。』 その育て方はいろいろある。それは親自身が考えて実践すればいいのである。

昔は家風などと言う言葉もあった。大昔からそれが普通のことで続いてきた、普通のことなのである。

と私は思う。

 

★明石市は、100以上もあるため池の調査をするとか? そんなニュースが流れている。

そんなのなぜ今頃やらねばならぬのか? 

やる必要などあまり感じない。今回の事件、不幸な事件ではあるが、市や学校の責任などではないように思う。

親も含めて、もう一度子供の育て方、社会の在り方を、考え直したらいいと思う。

 

池でおぼれたら池に、

川でおぼれたら、川に、

海でおぼれたら海に、

柵でもカンバンでも張り巡らすとでもいうのだろうか?

それを発想する根元は、『事故防止』ではなくて『責任逃れ』のような気がしてならない。

 

そんなこと仮にしてみても、海外に旅したら、そんなことしている国はどこにもない。

国際化が言われている今日、世界で、世界の常識で、生きていける『こどもたち』を育てねばなるまい。

子供は、いつの日にか、大人になるのである。

『子供のような大人の判断』 明石のため池事故の対応を見てそう思った。

 

 

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松本 龍 大臣

2011-07-05 05:43:33 | 発想$感想

★昨日の朝流れた、松本龍大臣のニュース。

最初に知ったのは、武雄市長樋渡さんのツイッター、You Tube の動画も流れて、正直これはまずいな? 

と言うよりなぜこんなにエラそうに言うのか?

大臣とはそんなにエライものなのか?

hiwa1118    よくこんな上から目線の、威張り散らす国会議員がいるが、松本復興担当大臣の知事叱責には呆れるどころか怒り。政権最末期の断末魔の叫びでしょうね。http://ow.ly/5vS4G

 

人に少なくとも礼儀を教えるのなら、知事に対する礼儀も弁えなければなるまい。

ただ、エラそうに言うだけでは、仮にそれが正しくとも納得しないと思う。

 

これが若し、私が知事の立場だったら、逆にブチ切れて、多分その場で文句の一つや二つは言ったのではないかと思ったりした。

権限や権力の力で、上から目線でモノを言う人など、とても黙ってはおられないのである。

警察署の本庁で上から目線で文句を言われて、ブチ切れて、アタマに血が上って『くも膜下出血』でぶっ倒れたのは、10年ほど前の話である。

それ以降、『怒ったらダメですよ。くも膜下になりますよ。』などと言っているのだが、松本さんのこの発言の言葉の調子、とかトーンは、やはりダメだなと思う。

その当事者になったら、また『くも膜下』になったかも、と思ってしまうのである。

 

そんなことを言ったら、すぐなんでも怒るのかと思われるでしょうが、現役時代、会社で下の人たちには一度だって、エラそうに怒ったことなどはないように思う。

『あんた、怒ったりするのか?』 と倒れた原因を説明したら、そう言われたものである。

 

★このニュース、ネットの中で調べてみたら、いっぱい意見が出てきた。

そのほとんどが『ダメ』と言っているが、肯定的にマスコミの捉え方が『ダメ』と言っているところもあるが、

You Tube などと言う動画は、一連の発言を映像で流しているのだから全てわかる、これはちと松本さんのほうが問題である。

 

自民党がまた怒って、国会で追及するのだろうが、

松本さん、その時もこれくらいの勢いでもし発言されるのなら、私はむしろ応援側に回るかも知れない。

弱いと思われる人に、上から目線は、言った内容よりもその態度が許せないのである。

 

★沢山あった、ニュースの中から、ご覧になった方も多いだろうが、

Facebook あらたにす  のコメントは、どちらかと言うとマスコミ批判である。

 

でも本当に大臣とはそんなにエライのだろうか?

