雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

クライマックスシリーズ雑感

2013-09-18 06:44:29 | スポーツ

★日本のプロ野球、今年の日本一はどこなのか?

レギュラーシーズンでは巨人と楽天がトップを走っていて、この2チームが優勝する可能性が極めて高いのだが、プロ野球日本一は、未だどこになるかは解らないのである。

サッカーでもそうだが日本一のチームがいっぱいある。

どこが一番強いのかなどは、かっての巨人のように何年もの間勝ち続けたら、これはみんなが認めるのだが、

今のようなシステムで、日本一と言われてみてもなかなか納得出来ないのである

 

 

 

この年のように、リーグ戦の順位通りに勝ちあがって、優勝者が決まれば納得も出来るのだが、

今年は巨人と楽天が優勝しそうである。

CSシリーズなどなしに、この両者での日本シリーズと言う方が納得し易いようには思う。

元々はリーグ優勝・日本選手権シリーズ進出決定後の消化試合を出来る限り減らすことを目的に、2004年から2006年の3シーズンの間、パシフィック・リーグではシーズン上位3球団によるトーナメント方式のプレーオフ制度が実施されていた。これが興行的に成功を収め、プロ野球実行委員会で、導入されることが決定され両リーグで実施方式や名称を統一することになった。これに合わせてファンからネーミング案を一般公募し、名称を「クライマックスシリーズ」とすることに決定した。

そんな主として興行的な理由で決まった『クライマックスシリーズ』なのである。

 

 

★つい先日、野球解説者の広沢さんが、

『アメリカの大リーグは地区の優勝チームの間で争うワールドシリーズだが、日本の場合はリーグ戦で10ゲーム以上も離されたチームが日本一になる権利がるのはおかしい』と言っていたが、確かにその通りである。

ただ、人間は『イチバン』が好きである。 

その『イチバンもピンキリ』で、小学校の徒競争から始まってオリンピックの世界での『イチバン』まで数多く存在する。

 

どちらかと言うと、昨今特に『イチバンを増やしたがる』傾向が強いように思う。

ボクシングなどは、階級をいっぱい作って、階級ごとに世界一があったのだが昨今ではそれにいろんな協会ごとの世界チャンピオンが出来て、よく解らなくなってしまった。

日本も世界チャンピオンだらけで、昔の白井義男だとか具志堅用高などのように、世の中の誰もが知っている世界チャンピオンではなくなってしまったのである。

 

それはそれとして、

兎に角『イチバンが好きである

かくいう私も、徒競争に始まって、勉強でも野球でもゴルフでも『クサ一番』をいっぱい貰っている。

あんまり目くじら立てて『イチバン論』を展開しても無駄であるような気もする。

 

レースの世界などは、その最たるものである。

表総台の真ん中に立つために、マシンを造る人、整備をする人、マシンを操る人、みんなが必死になって頑張る。

みんな、イチバンが目標なのである。

 

何はともあれ、阪神ファンにとっては、レギュラーシーズンの優勝は流石に諦めたが、『クライマックスシリーズの優勝』を夢見て楽しんでいるのである。

巨人に三連勝して広島に『クライマックスシリーズ出場』のマジックが点灯したらしい。

そんなことがニュースになったりするのである

 

 

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カワサキ単車物語50年 その22 F21Mデビューの年のこと

2013-09-17 06:37:46 | カワサキ単車の昔話

★Facebook で山本隆くんが

 

 

こんな懐かしい

 

 

青森県岩木山スキー場でのMCFAJ 全日本の写真をアップしたので、

FBでシェアしたら、それをまた、『二輪文化を伝える会』の松島裕さんが、

 

 

 

『二輪文化を伝える会のFBページ』に取り上げられたので、もう少し日時などちゃんと調べてあげようと当時の日記帳を開いてみた。

 

 

 

 

★昭和41年(1966)、私の広告宣伝課長最後の年である。  

日記からちょっと拾ってみると

1月5日  初出の日、藤井敏雄が契約のことで明石にやってきた。 この時点では本人の希望で、ライダー契約ではなくマシン貸与契約とした。

1月17日 FISCOを4輪車で試走、前年からMFJ 運営委員会ではFISCO での日本GP開催にホンダが第1カーブが危険と反対。この日運営委員がコースを4輪で試走した。『聞きしに勝る迫力』とその感想を書いている。

2月12日 鈴鹿でGP 125のテスト、ライダ―は藤井、三橋、金谷、ベストタイムは2分48秒

2月27日 山本隆くん結婚式。仲人を頼まれていた。頼む方も頼む方だが、それを引きうけるのもどうかと思う。山本22歳、私32歳だった。

3月13日 FISCOで、MCFAJの全日本クラブマンレース、W650に金谷が乗る。350cc以上のクラスで2位。

5月22日 富士でのMCFAJ全日本モトクロス完敗。 スズキがRHニューマシンを久保、小嶋に。モトクロス界注目。

6月23日 MFJ 運営委員会、ホンダFISCOでのGP不参加を表明する。

 

 

★全日本での惨敗を受けて、モトクロス250ccのニューマシンを造ることに決定。

7月7日  青森のMCFAJの全日本モトクロスのために。エンジンは技術部、あとのマシン製作はモトクロス職場の松尾勇さんがべニア板に釘を打って、ヘリのクロモリのパイプを使って製作。 スズキは2台だが、契約ライダ―全員に7台を造ることにした。

7月11日 モトクロスニューマシン1号機完成。ライダーが社内で一人一人試走、評価最高

 

7月19日 トラック5台編成で、青森嶽温泉に向かって朝出発、安藤監督以下メカニックたち、私もその一人として出発、御殿場須走旅館で一泊。

7月22日 3時から練習。ニューマシンは他社から注目の的。スズキRHは小嶋松久1台だけ、7台を揃えたのは圧巻であった。

7月23日 3時から公開練習。ニューマシンは断然早い

7月24日 大会当日は土砂降りの雨、最悪のコンディション。250ccクラスはトップを走ってた岡部転倒で、小嶋が優勝。2,3,4ぃはカワサキ。オープンは山本優勝歳森、北山(S) 、星野、岡部と5位までに4人が占めるデビューであった。当日浅虫温泉まで移動、そこで宿泊。

7月27日 名神に乗ってホッとする。6時半明石に到着。全行程3100キロ

 

 

★この年は、レースではいろいろとあった。

モトクロスのF21M を除いては、私は大変な年だったのである。

 

8月27日~  1000キロ耐久レースのためにFISCO いたら、明石から電話、『マン島のプラクティス中に藤井敏雄が転倒死亡』のニュース。

帰明後 葬儀など検討も、契約がマシンの貸与契約だけなので、レースなど関係ない管理部門の人の中には『会社は関係ない』などと言う人もいて纏めるのは大変だった。

9月1日~ 藤井の遺体が羽田に到着、現地で送りだしてくれたのは、ドイツに留学中で、前レース監督の大槻幸雄さん。 通夜、葬儀、カワサキがお手伝いが出来たことで本当にホッとした。

