雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

春も近いな

2023-02-13 06:02:31 | 発想$感想

 急に暖かくなって、もう春もそこまで来ているような気もするのだが、
 また寒波が戻るという天気予報である。

 でももう本当に春も近いのかなと思うのは
 こんな梅の花からも感じられる。

 
 



 神戸の丹生山もそんな雰囲気だし、






 三木の工業団地も何となく春めいているようにも思われる。






 何となく田舎の風景だが、
 見えている風景は三木ではなくて神戸市なのである。
 神戸市は延々と三木市と繋がっているのだが、
 不思議なことに街らしい風景が三木で、田舎ぽいのは神戸市なのである。







 毎朝来てる公園は三木総合防災公園で、
 近代的な公園だが、間違いなく三木市の公園なのである。

 そんな神戸市にも三木市にも
 もうすぐ春はやってくる。


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マスク   雑感

2023-02-12 06:17:48 | 私の生き方、考え方&意見
★ 政府は新型コロナウイルス対策のマスク着用について、3月13日から新たな指針を適用し、
屋内外を問わず個人の判断に委ねる方針を決めたという。
3月13日以降、日本独特のこんなマスク姿はどうなって行くのだろう。

世界の中でこんなにマスクをしているのは、日本だけかも知れない。
これは日本独特の不思議な現象と言えるだろう。

日本では「マスクを外す時期」は二度と来ないかもしれない!?と
この記事には書かれている。

 

★ コロナが発生してもう3年にもなるが、
 私自身はこの3年間、殆どマスクをしたことがない。
 マスクをするのは病院に行くときと、週に1,2回家内の買物に付き合う時ぐらいで、
 毎朝2時間ほどの公園での散歩時はマスクをしたことがない。
 最近行きだしたジムも器具の間には仕切りがあって、運動中はノーマスクでOKなのである。
 そんないい環境と、殆ど人とは会わない高齢者の生活環境だからこんな状況なのである。
 
 ホントか?と思われるかも知れぬが、
 この3年間で私のマスクを使った数は10枚ぐらいかも知れない。
 若し、それが大袈裟だというなら、間違いなく20枚は使っていない
 家では一切マスクをしないし、車の中には3枚ほど使ったマスクがあって、
 外に出てどうしても必要な時にはそれを使うのだが、
 1日にマスクをしない日のほうが圧倒的に多い生活環境なのである。


★それにしてもこんなに多くの人がマスクをしているのは、世界で日本だけかも知れない。
 どうも日本人はマスクが好きである。
 殆どの人がマスクをしていて、着用していないは0.8%である。

 


  マスクを着用する理由はこんなことらしいが、
 日本人は世間一般の慣習には素直に従うようなところがあって、
 アメリカのように自己責任が主の社会ではないのである。
 
 

★マスクについてこんな記事もあったので、ご紹介しておきたい。
日本人を「マスク信仰」に駆り立てる「6つの要因」はこんなことのようである。

(1)日本人の徹底したリスク回避志向
(2)日本人は「目」で、欧米人は「口」で表情を判断する
(3)日本語の「周波数」により、英語ほどには発声も聞き取りも難しくない
(4)アメリカと日本での「マスクの象徴」の違い
(5)花粉症や感染症対策における「慣れ」と「信頼感」
(6)「過剰な自意識」が働く、日本の“お家芸”「ザ・同調圧力」

 
マスクとは直接関係はないが、こんな「ランドセル」の記事もあった。
マスク着用」はランドセルに通ずる!?奇妙な文化は継続される
 ランドセルはマスクと同じく、「不可解な日本人」を象徴するアイテムだ。
 幼い子どもにあんな重いカバンを背負わせる国は日本だけだ。
 
日本人はこれまでも「どう考えても合理的じゃないからやめよう」ということを、ほとんどやめることができずここまでやってきた。
マスクも恐らく同じ道をたどるだろうと言われている。
 3月以降の日本の社会がどうなっているのか?
 興味のあるところである。
 私は3月以降は、マスクは多分しないだろうと思っている。