誰が、そんなのエライと決めたのかと思う。 たいしてエラクもないのにエライように周囲がしてしまうのも問題なのである。このあたりはアメリカ人のエライさんに接する態度をみならって欲しいものである。アメリカはみんな同じ You なのである。

社長でも、市長でも、大臣でも、そんなのただの職位である。

エライか、エラクないかなどは、その職位を外してみたときに、初めて解るものなのだろう。

 

大臣もされて、自民党の副幹事長もされていた故山本富雄さん。今の山本一太さんのお父さんだが、お話をさせて頂いたことがある。

これは『偉い方だったな』と今でもそう思っている。物静かで一つもエラそうにされなかったから、そんな印象を持っているのだと思う。

地位が高いと思われている方は、くれぐれも『エラそうに』されないことである。

 

松本龍さん、ひょっとしたら正直で、オモシロイ人かもしれぬが・・・・

『自民党も、民主党も嫌い』 発言は、結構共感するのだが。

国会答弁、頑張ってください。

 

★とここまでは昨日書いていたのだが、一夜明けて今朝の新聞は、

舌禍のあった議員さんたちの定番、陳謝の記事である。

 あんなに多くのマスコミに囲まれての発言がどのような記事になり、どんな結果になるのか、ヨメないのだろうか?

元気のいいのはいいのだが、『ハマコウ』さんのように、ずっと同じでないと、「すぐ謝る」のでは応援のし甲斐もない。

ご自分のスタンスは貫き通して欲しいものである。

 

9時14分、  辞任のニュースが流れた

辞表出すのなら、謝らずに筋を通せばよかったのに。

 

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昨日の日曜日、 NPO The Good Times  三題

2011-07-04 05:35:43 | NPO The Good Times

★昨日の日曜日、 NPO The Good Times の月に一度の理事会だった。

仲間が集まって、いろんな話に花が咲いた。

NPO The Good Times は、日本では珍しいネットシステムを利用した『システムそのもの』と言う、説明し難いNPO法人なのである。

設立以来2年が経過して、だんだんとそのシステムも充実して、NPO法人自体の経営には、『余裕たっぷり』何の心配もないものだから、3年目は、よりオモシロイ展開を見据えて、その活動をスタートさせたいと思っている。『システムそのもの』だから、会員さんが如何に上手にこのシステムを利用するかに掛っている。

いっぱい話はあるのだが、幾つもの中から、動き出しそうな、動いたらオモシロイなと思われる話題を三題、ご紹介してみよう。

 

★一つは、海の向こうアメリカ話なのである。

アメリカカリフォルニアから参加があって、立ち上げた会社は、『ネットのソフト会社、DANTHREE 』 そのFan Club をNPO The Good Times の基本システムを利用して、展開することを目指している。

インターネットのブログやツイッターやFacebook を利用してのアメリカでのシステム構築なのである。

 

昨日の理事会の審議決定事項は、このプロジェクト申請の承認だけで、後は各メンバーがそれぞれの形で夢を語るような雑談会だった。

アメリカでの会員カードも、日本で使っている会員カードのままで通用するように、2年前のスタートの時期から考えて、NPOの法人名も『The Good Times 』にしているし、『Good Time』はアメリカの方でなじみ深いし、すぐKawasakiを連想してくれるかも知れないのである。

Kawasaki. Let the good times roll  !      このコンセプトは1975年、アメリカで生まれたコンセプトなのである。

 裏面だけは、日本語ではダメなので、新しく英文のものを創った。

このカード、日本とアメリカのどちらでも、同じように通用する仕組みになっている。

 そのDANTHREE のロゴタイプ。 ここまでは、システムのベースだから、ちゃんと仕上げた。

既に、こんなツイッターはスタートしたばかりである。 

フォロワーは10万人を目標だが、日本でも1年あれば、15万人集めることが出来た実績に裏打ちされているので、ソフト、ノウハウもあるし、まず大丈夫だと思っている。

ツイッターの自己紹介にはこのように書かれている。

Orange county in CA. Great service from JPN to US, From US to JPN! Supporting Noritz America.Pls contct us more detail!

日本でも既に、雷神マッハさんや大和屋嘉平さんは、海外展開に興味をお持ちだし、カバン屋さんなどNPOの仲間たちが、いろいろ手伝って下さることになっている。

 

設立3年目のスタートは、『まずアメリカ展開、国際化』 なのである。

 

 

 

★こちらは、NPO The Good Times の地元三木のお話。

今年で20周年を迎える『三木さんさんまつり』、NPOの副理事長の まつりおとこさん が主宰されている。NPO The Good Times の団体会員さんでもある。

そんなことで、応援広報をしているし、さらにオモシロイネット展開でもされるなら、大いに手伝おうかなと思っている。

 