 

9月5日 レース運営委員会で、初出場のGPなどのレース方針が決まる。

ライダーは安良岡、シモンズ、あとデグナ―、谷口尚己などとの契約候補が決まる。

カワサキ陣営は山田熙明さんが総責任者、監督中村課長助監督渡辺課長GP監督はドイツから帰国する大槻さんジュニアロードレース安藤さんが監督マネージャーは古谷と決まった。

9月10日 デグナ―と契約するのに、外人ライダーとの契約など誰も解るものがいない。ホンダの前川さんに電話して教えて欲しいと言ったら、『鈴鹿まで来て頂けたら』と仰って頂いて、鈴鹿まで出かける。

9月18日 ロードレースで初めての優勝、東日本ロード選手権。90ccは村上、歳森、金谷、三橋と4今で独占、250ccは金谷、三橋と1,2位を占めた。

9月26日 デグナ―来日、神戸まで迎えに行く。Good Morningと一言言っただけで、明石まで車で戻ってきた。当時は英語など通訳をつけて話すものだと思っていた。

9月29日 FISCOで練習中デグナ―転倒、御殿場の中央病院で診察、大丈夫ということで、明石に連れて帰ることにする。

10月1、3日  明石病院にデグナ―入院させる。アタマではなく肩の治療のため。3日になってデグナ―の容態急変、脳に出血。

10月4日  明石病院は脳外科がないので、急遽神戸医大に移して光野教授の診察を受ける。大丈夫との診断安心する。

10月16日 FISCOでの日本GP、90ccは三橋が3位、250ccは金谷がガリーニクソンと大接戦の結果2位、日本GP 125ccは安良岡が7位。

 

 

★この年が、レースも最後の年であったが、

藤井敏雄のマン島の事故死、続いてデグナ―の転倒入院などがあって、ライダー契約などの担当として、本当に大変な年だったのである。

そんな中で、何となくよかったのが、モトクロスのニューマシンF21M が世に出て、カワサキのモトクロスの地位を不動のものにしたことだろう

 

この年、レースでいろいろと関係のあったお二人、それは大槻幸雄さんと安藤佶朗さんである

 

大槻幸雄さん。

あのZ1の開発責任者の大槻さんなのだが、この時点では市販車には、殆ど関係しておられない。もっぱらレース担当だったのである。

この年の前半までは、ドイツへ留学中で、マン島もそのGP125ccのマシンの開発には、関わっておられたので、個人的に観に行っておられたのである。藤井敏雄君マシンの貸与契約だったから、ほんの数人のメカニックが付いていただけなのである。

あの事故があって、もし大槻さんが現地にいなかったら、どうなっていたのかも解らない。藤井君が元スズキだったのでスズキの方にはいろいろお世話になったようである。

直ぐ、そのあと帰国されて大槻さんは、GP の監督に復帰されたが、デグナ―の入院で、おかしくなった時は、デグナ―はドイツ語しか喋らなくて、お医者さんとの通訳をされたのが大槻さんなのである。

私は、そんなご縁で今でも繋がっていて、KAWASAKI Z1 FAN CLUB などではお世話になっているのである。

 

安藤佶朗さんは、既にお亡くなりになってしまった。

国内レースの監督を大槻さんのドイツ留学の後、引き継いで頂いたのが安藤さんである。F21M のエンジン開発は、安藤さんが238ccにボアアップして創られたモノなのである。

この年のF21Mは、連戦連勝で、私は広告宣伝も担当していたので、モ―タショーに展示すると言ったら、『そんな恰好悪いこと止めろ』と安藤さんは仰るのである。

何が恰好悪いのか?』とお聞きしたら、

『市販車の125ccのエンジンを、150ccまでボアアップして、さらにレーサーにして238ccにしても持ってると言うことは如何に過剰品質か』と言うことで、

それが『カッコ悪い』と仰るのである。

『そんなこと大丈夫ですよ』とモ―タショーには展示したのだが、

先日森脇さんから、Z1について、コストを考えない過剰品質のところがいいと褒めて頂いたのだが、

大槻さんも、安藤さんも、当時のレース監督の技術屋さんには、あまり『コスト意識』など無かったのかも知れない。

 

 

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敬老の日雑感

2013-09-16 06:41:41 | 発想$感想

★9月15日は『敬老の日』だが、それがいつからか9月の第3月曜日となって3連休の休日となっている。

我が家は、私と家内の二人家族で、二人とも75歳を超えたれっきとした、『後期高齢者家族』なのだが、雰囲気的にはどうも無縁のような暮らしぶりである

外観上と言うか、『見た目ももう少し若く見てもらえるようである

 

ちょうど今、風呂の給湯器を新しく交換することになっている。

家に来られたセールスの方が、月賦でと仰るので分割にすることにした。話をしているうちに、私が『80歳』と言うと、80歳からは『分割不可能』と仰る。  そんなには見えなかったと仰るのはまんざらお世辞ではなかったはずである。

80歳は確かに老人である。そんな人に分割でモノを売るのはリスクが多すぎると言うのはよく解る。

こんな一事で自分が『老人』であることを再認識する出来事だったのである。

 

 

 

 

敬老の日で、画像検索すると、大体がこんなイメージの絵が並ぶ。

 

 

 

確かに、敬老の日のお祝いなどもあるのかも知れぬが、我が家ではどうも無縁なのである。

息子の嫁ののんちゃんも、父の日や、母の日には贈り物をしてくれたりするのだが、『敬老の日』には頂きものも届かない。

 

 

地区の『老人会』にも入っていないし、こんな『敬老会』には、顔を出したこともない。

こんな会合はどうも苦手なのである。

 

 

 

これは昨年の体力測定だが、 体力年齢は42.8歳 と出た。  今年はちょっと上がって、44.4歳だった。

まあ、人並み以上に元気なのである。

 

いろんな会合にも出席はするが、

 

これはつい先日、東京品川であった、日本のモトクロス界の第1人者ばかりの集まりの時の写真だし、

 

 

こちらは一昨日三木のGood Times Prazaでの写真で、いずれもFacebook にアップされて世界に流れたものである

お付き合いをしている方は、30代、40代、50代ぐらいの方が圧倒的に多くて、ちょうど体力年齢と同じくらいなのである。

 

もっと自信を以て言い切れるのは、『アタマの柔軟性』『体の柔軟性』は、間違いなく20歳代、『発想力』などは絶対に若い人たちに負けたりはしていない

 

 

 

 

 

これは毎日発信する私のツイッターなのだが、

私のフォロワーは、今34万人ぐらいで、毎日500人近い方が新しくフォローされたりするのである。 

 

 

 

そんなことで、『老人』と言われるのは、至極抵抗があるが、

80歳の年寄りであることには、間違いない

 

