可部線の廃線路をモチーフにショートフィルムがあるとは知りませんでした。
ショートフィルム[dead track(廃線路)]
短編映画『dead track(廃線路)』出演:難波香織監督:吉松幸四郎ロケ:可部線廃線路
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筒賀駅には駅舎があり簡易委託駅で、車内発券端末で乗車券を発売していた。改札口を抜けると階段で築堤に登り、上り線(北側)を渡り西側からホームに上っていた。当初は交換設備を使用していた島式ホーム1面2線を持つ地上駅。
今は写真の様に何もありません。線路跡は遊歩道に変わり国道まで整備されつつあります。
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香草駅のホームへは駅の北側にある加計町道から入るようになっていました。地上駅で無人駅、駅舎はなく、線路の東側にあるホームの上に待合所があるだけだった。写真の様に待合室とホームが残っている。
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地上駅で無人駅、駅舎はなく、線路の北側にあるホームの上に待合所があった。自転車置き場跡が今もあります。現在は、線路が走っていた築堤が、少し残っているものの、線路・ホーム・駅舎は跡形もなく撤去されてので場所が判り難くなっています。僕も畑仕事中のご老人に伺って場所が特定できました。
左の小屋までホームがあったとの事
道の駅 機関車の遊具
道の駅にて
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高い築堤上にあった高架駅。1面1線の単式ホームのみ無人駅で駅舎はなく、線路の南側にあるホームの上に待合所が、ホーム下には写真の様に小さな自転車置き場があった。
1988年(昭和63年)7月21日 - 未明に梅雨末期の集中豪雨により殿賀駅北側の江河内谷川上流で土石流が発生し、その付近だけで10人の犠牲者を出す。一方、JR可部線の築堤が砂防ダムの役割を果たし、殿賀駅より低い場所にある加計町立病院や . . . 本文を読む
単式ホームの、高架駅。無人駅で駅舎はなく、線路の南側にあるホームの上に待合所があるだけであった。国道からホームまでは長い階段を利用しないといけない。(写真)
駅のすぐ南側を国道186号(国道191号重用)が通り、国道186号の南側には太田川が流れている。
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山津波から由来する駅名と当時の平成12年)最大のヒット曲のサザンオールスターズの「TSUNAMI」に掛けて存続運動があった駅ですが、今はなんの駅跡もない状態です。桑田佳祐が津浪駅で歌うことはなかったのですが廃止の際には273(つなみ)人のTSUNAMI大合唱」を行ったとのこと。
現在も工事中でさらに何も跡形も無くなるでしょう。写真ある様に枕木がいくつか残ってるだけです。
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昭和44年(1969)7月27日の加計―三段峡の開業までは筒賀駅を名のっていたが、現筒賀駅が村の中心地に位置することから、そちらに筒賀駅の名称を譲り駅名の改称した田之尻駅は無人駅で駅舎はなく、線路の西側にあるホームの上に待合所がある1面1線の単式ホームのみを持つ地上駅であった。
現在、線路は撤去されたが、ホームと待合室は残っている。 待合室は閉鎖されておらず、廃線当時の時刻表がついたままです。 . . . 本文を読む
国鉄の敷設総延長が二万キロに達したのを記念して設置された「国鉄2万キロの標」です。
小さな記念碑の上に写真のように草に埋もれてしまってます。
「200000」の文字とレールのマークも薄く消えかかってますので、見たい人や撮影記録したい人は早くいかないと…。 . . . 本文を読む
坪野駅跡は、待合室、ホーム、線路はすべて撤去されている。さらに待合所の西南隅に階段があったほど盛り土手の線路だったが、今は盛り土を撤去し舗装町道として生まれ変わる工事の最中でした。
ここも田んぼで仕事している人に尋ねる事ができたので跡が確認できましたが、ふらっと行っても正確な跡はわからないと思います。
駅の西(三段峡方面)約500mのところに国鉄営業距離2万kmを達成したことを記念した碑(1 . . . 本文を読む
現状はホームと線路しか残っていません。
近くの方に聞いてココが駅跡とわかりました。駅表示板も何もなく、ホームを資材置き場として一部かりて利用させてもらってるとのこと。
時々、ボランティアの方が草取り清掃に来られるそうです。サイクリングロードとして再利用の話もあるそうです。 . . . 本文を読む
なにも跡がなく県道広島県道267号宇津可部線の一部となっているのが安芸亀山駅です。唯一、写真の錆びた手すりだけが残ってました。県道267号‐宇津可部線は、廃線跡より一段下がったぎりぎり太田川沿いを通っていたのですが、2004年の洪水で破壊されたので、代替道路として廃線跡が利用されているが現状です。 . . . 本文を読む
駅舎はなくホーム上に簡便な待合所が設けられているだけで、現在でも線路を含めて、ほぼそのままの状態で残されているが、駅名標は撤去され、待合所は閉鎖されている。駅附近には民家が密集しておりこの駅は路地裏のような場所にあった。 . . . 本文を読む
看板もなにもないくコンクリのホーム跡しかないので見つけるは少し難しかもしれませんが駅の真上を広島自動車道(中国横断自動車道広島浜田線)が通っているので、それが目標になります。
駅のある飯室地区と駅名の由来になった毛木地区は壬辰橋(じんしんばし、広島市道)で結ばれている。
実は僕もお散歩中のおじさんに場所を聞くことができたので駅跡を見つけることができました。 . . . 本文を読む