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雨の少ない三木市

2023-02-11 06:05:00 | 発想$感想

★全国的に雨で東京辺りは雪も降ったようだが、
 何故かこの辺りだけが、ホントに朝方ちょっと降っただけだった。

 
  


一応は雨雲も通ったのだが、午後からはほんの5分ほどパラパラと降っただけである。






 生まれ故郷の明石もそのちょっと北のこの三木も
 雨が少なくて年間の降雨量は1000ミリちょっとなのである。

 そんなこともあって、この播磨地方は
 日本で一番ため池の多くて、兵庫県のため池の数はなんと47,596ヵ所。
 2番目に多い県は広島県で20,910ヵ所だから、広島の倍以上なのである。

 
 地図で見ても池ばかりである。


 


★雨よりは晴れてる方がいいので、
 この辺りの自然環境は住みやすいと言っていいのだろう。

 最近の東北当たりの大雪情報など見るとホントに大変だなと思う。
 ずっと旧い話だが、仙台に4年いて当時の東北6県の冬も経験したが、
 今のようにはひどくなかったように思う。

 やはり地球の温暖化のせいだろうか?


 
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NPO 法人 The Good Times について  その2,基本コンセプト

2023-02-10 07:01:40 | NPO The Good Times

NPO The Good Times のネーミング The Good Times は、
 Kawasaki let the good times roll!というKawasakiの基本コンセプトから名付けられている。
 
 1973年のアメリカ市場で、Z1やジェットスキーが登場し、
 華々しく市場が拡大していた頃、カワサキの基本コンセプト「Good Timeコンセプト」は創られ発表された。


  

  
 
 アメリカで発想され、英語で造られているので、正式な日本語の訳はないのだが、直訳すると「カワサキはグッドタイムをどんどん転がしてゆく」で、
カワサキに出会う人達がはみんなハッピーになるような
企業活動を展開していこう、というコンセプトなのである。


★このコンセプトが発表された1973年は私は国内の大阪市場を担当していて41歳とまだ若かったが、
これを聞いた時「非常に感動した」のをよく覚えている。
ただ、このコンセプトはアメリカのKMCのコンセプトで、カワサキの二輪事業とは特に関係もなく、
何年か後にはアメリカ市場でも消え失せてしまうのである。
 
そんなことだったから、若しその後私が何も動かなかったら、
このコンセプトも世の中から忘れられてしまったかも知れない。
それから20年の後、私は国内市場を担当していて、7万台販売目標を当時の高橋鐵郎本部長とともに目指していて、
ほぼそれが達成できる目途が経った頃、
この Kawasaki let the good times roll! というコンセプトを国内市場で復活し、
高橋本部長が世界の二輪事業の基本コンセプトとされたのである。


   
   

 
 一時は川崎重工業の基本コンセプトになったこともあったのだが、
 その後消え失せてしまった時期(2009年)にこのコンセプトは何とか残したいとの思いから
 NPO法人The Good Times を立ち上げ、残していこうと試みたのである。


 


★それから更に10数年の時が流れて、
 一時は消えていたこのコンセプトはカワサキでも復活し
 今は独立したカワサキモータースジャパンの基本コンセプトとなったので、
 もう大丈夫だと思っている。 
 
 



★そんな私にとっては思い入れのあった「Good Timesコンセプト」だが、
 NPO 法人 The Good Times に出会った人たちは勿論
 私自身に出会った人たちも「ハッピーになるような活動や生き方をしたいなと思っているのである。


 
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バレンタインデーのチョコと恵方巻

2023-02-09 06:14:40 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 2月には私のコドモの頃にはなかったような風習が二つある。
 一つは「バレンタインデーのチョコレート」ともう一つは「節分の恵方巻
 どちらも旧い歴史があるようだが、
 私がそれを意識するようになったのは極く最近のような気もする。

恵方巻」も食ったし、昨日は家内から「バレンタインのチョコ」を頂いた。


 