半分以上は、気分で元気になると思っているし、自分の身の置く環境を出来る限り、若い人たちとの中に置きたいと思っている。

そういう意味では、『ネットの世界』 は最高にいいと思っている。

 

 

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カワサキ単車物語50年  その21  SPA直入

2013-09-15 06:37:41 | カワサキ単車の昔話

 

★私の約40年ちょっとの現役生活の中で、全体的にはちょっとハリのなかった2年間ほどがある。

1987年に単車と発動機が合併して、私は企画室から営業本部の方に異動した。

営業全体の統括なのでそんなに面白くない職務ではないのだが、経営次元の仕事ばかりをずっと担当していたので、何となく範囲が小さくなったなと思ってしまうのである。

営業の具体的なことなどは担当の人たちで十分にこなせてしまうのである。私自身がやることは殆どない。これが普通の職制なのだろうが、そんなお神輿に乗ってってるような日本的な動きにはどうも性が合わなかったのである。

 

この2年間、私がやってたことは、『SPA 直入』 日本で初めてのユーザーのためのサーキット建設だったと言っていい。

カワサキの単車事業にとってもそれは画期的なことだったし、川崎重工業がサーキットを持つなど当然初めてのことだったのである。

 

SPA 直入物語

 そんな2年間に亘るSPA直入物語は、こんな5つのブログに纏めてはいるのだが、

私の現役生活の中で、これは私と故岩崎茂樹でなかったら、他の方では絶対に実現しなかったプロジェクトであったと言い切っていい。 

それだけに今でもなお SPA直入の懸ける想いはいっぱいなのである。

この一連のブログの最後 NO.5 ではこのように結んでいる。

 

 SPA直入物語ー5

起工式から丁度1年後の1990年4月15日、SPA直入はオープンイベントで幕を開けた。

金谷、和田、清原、宗和などカワサキに関係したライダーたちが参加してくれてイベントを盛り上げてくれたが、主役は何といっても自分の愛車に乗って集まってくれたユーザーたちだった。
その数4000人。広いと思っていたパドックが埋まってしまった。

岩屋万一直入町長は開会セレモニーで、
今日、有史以来一番大勢の人が直入町を訪れた。」と挨拶された。

愛車に乗って直入を訪れたユーザーたちが、その車でサーキットを体験走行したのである。
先導をつけたものではあったが、切れることなく続いた走行はまさに壮観であった。

これは日本で始めての試みであった

これを機会に各地のサーキットでも一般ユーザーの走行会などが開催されるようになったのだが、その皮切りの役目をSPA直入は果たしたのである。

建設当初からレースだけでなく、
一般の人たちも気軽に走れるサーキット」というコンセプトでイベント当日だけでなく、「インジョイライデング」などと称してその後も一般ライダーに開放する時間帯を設けたりしたのである。

地元直入町にもいろんな意味でお役に立てたと思う。
もともと、温泉で有名であったがSPA直入ができて若者も集まるようになり、温泉だけでなくモータースポーツのサーキットのある町というイメージも生まれた。

芹川ダムのジェットスキーもプラスになった。
特に、後年カワサキといろんなことで関わりのあった岩城滉一がジェットスキーで芹川ダムに、レーサーでSPA直入を好んで訪れるようになった。

今、人気の宿房「翡翠之荘がスタートしたばかりの頃で,その主、首藤文彦さんとも仲良くなって岩城滉一の定宿となったのである。

SPA直入と時を同じくして建設されたオートポリスもご縁があって、今カワサキのサーキットになってKMJがマネージメントを担当している。

その責任者の渡部達也君は、直入とも深く関係があった。
機会があれば是非訪ねてみたい懐かしい思い出いっぱいの、今は竹田市直入町である。

 

渡部達也くん、今NPO The Good Times の副理事長で、且つKAWASAKI Z1 FAN CLUB の代表を務めてくれている渡部達也君なのである。

 

 

 

 

★ 大自然の囲まれて、日本で一番美しいサーキットだと思っている。

一般のライダーたちが安全に走れるように、そのコース設計には細心の注意を払った。スタート以来多分未だ一人の死者も出していない珍しいサーキットなのである。

これを創るきっかけはいろいろあったのだが、

私が一番強く思ったのは、当時レーサーレプリカ全盛で、メーカーは競って高性能の市販車を世に出すのだが、それを買ったユーザーたちが走る場所がないのである

峠に集まったライダーたちは、『峠族』と呼ばれて、問題になったりした、当時のサーキットはレース仕様車以外の走行はどこも認めてはいなかった のである。

 

『一販のユーザーたちが自分の車で走れるサーキットを創ろう』 これが一番のコンセプトだったのである。

社内で、特にレースに関わっている人たちから反対があったりした。 タイヤの点検などレーサーまがいの厳しい基準を要求するのである。

今のまちを走ってる市販車はそんなに危険なモノなのか?

一方通行で、交差点もない、対向車もいない。 

そんな環境を自分の車で走ることが危険だと言うならば、『バイクなど売るべきではない』などと、反対意見を半ば職位で押さえつけて、建設に掛ったのである。

故岩崎茂樹とたった二人で背丈ほどの草が生い茂るサーキットの候補地を1日がかりで歩きまわったのが思いだされる。

 

 

★川崎重工の中でこんなプロジェクトは初めてではあったが、

当時の大庭浩社長には、単車本部長時代の番頭役を務めて抜群の信頼があったので、経営会議でも直ぐ認可されたのである。

川重の財産課も、建設工事会社もサーキットなど初めての経験で、その仕様や勾配、カーブのアールなど皆目解らないサーキット素人集団を仕切ったのは、

故岩崎茂樹の独学の賜物なのである。

SPA直入の名付け親も岩崎茂樹である。 

直入町は温泉町だから、SPAには温泉と言うことも当然含まれてはいるのだが、

ベルギーにある世界的なサーキット スパファランコルシャン の SPAと掛けて名づけられているのである。

 

そんなサーキットが出来て、もう25年が経とうとしている。

 

   

 

   

 

  

 

 

 

 

 

 

★そして、これは昨日Facebook にアップされた、10月27日の3時間耐久の案内サイトである。

懐かしくて、以下のようにシェアさせて頂いたのである。

古谷錬太郎さんがSPA直入さんの写真をシェアしました。 

私の想い出の地です。

当初のコンセプト通りの運営になっています。
みんなのサーキットです。

 

 

そんなことで、カワサキ単車物語50年 その21は SPA 直入のことを書いている。

ちょうど25年も前の話なのである。

故岩崎茂樹のことを書いたら、今ずっとお付き合いのある登山道夫さんに繋がった。

 

SPA直入の運営を担当する遊びの会社 ソフト会社 株)ケイ・スポーツ・システムを立ち上げた。

そして、ユーザークラブKAZEが出来た。

そして、現在のNPO The Good Times はその延長線上にある。

 そんな原点になったのが SPA 直入なのである

 

 

 

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Line

2013-09-13 13:46:26 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★このブログにアクセスされる方で、

『Line』 をおやりの方はどれくらいの%なのだろうか?

