本日も 中島義道センセー著 人生に生きる価値は無い で在ります。
昨日は60ページくらいまででありましたが、本日はそこから90ページ程までを弄ってみたいと思う訳であります。
いや、やっぱし無条件で面白いです・・・ホント、とくに自分の事を書く時には下手な落語を文字で読むより何倍もおかしくて、声をこらえて読むのが苦痛になる程であります。
しかし、この哲学者のセンセーは酒が好きなんでしょうね・・・取り分けビールですか?
で、センセーは大の人嫌いかと思いきや、結構頻繁に、自分から率先して声を掛けて飲みに行く訳です。
ですが、飲みに行った先では毎度の事で馬鹿な奴らと来ちまったぜぃ、と、苛立ち、そして怒り、そして嫌悪感に打ち拉がれて参っちまっている訳です。
まっ、哲学者の大センセーにこんな事を言うのはアレなんですけど・・・センセー、学習能力低く無いですかぃ? 大衆と言いますか、大体がセンセーの目の前に居る人の大多数は・・・まっ、全部と言っちまいましょう・・・大衆は馬鹿なんですゼ・・・だから大衆でいられる訳ですから・・・それを自分から誘っておいて、やっぱし馬鹿しかいないんだわ、馬鹿と話ししてると疲れるんだわ・・・もー帰りてぇ~なんてのは身から出た錆どころか、あんたぁ~馬鹿じゃネェの?大衆と言うか、一般人と言うのはそう言うもんなんだよ、と、言ってやりたい気持ちでいっぱいになる訳です。
いや、編集者だの、大学生だの、カルチャーセンターの受講生だのって宣っても、所詮は一般人ですから・・・大衆ですから・・・そりゃぁ馬鹿で鈍感で無神経じゃなきゃ横並び精神の蔓延る娑婆じゃない生きて行けないんですから。
センセー・・・懲りない寂しがりや、と、おっさんは見ましたけれども。
それは・・・キレイな娘の居る店で呑んでいて、ホステス娘の馬鹿さに呆れて会話をしたくなくなり店を出たが、その足で口直しと称して新橋の大衆酒場で呑み直した言う辺りに伺えると思う訳です。
要するに、馬鹿を相手にしているのに自分は馬鹿になれない・・・それは恐れなんじゃないんでしょうか?
知らない世界と言いますか、他人の土俵なんで上がるのが怖いんじゃないんでしょうか?
小心者なんで自分の土俵から外れると途端に防御に入る(怒って嫌う)・・・ああ、それらしい事を自分でも宣っていますね。
で、新橋の大衆酒場に行く・・・けっして静かではないと思うんですが、知らない人の中にポツンといる安心感・・・おっさんは好きですから、ナンなと無く分る気がします。
「人間嫌い」と言う章が笑いどころであります。
普通にどこにでも居る常識的な良い人に対してセンセーの価値観で怒りを覚え、普通の人なら飲み込んじまう所を我慢できずに攻撃する訳です。
いや、センセーにブチ当られた方は青天の霹靂でありましょう。
まず、気の弱い人程自己保身の為に必要以上に常識的で良い人になる訳ですから、センセーの様な強烈な特異体質に斜め上からの攻撃を喰らったらひとたまりも無く潰されちまうと思う訳です・・・最悪は精神に異常を来すかも?
少なくても心に深手を負う事は想像に難く無い訳であります。
しかし、センセーは自分の怒りを素直に相手にぶつける訳です・・・ここには思いやりは無いのでありますが、しかし、その後時間をかけて和解する道を取っている所を見ると、やっぱし相手に追わせた傷の事は気になっているんだろうと思う訳です。
いや、確信犯なんでしょ? センセーは哲学者で文筆業と言う特権階級を手に入れちまっている事を誰よりも自覚しているんで、適度な暴れ方は世間が許すと言いますか、ある意味では期待していると事を知っていてやっていると思う訳です。
が、しかし、人間相手でありますから、思ったよりもひ弱な精神を持っている普通の人もいると思う訳で・・・この章の相手の女性に対しては読み違いがあったんじゃないか?と。
で、読み進んで思った事なんですが・・・前の章のひきこもりに対するアレコレは、殆どセンセー自身の事であるな、と、確信した次第であります。
センセーは哲学者で文筆業と言う社会から認知された席を得ていなかったら、たぶん、只の気違い扱いで終わっていた人でありましょう・・・気違いじゃないか?狂人か?
いや、只の偏屈おやじ程度かな?