バレンタインデーが盛んになったのは昭和30年代後半で、
昭和40年代には、女性が男性にチョコレートを贈るという、
現在の日本型バレンタインデーの様式も定着し始めたというのだが、
私の現役時代は、女性からチョコを貰ったような経験はなかったように思う。
少なくともチョコを貰いだしたのは家内からで、そも数年前からだと思う。

そんなチョコもいろいろあって、
こんなに高価なものもあるとは驚きである。


  



★節分に食うという「恵方巻」の由来・ルーツは?
 これもいろいろあるらしい。

  
 

節分に恵方巻を食べるという風習、恵方巻の起源・発祥にはさまざまな説があり、どの説が正しいのかはっきりとしたことは解っていないとか。
その諸説には結構旧い歴史があって、

●戦国時代・江戸時代の歴史が背景とする説
●江戸時代中期、節分の時期に香の物入りの巻き寿司を食べて縁起を担いだ
●「花街の遊びが恵方巻の起源」とするもの
●江戸時代後期から明治時代初期にかけて、商売繁盛・無病息災・家内円満などを願って食べられるようになったのが恵方巻の起源

などとあるのだが、少なくとも恵方巻を食いだしたのは、極く最近のような気もする。

恵方巻を誰が流行らせ、広めたのか」主要な二つの説とは
寿司、海苔業界が普及させた説
セブンイレブンがしかけた説は、「恵方巻」という名前をつけ販売をスタートし、1998年には全国展開を開始した。
というからその歴史はそんなに旧くはない。

★ いずれにしても私にとってはそう旧い話ではないのだが、
 今後は、生きてる限り「バレンタインデーのチョコ」も「恵方巻」も、
 2月になるとやってくる「いい出来事」のような気がする。



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Fit bit は重宝している

2023-02-07 17:45:39 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★アメリカの孫が買ってくれたFit bit だがなかなか重宝している。

 四六時中腕につけているだけで、私の生活のすべてを記録してくれるので、
 1日の生活設計にも役立っていると言っていい。


 

 

 世の中は進歩しているのだが、
 毎日の自分の生活の記録がこんなに詳細に現れるのは
 不思議に思うほどである。


 これが昨日の2月7日の記録だが、
 ちょっと頑張り過ぎだが、こんな記録になった。


 

 
 歩数は今までの最高の18835歩になり、
 その距離は13、5km
 アクテイブタイムも174分と3時間に近くなった。
 そして1日の消費カロリーは 目標の2500カロリーを越えて
 2944カロリーとなっている。
 
 流石に疲れて昼寝をしたら、2時間も寝てしまって
 睡眠時間は9時間になった。 

  

  肝心の消費カロリー28日間の平均が2471カロリーであと一息で
  2500カロリーになる。
  そうなるように頑張ってみたい。「

  これだけ動いても体重はあまり変わらないが、
  諦めずに頑張ってみよう。
 
★今日はジムに行く日なのだが、
 不思議なことにジムで筋トレをした日の消費カロリーはいつもに比べて
 減ってしまうのである。
 ジムでのトレーニングなどは筋肉は付くが運動量としては少ないようで、
 やはり動き回るほうが、消費カロリーは多いようである。

 そんなことをいろいろ考えながらの私の毎日の生活だが、
 最近は、こんなことしかやることがないとも言える。

 早く春が来て、庭仕事がやれるのが待ちどうしい。 



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NPO 法人 The Good Times について  その1,ホームページと訪問者数

2023-02-07 06:27:31 | NPO The Good Times

NPO 法人The Good Times2009年6月のスタートで、
 初代理事長が務め、山本隆さんが引き継いでくれていたのだが、
 今回、このNPO法人の理事長新しい方に継承することになっている。

 3月25日の神戸ベンチャー研究会で、その「事業継承」に付いてお話することになったので
 改めていろいろと私なりにチェックしているので、
 私自身のメモのようなものだが、このブログにいろいろ纏めておきたいと思っている。