 

 写真は、新しく創りなおされた、ホームページからのものである

今年からは、広報応援だけではなしに、NPO The Good Times の仲間たちが、まつりの当日、『ミニSLフェスタ』の展開も企画しているのである。

オモシロイお祭りだから、

Facebook の採用や、Ustrem やツイッターを連携して、同時中継で流したら、『三木のまつり』は、日本は勿論、世界に同時中継で流れる。

そんな現代の最新鋭のシステムが、殆どお金も掛らずに展開できるのだが・・・・

今年の3月、『カワサキの想い出、そして未来』では、既に実行済みでなので、ソフトノウハウは、持っている。

どうされるかは、システムを使われる『三木さんさんまつりの実行委員会』の判断に掛っているのである。

 

 

★そして、午後はカバン屋さん宅で、

「カバン屋さんと兵庫メグロ」と「メグロファンクラブ」の連携と言うか?

「新しい二輪の販売形態」と言うか?

兎に角、オモシロくFacebookなどを使って、『新しいバイクの世界の展開システム』についての検討会。

thiraiさん、タッチャんに私、という超アグレッシブで楽観的なカワサキOBメンバーたちと、ネット販売のプロのカバン屋さん、ネットに超詳しいbunCさんが集まって、

これはどんどん具体的に進んだ。 まず実現間違いない。

話は、カワサキのZオタクを自認するカワサキファンのカバン屋さんが、今年からハ―レ―の商売をしようと言うのである。

それは、『新しい販売システムの創造』を目指している。。

ヨーロッパから、カワサキのZを既に1000台以上も輸入して販売したカバン屋さん独特のノウハウで、今度はアメリカからハーレーを集めて日本で売ろうと言うのである。

いまは4輪専門になってしまっている名門兵庫メグロも連携して、二輪部門をネットの世界で復活しようと言うのである。

 

写真はアメリカで船出を待つ、カバン屋さんのハーレーたちである。モノの品質抜群と言うのがカバン屋さんの自慢である。

 

そんなに『上手くいくのか?』  カバン屋さんのコンセプトを聞いていると、これは100%大丈夫である。

そんなプロジェクトをNPO The Good Times のシステムや、bunCさんのノウハウを使って、『新しく兵庫メグロのFacebook』 を立ち上げて展開しようと言うのである。

そして、NPO The Good Times のメグロファンクラブのメンバーに対してのサービス展開に繋げようとしている。

大成功だった、『カワサキの想い出そして未来』だが、カワサキだけにとどめずに、『新しい二輪文化の創造』に向かってさらに前進したいと思っている。

いま私は、たまたま 『Facebookでビジネスを加速する方法』中嶋茂夫著を読んでいるが、世の中はどんどん進化する。 ネットワークで独特の販売ネットワークを構築してきた二輪業界だが、今は、もう30年も前と同じスタイルを継承しているだけに終わってしまっている。

ネットシステムが無料で幾らでも利用できる今の世の中で、「従来の流通段階に掛っている費用」だけが極端に言えば余分なのである。 ユーザーは自分の望むサービスの対価として高いお金を払うのである。 カバン屋さん独特の売り方でも、1000台のZが売れて、それに満足しているユーザーも多いのである。

昔ながらの流通システムにだけに拘っていること自体が、二輪業界を自ら小さなものにしてしまっていると私は信じている。

 

カバン屋さんのアメリカからの仕入れシステムは、ネットを通じて最高状態のハーレーが幾らでも仕入れ可能なのである。

日本での今のハ―レ―の市場価格でもし売れば、利益は折れて曲がってしまうし、その分ユーザーに還元しようとすれば、ユーザーにとっては大歓迎の価格になる。

日本とアメリカが遠いなどと思っているから間違いなのである。 ネットの世界には日本とアメリカに境界線など存在しないのである。

それにハーレーでも老舗で名の通っている『兵庫メグロ』のブランドやサービス能力と言う機能が、カバン屋さんにとっては、是非とも欲しい魅力なのである。この話、アメリカの月木さんの拠点も絡んでいる。

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を過ごそう』、という基本コンセプトのNPOの仲間たちが展開するオモシロイプロジェクトになりそうである。

