雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

百田尚樹の日本国紀 を読んで

2019-01-17 06:16:56 | 私の生き方、考え方&意見

 ★百田尚樹について、よく知っている訳ではない。

 テレビで話を聞いたことはあるとは思うが、確りとは覚えていない。

 今回、『百田尚樹の日本国紀』を読もうと思ったのは、この本を読む前に書いたブログに、このように書いている。

百田尚樹の日本国紀』が話題で、その評価が分かれているようだが、私自身は日本の歴史を通期で読んだことは一度もないので、この機会に読んでみたいと思っただけなのである。いろんな書評があるようだが、書かれていることが全部違っているというようなことはまずないので、日本の約3000年がどんな感じかということが解ればいいのである。それが合っているのか、違っているのかなどの細部は『歴史研究家』に任せばいいと思っている。

 

     

 

 

★昨日、一応読み終わったので、素直な読後の感想を纏めてみたい。

 ●『一言で言うと面白かった』もう一度じっくりと読み直してみたいと思っている。読んでよかったと思っている。

 ● 500ページに及ぶ長編だが、江戸時代から明治・大正・昭和・平成の約400年で半分が占められているのが、よかった。

 ● 旧い時代よりは、江戸以降の資料の多い時代を詳しく知りたかったし、私にとっては『新しく知ること』が多かったのである。

 ● 昭和の支那事変以降は、私自身が生きてきたし、特に戦前・戦後の記述は共感するところが多かった。

 ● マッカーサーのGHQが、日本を変えてしまったのは事実だが、『私自身は殆ど変わらずに生きれたな』と改めて思った。

 ● それは私自身、中学3年以降、学校の勉強を殆どしなかったので、結果的に『新教育』に全く影響されなかったのである。

 ● 百田尚樹さんは、戦後の生まれなのに、なぜこのような『愛国の志士』のように育ったのか?

 ● 同志社を中退したのは、当時の学生運動には合わなかったのかな? 百田尚樹は本名だと聞いてびっくりした。

 

★ざっと『こんな感想』だが、この本ほどいろいろな人が論評しているのも珍しい。

当然のことだが、『賛否両論』があるが、百田尚樹さんは小説家ではあるが、歴史家ではないので、歴史家の観点でこの本を論評するのは間違っているように思う。

田原総一朗さんがこんな風に評している。

彼は、史料もかなりよく読み込み、非常によく勉強している。そして何よりも、彼は「左」でも「右」でもない。ただただ、日本を愛し、日本の未来を真剣に考えている。その1点で、僕は深く共感することができたのだ。自分の考えを率直にいうと、左からも右からも批判を受ける。百田さんも僕も「考え方が違う」という印象から対談に入った。だが、意外にも共通する考え方、同じくする思いが実に多かった。』

 私も『よく勉強している』とは思った。何も調べないとここまでは書けないのである。『Wikipedia の丸写し』などという意見もあるが、例えそうだとしても、歴史を新しく創ることはできないので、このネットの時代にはそれもあってもいいと思う。ネットの時代だから私でも上記の田原総一朗さんの意見も紹介できるのだが、少なくとも『それを見つける努力』は必要なのである。

こんな意見もあった。

 ●『古代から平成までの日本史について記され、幕末以降に半分以上を割くなど近現代史を手厚く紹介している。あまり知られていない歴史上の人物などを紹介するコラムもある。百田氏は冒頭の「序にかえて」で「日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません」と書き、「世界的に見て画期的」などと日本の先進性をたたえる記述が随所にある。』

 ●『日本国紀』を要約し、筆者の主張をまとめると、「日本は、すばらしい国で、素晴らしい人たちが活躍してきた歴史がある。しかし、GHQの占領政策、戦後の教育によってその歴史がゆがめられた」ということになりそうです。歴史の出来事をアナロジーとして日本の素晴らしさ、日本人の素晴らしさを説明していく、という筆者の思いが込められていて、この点は「叙事詩」的な部分なのでしょう。

 

★ 私は素直に『いい本』だと思ったし、間違いなくもう一度読み直すと思う。

 改めて「日本人の優秀さ」を見直したし、『日本はいい国』だと思った。

 そんな長い歴史を持つ日本だが、昔はいろいろと争いもあったので、こんな平和な時代が70年も続く現代は素晴らしいと思う。もう一つ、現代の日本の素晴らしさは、平均寿命が世界一だということである。そんな日本も昔はこんなに早死にの方が多かったとは、はじめて知ったわけでもないが、改めてそれを認識した。祖父も伯父も父も50代で亡くなったのに、86歳になろうとしているのが不思議である。

 

この平和な時代を創っているのは、GHQの創った憲法なのか? 戦後のあの素晴らしい復旧は新しい教育があったからなのか?

それとも、戦後の復旧を支えたのは、戦前の『旧い教育』を受けた素晴らしい人たちだったのか?

そのあたりのことを、この本を読んで、1人1人が考えてみて欲しいと思うのである。

 

 

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門野真也 夢叶った MLSワシントンDCに

2019-01-16 06:49:52 | 発想$感想

★ 昨年の今頃は二人とも三木に遊びに来ていた。

 サム君と Shinya Kadono 二人ともアメリカのサッカーのプロになるとか言っていたが『ホントかな?』と思っていたら、二人とも揃ってアメリカMLSのチームから指名を受けてめでたく『プロの道』を歩むことになったようである。

  

          

 

  ちょうど遊びに来ていた孫たちが残していったサインだが、ひょっとして『有名選手』にでもなったら、値打ちが出るかも知れない。

 

           

              

 

   昨年秋の確か最後の試合、Stanford 戦の時の二人である。

3年連続全米大学チャンピオンのStanford には1回も勝てなかったのに、この最終戦は1-0で勝利して、ご機嫌の二人である。

 

              

 

 ★まだ日本にいた小学校の頃、何となくサッカーを始めた門野真也だが、その頃はサッカーよりは『カブトムシ』や『魚取り』のほうが熱心で、若しそのまま日本にいたら、なかなか『レギュラーはムツカシイ』と思われるようなレベルだったのに、アメリカに行ってから、何を思ったのか『サッカーに夢中』になったのである。

 アメリカのDevelopment Academyの名門Strikersにも『デブはダメ』と断られて、2年間減量してやっと入れて貰えたのが中学生の頃だったか? 

その頃から『プロになる』というものだから『何を寝ぼけたことを』と思っていたのだが、真也曰く『どのチームでも、入った時は一番へたくそだったけれど、一番上手くなった』というのである。

 確かにその通りで、名門Strikersでも日本人ながらキャプテンを務めたし、Berkeley 大学でも、3回生ではチームの得点王、4回生ではここでも日本人初のキャプテン、リーグの得点王にもなって、今回全米・カナダの60人の選手の枠に入って、MLSのセレクションを今年の初めから受けていたのである。

 『ホントにどうなるのかな?』と思っていたら、昨日本人のFacebook に、名門 D.C.Unitedへの入団の『正式契約は未だ』だと本人は言ってるが、入団推薦を受けたことは間違いない。

 アメリカで育ち、アメリカの仕組みの中で育った『初の日本人選手』なのである。

 

      

 

  D.C.ユナイテッドは、1996年のリーグスタート以来のチームで、何度も優勝している名門チームであるらしい。

 

      

 

 アメリカのMLSは、未だその歴史も浅いのだが、近い将来は野球を間違いなく抜くであろうと言われている人気スポーツで、世界の有名選手が集まっているらしい。

       

 

 ★娘のFacebook を見るとこのように書かれていて『ルーニー選手』という英国の有名選手が、今シーズンからチームに参加したらしい。 今は多分チームで『一番下手くそ』なのだと思うが、また一生懸命努力して、レギュラーになれるように、頑張って欲しいと思っている。

 

              

 