 このThe Good TimesというNPO法人は大袈裟に言えば
 世界で唯一の他に例がない珍しいNPO法人と言えるかも知れない。
 この法人にとって活動の主体の一つがホームページだとも言えるのである。
 
 




  

★ そんな中で特徴の一つとも言えるのが
 毎日のこのホームページへの訪問者で、
 どんな方がご覧になっているのかは定かではないのだが、
 毎日20人以上、スタート以来14年間で「延べ130500人」もの方が
 このホームページを訪れているのである。

 こんなホームページで、その右上の訪問者のカウンターが付いていて、
 毎日の動きとその累計が解るようになっているので、
 ご関心のある方は覗いて、確かめてみて欲しい。
  
 
 一般のホームページは世の中に多く存在するのだが、
 大体どれくらいの訪問者があるのだろうか。

   
★ このNPO法人は、団体会員個人会員で成り立っていて
 約100団体が参画し、その傘下の会員数は1万人にもなろうとしている。
 そんな傘下の団体会員の活動などについて、ネット主体でいろいろとご紹介するなどして、団体会員の活動を補佐しているのである。
 ごく最近では昨年11月17日に開催された
 「カワサキZ50周年記念祭」にはNPO The Good Timesが協賛したし、
 その運営の主体は団体会員の一つであるKAWASAKI Z1 FAN CLUBとその会員たちだったのである。

  
  

★今年の4月以降は新理事長に継承されて、再スタートするのだが
 こんなブログに連載で纏めておこうと思ったのは、
 今後はこのNPO法人の理事でもあり、
 神戸ベンチャー研究会の主宰者でもある兵庫大学教授の松本茂樹先生なども
 今後の活動の主体になるのではとも思われるので、
 3月の神戸ベンチャー研究会でお話すると同時にその細部をこのブログで残しておきたいと思っている。
 その第1回目は訪問者数のカウンターである。
 いつの日にか20万人にもなって欲しいと思っている。  

 
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体重1kg減った

2023-02-06 06:37:58 | 発想$感想

★ 毎日1時間半ほど運動をしてるのだが、一向に体重は減らない。
 消費カロリー>接取カロリー にならないと減量しない理窟なのだが、
 歳の割によく食うからダメなのだと思う。

 そんなことで一念発起「消費カロリー」をより上げるべく頑張ってみた。
 2月4日の運動量である。

 歩数           14,370歩
 アクテイブタイム     105分
 距離           10,58km
  消費カロリー        2948 カロリー

 と記録された。
 2時間ほど動いていたが、その間のアクテイブタイムが1時間45分。
 歩数にして14370歩、距離は10kmを越えた。
 その結果の消費カロリー2948カロリーになったのだが、
 これだけ消費したら、流石に1kgほど減量した。
 
 


 この28日間の消費カロリーの平均が2423カロリーだから、
 それでも体重が減らないと言うことは
 毎日2500カロリーほど食っているということなのである。


★ 解り切った話だが、食う量を減らせばいいのだが、
 食糧難時代の戦後育ちは「口卑しくて」食う量を減らすのはなかなかムツカシイのである。

 そんなことで動く量をふやしたら1kg減ったのである。
 消費カロリーを増やしたら減ることが解ったので、頑張ってみたい。
 
 今朝はこんな道をスタートして
 


 
ビーンズドームのほうに向かい




 更に坂を上って




 その先にある林間広場でダッシュなどして
 戻ってきたら



 その記録は大体昨日と同じ数値になった。
 歩数は13742歩、距離は10km、アクテイブタイムは2時間、
 消費カロリー2751カロリー目標2500カロリーを越えた。
 最終幾らになるか楽しみである。

 