私は、超初心者なのである。

 

『Line』 を画像検索すると、こんなのがいっぱい現れた

 

  

 

グリーンでカワサキカラ―である。

 

 

こんなのは、どうも苦手である。

 

 

こんな短い会話が一般的なのか?

 

 

Line族を現しているのだろう。

この画像を見る限り、昭和一桁向きでないことは確かである

 

 

★ iPhone5 を買ったので Line に登録したのだが、

今その iPhone5 は孫が東京に持って行っているので、こちらにはパソコンしかない

でも、パソコンで十分大丈夫なのである

 

     

 

 これは先日、 iPhone5 を買って来た日にアメリカの孫と話した内容である。

こちらは6時40分だが、アメリカは真夜中の2時半である。

勉強をしている孫に、今からこざるの焼き肉を食いに行く と言ったのに対する反応である。

 

 

会話はAdiosとスペイン語で終わっている。

孫はスペインでサッカーをするのが夢で今スペイン語の勉強中なのである。

 

 

★これが第1回目の会話だが、この時には周りには解るのがいっぱいいたので、操作は一切任していた。

改めてLineを眺めてみると、簡単過ぎて、もう一つよく解らない。

 

今私のトモダチはアメリカの孫二人に、鎌倉の孫、そして娘の4人だけである。

午前中に登山さんに操作を教えて貰って、家に戻ると、アメリカの孫らしいのから留守番電話が入っていた。

一瞬、『振りこめ詐欺か』と思ったりした。

もう一つ要領を得ないので、 Line でまずメールしてみたのである。

 

 

 

そのあと、続いて電話、Skypeの画面なしみたいなもので音声状態もいい。

東京に行ってる孫から、全然連絡がナイ』と言うので、今度はその孫に電話をしてみた。

電話は呼んではいるが繋がらない。

 

     

 

ちょうど電車に乗ってる車中なので、電話に出られないようである。

いずれにしても、用件は大したことでもないので、 Lineの使い方が幾らか解っただけで、よかった。

 

 

★ 今回買った、iPhone5 だが、携帯の機能として使うことは考えていない

この簡単なやりとりだけでも、呼び出し音も気になるし、こんな調子で外部から電話が掛るのは、当方の自由を束縛されてしまう

従来通り、電話は身内だけのやりとりだけにすればいいと思っている。

 

 

Line は別にiPhoneでなくても、パソコンでも通用することも解ったし、

iPhone5 の諸機能については、今勉強中である

携帯電話以外のいろんな機能を、ブログやツイッターやFacebook 、Skype ,Line などいろんなシステムと繋いだオモシロイ使い方が多分あるのだと思う。

 

スマートフォンの一番オモシロそうな機能が何なのか? 

未だ解ってはいないがそのうちに発見したいと思っている

 

 

 

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アクセス3596人、1928581人中50位になった

2013-09-13 07:05:19 | NPO The Good Times

 

★ブログのアクセス、 『アクセス3596人、1928581人中50位になった』

 

 

 

流石にアクセス3000台は初めてのことである。

 

 

 

 

Gunosy という サイトに紹介されたのが原因のようである。

 

 

 

こんなサイトである。

よく解らぬが、登録してみたら、こんな情報が届いた

 

 

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庭仕事

2013-09-13 05:49:47 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

★ 昨日は、庭木の剪定などにちょっと時間を費やした。

やりかけると結構時間を食ってしまう。

庭に植えられている木の剪定は、ずっと自分でやることにしている。

何となくハサミを使うのが、好きなのである。

 

樹木は当然のことながら放っておくとどんどん大きくなる。

最近は、梯子を使って高い枝を切るのは危ないので、大きくなる木を小さくしてしまっている。

 

昨日も屋根の上まで枝を伸ばしていた樫を思いきり短く切ってしまった。

これですっきりはしたが来年になると多分また屋根のところまで伸びているだろう。

 

 

切り落とした残骸である。

明日燃えるごみに出すのだが、それが3袋ぐらいになっている。

 

これで我が家の背の高い木は、殆ど一番小さな脚立で大丈夫なぐらいの背丈になった。

つる薔薇の枝が、やけに目立っているが、これは秋にも未だ新しい枝を伸ばすだろう。

それを冬真横に寝かせると、一面に花をつけるのである。

つる薔薇は、来年の5月までお預けだが、

8月12日ぐらいに、枝だけにしてしまった木薔薇も、2週間も経つとこんなにいっぱいの葉をつけた。

 

 

かすかに蕾も見えている。

順調に育っているので、秋薔薇が楽しみなのである。

 

 

 

 

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Ui

2013-09-12 06:13:24 | NPO The Good Times

 

★ 『Ui 』という新しいカテゴリーを創った。

多分この9月から私の活動の一つの柱になるのだろうと思っている

 

昨年9月、ちょうど1年前の今頃、私はアメリカのIrvine にいた。 

Kawasaki Z1の40周年のReunion がアメリカで開催されてその出席のための渡米だったのだが、それに関連したKAWASAKI Z1 FAN CLUB の立ち上げで、むしろそのための渡米であったと言った方がいい。

あれから1年、KAWASAKI Z1 FAN CLUB はその当時思っていた以上のレベルで推移している

 

 

★GoogleKawasaki Z1 と検索したら、Wikipedia の次にはKAWASAKI Z1 FAN CLUB が現れたりするのである。

 

 

これはネットの世界での客観的な評価であり、Kawasaki Z1に関する情報の質と量では、メ―カ―などを凌駕しているのかも知れない。

これは1年間のわれわれの仲間の活動の成果なのである。

カワサキの新しいイメージ創造』にも十分貢献していると思っている。

あるユーザーの方が『カワサキはOBや周辺の人たちがイメージ創造に貢献してますね』 と言って頂いたりした。

世界に展開するNPO The Good Times のZ1の仲間たちのこの1年の活動の成果だと自負している

 

 

★NPO The Good Times も5年目に入り、日本の仲間たちのレベルは、十分にNPO The Good Times のシステムを使いこなせる水準に来たと私は思っている。

だから、日本のことは日本の仲間たちに任せて、私はアメリカに新しい天地を求めようかなと思っているのである

 

ネットの世界では、別にアメリカも、神戸も明石も、本部のある三木のGood Times Plaza の隣町なのである。

 

 

今、Kawasaki Z1 Fan Club を画像検索するとこんな画面が出てくる。

一番右下はドイツのMicky・Hesse とアメリカのTad Kadonoが、Good Times Plazaで記念撮影した時の写真なのである。

Micky・Hesse は、Zファンなら誰知らぬ人もいない有名人だが、Tadはバイクは全くの門外漢なのである。

そのTadの本業の一つが Ui America で NPO The Good Times の団体会員さんである。

その本業は、日本のノーリツの給湯器をアメリカに広めようと言う活動なのだが,

 