タッチャんと私は、直接関係はないのだが、このプロジェクトが『新しい二輪文化の創造』に必ずプラスになる方向であることをヨコからチェックして、確かめてヨコから応援しているだけなのである。 システムとして発想し、継続して進歩し続けることがMUST項目なのである。

 

これは今日から直ぐ具体的に動き出す。 Facebook も bunC さんが直ぐ創ることにした。

ぐずぐずせずに、すぐ動くこと、走りながら考えること。  コンセプトさえ間違わなければ、必ず成功する。 このメンバーで動けば間違いなく成功する。

 

 

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半夏生 は たこの日

2011-07-03 04:48:20 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨日、コープに買い物に行ったら、ずっと放送が流れていて、『はんげしょう だからたこを食べましょう』と言っている。

何の事だか、よく解らなかったのだが、あちこちの売り場に『たこ』が並んでいて、旨そうだったので幾つか買ってきた。

 

私の生まれ故郷明石は、『明石ダコ』で有名である。

有名なだけに、『明石ダコ』はなかなか美味なのである。

『明石たこ』で検索したら、魚の棚(うおんたな)の紹介も、たこの写真も現れた

 

 

私の小学校1年生のころの本籍は明石の細工町だった。いまそのような町名が残っているのかどうか? 

『魚の棚』(うおんたな)は通称名で、町の名前はもしかすると細工町ではないかと思ったりしている。『魚の棚』(うおんたな)では、たこは生きているのが普通である。イイダコなど買ったら袋から逃げ出されないように注意しないと、何処かに行ってしまったりする。

 

三木の生協のコープでも、生きてはいないが、『明石のタコ』であることが、ウリなのである。

 

★ 帰宅して、『半夏生』を検索したら、いっぱい現れた。

『半夏生(はんげしょう)は雑節の一つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生えるころ(ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになるころと
七十二候の一つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。

農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、
この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。
また、地方によっては、毒気などから妖怪ともされ、この時期に農作業を行う事に対する戒めともなっている。

関西ではこの日に蛸を、讃岐では饂飩を、福井県では大野市などで焼き鯖を食べる習慣がある。

この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)といい、大雨になることが多い。』  などとの記述がある。

昔は、こんなことを調べようとしたら大変だったが、いまはいとも簡単にいろいろと出てくる。

 

半夏生 のことを書いたブログもいっぱい並んでいる。明日にはこのブログもそこに、『肩を並べる』ことを期待して、いま書いている。それでまた、幾つかのアクセスが増えたりする。

 

 ちなみに、  半夏(烏柄杓)という薬草が生えるころ(ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになるころと・・・・

と言う記述の薬草の写真も見つけた。

 

★さらに、1年の魚の日は、こんなに沢山あるのである。   ご参考までに。

記念日名称制定団体
2月6日 海苔の日 全国海苔貝類漁業協同組合連合会
2月9日 ふぐの日(ふくの日) 下関の業者
2月14日 煮干の日 全国煮干協会
4月13日 水産デー (社)大日本水産会
5月5日 わかめの日 日本ワカメ協会
6月1日 真珠の日 (社)日本真珠振興会
7月2日 蛸の日(たこのひ) 蛸研究会
7月9日 くじらの日 日本捕鯨協会ほか26団体
7月第3月曜 魚庭(なにわ)の海づくりの日 大阪府漁業協同組合連合会
7月第3月曜 海の日 国民の祝日「海の日」海事関係団体連絡会
土用の丑の日 うなぎの日 全国淡水魚荷受組合
9月15日 ひじきの日 三重県ひじき協同組合
10月 魚食普及月間 大阪おさかな健康食品協議会
(社)大日本水産会
10月4日 いわしの日 大阪おさかな健康食品協議会
いわし食用化協会
10月10日 まぐろの日 日本鰹鮪漁業協同組合連合会
10月10日 釣りの日 全日本釣り団体協議会
日本釣り振興会
10月10日 魚(トト)の日 全国水産卸組合連合会
10月18日 冷凍食品の日 (社)日本冷凍食品協会
11月11日 鮭の日 大阪市中央卸売市場
鮭の日委員会
11月15日 かまぼこの日 全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会
11月15日 こんぶの日 (社)日本昆布協会
11月24日 牡蠣の日 JF全漁連(牡蠣の日制定実行委員会)
11月24日 削節の日 全国削節工業協会
毎月第3日曜 あゆの日 全国鮎養殖漁業協同組合連合会
毎月10日 魚を食べる日 全国水産卸組合連合会
毎月24日 削節の日 東京鰹節類卸協同組合
 

 

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政治家の発言、政治家の行動

2011-07-02 05:31:06 | 政治

★政治家とは一体どんな人たちなのだろう?