★MLSに関してこんな記事があったので、ご紹介する。

なぜ、スター選手がMLSに参戦するのか? “お金だけじゃない”魅力とは

   https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20161026/507520.html

『サッカー不毛の地』そんな古いイメージでアメリカを語ることはもうできない。 MLSは競争力が高く、思っていたよりもはるかにレベルが高いとてもタフなリーグなのである。

 

07年にベッカムがLAギャラクシーと契約するタイミングで、選手の年俸の上限を定める「サラリーキャップ制」の例外を認める「特別指定選手」枠を設けたことが、大きな契機となった。

デイヴィッド・ベッカム

2007年にLAギャラクシーに加入したベッカム。背番号はレアル・マドリード時代と同じ「23」を選んだ [写真]=Getty Images

 さらに自国開催の94年ワールドカップで初めてベスト16に進出したアメリカ代表がその後も4年に一度の大舞台に立ち続け、スター選手の存在や競技レベルの向上だけでなく、リーグが長期的視野に立って行なってきた施策の賜物でもある。スタジアムの利便性や娯楽性に対する配慮は細やかで華やかなのである。

今やMLSは、競技力と人気を世界に誇れるレベルで、待遇面だけでなく、世界一の経済大国にしてエンターテインメントの本場たるアメリカでの優雅かつ快適な暮らしに対する憧憬もあるだろう。サッカーの世界で頂点を極めた男たちが、いち競技の枠組みを越えたスポーツ大国の空気を吸ってみたいと思うのも、十分に理解できる。

 などと言われている。

 そんな素晴らしい環境の中で、果たして孫・門野真也は『やり切れるのかな』と結構おじんは心配なのだが、こどもの頃の『夢の入口』に立てただけでよかったのかも知れない。

 そんなに簡単な道筋ではないと思うが、自らが選んだ道だから『精一杯走って欲しいな』と思っている。そんな真也の活躍が見れるように、私自身も『精一杯頑張って生きたい』と思っているのである。

 1月15日は、『成人の日』なのである。

      

 

   門野真也が大好きな『日本』を忘れずに頑張って欲しいと思っている。

 

                

 

 ホッとしたのだろう、一家で焼き肉でお祝いしたようだ。

 雰囲気が伝わってくる、記念すべき写真である。

 真也、おめでとう。

 

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青森山田優勝おめでとう

2019-01-15 08:01:11 | 発想$感想

★サッカーの日本高校選手権は、青森山田が2年ぶりに『日本一』になった。優勝おめでとう。

 

    

 

  若い頃、仙台に4年程いて東北6県を担当していたこともあって、東北は第2の故郷のような感じを持っていて懐かしい。

 東北でも、特に青森・岩手・秋田の北3県は車で走り回って販売店廻りをしていたので、日本の中でも一番道も詳しいし、殆どのまちを知っているのである。

 東北の人たちは純朴でホントに良かったのだが、当時は東北のスポーツなどは、どこもそんなに大したことはなかったのだが、最近のスポーツは特に北3県の話題ばかりなのである。

 大谷翔平の岩手県は話題を独占したが、この冬には花巻東の先輩・西武の菊池雄星投手のマリナーズ入団が .話題となった。

 昨年夏には夏の甲子園を沸かせた秋田の本格右腕、金足農の吉田輝星投手が、日ハムに入団したのだが、今回は青森山田が高校サッカーを制したのである。

 

★ 今まで冬は雪国で練習もできないと言われていた『スポーツの世界』だが、そんな環境の不利を吹き飛ばしての東北勢の活躍なのである。

 『ファン心理』というのは不思議なもので、何となく、東北勢は応援したくなるのだが、青森山田のサッカー部はまた特別なのである。

 昨年の春、三木綜合防災公園に走りに行ってたら、ヨーロッパのイタリア・ドイツのチームやヴィッセル神戸のユースなどが集まったサッカー大会をやっていて、そこに『青森山田』もバスに乗ってやってきてたのである。

 

   

 

  その時の『青森山田の選手たち』だが、多分今回の優勝チームのメンバーだと思う。

他のチームはみんな選抜チームで単独チームは、青森山田だけだったので、非常に纏まりはよかったが、成績はもう一つだったのである。

 

 こんなバスに乗って青森から延々2000キロを走ってきたのである。

   

 

 そんなチームを、この目で見たので、どうしても応援するような気持になったのだが、準決勝も、決勝戦も先制されたのを追いついてのPK戦と逆転劇だったのである。

 青森山田など、私が東北にいたころはその名前も聞かなかったが、昨年100周年を迎えた伝統校である。

 昨年の3月末にも、ブログをアップしていて、こんな紹介文をアップしている。

 

    

 

  その時にも『秘かな一ファン』として、『青森山田』を応援することになるだろう。と書いているが、あの時ドイツやイタリアの選抜チームに善戦した『青森山田』が優勝してホントに良かったと思っているのである。

 

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評論家・政治屋 & 大阪都構想

2019-01-14 07:46:06 | 発想$感想

★世の中には『評論家』という職業の人たちがいる。

世の中のいろんな事柄に対して『自分の意見を述べる』だけでお金になるというか、それを職業としてやっていける人たちのことである。

 評論家と言っていいのかどうか? 橋下徹さんは大好きである

 何がいいかというと、意見が独特で、鋭くて説得力がある。議論になると決して負けたりしないのである。

 

昨日も、こんな番組で、『大阪都構想』のことをやっていた。

 

   

 

   

 

 

 

  

 

  所謂、いろんな番組で「評論家」という肩書で出ている人たちだが、そんな評論家のプロよりは、橋下さんの意見は独特で、新鮮で、断然説得力があってオモシロい。

 

   

 

   

 

  昔と違って、今の大阪は『小さな昔の大阪』を超えて、大阪府全体が一体化して活動しないと『良さが発揮できない』『今の時代に合っていない』というのが、橋下さんの主張である。

 確かに、カリフォルニアと同じ面識の日本にアメリカの州と同じ数の県がある。昔の藩の時代とは違うのだから、もう少し広域化するほうがいいと思う。

 橋下さんの発想は独特で、知事のあとは国会議員というのが政治家の道筋なのに、逆に『知事から市長』になって大阪の話題が『全国区』になって行ったのである。自らの地位などよりは、どうすれば政治は機能するかということを実践して来ている。

大阪はその後、府と市が同じ考えの人がやって一体化したから、世の注目度も上がったのだと思う。

面積で言うと全国46位という小さな府だから、府と市が二つの二重行政などやらぬほうがいいと思う。

 いま、何故か公明党ともめているが、『出直し選』で松井知事と吉村市長が入れ替わたらいい、などという案を発表したりしている。

 

 

   

 

  世の中の『市長よりは知事が上』だという政治常識などに、全然拘らない『機能論』に徹しているところがオモシロい。

 

★こんなネットの時代になって、何でもすぐ解る時代なのに、昔々の藩制ではないが、小さな日本に50に近い行政府があること自体が無駄だと思う。

 大阪都構想というよりも、もっと広域の行政にして、知事や市長の数を減らすことが一番だと思うが、世の政治家たちは自らの議席の数だけは、『なんとか維持する』方向に熱心である。

 アメリカのカリフォルニア州のように、市長などの給料は『月3万円から5万円』ぐらいに市民の数で決められていると知ってびっくりした。

 市長など、政治家というより地域のお金のあるヒトがやる『ボランテイア』のような発想である。

 政治家を目指すのは州知事ぐらいからだというので、その数も少ないし、合理的に出来ている。

 日本も税金を『つまらぬ人たち』のために払っていることに、もうぼちぼち気付くべきだと思ったりしている。

 

 

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囲碁1万勝 ?