Ui とは

『湯を愛する』がメインだが、 You & I , あなたと私、 友愛  にも通じるもっと広い意味で使っている。

 

名称の由来

auブランドを開発した株式会社ジザイズ によると、携帯電話を介し、様々な人やモノとの出会いが生まれ、その出会いを通じて全ての価値が集い合う世界の実現を「『会う』に始まり、『合う』に行き着く」という意味合いから「au」の2文字でシンプルに表現したと説明。一方でauによると、Access, Always, AmenityなどのAと、Unique, Universal, UserなどのUで構成されていると説明している。また、「access to u (you) 」という意味も込められている。

などと言う同じ手法での名づけ方なのである。

 

 

 

会社を立ち上げてちょうど2年だが、

この印はその間 ロスを中心に新しく給湯器を設置したユーザーたちで、みんなNPO The Good Times の仲間たち なのである。

今後もどんどん増えていくだろう。

 

 

 

 

 

 こちらが本業なのだが、

2年前から こんなDanthreeというソフト会社 が既に立ち上がって、NPO The Good Times の特別プロジェクトとして展開している。

これをベースにこの機会にもう一度再構築してみようと思っている。

 

 

 

 

 

アメリカ市場で大きく展開する仕組みは、既に2年前に出来ていたのだが、

2年の年月が経過して

『異種、異質、異地域をみんな結んでいい時を過ごそう』と言う基本コンセプトは、

チャンスさえ来ればいつでも大きく飛躍が可能なのである

 

 

今回はこんなバイクの有名人とつい先日つながった。 それからはフロリダは遠いが毎日繋がって親しく会話している。

その人とは、ずっと昔、マッハの時代にカワサキにもいた 超有名人 Tony Nicosia さんである

 

 

この人が、KAWASAKI Z1 FAN CLUB に興味を持って、Tad Kadono と繫がったのである。

俄然、私はやる気になって、新しいネットの世界の構築にスタートしようと思っている

 

そして、このブログにも『Ui』と言う新しいカテゴリーも設けた。

Danthreeをベースにした ソフト会社 Ui  が立ちあげられないかなと思っている。

このブログも、アメリカの人たちが簡単に読めるように、自動翻訳だが、このブログのEnglish Version もリンクした。

 

今日は、そのスタート宣言なのである。

 

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昨日娘はアメリカに戻って行きました

2013-09-11 05:59:47 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

★今回孫の大学受験で、娘はそのつき添いで日本にやってきました。

第1志望の大学が合格だったので、孫はあとの予定は全部止めて、日本探訪に切り替えています。

娘は昨日までの予定でしたから予定通り戻って行きました。

 

それまでに通っていたからいいのですが、これでまだ合格していなかったら、気分的にも大変だったと思います。

そういう意味ではツイテいます。

 

昨日は、孫は新幹線で東京に、娘はアメリカに帰るので、関空まで送ってきました。

これで夕方まで完全に潰れました。

時系列に撮ってきた写真です。

 

   

 家を10時半に出て、東京に行くという孫を新神戸まで送って、そのまま湾岸線を通って関西空港まで。

快適なドライブではありましたが、結構遠いです。

 

  

 関空には12時ちょっと過ぎには着きました。

4時半の飛行機ですから、時間はあり過ぎで、久しぶりの関空を楽しみました。

昼食ったラーメン 美味しかったです。

 

13時半からはチェックインが始まりましたが、カウンターに行ったのは2時頃でした。

来るときは運よくビジネスに換えてもらったようですが、今回はエコノミーのままです。

  

 

ウインドウショッピングだけかなと思っていたら、帰る間際まで買いものです。ユニクロで、この店では一番高い冬ものを! 手に持っているのは娘、財布を出しているのは家内です。

 

 

  

 

いよいよお別れです。

今回も十分楽しんだ日本でした。

息子が合格したから、こんな毎日でした。

そういう意味では、孫も親孝行です。

 

今度は、10月末ごろから、家内がアメリカに行くようなことを言っています。

言い出したら、ほぼ確実に実現します。

また、私は留守番をすることになるのでしょう。

 

もう今頃はシアトルでしょう。 ロス行きに乗り換えての空の旅です。

 

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iPhone5 を買っちゃった

2013-09-10 06:47:19 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

私は携帯は持っていないと言った方がいい

 

実際には携帯なるものを買って6年にもなるのだが、殆ど携帯など持ち歩いたこともないし、中に登録されている電話番号は息子と娘の家の2件だけなのである

大体、携帯に電話を掛けられて追っかけ回されるのは、自分の行動を制約されてしまうような気がするし、世の中にそんなに緊急を要する要件など殆どないと思っている。

今後も多分、電話の機能としての携帯には興味も関心もない のだと思う。

私自身はそれで何の問題もないのだが、今アメリカから孫が大学受験に戻ってきていて、独りで東京などを行き来していて、今家にあるドコモの携帯では機能が旧くてどうも役に立たないと言うのである。

その孫が、また今日から独りで東京に出かけるのに、『地図の検索機能などのある新しいものにしたい』と言うことで、昨日の1日はスタートした。

 

娘と二人でいろいろ言うのだが、云ってることの半分も当方は理解できないのである。

まあ、二人に任すことにして、明石からの墓参の帰りに現在持ってる携帯と同じドコムの西神の店舗を訪ねることからスタートした。

 

 

 

★そこでいろいろ説明を受けて、『機種変更』の場合の条件はよく解ったし、  iPhone とドコモの提携は今月中旬以降なので、iPhone 付きのドコモは昨日は購入できないこともよく解ったのだが、別にiPhoneでなくてもいいか とは思ったのである。

ただ、現在の携帯は三木の近くのドコモの店舗で買ったので、同じドコモを買うのならその店舗で買ってあげないと と三木まで戻ってきたのである。

もし、同じドコモの携帯を西神の店舗で買えば、三木の近くの店舗に何か問題があったと思われたりしたら気の毒だと、勝手にそう思ったのである。

そこまで気を使うこともないのかも知れぬが、二輪関係で店舗などいろいろ扱ってきたので、意外になぜ店を変えたのかという理由などは企業は知りたがるものである。別に何の問題もないのだから、三木の近くのドコモで買ってあげる方がいいと思っただけなのである。

ところがである。 三木に戻ってその店舗を訪ねたらいつの間にか石屋さんに変わってしまっていて店は無くなってしまっていた

それで、三木市内のドコモの店を調べて、午後そこを訪ねたのだが、そのドコモもどこかに移ってしまって店がナイ。

仕方がないので、昔のみどり電機、今のEDIONを訪ねてみたのである。

 

 

 ここは大型店舗だから、ドコモでもauでも何でも揃っている

ここでもまず、ドコモの機種変更の話からスタートしていろいろ条件を聞いていたのだが、その条件は朝、西神のドコモで聞いた話とほぼ同条件なのだが、

 