 今日はジムに行く日だが、
 歩数は減るかも知れぬが「消費カロリー」がどのようになるのか?
 目標2500カロリーを越えるように頑張ってみたい。



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人生いろいろ 運かな

2023-02-05 06:52:36 | 発想$感想

★ もう2月になった。
 3月になると90歳になるので「80歳代もあと1か月」である。
 お陰様で私自身は80歳代を元気に楽しく生きてこられたのだが、
 
 80歳になった3月2日は、華々しい幕開けだった。
 ホントに突然だったのだが、
 その日の朝8時に、稲田三郎さん80本のバラの花束をわざわざ家までお持ち頂いたのである。
 個人的に花束を頂くのは初めてのことだったし、まして「80本の薔薇の花束」である。
 その日のブログにこのように書いている。





 そしてその日は、
 京都であった「マウンテンライダースの50周年記念パーティ」でも
 小島松久さんから誕生日のお祝いにと花束を頂いた。




 そんな華々しい80歳代のスタートだったのだが、
 この10年間、私自身は至って元気に過ごしたのだが、
 ある意味、仕方のないことだが多くの人とのお別れがあった。

 私が80歳まで生きてホッとしたのだろうか、
 この年の5月に母が103歳で逝ってしまった。
 80歳になった時、花束を頂いた稲田三郎さんも私より20年近くお若いのに・・・・
 カワサキ時代のレース関係で親しかった
 安良岡健・金谷秀夫・岡部能夫・歳森康師・金子豊などもいなくなってしまった。

 本当に残念で悲しいことなのだが仕方のないことかも知れない。


★ 人の人生はいろいろである。
 私など20歳代の時肺浸潤になって、
 それでも野球を続けていたら、肺に空洞が出来てしまって、
 長くは生きられないなと思って書き始めた日記が今も続いている。
 そのほかにも68歳の時に「くも膜下」になってもうだめかと思ったら、生き返った。
 85歳の時には風呂で失神して死にかけたが、意識不明の状態からこの時も生き返った。

 こんなことを経験しているのだが、人の人生=運 だなと思っている。
 つい先日も「私の人生ツイている」というブログをアップしたが、ホントに「ツイている」のである。

 前述したように3度死にかけているのだが、
 3度とも周囲の人が上手く援けてくれたのである。

● 肺結核で空洞が出来てた時は、それでも野球を止めなかったのだが、
 診療所の先生にユニホーム姿を見つかって強制的に療養所に入れられたら、
 1年で空洞が消えてしまったのである。

● 「くも膜下」で倒れたのは、札幌の警察署の本庁だったので、直ぐ救急車が来て、
 専門医が30人もいるこんな立派な脳外科専門病院に10分後には運ばれたので、手術もせずに元通りに元気になった。
 その時の先生曰く「ほかの病院なら手術をしただろう。非常にムツカシイところが切れてたので、手術をせずにということは会議で決めた。」と。
 ホントに運が良かったと思う。
 
   
    


● そして3度目の風呂での失神の時には、運よく娘と孫がアメリカから遊びに来ていて、孫が風呂から引き揚げてくれたのである。
 家内と二人だけだったら、果たしてどうなっていたのか?
 
 
★ そんなことで、とうとう90歳まであと1か月、何とか90歳は迎えられそうである。
 
 わが家系祖父も伯父も早死にで、みんな50歳代に亡くなってしまったので、男は早死にだとずっと思っていたのだが、
 祖母は102歳、母は103歳まで生きたので、そのDNAを運よく受け継いでいるのかも知れない。

 60歳代までは、健康的なことは何もしなかったのだが、
 70歳代からストレッチを、後半からはダッシュを始めて
 80歳代はずっと運動は続けたので今はホントに調子がいい。

 こんなことが自由に出来るのも、
 家の中のことはすべて家内がやってくれるので、
 私は自分のことと庭だけ見ていればいいのである。
 家内は今年7月には86歳になるのだが、家内が元気でいてくれたら、
 私も心配せずに長生きが出来そうなのである。
 そんなことで100歳を目指すことにするか?
 