2019-01-13 06:35:28 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★父が碁を趣味で打ってたので、何となく中学生の頃から碁席に行ったりしていた。

 そこの先生は父の友人で『級の申請をするか』と言われたのでどうもそんな資格を取るのは嫌だったので、碁席に行くのは止めてしまったのだが、自分では「1級か初段かな」と勝手に思っていたのである。

高校・大学の頃も何となく打っていたし、会社に入ってからも昼休みに遊びでよく打っていたのだが、その後仕事も忙しくなってからは、殆ど碁を打つ機会もなかったのだが、退職してパソコンをやり出してから、『パンダ碁』なるサイトを見つけて、1ヶ月2500円ほどは掛かるのだが、何度打ってもいいし、家で世界中の人たちと打てるので、『パンダ碁』をやり出してから、殆ど毎日のように打っている。

 仕組みはよくできていて、勝てばどんどん級は上がるし、負けるとどんどん下がるのだが、当初自分で級の登録をした時は『初段』で登録したのである。最初は一生懸命打っていたら、一番よかったときは『二段』まで行ったこともあるのだが、最近は時間つぶしに『いい加減な手』など試してみたりすると『三級』ぐらいまで落ちることもあるのだが、それ以上落ちたことはなくすぐ『一級』ぐらいまでは戻るのである。

 

★それが今年になって、一万勝を記録したのである。

 ご覧の通り10004勝・10022敗で『1級』となっている。

 この勝敗数が並ぶと、多分『初段』ぐらいになるのだと思うが、最近は、並んだことはない。

 

  

 

 もう10年にもなるのだが、それにしても2万局も打ったことになる。

 よく打ったものである。時間潰しに『遊び』で打っているのだが、若い頃のようにもう少し『向上心』でもあればいいのだが、なかなかそんな気にはなれないのである。

 ただ、10年前と違って、トップクラスには『プロ棋士』も入ってきたので、全体のレベルは上がっているように思う。2万局も打ったのだから、幾らかは強くなったかな とは思うのだが逆に初段から1級に落ちてるので、勝手に全体のレベルが上がったことにしているのである。

この『パンダ碁』は世界中の人たちと打つことができる。目の前の人がいないので、対局者の表情などを気にすることなく打てるのがいい。 海外の人たちの中では、やはり『アメリカ人』の人の碁は独特のような気がして、アメリカ人と打つのは楽しみである。

          

 

★最近のネットは、何でもこのように記録が残されるのがいい

 ブログも、ツイッターも、Facebook も、それなりにいろいろな記録が残っていくのは楽しいものである。

 今年になって、つまらぬ記録だが、昨日ジムのこんな記録が完成した。

 

   

 

 三木市体育館のジムやランニングコースやプールに行くたびに、こんな印鑑を押してくれて、全国を制覇したら、こんなマグカップを頂けるのである。

 

       

 

  北海道は4区に分かれているし、島などもいろいろあって、全部で70ほどあるのだが、ジムとランニングとプールに行くと、1日に3つ制覇できるのである。

1日に3っをやる人は少ないので、今日制覇してマグカップを頂いてきたが、全体の『第1号』だというので、記念に用紙を貰ってきた。

大したことではないが、一番は気持ちがいい

 次回からは、また用紙が新しくなるが、多分2か月後にはもう一つ マグカップが溜まるだろう。

 

★ 『継続は力』何事も続けて行けば、『』になるかどうかは別にして、囲碁も2万局も打ってるとは、自分でも驚きである。

 マグカップも、そのうち10個ほど集まるかも知れない。

 10個若し集まるようなことになると、体重も70キロ台になっているかも知れない。

      

 

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初詣 お祭り 雑感

2019-01-12 07:50:13 | 発想$感想

★何となく私は『こどもの頃の経験』は『大人になっても』大いに影響を与えるのではと思ったりしている。 

 ちょっと具体的に言うと『初詣』や『恵比寿さん』には全く関心がないし『お祭り』にも殆ど関心がないのである。

 子供の頃は、外地朝鮮で育ったから『初詣』も『お祭り』もなかったのである。

 戦後明石に戻ってきたが、戦後の混乱期で、初詣にも行ったことがなかったし、戦後の混乱期でお祭りもなかったような気がする。

 こどもの頃から『経験がない』ことのひとつに『修学旅行』がある。

小学校の頃は、戦時中でなかったし、戦後は食糧難や宿舎・ホテルなどがなかったので、やろうと思っても、出来なかったのではなかろうか。

 

             

 

★ 兎に角、85年生きて『初詣』は、一度も経験がない。 私が『行かない』から、息子も、娘も『初詣』など行ったことがあるのか、無いのかよく解らないのである。 一度だけ大学時代の娘を神戸の生田神社まで送ったことはあるのだが、それが初詣だったのか、友達との単なる遊びだったのかは不明である。

 いま、娘家族はアメリカだから、間違いなく初詣はないし、日本のお祭りもないが『初日の出』だけは欠かさず観に行くようである。

お祭り』は三木に来て40年以上だが、三木は旧い街でお祭りは多いので、2、3度行ったことはあるが、自分で参加したことはない。

 三木も、神戸も『恵比寿さん』は盛んだと思うのだが、『行こうか』という気にならないのである。

 

      

 

 ★そういう意味では「花火大会」もわざわざ観に行ったことは一度もない。

 そのような人が大勢集まるところが『あまり好きでない』のかも知れない。

 さらに極言すると、神社にはお参りには行ったこともあるし、人並みに『2礼2拍手1礼』の形だけはちゃんと解っていてそのようにするのだが、これは小学校の時に先生が教えてくれたので、そうしているのだが、『神様に願い事』をしたことはないのである。

 いつも形だけの礼拝はするのだが、願い事をしないのは、何故か自分でもよく解らないが、兎に角『願い事はしない』ことに決めているのである。

 あまり、世の中の仕来りには拘らないのだが、ちゃんとやってるのは「墓参」ぐらいかなと思う。それはどうもこどもの頃からお寺には伯父によく連れて行かれたからかなと思ったりする。

 世の中には、このような『仕来りに』に熱心な方のほうが普通だろうが、これらはみんな子供の頃の、経験がそうさせているような気がして仕方がないのである。

 

★『こどもの頃の経験は?』と検索したら

 https://www.google.co.jp/search?source=hp&ei=l9M2XIOMCdKDoASJ0I64DQ&q=%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E9%A0%83%E3%81%AE%E7%B5%8C%E9%A8%93%E3%81%AF&btnK=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&oq=%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E9%A0%83%E3%81%AE%E7%B5%8C%E9%A8%93%E3%81%AF&gs_l=psy-ab.3...5593.15708..19088...0.0..0.127.2083.24j3......0....1..gws-wiz.....0..0i131j0i4j0j0i131i4j0i10j0i4i37j0i4i30j0i4i30i23.z2WVpc3Na7I

 このようにいっぱい出てきた。

 想像以上に影響があるようなのである。

 

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カワサキジェットスキー物語  13

2019-01-11 06:54:14 | ジェットスキー&KAZE

★1985年あたりにアメリカ市場で、突然ジェットスキーが2万台を超える規模になったことから、突然カワサキの中でもこの事業を正規の事業にしようという動きが出たのだが、そのジェットスキー・プロジェクトは、ホントにスピーデイーに動いて、1900年に入るころには、ヨーロッパにも国内にもジェットスキーの専門会社が立ち上がっていたし、アメリカ以外のJJSBAのレース活動もまた素晴らしい勢いで動いていたのである。

 日本でもジェットスキーレースなるものが、いつ頃からどの程度の規模で行われていたのかはよく解らないのだが、カワサキ関係では孫会社のKATの社長を兼務されていた苧野豊秋さんが熱心で、日本でもJJSBAのレース協会を創ろうという動きがあり、84年11月にアメリカのIJSBAの承認を取ろうと渡米されるのだが、それに同伴したのが私で、アメリカでIJSBAと繋いでくれたのが田崎雅元さんなのである。

苧野さんは私にとっても田崎さんにとっても元上司で、カワサキの二輪のレース委員会の営業サイドの長をされていて1960年代からレースに関連があった方なのである。そんなことで日本にJJSBAが出来たのは85年からだと言えるのだが苧野さんは初代のJJSBA会長を務められたのである。