 

 

説明に現れたauから派遣されてる永井さんの説明聞いてると、

 もしauに切り変えるのならなら、ここにあるようなことで、無茶苦茶条件がいいのである

一番大きかったのは、スマートホーンでもiPhone でも、その6~8万円の価格が不思議なことに0円になってしまうという、考えられないことが起こるのである。

別にドコモに拘る理由も特にないので、auにすることにまず決めて、あとはスマートホーンにするかiPhoneにするかの選択に絞ったのである。

 

よく解らなかったが、iPhone5 という最新のiPhoneを持つのもいいかなと、それに決めたのである。

そのカバーなど付属品はちょっと2000円ほどの現金を払っただけで、iPhone5 が私の持ちモノになったのである

 

 

左が6年前に買った携帯、右がiPhone5 である。

 

ただ、これはドコモさんの承認、みたいなのが要って、電話でいろんなドコモの質問に応えて初めて承認が出るのだが、

その質問の第1声は『ドコモをお使いになっていて、何かドコモに問題があったでしょうか?』と言う、朝私が勝手に懸念した同じ内容だったのである。

6年間、殆ど使っていないので、『ドコモに何の不満などなくて、auにしたら器械代の6~8万円が安くなるからです』と答えたら、何の問題もなく承認してくれたのである。新規の客獲得すれば、毎月の電話代などで取り返すことが出来ると言う戦略なのだろうが、多分私からは電話代の収入は上がって来ないだろうと思う。

 

新しくしたが、電話をこれで掛けることも多分しないだろうが、例えば新しいネットの形態 Line などはiPhone5にすることで、従来のパソコンだけではムツカシイ分野の使い方が出来るのだろうが、これは無料のはずである。パソコンでも使えるようだからいろんな私にとっての新しい世界が拓けるかもしれない

今日から10日間ほどは、孫が東京に持って行ってしまうが、その間に基礎のところをいろいろと勉強して、東京から戻ってきたらちゃんとした質問が出来るようにはしておきたいと思っている。

それにしても、儲けたという心境なのである

 

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2020オリンピック 東京に決定

2013-09-09 05:51:32 | 発想$感想

 

★ 終日オリンピック  東京決定に日本国中が湧いた

結果から見ると圧倒的な東京の勝利であった。

朝一番、その決定の瞬間をNHKのテレビで見ていた。

 

 

 テレビの前で、別に飛びあがるでもなく、冷静に眺めていた

よかったとは思ったが、特に喜んだわけでもない。

日本国中の人たちの平均は、どんな状況だったのだろう?

 

 

 

決定の瞬間安倍さんも森さんも、みんな飛びあがっている。

人間、ホントに喜ぶときは、飛び上がるモノなんだ。

 

現地のそれも開催当事者たちの喜びようがよく現れている。

この日のために、熱心に活動した人たちが、こんなに喜ぶのはよく解る。

何ごとでも、その当事者と 応援者さらにはそのそばでただ、推移を眺めている傍観者の間では相当な開きがあって当然なのである

私などは、単なる傍観者の立場なのだろう。

 

 

 

ホントによかったとは思う。

 

Yahooの意識調査の結果である。

日本中が湧いたと表現する 『オリンピックの東京決定』 でも、

納得できないとよく解らないが25%を占めるのである。

 

世の中にはいろんな意見の人がいて当然なのである

 

 

 

 

 

 

 

 

★私の立場は 『いいね! TOKYO 2020 』 まさしくそれでOKである。

2020年 今から7年先である。

生きているだろうか?

TOKYO オリンピック2020 を観れるように、頑張って、それまで生きることを目標に毎日を過ごすのもいい。

 

 

オリンピックと幾らかでも関係があった、記憶に確りと残っている年は、 

1964年度の東京オリンピックの開会式の当日、伊豆丸の山でのMCFAJ全日本モトクロスの当日だった。

この日に、カワサキは4種目中3種目に優勝して、レース界に認知してもらえたそんな思い出が残っている。

 

 

 

そして、1988年 ソウルオリンピック

オリンピック委員会に招聘されて、この時はジェットスキーで、開会式の当日漢江(ハンガン)でのデモンスストレーションとして

日本、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアからそれぞれ男女チャンピオンを招いての走行を行ったのである。

私はその団長として オリンピック委員会から頂いた感謝状のような額縁 である。

 

オリンピックと言えばそんな開会式当日のことだけをよく覚えている。

一つはもう50年も前、ソウルオリンピックでも、25年も前の出来ごとなのである。

それでも、自分に関係のあったことは鮮明に覚えているものである。

 

東京オリンピック招致に、一所懸命動かれた当事者の方々にとっては、

今日という日は一生忘れられない思い出の瞬間になったに違いない。

 

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岡部能夫のこと

2013-09-08 06:00:11 | カワサキワールド

★岡部能夫が亡くなった。

ちょっと悪いとは聞いていた。

カワサキの創成期のレースチームを支えたカワサキコンバット

三橋実、安良岡健、梅津次郎、星野一義とともにカワサキのファクトリーライダーとして活躍した

 

 

右から梅津次郎、岡部能夫、山本隆、歳森康師、三橋実、安良岡健、星野一義である。

私は当時レ―スチームのマネージメントに関わっていて、ライダー契約などもやっていた。

 

岡部能夫、そんなに名は知られてはいないが、契約最後の年あたりが一番充実していたと思う。

そのころは私はレースを離れて仙台で営業にいたのだが、

岡部から、『来年はカワサキの契約は無いようです。最後のレース意地でも頑張ります。』 と電話が掛って来た。

 

実力的には一番充実していた時期だと思う。

最後のレース岡部は見事優勝で飾ったのをよく覚えている

 

ずっと豊かだったカワサキのレースチームの予算がひっ迫して、

金谷秀夫がヤマハに、歳森は日産に、カワサキコンバットは解散して星野だけは神戸木の実に移籍して残ったが、岡部も最後の年になったのである。

金谷からも、わざわざ手紙を頂いたりした

ライダーとしての実力ではなしに、会社の予算の関係で契約を切られる?そんな無念さみたいなものが、伝わってきたのである。

 

そんなライダーたちの中で、いろんな思い出がいっぱいだが、特に岡部は可愛かった

いい家庭に育って何となくオボコイところがあった。

契約金交渉で、『もう20万ほど何とかなりませんか?』 『その理由は?』と聞いたら。

『GTBの金を払うのに』 などとトンでもないことを言ったりもした。

彼は2000GTB に乗っていた。

ガソリンちょっと入れていいですか?』と言うから『いいよ』と言ったら、持ってきた領収書にはガソリン100リッターとあったりした。

ガソリンタンクを改造して後ろのトランクには100リッター以上のガソリンが入るようになっていたのである。

 