 
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昨今の高校球児への対応   雑感

2023-02-04 05:52:03 | 私の生き方、考え方&意見
私の生き方。考え方・意見

★ 昨日だったか朝日新聞にこんな記事が出ていた。

 日本高校野球連盟と朝日新聞社は、運営委員会を開き、
 ベンチ入りの人数20人に統していく可能性を示した。  
 ベンチ入り制限は14人に始まり、78年に15人、94年から16人、03年から18人と増やしてきたようでる。 
 大会は17日間で開催、休養日は3回戦の2日目と、準々決勝、準決勝の翌日の計3回設ける。  
 全試合でクーリングタイムを設定、従来のグラウンド整備時間と合わせて10分間、体の冷却など暑さ対策にあてる。

 などとある。
 昔と違って高校球児への対応・配慮なども変わったものである。

 私の感想を一言で言うと「甘やかしすぎ」である。

   
 
 
 野球というスポーツは練習は兎も角試合は、ホントに「楽なスポーツ」である。 
 サッカーなどと比べると雲泥の差で、ピッチャーを除いてはホントに
 汗もかかないような楽なスポーツだと思う。
 だから、プロ野球などは毎日でも出来るのだと思っている。

 昨今は「すべて甘やかしすぎ」だなと思ったりする。
 野球の質が変わったからベンチに入る人数を増やす方向は納得だが、
 その他の休憩などはやり過ぎだと思う。
 なぜ、こんな発想になるのか? 不思議に思ったりする。 

★ 昭和25年(1950)当時だからもう70年以上も前の話だが、
 私も当時は名門と言われた明石高校で野球をやっていた。
 今の球児たちと比べると、体格も技術もずっと劣るのは間違いないが、
 精神的には無茶苦茶強かったし、自らを痛めつけるような練習だった。
 今では考えられないと思うが、夏の練習中も水は一滴も飲めなかった

 今と違ってピッチャーはひとりで9回を投げぬくことが基本だったし、
 全く「甘やかす」ようなことはなかった。
 明石中学と言えば、甲子園で中京商業25回戦を戦い抜いている。
 その当時の先輩たちの指導だったから「厳しくて」当たり前だった。

 そんな高校時代を想い出して、今でも「それなりによかったな」と思っている。
 人生で厳しいことには何回も出会ったが、そんなに厳しいとは思わなかったのも、高校時代の練習を経験したからだと思う。
 

★ これは昭和25年(1950)夏の大会の入場行進の写真だが、全員で14人である。

 私にとっても懐かしい1枚だが、75年も経つと
 ここに写っている人で、現在この世にいるのは、
 この夏の予選で、灘高を相手に「完全試合」を達成した、
 同期のピッチャー溝畑圭一郎だけになってしまった。

  
  


 その「完全試合」も試合が終わって放送でそれが告げられても、何のことかよく解らなかったそんな時代だった。
 世の中はホントに変わるものだが、昔はよかったなと思っている。



 
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免許更新 と 安全運転

2023-02-03 06:43:37 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨日は明石の運転免許更新センターで「免許の更新手続き」をしてきた。


  
   

 
 受付時間は9時からのはずだが、8時50分にはいっぱいの人だった。
 高齢者の更新は事前講習を受けているので、
 講習などはないから30分ほどで新しい免許を頂いてきた。

 9時ごろには、あれだけ込み合っていた会場だったが
 講習を受けておられるので9時半にはこんなに空いている。
 この時間に来たらもっと短い時間で済むのか知れない

   
  

★新しい免許は「2026年4月2日」までの有効期限なので、
 若しそれまで生きてたら93歳になっている。
 私自身は至って元気なので「の運転」も自信があるのだが、
 世の中では高齢者の事故が多発しているので、
 運転するのはいいが、本当に気を付けないといけないと思っている。

 「の運転」は好きだったし、仕事の上でも鈴鹿サーキットに行ったり、
 東北6県や北海道を担当したこともあって、
 1日200キロぐらいの走行は珍しくなかったし、
 仙台から明石まで車で往復したりしていた。