        

 

さらに、カワサキがジェットスキーを正規の事業にすべく社内でJSに乗れるライダーを探して、発動機の福井昇くんを見つけて、最初のプロジェクトメンバーに加えたことも、彼がジェットスキー・プラザの実質1号店になってくれたことも、国内のジェットスキー事業やレースが順調に立ち上がった大きな原因だと思っている。

当時のジェットスキー・プラザの殆どがレースに色濃く関係していて、そんなこともあって日本でもジェットスキー・レースが各地で行われることになるのである。

 

★このジェットスキー物語も、当時から色濃くレースに関わって頂いた福井昇くんや、松口久美子さんのご協力で、私もいろいろと思いだしながら、やっと纏めることができているのである。

 今回も福井くんや松口さんがこんな写真を送ってくれたのでその写真の紹介から入って行こうと思う。

 

 まずは、福井くんが送ってくれた、発動機事業部のジェットスキーグループの解散会の写真である。

この写真は貴重である。当初のジェットスキーに関わったメンバーを私自身も初めて知ったのである。後、ジェットスキーでも二輪でも関係のあった方たちもおられる。

1976年とあるからこの年次で一応ジェットスキーグループは解散するのである。ひょっとしたらコレでカワサキのジェットスキーも終わってしまっていたかも知れないのである。

それまで上市されていた機種はJS400で、アメリカ市場のレースグループから『馬力アップ』の要請が出て、私と同期の藤川哲三さんを中心丹波晨一福井昇さんなど数人がJS550のエンジンのボアアップ開発に当たったようである。

この写真の真ん中にいる村上さんは、昭和32年(1957)川﨑航空機入社の私の同期生なのだが、彼がジェットスキーを担当していたなど、この写真を見るまで私は知らなかったのである。 非常に貴重な写真だと思う。

    

 この写真の中に丹波さんや福井さんがいないのは、この時点で既にスノーモービルの開発のほうに移っていたからだという。

 

 ★こちらは松口久美子さんから頂いた当時の写真である。

福井さんが440クラスでチャンピオンになってトロフィーを抱えています。その上の写真は大南さんです。トロフィーを持っている女性は第一回全日本チャンピオンの上原さんです 。』との説明がつけられていたが、福井昇くんも若いなと思う。

 彼が実際にレースを走ってるのは、実は見たことがないのだが『速かったんだ!』というのが今の実感である。

 大南勝也さんには、ジェットスキーの販売関係でも、JJSBAのレースでもホントにいろいろとお世話になったのである。彼の結婚式には私も出席させて貰っていたので、当時のこの業界をリードした人たちはホントに若かったのである。

 

      

 

  日刊スポーツに掲載されたワールドカップ(琵琶湖)の画像だが、松口久美子さん全盛期である。

 

  

 

 ★スポーツ紙にこれだけ大きく報道されているが、間違いなく『ワールドカップ』でその規模はびっくりするほど大きかったのである。

 近江舞子の湖岸1キロがジェットスキーのテントで埋まったのである。

 この大会は『JJSBA創立10周年記念大会』として琵琶湖の近江舞子を舞台に盛大に開催されたのである。

 鶴谷将俊さんが第3代JJSBA会長を引き受けてくれたのは1991年2月のことなのだが、それ以降JJSBAは、カワサキの人たちが本格的に運営に参加して、飛躍的にその規模も大きくしていくのだが、その象徴的な大会がこのワールドカップであったと言っていい。

             

 

 以下の写真は、当日会場にも来てくれた田崎雅元さんから送って頂いたものだが、この日の昼過ぎ、私はまだ神戸にいたのだが、月木さんから電話があって、岩城さんが来ているとかいうので、今夜『ワールドカップの前夜祭がある』と言ったら『岩城滉一さん』も突然参加してくれることになったのである。

 

     

 

 

        

 

当時の髙橋鐵郎本部長もレース当日は、ジェットスキー大会をご覧になって、その規模の大きさにビックリなさったのである。

 これは船の上からのレース観戦だが、この船の手配も、福井昇くんが気を利かして手配してくれたのだと思う。

 

      

 

★この93年当時は、国内市場が最高の時である。

 高橋さんがCP事業本部長でカワ販の社長を兼務、私は専務としてその旗を振ったし、田崎さんはニューヨークから戻って、副本部長時代である。

84年にスタートしたジェットスキー・プロジェクトもようやくその頂点を迎えていたのである。

 当時の国内は、二輪関係のレースにも注力していた時期で、鈴鹿4耐も、8耐もカワサキが優勝した年でもある。前述の『岩城滉一さんグループ』も春のカワサキデーラーミーテングにも、鈴鹿のレースには、月木レーシングの総監督として、SPA直入にもしょっちゅう出入りしていた時期で、島田伸介が8耐最後をカワサキに乗りたいと明石にやって来たりした年でもあって、なかなかの人気だったのである。

私自身が『レース』には、販売以上に没頭していたし、二輪やJSはユーザーの人たちと上手に遊んでいたら、『自然に売れるはず』という仮説の上に、グループ全体がKAZE活動などソフト会社ケイ・スポーツ・システムを中心に動いていた時代である。

 高橋さん、田崎さんとは、ジェットスキーレースを2月には宮崎で観戦したし、田崎さんとは6月に北海道洞爺湖のレースをそしてその仕上げが11月の『ワールドカップ』だったのである。

 

この『ワールドカップ』が開催できたのも、やはり人かなと思っている

カワサキジェットスキーなどという専門会社がバックには居たのだが、実際に起案したのは『鶴谷将俊』さんだし、JJSBA が主催だが、当日の現場を仕切ったのは『福井昇くんと大南グループ』の人たちで、其の実権は福井昇くんが握っていたのだと思うが、それを自由に任せたのはKJSの藤田常務なのである。

 私自身は当時は幾つもの会社の社長をしていて、責任だけは持っていたのだが、実務には殆ど関係していないのである。

 髙橋鐵郎さんが100%私に任せて頂いたし、私も鶴谷・藤田さんに100%信頼して任していたので実現したのだと思っている。

 『ワールド・カップ』という世界展開がスムースに出来たのは、鶴谷さんも田崎さんも海外販社社長経験者で『英語コンプレックス』など皆無だったからかも知れない。

 この琵琶湖『ワールド・カップ』はさらに数年続くし、富山県千里浜海岸でのジェットスキー大会は、その規模に置いて「ギネスブック」に登録しようかと、いわれるほどの規模で、さらに続いて行くのである。

 

 これもその当時の写真で、田崎さんから送られたものだが、当時のジェットスキーは、国内市場のカワ販販社としても、その経営的なウエイトは非常に高く、単なる遊びではなくて、大いにその経営に貢献していたのである。

 

     

 この写真、右から田崎さん・私・3人目は稲村暁一さんかも知れない。だとすれば珍しい写真である。

 1984年、突然アメリカで売れだしたのが、世界展開の契機なのだが、その仕掛け人は田﨑さんであり、それを国内・ヨーロッパ市場にもとふと思ったのは私なのである。

 このブログの冒頭にご紹介した発動機事業本部のジェットスキーチーム解散式が1976年というさらに10年近く前なのだが、何となく『ジェットスキーレース』がご縁で、いろんなことが繋がってジェットスキー事業となって行ったのである。

 今から、思うと本当に不思議なご縁で繋がっていると思うのである。

 

 JJSBAや、国内のレース関係が今どのようになっているのかは、詳しくは知らないが、この当時は間違いなく、この業界のトップをカワサキは走っていたのである。

 13回まで続けてきた『カワサキジェットスキー物語』だが、次回かその次ぐらいで終わりたいと思っている。ほんの短い間ではあったが、当時の仲間のことなども、私なりに思い出させて頂いて、「いい時」が過ごせたことを感謝である。

 

 

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最近昼寝をするようになった  シエスタ制度導入?