社会に生きているのに、その恩恵の部分は絶対見ない事にして、都合の良い所だけを抜き出して文筆業のネタにしている狡さがとても良く滲み出ていますね。
で、もう一つ言わしてもらえば・・・所々で仏様の教えを何処かで齧っていやしないか?と言う匂いがする訳です・・・いや、表現が偏屈なんで素直に表面に出ている訳ではないのですけれども・・・あれっと思うと臭う訳です。
昨日は60ページくらいまででありましたが、本日はそこから90ページ程までを弄ってみたいと思う訳であります。
いや、やっぱし無条件で面白いです・・・ホント、とくに自分の事を書く時には下手な落語を文字で読むより何倍もおかしくて、声をこらえて読むのが苦痛になる程であります。
しかし、この哲学者のセンセーは酒が好きなんでしょうね・・・取り分けビールですか?
で、センセーは大の人嫌いかと思いきや、結構頻繁に、自分から率先して声を掛けて飲みに行く訳です。
ですが、飲みに行った先では毎度の事で馬鹿な奴らと来ちまったぜぃ、と、苛立ち、そして怒り、そして嫌悪感に打ち拉がれて参っちまっている訳です。
まっ、哲学者の大センセーにこんな事を言うのはアレなんですけど・・・センセー、学習能力低く無いですかぃ? 大衆と言いますか、大体がセンセーの目の前に居る人の大多数は・・・まっ、全部と言っちまいましょう・・・大衆は馬鹿なんですゼ・・・だから大衆でいられる訳ですから・・・それを自分から誘っておいて、やっぱし馬鹿しかいないんだわ、馬鹿と話ししてると疲れるんだわ・・・もー帰りてぇ~なんてのは身から出た錆どころか、あんたぁ~馬鹿じゃネェの?大衆と言うか、一般人と言うのはそう言うもんなんだよ、と、言ってやりたい気持ちでいっぱいになる訳です。
いや、編集者だの、大学生だの、カルチャーセンターの受講生だのって宣っても、所詮は一般人ですから・・・大衆ですから・・・そりゃぁ馬鹿で鈍感で無神経じゃなきゃ横並び精神の蔓延る娑婆じゃない生きて行けないんですから。
センセー・・・懲りない寂しがりや、と、おっさんは見ましたけれども。
それは・・・キレイな娘の居る店で呑んでいて、ホステス娘の馬鹿さに呆れて会話をしたくなくなり店を出たが、その足で口直しと称して新橋の大衆酒場で呑み直した言う辺りに伺えると思う訳です。
要するに、馬鹿を相手にしているのに自分は馬鹿になれない・・・それは恐れなんじゃないんでしょうか?
知らない世界と言いますか、他人の土俵なんで上がるのが怖いんじゃないんでしょうか?
小心者なんで自分の土俵から外れると途端に防御に入る(怒って嫌う)・・・ああ、それらしい事を自分でも宣っていますね。
で、新橋の大衆酒場に行く・・・けっして静かではないと思うんですが、知らない人の中にポツンといる安心感・・・おっさんは好きですから、ナンなと無く分る気がします。
「人間嫌い」と言う章が笑いどころであります。
普通にどこにでも居る常識的な良い人に対してセンセーの価値観で怒りを覚え、普通の人なら飲み込んじまう所を我慢できずに攻撃する訳です。
いや、センセーにブチ当られた方は青天の霹靂でありましょう。
まず、気の弱い人程自己保身の為に必要以上に常識的で良い人になる訳ですから、センセーの様な強烈な特異体質に斜め上からの攻撃を喰らったらひとたまりも無く潰されちまうと思う訳です・・・最悪は精神に異常を来すかも?
少なくても心に深手を負う事は想像に難く無い訳であります。
しかし、センセーは自分の怒りを素直に相手にぶつける訳です・・・ここには思いやりは無いのでありますが、しかし、その後時間をかけて和解する道を取っている所を見ると、やっぱし相手に追わせた傷の事は気になっているんだろうと思う訳です。
いや、確信犯なんでしょ? センセーは哲学者で文筆業と言う特権階級を手に入れちまっている事を誰よりも自覚しているんで、適度な暴れ方は世間が許すと言いますか、ある意味では期待していると事を知っていてやっていると思う訳です。
が、しかし、人間相手でありますから、思ったよりもひ弱な精神を持っている普通の人もいると思う訳で・・・この章の相手の女性に対しては読み違いがあったんじゃないか?と。
で、読み進んで思った事なんですが・・・前の章のひきこもりに対するアレコレは、殆どセンセー自身の事であるな、と、確信した次第であります。
センセーは哲学者で文筆業と言う社会から認知された席を得ていなかったら、たぶん、只の気違い扱いで終わっていた人でありましょう・・・気違いじゃないか?狂人か?
いや、只の偏屈おやじ程度かな?
社会に生きているのに、その恩恵の部分は絶対見ない事にして、都合の良い所だけを抜き出して文筆業のネタにしている狡さがとても良く滲み出ていますね。
で、もう一つ言わしてもらえば・・・所々で仏様の教えを何処かで齧っていやしないか?と言う匂いがする訳です・・・いや、表現が偏屈なんで素直に表面に出ている訳ではないのですけれども・・・あれっと思うと臭う訳です。