 そんな若い時分は、結構「飛ばしたり」もしていたのだが、
 最近は、長距離を走ることはないし、街中の走行ばかりなので、
 本当に「安全運転」を心掛けている。
 長距離を走るときは早く走るとそれなりに早く着くのだが、
 街中の走行は飛ばしても、ゆっくり走っても信号があるので、
 殆ど時間は変わらないことを実感していて、
 ホントに飛ばしたりはしなくなった。
 
★昨年の10月から中古だが車を新しくしたら、 
 ガソリンを節約するために惰性走行を主として走る「ECO PRO」という機能が付いていて、
 
 惰性走行とは車両はアイドリング状態で進み、燃料を節約します。
 惰性走行は「ECO PRO」機能の大きな役割のひとつとなります!
 「ECO PRO」スイッチを押すことで、惰性走行が自動的にオンになります。

  とあって、惰性走行した累積距離が表示されることになっている。
 この累積距離はガソリン補給をしたら「0km」になってしまうようで、
 ガソリンを満タンにして、次回ガソリンを補給するまでの「累積距離」が出るような仕組みなのである。

    
  
 
 
こんな仕組みも解ったばっかりで、前回はガソリン補給をしたら「0km」になったので、今回はガソリンがなくなるまで、そのままで走ってみようと思っている。
 因みに現在はガソリン状態はまだ75%残っているが、
 惰性走行の「累積走行距離」 8.4km になっていてこれが果たして何キロまで伸びるだろうか?

 

 
 こんな運転に興味を持ってチャレンジしている限りは
 静かな安全運転だから、高齢者には非常にいいシステムだと思っている。

 今回の車のBMWにはこれとは全く逆の「スポーツ走行」の機能も付いているのだが、これは今のところ全く使うことはない。
 
★今日からは「新しい運転免許」である。
 今のところずっとゴールド免許なので、
 今回も無事故・無違反に勤めて、
 出来たら94歳からも新しい免許を取りたいなと思っている。
 

 
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1日の消費カロリー目標・2500カロリー

2023-02-02 07:12:27 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 殆ど毎日が同じような繰り返しなのだが、
 毎日午前中は1時間半ほどの運動は続けている。

 昨年はもっぱらスロー・ジョッギング1万歩を目標に歩いていたのだが、
 最近になってジムにも行くようになったし、
 速歩なども取り入れたり種目が増えたので目標の建て方が難しくなった。

 そんなことで考えたのが「1日の消費カロリー2500」としようと思っている。
 なぜ2500カロリーにしたのかは、
 こんな表など見ると90歳の高齢者にしては
 「2500カロリー」は結構高い目標かなと思ったのと、




 この1か月の平均が「2442カロリー」だから
 「2500カロリー」は妥当な目標かなと思ったのである。

  
 

  Fit bitを腕に付けてると自然にこんなデーターが記録されるので重宝している。


★ そんなことで今日は8時半からジム1時間筋トレをした後
 隣の三木山森林公園のこんな山坂を歩いてきた。

 
 

 普通の高齢者には、ちょっと厳しいかも知れぬ坂道だが、
 こんな坂道を歩いたら、いま6880歩ぐらいになってるから、
 多分今日も2500カロリーはクリアできるだろう。

  


★ ただ体重は全然減らなくて、筋トレをやると筋肉が増えるのか、
 逆に増え気味なのだが、秤に出る年齢は78歳といい値が出るので、
 気分をよくしている。

 目標の消費カロリーが2500を維持できても、
 体重が減らないのは、「まあいいか」ということにしたいと思っている。
 2月に入ったが、この1か月でどんなことになるのだろう。


 
 
 
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私の人生ツイている

2023-02-01 05:47:56 | 私の生き方、考え方&意見

★ 人にはその人にツイている運勢みたいなものがあるのだろうが、
 私の90年にもなろうとする人生はホントに「ツイている」と思っている。

 モノは考えようで「ツイている」と思うか「不運だ」と思かは紙一重なのだ。
 いろんな人生での出来事があったが、
 私の場合は「みんなツイていた」と考えて生きてきた。