2019-01-10 06:38:30 | 発想$感想

★最近と言っても今年になってからだが、『昼寝をするようになった』なかなか気持ちがよくて、ひょっとしたら習慣になるかも知れない。

 なぜ、こんなことになったのかというと、年末にちょっと『風邪気味になった』病院は開いていないので、備え付けの風邪薬を飲んでちょっと横のなって布団の中に入っていると、結構気分がいいのである。

 冬だから温かいのもいいし、12月から朝の内2時間ほど『運動をしている』ので、体の方もそれを求めているのかも知れない。

 

★今日は、それを『意識的にして』1時ごろから3時前まで寝ていて今起きてこのブログを書いている。

今夜は8時から、サッカーのアジアカップの実況もあるので、10時ごろまで起きていなくてはならぬし、そのあといまフロリダに行っている孫が、ちょうど夜中の0時から出場するサッカーの試合の実況中継の『You Tube』を送ってきて、『是非見てくれ』というので2時頃まで夜中に起きていないといけないのである。

 今日はそのための『昼寝』なのだが、確かスペインは国中が『公認の昼寝』をすると思ったのでチェックしてみると、こんな風に書いてある。

伝統的なスペインの昼食の時間は、日本よりも遅い。しっかりした食事を摂った後に午睡となる。昼下がりの時間帯がシエスタ時間である。この時間帯(午後3時頃)は商店、企業、官公庁などの多くが休業時間となっており、しばしば事情を知らない外国人旅行者が戸惑うことになる。

オフィスワークの場合、シエスタの後は再び仕事に戻る。昼食と同様、夕食も日本よりも遅く、就寝時刻も遅い。しかし、朝は早い。つまり、シエスタをするからといって睡眠過多にはならない。睡眠時間の合計はシエスタなしの生活様式と大差ない。EU統合によって、北の諸国の習慣にあわせてシエスタの慣習を廃止する傾向がみられる。

例えば、2006年1月1日よりスペインの公務員についてはシエスタ制度が廃止された。』

 

スペインには、ジェットスキーの市場調査で、一度だけ行ったことがあるのだが、この昼寝のシステムに、びっくりしたのを覚えている。

ただ、上記によるとEU統合で公務員のシェスタは廃止されたというから、時代によって変わっていくものである。

 

    

 

   こんな写真の中の説明文には、『シエスタ制度を導入するとその後の業務の生産性が向上する・・』などと書いてあるので

 ちょっと本気になって、真面目に読んでみようかと思っている。

 あなたも、お読みになりませんか?

      https://www.google.co.jp/search?source=hp&ei=B6w1XJGSNdKuoASg5KGgAQ&q=%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E5%88%B6%E5%BA%A6&btnK=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&oq=%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E5%88%B6%E5%BA%A6&gs_l=psy-ab.3..0l3.1502.1502..4025...0.0..2.77.272.4......0....1j2..gws-wiz.....0.PCH67d3y-gk

  

 

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世の中のホントのこと

2019-01-09 06:30:09 | 発想$感想

日産の事件のゴーンさんが法廷に立ち、マスコミがいろんな形でこれを伝えた。

 

 産経新聞はこんな詳報を伝えているが、いくら読んでもホントにどうなっているのかはよく解らない。

 

    

 

     

この事件の特捜とゴーンさんの主張は真っ向から対立していて、この裁判の結果がどのようになったとしても、その結果には全く関係なく

ゴーンさんは「自分の無罪」を主張する』ことは間違いないだろう。

一体、この事件は、なぜ起こってしまったのかな?

 日産が訴えたことになっているが、なぜ訴えたのかもよく解らない。

 

    

 

 テレビでもいろいろ解説番組があったが、ここで取り上げられている金額は、庶民感情から言えば『億単位』の大きなお金なのだが、日産の経営規模というか、ゴーンさんが扱ってきた『日産経営の基盤』から言えば、ホントに『小さな金額』であることは間違いないので、ゴーンさんからみたら、『そんなことがなぜ???』という感覚は、いつまで経っても抜けきれないのだろう。

  

    

 

    

 

潰れかかった日産を2兆円の規模で建て直したのはゴーンさん だということは、これは間違いない事実だろうから、ホントに日産はなぜ、ゴーンさんを訴えたりしたのだろう?

 そこには、また『違った』特別な内部事情があるのかも知れないが、日産のイメージの低下などを考えると、日産にとってこの事件はマイナス要素ばかりのような気がする。

 

★ 世の中には、いろんなことがあるのだが、『その真相』というのはあまり表に出たりはしないものである。

 一つのことでも、それをそれぞれの立場で見ると、『違った評価』になるモノなので、今回は、これが特捜の事件になってしまっているので、『有罪か、無罪か』になるのだが、仮にどちらになっても、真相が明らかになったとは言えないのではなかろうか?

 世の中の人たちは、一体どう思っているのだろう?

 日本人はどう思っているのだろう?

 世界の人たちは、日本人とはまた違った想いかも知れない?

 最近は訴えた日産が『モノを言わなくなった』ので、余計にワカラナくなってしまった。

 

 司法取引からのスタートだから、ややこしいのかも知れない。

 

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日本の歴史   雑感

2019-01-08 07:36:13 | 発想$感想

★ 私は小学校の頃に日本の歴史を習って以来、『歴史』というものを学校で習ったことがない。

 昭和20年(1945)が終戦で、その時旧制中学校の1年生だったが、引き揚げてきて翌年もう一度中学1年生に再入学したのだが、この時が旧制中学の最後の年次なのである。

 翌年からは新制中学が出来て、後輩は入ってこなかったし、英語や数学は兎も角『歴史の教科書』がなかったのだろう。『歴史』という学科がなかったのである。

 小学校の時に習った『日本の歴史』は、天照大神からの神代の昔、確か淡路島が出来て神武天皇以来の『万世一系の天皇』の国日本だったのである。

 大東亜戦争が始まったのは小学校4年生の時だが、その宣戦の詔書の始まりは

 

   

 

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス

朕玆ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ眾庶ハ各〻其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ

から始まっていて、この辺りまでは暗記していたのだが、その中にも「萬世一系の皇祚を踐める大日本帝國天皇は」から始まっているのである。

 

  改めてGoogle で調べてみると

 

     

 

 

   こんな感じで、神武天皇をカラーで表示されていたりするのである。

 

      

 

  そして日本の歴史はこのように纏められているのである。

 

     

 

 小学校の頃は、西暦ではなく 紀元2600年位 だったから今紀元で言っても未だ紀元2700年にはなっていないのである。

自分自身が100年近く生きる時代になってみると、日本の歴史も江戸時代などちょっと前だなぐらいにしか感じないのだが、

今回ふとしたことで『日本の歴史』を読んでみようと思っているのである。

 

   

 

 ★いまたまたまだが、『百田尚樹の日本国紀』が話題で、その評価が分かれているようだが、私自身は日本の歴史を通期で読んだことは一度もないので、この機会に読んでみたいと思っただけなのである。

 いろんな書評があるようだが、書かれていることが全部違っているというようなことはまずないので、日本の約3000年がどんな感じかということが解ればいいのである。

 それが合っているのか、違っているのかなどの細部は『歴史研究家』に任せばいいと思っている。

 

     日本国紀評判 と検索すると、こんなにいっぱい並ぶ1ページ目は全部読んでみた。

   https://www.google.co.jp/search?ei=N_EyXMHHOILg-AaP4ZHADQ&q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E7%B4%80%E3%80%80%E8%A9%95%E5%88%A4&oq=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E7%B4%80%E3%80%80%E8%A9%95%E5%88%A4&gs_l=psy-ab.12..0.3484.6900..21692...0.0..0.101.828.9j1......0....1..gws-wiz.......0i4j0i4i10._FOZzIMYdGo

   世の中にはいろんな人がいるものである。もう少し素直に物事を考えないのがダメだなと思う。

  旧い歴史のことなど、『すべてが正しい』などある訳がない。

  今問題の韓国の哨戒機問題でも、事実は一つのはずなのにこんなに見解が分かれたりする。

 

