日本で初めて建設された本格的都城の跡です。
持統8(694)年遷都され、平城京遷都までの16年間、この地で持統、文武、元明の天皇三代が都としていました。
藤原京の規模は東西5.3km、南北4.8kmで、その中心部には藤原宮があったと言う事です。
この日は、耳成山の方から南に歩いて来ました。
海犬養門跡だそうです。
説明書きでは、ここは藤原宮の北面西辺の海犬養門のあった場所と言う事です。
小川に礎石が残っているとか。
藤原京跡の説明書きです。
藤原宮には、天皇の住まいである内裏や、天皇が儀式や政治を行った大極殿跡が残っています。
醍醐池の北側の花畑で、面積は約25,000平方mあるそうです。
この時期は、菜の花の黄色が一面に広がっています。
醍醐池です。
マガモが多く見られました。
ミノムシです。
さて、藤原宮跡です。
こんな碑があります。
宮跡から望む大和三山です。
北に見える耳成山です。
西に見える畝傍山です。
東に見える香久山です。
大極殿院閣門跡で、大極殿院と朝堂院を区切る門跡です。
朝堂院南門跡です。
朝堂院東門跡です。
朝堂院西門跡です。
これらの距離感から宮の大きさが分かります。
藤原宮跡の説明書きです。
宮は、およそ900m四方もあったそうです。
藤原宮跡の全景です。
昭和43年から歴史的風土特別保存地区に指定させているとあります。
近くには、藤原宮資料室がありました。
2階に展望室もあり少し高い位置から大和三山も望めました。
藤原京は、最近の調査研究によると、平城京や平安京を上回る規模だったとも考えられているそうです。
持統8(694)年遷都され、平城京遷都までの16年間、この地で持統、文武、元明の天皇三代が都としていました。
藤原京の規模は東西5.3km、南北4.8kmで、その中心部には藤原宮があったと言う事です。
この日は、耳成山の方から南に歩いて来ました。
海犬養門跡だそうです。
説明書きでは、ここは藤原宮の北面西辺の海犬養門のあった場所と言う事です。
小川に礎石が残っているとか。
藤原京跡の説明書きです。
藤原宮には、天皇の住まいである内裏や、天皇が儀式や政治を行った大極殿跡が残っています。
醍醐池の北側の花畑で、面積は約25,000平方mあるそうです。
この時期は、菜の花の黄色が一面に広がっています。
醍醐池です。
マガモが多く見られました。
ミノムシです。
さて、藤原宮跡です。
こんな碑があります。
宮跡から望む大和三山です。
北に見える耳成山です。
西に見える畝傍山です。
東に見える香久山です。
大極殿院閣門跡で、大極殿院と朝堂院を区切る門跡です。
朝堂院南門跡です。
朝堂院東門跡です。
朝堂院西門跡です。
これらの距離感から宮の大きさが分かります。
藤原宮跡の説明書きです。
宮は、およそ900m四方もあったそうです。
藤原宮跡の全景です。
昭和43年から歴史的風土特別保存地区に指定させているとあります。
近くには、藤原宮資料室がありました。
2階に展望室もあり少し高い位置から大和三山も望めました。
藤原京は、最近の調査研究によると、平城京や平安京を上回る規模だったとも考えられているそうです。