そんな想い出いっぱいの岡部に、昨年12月に会った。

 

 

その時の写真である。

シャッターを切ったのは私である

東京で星野が焼き肉をご馳走してくれた時の写真である

 

金子豊(星野インパル) 岡部能夫、山本隆である。

星野からみたらみんな先輩で、山本隆は直接のモトクロスの師匠である。

岡部はコンバットの先輩で、星野がデビューできたのは、和歌山のレースで、岡部が練習中荒井市次とぶつかって小指骨折して

新人の星野は『岡部能夫』の名前で走ったのである

金子豊もコンバットのメンバーである。星野はいいやつだが、特に商才があるとも思えない。『星野インパル』がここまでになったのは金子豊のお陰だろう。

 

 

 昨年末、『二輪文化を伝える会』の第1回トークショーに、星野、金子とともに、駆けつけてくれたのである。

その時は至極元気で、至極ご機嫌であった。

 

 

 

 

これは3年ほど前、有馬の泉卿荘でのカワサキファクトリOB会での岡部。 その時もヨコには星野と金子がいる。

 

 

この写真は、さらにずっと以前私が現役のころ、私が主宰したカワサキファクトリ―OB会の写真である。

一番左が梅津次郎、その横が岡部能夫である。 梅津も亡くなってしまった。

1988年10月のことだから、もう25年も前の話である。

 

★今日が告別式である。

岡部の訃報を知らせてくれたのは、星野で、山本隆から私に連絡があった。

今となっては、岡部にしてやれることは、弔電を打つぐらいしかできない。

このブログ、弔辞の積りで書いている。

 

昨年末、第1回の『二輪文化を伝える会』で

岡部能夫とご一緒できたのが、せめてもの慰めである。

安らかにお眠り下さい。 合掌。

 

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Good Times Plazaで

2013-09-07 06:33:19 | NPO The Good Times

 

★ 昨日は半日以上三木のKAWASAKI Z1 FAN CLUB の事務局 Good Times Plaza で時間を潰していた。

ここは、カワサキの熱烈なファン達が、自然に集まってくる不思議な場所である。

そしてそんなファン達は、なかなか普通では持っていない貴重な資料も持っていて、自然にそんな資料が、蓄えられるようなことになっている

 

昨日の朝は、こんな人達が顔を見せてくれたので、昼飯を食いに行く前にちょっと記念撮影をした

 

前列左は遠く三重から来られたZ1P代表の島崎さんである。昨日は島崎さんが来られるのは聞いていた。

右は、憲正会の味岡さんである。 ツーリングの帰りにちょっと寄ったのだとか。

そして後列左は、湊さんである

みなさんお互いに面識もあり、みんなZのファンだから、話もすんなりつながるのである。

 

いろんな話には飛ぶが、カワサキの二輪に関係する話題以外には、脱線しないのが見ごとである

 

 

 

三重の島崎さんは、此方に来られる前に西宮のモーターサイクルNAC 中島君を訪ねたあとやってきたのである。

 

 これはNACのホームページからだが、ここに使われている写真のモデルが、本日の話題の一つの中心なのである。

これはカタログに使われた写真だから、普通はプロのモデルが使われるのが普通だが、この時のモデルの一人が中島君なのである。

その時の写真のことなどを聞くために、わざわざ三重から西宮まで、そして三木まで足を延ばされたのである。

話を聞くだけなら普通のことだが、島崎さん、その当時のカタログをお持ちなのである

 

 

このモデルたちも、中島君と、もう一人は現在のKAWASAKI Z1 FAN CLUB 代表者のタッチャんこと渡部達也君なのである。

ヘルメットを被って顔が見えないから、当時の従業員を使ったのか?

その話を渡部君ご本人から聞きたかったのだが、彼は昨日はゴルフで残念ながら話は聞けなかったのである。

 

こんな話を含めて夕方近くまで、いい時間が流れた。

私自身もZの名門クラブとして著名なZ1Pの代表島崎さんとは7月7日のイベント以来二度目だがじっくりお話が出来たのは初めてである

多分、遠く三重から来られたが、期待以上のいい時間を過ごせたと、島崎さん思われたはずである

Good Times Plaza には、間違いなくそんな雰囲気がある

 

 

★ここにはいろんな珍しい資料などもいっぱいである。

自然にどんどん集まってくるし、オーナーの登山さんがホントにいろんなモノをお持ちなのである。

ご自身で『カワサキオタク』  『Zオタク』と言って憚らない

カワサキに対してはそんな豊富な蘊蓄をお持ちなのである。

 

昨日はこんな資料を見せてもらった。

 

   

 

 『A Chronicle of Kawasaki  Mortorcycles』 

聞きなれない英語だが『年代記』なのである。

それも1878年(明治11年)から1996年(平成8年)までの118年間の年代記なのである。

 

 

 

昭和35年、この年からカワサキの単車事業は実質的にスタートしたと云っていい。

単車準備室がスタートした年である。

この年から明石工場での一貫生産の計画がスタートし準備室は資材関連も含めて主として生産サイドの準備に入ったのである。

 

昭和36年には未だカワサキメイハツ時代だが、B7での全日本モトクロスでの2位入賞という記録もある。

私個人は、この昭和36年末から、単車に異動した。未だ営業サービスなど全員でも10名もいなかった、そんな懐かしい時代である

そんな時代からの詳しい資料が出てきたので、また別の機会に『カワサキ単車物語50年』の中でご紹介したい。

 

 

そんないろいろなことがあった。

Fan クラブ、1年経ってこれくらいのところまで育った。

これからの1年もまた、オモシロそうである。

 

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大学雑感

2013-09-06 07:42:54 | 私の生き方、考え方&意見

★いまアメリカの孫が、日本の大学受験のために戻ってきている。

所謂帰国子女で、幾つもの大学を受けるのだが、TOFLE という英語の共通学力検査みたいなのを出して、そのあと面接とか試験などがあるようだ。

 

 

 

海外にいるのだから、英語の力はみんないいんだろうが、上の4項目のトータルが120点で100点ぐらいを目指すのだそうである

孫は、なぜそんなに沢山受けるのだろうと思うほど、いろんな大学を受験するなどと言ってたが、

第1志望の慶応の環境情報学部にTOEFL でまず受験資格ができて、論文と面接で通ったので、もうあとは受けないのだと言っている。

本人よりも母親の娘の方がホッとしているような雰囲気である。

 

 

★みんな、大学に何の目的で行くのだろうか?