 

 

★いま、ちょっと歴史に関心があるのは、

カワサキの二輪事業の歴史』を会社として纏めておられるようで、私自身もこの1月から2月にかけて取材を受けることにはなっているのである。

カワサキの二輪事業の歴史』などと言ってみても、どんなに旧くてもそのスタートは昭和27年(1952)で、私は未だ入社はしていないのだが、昭和34年(1959)あたりに『単車準備室』が出来たのがそのスタートと言っていいし、その時のことは横からだが眺めていて何となく知ってはいるのだが、そんなことを語れる人すらもうなかなかおられない時代になってしまっている。

 当時は未だ、メイハツ工業にエンジンを供給していた発動機営業の時代だったのだが、その担当者は後IKSに移った『足立くん』一人が担当していたし、昭和36年11月(1961)にはじめて単車営業課が出来た時、私はその部署に異動したのだが、その頃の営業関連のことを話せるのは私以外には居ないのだが、当時は単なる一担当者で、そんなに事業の核心のことなど『解っていた』とは言い切れないのである。

当時の職制や、その担当は何とか調べたら解るとは思うが、『その歴史』となると如何にも頼りないなと思ってしまうのである。

当時のカワサキの二輪事業を動かしていたのは、今のように車を作っている事業部(メーカー)ではなくて販売会社のほうが中心だったのである。

それは別にカワサキだけでなくトヨタも『トヨタ自販』が『トヨタ自工』を動かしていて、カワサキの場合も『カワサキ自動車販売(カワサキ自販)』の社長は川﨑航空機の土崎専務が兼任されていて、高野行彦専務が仕切っておられたのである。

当時の明石工場の技術や生産部長とは比較にならぬほどほど上位だったから、すべてが販売サイドの意志で動いていたのだが、その当時の歴史を語れる方は既にもうおられなくなってしまっている。

そのカワサキ自販の本社は神田岩本町にあったのだが、その事務所をご存知の方が私以外におられるのだろうか?

その辺のところはなかなかムツカシイのである。

 

 日本の歴史についても、いずれにしても後世の人が資料や組織や人事などを観て、あとで繋いでいるのだとは思うが、単純に言って『日本の歴史』を語るのは戦後の、戦前の短い期間を『軍国主義』だと真っ向から否定して掛かるインテリ左翼の人よりは、百田尚樹さんのような、『日本はいい国』『日本人はいい民族』だという『歴史観』をお持ちの方の書かれた本をを読んでみたくて、今本を注文中なのである。

 ひょっとしたら、今日ぐらい届くと思うので、楽しみにしているのである。

 

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日曜日は休息日

2019-01-07 07:33:11 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 昨年末から1週間の生活パターンを決めたとは、昨日のブログでアップしました。

 1週間7日の内6日間は、何らかの形で体力維持というか向上を目指して運動をしようと思っています。それで大体午前中は消化されて午後からをどのように過ごすかになるのですが、何となく外からお誘いがあったりしたら、出来る限りそれは優先してこなし、その残りの時間を自分で決めたスケジュールにしようとしているのです。

 『体を動かす』ということはどちらかというと好きなほうですが、それを欠かさず実行しようとするとなかなかムツカシイものですが、幸い三木市の体育館がジムとランニングとプールをセットにして、1ヶ月何回使っても高齢者は3000円という前払いのチケットを発売していて、それを購入しているので、『行かなければ損』と思う貧乏人根性が続いているベースにあるのは間違いありません。

 『日曜日は休息日』としたのは、1日ぐらい『何の予定もない日』があるのもいいなと思っているからです。

 

★今日、1月6日は今年初めての日曜日で『何もしない』初めての日で、いま午後3時です。

 何もしない日に、今まで何してたのかというと、

毎朝のブログの発進をgooとFacebook とツイッターに発信などしてたら、遠くアメリカのフロリダから孫の真也が電話をかけてきました。昨日は試合して2-0でチームは勝ったが、シュートしたがキーパーに当たって入らなかったと言ってましたが、調子はよかったようでご機嫌でした。明日は選抜メンバーでのゲームがあって、そのメンバーに入っているので頑張るとか。

昨日は、ホテルの料理が高いと心配してましたが、選手たちは特別バイキングで、その料理が旨い、などと喜んでたのが真也らしいなと思いました。最近のネットはホントにスゴイと思います。顔を観ながらの通話が幾ら話してもタダだとはホントに昔の電話代を知ってる私にはウソのような話です。

今からIrvineの娘のところに電話をするとか。 孫も時間を持て余しているのかも知れません。

 

★その電話の後は、ネットでパンダ碁を3局ほど打って2勝1敗です。

 今の通算成績は999610020敗 (レーティング 19818局) です。

 もう10年以上にもなりますが、よく打ったものです一両日のうちに10,000勝になるでしょう

 そのあとネットでGoogle検索を楽しんでいます

 

 『ブログで稼げる』というページが出てきました。

 そんな気は毛頭もありませんが、こんなに詳しく出ているので読んでみましたが、これは、私には出来ません。

 ちょっと読んでみて試してみましたが、加入手続きだけで大変です。お金はやはり遊んでいては入ってこないのかも知れません。

 

   

 

   

 ただ私のブログは、2週間で35000PVぐらいはアプローチはありますので、1ヶ月70,000PV にもなので、広告を載せたりしたら、幾らかは収入になるかなとは思いますが、全然そのような気にはなりません。

 

   

 

  ただ、閑に任せてそのような知識を知ることには関心があって、いまもうすぐ4時です。

 

★夕方には家内から『コープに買い物に』と言われていますので、もう少しすると車の運転手です。

 それから戻って、風呂の入って夕食、夜はテレビを観るか、あまり面白そうなのがなければ、碁を打つか?

 『日曜日は休息日』などと尤もらしいことを言っていますが、そのほかの日もこれに運動がプラスされるぐらいで、『1年中が休息日』のような結構な日々を過ごしています。

 

 

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私の今年の日常生活計画

2019-01-06 06:50:31 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★2019年、平成の最後の年が始まった。 今年は3月に86歳になる

一昨年の11月にスタートしたジム通いも何とか続いていて、今年は「足掛け3年」にもなるので、出来たらちゃんと続けてみたいと思っている。

最初はジムに通って運動してたら、『82~3キロある体重が幾らか減るかな』と思ってスタートしたのだが、確かに体は確りしたのだが体重は一向に減らないのである

 

最近では『別に体重など減らなくても、筋力がつけばいいか』と思って、その週間スケジュールを昨年の12月から

月・水・金は三木綜合体育館で、ジム・ランニング・水泳を約2時間

火・木・土は三木綜合防災公園でスロージョッギングとダッシュを約1時間』 

『日曜日は休息日』と決めて続けてきたのだが、

年末27日から体育館が休みに入って4日までは、2度ほど防災公園でランニングをしただけの正月休みだったのである。

 

★昨日1月5日には、体育館がオープンしたので早速『ジムとランニングと水泳』に行ってきたのである。そしてプールに入る前に体重を図ってみて、体重計が狂っているのかと思ったのだが『体重は78キロちょうど』なのである。何度はかっても『78キロ』なので間違いはない。

この正月期間は、ちょっと風邪気味だったこともあって『食事が控えめ』だったのである。

 ジムのトレーナーの方に、『体重が減らない』と言ったら『トレーニングしてもそれ以上に食うとダメですよ』と言われていたのだが、まさにその通りなのである。1年間筋トレを続けてるので、確かに基礎代謝は上がっているし、『脂肪が燃えやすい体質』にはなっていたので、ちょっと食わなかったら『10日間で4キロも減る』とはビックリなのである。

1年のスタートの日に、目標体重『78キロが達成』できてのスタートとなって、果たしてこれからどうなるのか?と思っているのだが、ホントにどうなるのだろうか?

