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コロナの試練に打ち勝つために

2021年12月07日 | 政治・経済
(世界の流れを変えていくためにすべきこととは)
今、「神仏の考え」について行こうとしている人が、地上では少数派になっているのですが、そういうときに意見を言う人がいれば、後(のち)の時代はそれで変わってくるのです。少数でも、意見を言い続ける人がいれば、世界の流れが変わってくるのです。

神仏の霊流(れいりゅう)を引く、その考え方を引くような民主主義には、「悪玉を取り除き、暴政を取り除き、専制独裁国家を崩壊させ、そして、多数の人たちが幸福になれる世界をつくるチャンスがある」とは思っておりますけれども、それが「唯物論の下(もと)に、あるいは医学や科学の仮説の下に、“いじれる”ような国になったり民族になったりしていく」なら、これは残念ながら、天変地異その他の反作用をいっぱい受けることになるだろうというふうに思っています。

(コロナ対策に見る国民や政治家へのメッセージ)
私としては、「オリンピックをやるために、緊急事態宣言のようなものをいっぱい出して、国民の生活を破壊したり、統制したり、監視社会をつくったりするぐらいなら、やめてしまったほうがよろしいのではないですか」と思っていました。

飲食店等の営業をやったらいいのです。午後八時でやめないといけない理由はないのです。休業をしなくてはいけない理由はないのです。生活があるのだから、やったらいいのです。

コロナに罹(かか)っても、風邪(かぜ)のように治る人もいるし、インフルエンザのように治る人もいます。重症になって死ぬ人もいます。それはしかたがないのです。

でも、働かなくては食っていけないのです。これは原則です。ですから、働かない人が死ぬのはしかたがないのです。働かない人に補助金を撒(ま)き続け、そんなものが続く国家など、どこの国にもありえません。ですから、働かなくてはいけないのです。

打ち勝てるかどうかは、試練です。一定の被害は出るとは思うけれども、自由には責任が伴うのです。責任が伴った自由を行使して、自分たちが「正しい」と思うことをやったらいいと思います。

だから、「飲食業界は全部駄目」とか、そんなのはやはり乱暴すぎる議論だと思うのです。コロナ時代でも、家のなかのやり方や換気とか、いろいろな改造をして、「うちは大丈夫です」ということをやるなり、あるいは、もう少し工夫をするなりして、自由を行使し、責任については取らなければいけないのです。

そういうふうにやるべきではないかと思っています。
そういうことですので、私は、「きれいごとだけの政治」はもうやめたほうがいいと思います。「厳戒令(げんかいれい)を敷(し)くような人が政治家として有能」というような評判が出るような時代は、とても怖いものなのです。

「国民の自由を圧迫するもの」に対しては、もっと警戒して、やはり警告を発するような国民でなくてはいけないと思います。簡単に屈服(くっぷく)するような、尻尾を巻くようなマスコミも情けないし、弱いとこばかりいじめるような、個人攻撃ばかりするようなマスコミも情けないと思っています。

特に、上のほうにいる人たちには、自分たちの時代に悪いことが続いているなら、「心を改める反省の行(ぎょう)」をすることを望みたいと思います。

---owari---
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