政治を目指す人は、自らの志があり、それを選挙で国民に披歴して、選ばれてその職についた人たちである。

だから、一般の人たちに比べ志も高く、いろんな点で優れ優秀であるはずなのである。

選挙の時は結構しおらしいが、いったんその地位につくと態度が一変する人も多い。

大勢の人がいるのだから一概に言えないのは事実だが、政治的判断、政治的発言、政局など、みんな政治特有の言葉で、

端的に言うなら、『政治とは普通ではない』と言うことなのであろうか?

 

★最近の、菅さんの発言はまさにその典型的なものである。

発する言葉は極めて多く、いろいろ仰るのだが、国民が普通に考えて、その日本語が通じないと言うか、意味不明なのである。

自民党から浜田代議士を一本釣りしたやりかたも、如何に大義名分があったような言い方をしてみても、これは異例とみるのが普通である。

選挙の時の党の公認などと言うのは、いかなる意味を持つのか、少なくとも浜田さんに1票を投じた人は、自民党の浜田さんに1票を投じたわけで、もし民主党なら投票しなかった、民主党嫌いの人もいたはずである。

 

喋るのが商売だから、その時その時いろいろと上手には仰る。言葉もそうだが行動にも一貫性がない人が多すぎる。

特に中央の政治は、数は力なので、群れるのも理解できるが、その行動はやはり政治の世界の特殊なモノのように思える。

 

★ホントに政治の世界の、政治家の発言はよく解らない。

毎日、ブログを発信している人はよく解る方だが、そのブログを読んでみても、もう一つはっきりしない人もいる。

政治家のブログを集めたこんなサイトもあるが

この中でも、山本一太さんや世耕さんのブログは、それなりにいつもトーンが同じで、考え方はよく解るのである。

考え方や意見はいろいろあって当然である。それに一貫性があり、その行動と一致していないと信じ難いのである。

 

中央の政治家ではないが、

武雄の樋渡市長のこんな主張は、ご自身の行動とも一致していて理解しやすい

 

この方、大阪の橋下さんは、ブログではないが、ツイッターを独特の使い方をされている。

話し言葉も歯切れはいいが、ツイッターは140字と短いので、むしろ良く纏っていて解りやすい

橋本さんの『電力節減など協力しなくていい』などと発言の内容は過激で、いまの世の中の風潮には馴染まないかもしれぬが、意外に支持者が多いと言うか、コテンぱちんにヤラレナイノハ、その発言内容が庶民に解りやすいからなのだろう。

菅さんの、幾ら聞いても玉虫色の訳の解らぬ発言とは明らかに差別化されている。

国会議員に比べて、知事や市長だから、言行一致し易い面もあることは確かに事実だが、そんな人ばかりではないのである。

 

★自分の住んでいる町の市長さんなので、そんなに文句を言うばっかりではいけないのだが、

こんなに、何を思っているのか、真意が解らぬ市長さんも少ないし、

1年中、三木市で問題になる出来事は全てと言ってもいいほど、『薮本吉秀市長さん』がらみなのである。

菅さんと違って、議会であろうが自分の想いと違ったら瞬間湯沸器のように怒りだすのである。現場を見たら、極端でめちゃオモシロイ。

菅さんがもしこんな事をしたら世の中の新聞は揃って取り上げるのだろうが、残念ながら三木ぐらいの市長の話題は新聞の記事にもならないのである。

 

議会を見た三木の庶民は、こんなツイッターで呟いている。

森田和彦 syominmiki   三木市長・議会で公明T議員と話を合わせ 「議員歳費カットの継続は公政会(市長新党、公明と対する会派) のパフォーマンスだ」と。  三木市でパフォーマンスとは市長の“代名詞”なので議場が笑いに包まれた。  そこで市長の瞬間湯沸器が爆発して議員を怒鳴りつける。席に戻っても体が震え続ける。

 

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