 

 

     

 

 私が住んでいる緑が丘町西2丁目から、西に約6キロの三木綜合公園に体育館はある。

 そして防災公園は東に約2キロで車で行くと12分と5分の距離だから、立地としてはなかなかいいのである。

 

   

 体育館の場所はこんな感じで、入園料も駐車料も無料。

 

   

  小さなジム(通常200円)

   

    体育館の2階のこんなランニングコ―ス(通常100円)を走って

 

    

庭園付きの綺麗なプール(通常350円)で泳ぐのだが合計すると650円でこれは高齢者価格だから安くなっているのである。

この3つの施設をどれでも使える1ヶ月の通し券を買うと高齢者は3000円で、月何度行ってもOKのまさに格安料金なのである。

月3000円払っておけば、好きな時間に何度行っても大丈夫なので、スタートした昨年秋からこの制度を利用しているのである。

 

★ 防災公園の方は、上の方の黒い線の部分(約1.5キロ)でを2周して、芝生でダッシュを何本かして汗を流しているのである。

 こちらも入場料も、駐車料も無料だから、特に出費はないのである。

 

   

 

 最近は時間があり過ぎるから、何かやらないと毎日が『だらけてしまう』からやっているのだと思う。

 別に今更『高齢者の運動会』などでの記録狙いなどは一切目標になくて、ただ単に勝手にやってるだけなのだが、ひょっとして90歳になっても『今のようにダッシュが出来たら』カッコいいなとは思っていて、敢えて言えば『それが目標』である。

ダッシュができるということは、スムースに綺麗に歩ける』ということだから、本来の私の目標は『綺麗に歩きたい』のである。

 80歳から始めた『ダッシュ』だが、毎年スムースさも、距離も、スピードも、何となく伸びているように自分で思っている。

 これは筋トレや、スロー・ジョッギングの効果かなと思っているのである。

 体重の目標は、スタートの日に目標達成できてしまったので、今年はフリーにして自然に任したいと思っている。

 ちょっと、かっこよく書きすぎたが、この1年果たして続くだろうか?

 

 

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カワサキジェットスキー物語  12

2019-01-05 07:59:12 | ジェットスキー&KAZE

カワサキジェットスキー物語も、昭和の時代を『ソウルオリンピック』の開会式の当日のハンガン(漢江)でのデモンストレーションで終わって、翌年からは平成の時代に突入したのである。

私自身も88年10月からは国内市場責任者として、二輪もジェットスキーも直接の担当となり、ジェットスキーに関しては従来KATというカワ販の孫会社を子会社に格上げし、カワサキジェットスキー販売(KJS)と社名を変更して、89年1月からはその社長に就任している。

 そのKJSには当時のカワ販の中から、藤田孝昭・潤井利明・渡部達也・宇田川勇さんなど 文字通りの実力者で編成し、世界で初めての商品の販売システムも独自のもので展開することにしたのである。

神戸に本社を置いたのだが拠点はその1店だけで、二輪販売とは全く異なるセールスは置かない卸販売に徹することができたのは『ジェットスキー・プラザ』という独自の販売システムがそれを可能にしたのである。

このグループの運営の中心になったのは 藤田孝昭さんで、彼は東京営業所長という要職から独り国内のジェットスキー・プロジェクト当初から参加してくれたのである。全く新しいプロジェクトに挑むときに用いる私独特のやり方で、鶴谷さんもそうだったが、ご本人の立場などはあまり考慮せずに、実力者を抜擢して推進するのである。

カワサキのジェットスキー・プロジェクトは、そのスタートから『世界は鶴谷・国内は藤田』のコンビで推進されたと言っていいし、このお二人はオーストラリアの社長、東京営業所の所長という多くの部下を持った立場から一転単独でのプロジェクト推進をやり、それを成功に導いてくれた実力者なのである。

今でもお付き合いのある平井稔男さんは、そういう意味では、いろんな機会に私を援けてくれた実力者だと言っていい。

 

★90年度には、その販売も4月だけで1100台という規模にまでなるのだが、この新しいジェットスキーが本格的な動きを見せるのは91年度よりJJSBA会長に鶴谷将俊さんが就任しカワ販からは永野俊次さんを常務理事に出向させて、従来西武自動車関係の方に手伝って頂いていた実務をカワサキ体制で動かすことになってからだと言っていい。

この91年度は販売台数では念願の国内市場70000台目標を達成したし、ジェットスキーも8000台の実績を上げる最高の年となったのである。

私の長い販売経験の中でも、このジェットスキの急激な販売増加は凄まじいものだったのである。年間200~300台でも何とか経営が成り立っていた販社が、10人未満の人員増だけで特に大きな固定費増加もなく、8000台の販売規模になると、その結果はどんな規模になるのか? 想像してご覧になればいい、仮に10万円の粗利があるとしても、その増分利益は8億円にもなるのである。

KJSも、全国のジェットスキー・プラザも大いに潤って、この年の11月にはサイパン島でKAZE WATER FORUM JS を盛大に開催したのが懐かしい。

 

★ 短期間にこんな成長が実現出来たのは、カワサキのメンバーたちも頑張ったのは確かなのだが、カワサキを取り巻く外部の人たちの協力が大きかったのである。

そんな環境整備というか外部の人たちとの繋ぎを どちらかというと私が担当していたのである。

この年あたりから二輪関係でもジェットスキーでも岩城滉一さんが約6年間カワサキを手伝ってくれたのだが、これは金銭関係は一切発生しない『カワサキファンの一人』として、二輪のレースやジェットスキーにも手を貸してくれたし、ご自身でも乗って楽しんだりしていたのである。

その岩城さんが初めて東京の事務所に訪ねてきてお話をお聞きしたのが私だったし、お付き合いをする基本的なスタンスは、その時のお話しした基本コンセプト通りで6年間が続いたのである。

そんな二人の信頼関係もあって、東日本の大震災があったあの年に、既に退職していた私のところに岩城滉一さんから突然電話があって、青森でやろうとしていた『旅サラダ』の番組がダメになったので『何とかスパ・直入を貸して貰えないか』ということでこの番組が急遽実現したのである。

 

        

 

  このスパ直入も直入町も 岩城滉一さんにとっては懐かしい想い出の地で、二輪でも走ったし、

         

   

 老舗旅館の 翡翠之庄(かわせみ)は定宿で、首藤文彦さんとも久方ぶりの再会だったのである。

 

        

 この直入町の芹川ダムは、直入町とカワサキの間で『ジェットスキー・ゲレンデ』として解放されていて、岩城滉一さんは直入に来るとバイクとジェットスキーの二つが楽しめた最高の場所だったのである。

 

    

 

 あの当時、岩城さんはチーム月木の総監督として、カワサキの二輪レ-スにも大いに寄与して頂いたのである。

 

    

 

岩城滉一さんと直接接触担当してくれたのは、当時のソフト会社KSSの南昌吾常務なのだが、彼も独特なものを持ていて、岩城滉一さんの清水宏次郎などそのグループと上手に付き合ってくれて、或る時南君が入院した時にはそんなスター軍団から花束がいっぱい届いたりして、病院がびっくりしたらしい。

 因みに、月木レーシングの月木さんと初めてカワサキと繋がったのは藤田孝昭さんが見つけてきたので、それを引き継いでくれたのが南昌吾さんなのである。 

そんな私との関係も、もう何十年も経った今でも続いていて、ここにお名前を出したカワサキの方からは今年も年賀状を頂いたりしているのである。

 

★新しい業界として立ち上げたヤマハさんとの協働のPW安全協会でも理事長をさせて頂いたのだが、非常にスムースに展開できたし、何度も開催された会議でもこのような業界独特の固い雰囲気は一切なくて、ヤマハの方から社内会議のようだと喜んでいただいたのである。業界としての中央官庁とのお付き合いには、ボートで長くお付き合いのあるヤマハの担当者の方が同伴頂いたのだが、中央官庁の方ともすぐ仲良くなって本音でのお話し合いが出来たのである。