日本の場合は、『大学出』と言う資格を取り、就職活動を容易にして、大学出と言う資格を武器に、課長、部長、役員を目指す

そんなところが普通の発想のように思う。

だから、入学したら、勉強よりも遊びで、次は就職活動が、主たる目的になってしまったりするのだろう。

孫にそのあたりのことを聞いてみると、それなりにちゃんとした自分の考えを持っているようで、これは日本ではなく、10年間アメリカで育ったからかも知れない。

 

かくいう私も、一応は大学出だが、大学では一切勉強した覚えはないし、大学のグランドや食堂には皆勤だったが、教室に出た回数も殆どなくて、教室に出なければ、単位の取れない例えば『簿記』などは、商大出身でありながら、単位を取っていないのである。

だから私自身は、決して『大学出』だとは思っていない。強いて言えば大学野球部卒である。

それでも大学を出ているので、会社では『大学出』扱いで対応してくれて、結構ちゃんと仕事もできたし、そこそこの職位にも付けたのである。

 

技術屋さんはともかく、事務屋の仕事、特に私が従事した『二輪事業』などは、学問の知識などは殆ど要らないと言ってもいい。

現に第1線で大きな成果を上げた人たちの中心は、最初の時代は高校出の人たちが中心だったのである。最近は大学出以外は入社しなくなってしまったので大学卒一色である。

 

 

★ 学校は当たり前の話だが、勉強をするところである。 

私自身は学校では勉強しなかったが、会社時代の40年間は、仕事に関係することばかりだが、結構好奇心旺盛で『独学』ではあるのだがいろいろ学んだと思っている。

学校ではとらなかった簿記だが、バランスシートなど、会社ではいろいろ勉強いもしたし、実際の経営にも取り入れた。

広報とかマーケッテングの分野も何となく解っているし、システム仕組み創りも二輪の販売ネットワークからスタートして身に付いたのである。

現在は、ネットの特にSNSの分野では、相当のレベルだと自負しているが、パソコンに初めて出会ったのは現役を卒業してだいぶ後、74歳のときである。

勉強などは、4年間に限らず、ずっとやればいい

たった、4年間の大学生活で、人間の一生を決めてしまうような、日本の社会の仕組みは今後は世界に通用しなくなるだろう。

本当に、一生勉強し続ける人だけが、認められ実績を上げ得る社会になることを期待したい。

 

 

★アメリカの孫は、SFCと通称される慶応の湘南藤沢キャンパスにある『環境情報学部』に合格したのである。

実は昨年から、鎌倉の孫も 同じキャンパスの『綜合政策学部』に通っている。

合政策学部と環境情報学部は1990年、湘南藤沢キャンパス(SFC)に誕生しました。
総合政策学部は、国家や社会の問題に実践的に関わり、解決策を編み出す実践活動を通じて、政策のプロフェッショナルを育成します。
また、環境情報学部は、最先端のサイエンス、テクノロジー、デザインの御者となり、希望にあふれる人と社会の未来を創り出す人材を育成します。他に例を見ないほどの多様な研究分野を扱っており、現在、両学部合わせて100近くもの研究プロジェクトが行われています。

 こんな記述があって何となくカッコいい。

 

 

 

建物も環境もイイらしいが、

昨今のネットでの評価などを見ると、必ずしもいい評価ばかりではない

帰国子女が多いのも特徴の一つのようである。

こんなサイトも、孫が合格したので、いろいろ検索してたら出てきたのである。

私にとっては初めての知識なのである。

 

★なにはともあれ、 『合格おめでとう』である。

 

 

 

昨夜は、合格おめでとうのお祝いを、元MX全日本チャンピオンの山本隆くんの70歳の誕生日祝いと一緒にこんな仲間たちが!!

笑いいっぱいの グッドタイムな ひとときだった。

 

孫にとっては、今からがまさに青春なのだが、

結構な費用もかかるし、親にとってはそんな 苦難のシーズンの幕開け なのかも知れない。

 

 

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KAWASAKI Z1 FAN CLUB  東京もアメリカも動きだした

2013-09-04 15:32:28 | NPO The Good Times

 

KAWASAKI Z1 FAN CLUB が正規に立ち上がったのは昨年の9月1日のことである。

ちょうど1年経って、このクラブのオーナーの登山道夫さんはこんな感想をアップしている。

 

 

 

この中の『いいね』の数やコメントの数字を見ても、一つの情報に沢山の人が集まってくる。 兎に角、活発なのである

 

 

 

 

 

グッズも、結構揃えられた。 それがまたなかなか好評なのである。

動きが活発だからホームページも充実しているし、先日のKAWASAKI THE LEGENDS & FUTUREちゃんとした雑誌にちゃんと記載されている。

 

 

 

 その動画のレベルはメーカーの広報課と同等 それ以上の内容で仕上がっている

 

 

 

★そんな勢いに、今回東の方でも、

今月の29日に最初の顔合わせの会合をやることが決まったようだ

場所を 船の科学館 に変更したのは、予想以上の参加者がその理由のようである。

 

 

 

 

 全てネット上での広報だが、昨今の世の中はそれで十分なのである。

何でもチラシを作りたがる傾向があるが、ネットの方が効率がいいし、無駄がナイ。

幾ら大がかりにやっても、全て無料なのである

そのスピードも圧倒的に早くて、且つ広範囲なのである。

 

 

★先日、KAWASAKI  Z1 FAN CLUB のアメリカブランチ のことをちょっと触れたが、もう現実にフロリダで動きだした

 

 

 それもTony Nicosia というビッグネームが、私のFBの記事を二つもシェアして、具体的な活動に入ろうとしている。

 

 

 この写真のコメントは、朝私がアップしたら、

この写真に載っている藤原良さんが説明のコメントをくれたので、それをFBで紹介したら、

その記事を、Tonyはフロリダで見て直ぐ、自分のタイムラインに流しているのである

 

 

これはTonyが、カワサキ関係でどんなメンバーが参加してるのか?

と聞いてきた答えなのだが・・・

 

 

これは20以下まだまだ続くのだが、Tonyが質問してきた、KAWASAKI Z1 FAN CLUB に参加しているカワサキ関係者などメンバーの名簿なのである。

 

 

Tony からはこんなメッセージも届いてる

 

 

★アメリカがちょっと動きそうなので、もう一度、そのシステムを見直そうかなと思っている

 

アメリカはカワサキだけではなくて、ノーリツともつながっているし、

NPOと強くつながっているUi America が KAWASAKI Z1 FAN CLUB も面倒を見てくれることになったので、

もっと大きく日本文化とアメリカをいろんな分野で結べる新しいシステム構築でもやろうかなと思ったりしている。

Ui AmericaのFBでの動き もまた活発なのである。

 

 

Tony は、カワサキだけではなくてスズキや他のメーカーとも関係があるのがいい。

『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』

KAWASAKI Z1 FAN CLUB も1年経ったらここまで来た。

Kawasaki だけに拘らない 『Good Riders Club 』でも、昔に戻って創るのもまたいいのかも知れない。

 

Kawasaki Good Riders Club =KGRC   が 今の KAZE の前身なのである。

それを潰して、 KAZEをスタートさせたのが 20年前のことだった。

 

Good Riders Club なら 世界の二輪ユーザーを包括出来る

どんどん広がる方がいいに決まっている

 

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