 手相などが当たっているのかどうかはよく解らぬが、
 私の「運命線」は非常にはっきりと中指に向かって一直線に伸びている。
 だから運がいいのだと信じ切っているのである。
 物事は楽観的に「いいように」考える方がいい。

●私の人生など悲観的に考えると全然「ツイていなかった」のかも知れない。
 あの大東亜戦争で朝鮮を主力にしていた事業は全部ゼロになって、
 一家の全財産を残して一人1000円だけを持って引き揚げてきた。
 中学1年生の時だが、それまでの豊かな生活が一変したが、
 それから始まった新しい生活が珍しくて結構自分では楽しめた。

●大学4回生の時は不景気で就職も難しかったのだが、
 たまたま肺浸潤にもなったので1年卒業を延ばしたら、
 翌年は神武景気になってコネで川崎航空機に入社できた。

●入社して最初に目に留まったのが今の家内である。
 入社のコネは伯父の友人だった当時の川崎航空機の社長さんだったが、
 その方が「医者の娘さんを」と紹介されたのだがお断りして、
 家内と結婚した。
 

★40年間の「会社生活」では、不思議なほど新しいことばかりで「引き継ぎ」をしたことは一度もない。
 だから「会社の生活」は全く自由に「自分がやりたいこと」がやれて、
 「毎月お金が頂ける」いい会社生活だったと思っていた。

 ごく最近のネットの投稿に使った写真だが、 
 このマシンについてもめちゃ運がよかった。

 1993年の鈴鹿8耐カワサキに初優勝をもたらしたのが
 「伊藤ハムレーシング・カワサキ」の「ZXR-7」と、
 ライダーのスコット・ラッセルとアーロン・スライトである。
 この年も、誰もカワサキが優勝するなどとは思っていなかったのである。


 

  
 その証拠にマシンのスポンサーもなかなか付かなくて大変だったのだが、
 たまたま「イトーハム」には私の知人もいたので、
 「イトーハム」に無理やりお願いしたのである。
 「イトーハム」もレースのスポンサーなどするのは初めてで、
 カワサキに丸投げだったので、
 このカラーリングも含めてみんな勝手に作り上げたのである。

 1933年8月25日、あれほど難しかった「鈴鹿8時間耐久」での優勝が実現した。
 日本人ペアの最高位も北川・塚本組が取れて、
 その夜、イトーハムの方たちと鈴鹿で祝杯を挙げている。
 優勝が実現してみるとホントに「あっけない出来事」で、
 これも「ツキ」かなと思ったりする。

 
★ 物事はムツカシイこともあるのだが、
 「なんとかなる」と楽観的に考えてやってると「なんとかなる」ものである。
  そして、どんどん道が開けてくるから不思議である。
  ごくごく最近の話ではNPO 法人The Good Times などはその典型で、
  もう理事さんたちも歳をとってしまったし、今期で止めるかと思ったら、
  突然、藤本喜子さんから「引き継ぎたい」との申し出があって、
  昨日は兵庫大学の松本茂樹先生から、
  先生が主宰されている「神戸ベンチャー研究会」で、
  「NPO The Good Times の事業承継について」話をすることを頼まれたのである。
  何か、どんどん「いい方向」に物事が転がって行くのである。

   
  
   

 これを契機に「NPO The Good Times」が新次元で活動できるように、
 その内容について自分なりに対策を考えてみたいと思っている。
 NPO The Good Times をスタートさせたのは2009年6月のことで、
 私にとっては定年後の「大事業」だったのだが、
 どうやら「消え失せる」ことなく「発展の方向」になる可能性もある。
 松本茂樹先生も NPO The Good Timesの理事さんのお一人なので、
 今後はより積極的に関わって頂けるものと思っている。

 私にとっては NPO The Good Times のシステムは、
 会心の出来で現役時代の会社の仕事の集大成だと思っているので、
 私なりに、確り考えて新しい仕組みを採り入れたいと思っている。
 今後、3か月ほどまた充実した日々が待っていると思っている。

 ホントに私の人生、最後までツイているなと思っている。


 

 


コメント
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