 このような業界の総会には中央官庁の出席者がその上司の祝辞を代読されることが多いのだが、当時の総会には出席された方が原稿なしの祝辞を頂いたりして、非常に柔らかい雰囲気だったのも業界自体が新しく若かったからだと思う。

 私自身は二輪業界でもホンダ・スズキ・ヤマハさんをライバルというよりは仲間と思っているところがあってカワサキの企画室長時代にも乗っていた車はアコード、ゴルフのクラブはヤマハ、娘に買ってやった50ccバイクはスズキだったのである。一般にはカワサキの関係のあるトヨタ・マツダ・いすゞなどのクルマを選ぶのが一般的なのかも知れぬが、それよりも二輪業界の仲間と一緒にとホントにそう思ってしまうのである。

 当時のヤマハの三浦さんなど関係のあった方とも、ホンダさんとも、スズキさんとも親しかったし、私が現役を退任した時にはヤマハさんからご餞別を頂いたりしてホントに恐縮したのだが、そんなお付き合いが出来たのはよかったと思っている。

 正直・誠実・勤勉  誠実・互譲・協力 というかっての川﨑航空機の社是とその執務態度の教えは、私は心からいいと思っていて、その通りに動いているのである。

 

★ 私自身は、どんな方とでも気さくに同じようにお付き合いができるのが『自分の特技』だと思っていて、超有名人だった岩城さんなどともトモダチのように自然なお付き合いができるのである。

岩城さんから見るとカワサキの国内販社の専務取締役の肩書は結構よく見えるのか? ご自身が仲人をされたジェットスキーライダーの前田一竜さんの結婚式には主賓でお呼び頂いたりしたのである。そういえば、ジェットスキー関係で大変お世話になった大南勝也さんの結婚式にも主賓で参列させて頂いたりしたのである。

 そういう意味では、いろんな人にお世話になるジェットスキー・レース・イベントなどには福井昇くんに、既に社外の人なのに身内以上にお世話になったし、今回のこのカワサキジェットスキー物語も、もう30年近い空白期間ののち松口久美子さんに遠慮なく手伝ってもらえるのが、私の取り柄だと思っている。

 

★こんなジェットスキー事業の国内展開だったのだが、JJSBA設立10周年となる93年度には、88年にソウルオリンピックで世界展開をしてくれた鶴谷将俊さんが、今回は日本の琵琶湖近江舞子を舞台に JJSBAワールドカップを開催することになり、その前夜祭には岩城滉一さんも急遽出席してくれたりして、盛大に開催する運びとなるのだが、そのお話は次回に譲ることにする。

 前夜祭から出席して頂いた田崎雅元さんがいろんな写真を送ってくれているのである。 

      

  

 

 その話は次回に譲るのでお楽しみにして下さい。  

     

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Shinya Kadono の挑戦

2019-01-04 05:20:28 | 発想$感想

★今年にアメリカの娘のところの元旦は、ジョンウエイン空港での初日の出を迎えたようである。

 

      

 

MSL Conbine のためにフロリダに旅立つ真也を空港に送ったのだという。

 

      

 

MSL 2019  players COMBINE とはどんなシステムなのか、もう一つよく解らない点も多いのだが、ネットで検索するとこんなページが並ぶのである。

 

 

  60 players from universities in the United States and Canada were invited for the Combine, scheduled to take place from Jan. 3-9 at Orlando City Stadium in Orlando, Fla. Prospective selections in the 2019 MLS SuperDraft will have an opportunity to play scrimmages for scouts of all MLS teams, as well as go through various tests and speak to interested teams ahead of the SuperDraft, which will be on Jan. 11 at McCormick Place convention center in Chicago. 2019 Expansion team FC Cincinnati will have the top pick in the SuperDraft.

More players will be added to the list of MLS Combine invitees ahead of the event.

 

アメリカとカナダの大学から60名の選手が招待されて、3日から9日まではフロリダで、いろんなテストや、サッカーの実技の試合などもあって、1月11日にシカゴでSuper Draft があって、プロサッカー選手への道を登って行くということだと思う。

 

 

 今朝 Tad Kadono がこんな情報をFacebook にアップした。

    

 

 

★ 昨年の新春には二人揃って三木に遊びに来て米田和彦さんに誘われて、フットサルチームに入れて貰って汗を流した仲である。

 

  

 

 翌日も防災公園で、昔の仲間たちとサッカーをして遊んでいた。

     https://www.nicovideo.jp/watch/sm32555128

 

       

   

 

 ちょうど1年経って、二人ともBerkeley 大学から、60人の枠に入れてよかったなと思う

でも、ホントにこのあと10日間ほどで結果も解るのかも知れぬが、昨日朝、電話があってこんな話を聞いてるとホントに大丈夫かなと思ってしまう。今回の遠征は飛行機代もホテル代もMSL持ちで最高級のホテルに泊めて貰って晩飯が豪華だったと喜んでいるまだ、子供のような真也である。

家内との会話だが、おばちゃんは、いつまで経っても子どもの頃の孫と同じだと思っている節がある。

サッカーの話などは、ちょっとだけで、ホテルのデイナーの話など延々と話していたのだが『はしょって、はしょって』こんな感じなのである。  まあ、聞いてやってください。

      https://www.nicovideo.jp/watch/sm34419832

       

    

 

 

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年賀状  雑感

2019-01-03 09:57:36 | 発想$感想

 

 ★日本郵便の年賀状を出さなくなって5年目になる。

 今年も何枚かの年賀状は頂いた。

 かっては全て手書きの筆書きで100枚ほど出していたのだが、2013年に母が亡くなって、喪中はがきを印刷で発送して以来、年賀状を書くのを止めてしまったのである。

 なぜか、印刷して葉書を出したりするのはどうも性に合わなくて、転勤のご挨拶なども印刷では出したことがないのである。それが喪中はがきを出したことで、途切れてしまったので、年賀状を書く気持ちがなくなってしまったのである。

 

それ以来は、手書きしたものをコピーして、ブログやFacebook で、年始のご挨拶をするようにしたのである。

 

  

      

 これが今年のFacebook での年賀状で、200人の方から「いいね」を頂いたし、86件のコメントも頂いて、そのすべてにご返事をさせて頂いたのである。200人の方の内現役時代からのお付き合いのある方は50人ほどであとは退職後お会いした方たちなのは改めて自分でもびっくりした。

 

 

★ 現役時代の旧友の一人である田崎雅元さんからは、メールでこんなご挨拶を頂いた。

古谷さん

ブログ年賀状、拝見しました。相変わらず達筆ですね。

 私からも年賀状を添付します。6年振りにゴルフを始めました。 垂水のサタデー会に参加します。

 本年も GOOD TIMES を ROLL しましょう!

 

   こんな 絵柄が貼り付けてあった。

      

 

 ★人間、一度途切れたものを復活するのは、ムツカシイものである。

 かっては1枚1枚このように100枚ほど書いたし、相手によってその文面も変わっていたのである。

 

         

 会話とは常に相手がいるし、相手によってその内容は変わって当たり前だと、理屈でそう思って続けてきたが、手書きで100枚筆で書くのは結構大変で、一度途切れたら、もう続かなくなってしまった。

 

 それでも翌年から再開したネット上の年賀状は、ブログでこのようにアップした。

    https://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/3826253a9d1197aedda0f11bf9fdf49d   

 

   今と比べると自筆で沢山書いている。

 

     

     

 最後のくだり

3月には81歳になります。盤壽を迎えて今年から歳を逆に数えることにしました。81歳は18歳、82歳は28歳、青春真っ盛りです。夢を持って88歳まで生きることを目標に気分一新頑張ります。』

  忘れていたがなかなかいい発想である。86歳を迎える今年は68歳である。

 目標の88歳までは、何とか持つかも知れないと思うようになっている、新春である。

 

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