じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

アフタヌーンの独り言

2015-10-20 14:46:33 | 日記的雑談
いや、午後の独り言のタイトルを使っちまったんで少しひねってみました。

ところで、突然ですが・・・貴方は「お浄土」を信じますか?
まっ、正式な仏教の教義・・・浄土信仰なんぞの話は知らなくても、あの世とやらが有って、話に聞くには良い所らしい、なぁ~んて事は知っていると思うんですが・・・ドーでありますか?

いや、昨夜婆さんが亡くなった訳です・・・まっ、私が生まれる前から自分ちに居た一番古い女なんですけれどもね、それは父の連れ合いでもあるんで、まっ、普通は自分の母親と紹介するのが筋なんでしょうが、あんまし親しくして来なかったんで照れちまう訳です。

いや、これ、ホントでして、16歳で家を出たもんですから、たった16年しか一緒に暮らしていない訳です・・・女房とは36~37年も一緒に居る訳で、生みの親より長年連れ添った女房と言う感じで馴染みは女房の方が深い訳です。

とは申しましても、血は水よりも濃し、と言う訳で、あっちは自分の事を掛け替えの無い息子だと、しかも、類い稀なる出来の良い息子と自慢していた訳です。
ナンタって、たった16年しか世話になっていないのに、学校や警察で頭を下げてもらった事は数知れず・・・まっ、お互い忘れた遠い昔の話ですが。

で、不思議なもので、先月、虫の知らせと言うんでしょうか、パーキンソン病を患って出歩くのも面倒くさい姉と二人で婆さんを見舞った訳です。
いや、姉と連れ立って歩くなんて16歳以来初の事でありますから、婆さんの念が引き寄せたんでありましょうかねぇ?・・・そう言うの信じないタイプですけど。

いや、アレです・・・自分家から歩いて5~6分の妹の家に居たんですけれども、自分家には女房の婆ちゃんが居まして、婆さんは自分の母親で、婆ちゃんは女房の母親なんであります。
まっ、これでどっちも逝っちまいましたが。
で、妹の家に居る間にバテレンの宗教に感化されちまいまして、葬儀は「洋式」であります。

私しゃ流派は自己流ですけれども一応「仏教徒」を名乗っていますんで、バテレンのアレはナニなんですけれども・・・まっ、墓は私の所の墓なんで納骨の時には私のインチキか、若しくはちゃんとした坊様にお経の二つ三つ上げてもらう心づもりなんでアレなんですけれども。

いや、そうしないと話が合わなくなっちまう訳です。
父ちゃんが39年前に先に逝っちまっていて、お浄土で待っている訳です。
で、そう言う事なのに母ちゃんはバテレンですから、と言うと、お浄土で待っているはずの父ちゃんに会えない訳であります。

39年間、母ちゃんの口癖は、生きていてもつまんない、お父ちゃんに会いたい、でありました。
で、人は寂しいと心に隙間が出来ちまう訳で、宗教なんぞはそう言う穴を埋めるのには結構役に立っちまう事も有る訳です。
そんな訳で母ちゃんはバテレンに転んじまった訳ですが、私は、会う度ごとに、父ちゃんはお浄土で待っているんだからな、さっさと首でも括って会いに行け、と。
だが母ちゃん、バテレンは行き先が違うんでこのままでは父ちゃんに会えないぞ・・・取り敢えず、ナニがナンだか分からなくて良いから「南無阿弥陀仏」と唱えとけ、そうすればお迎えが来た暁にはお浄土に行って父ちゃんに会えるんだから、と、言っていた訳です。

さて、自分はナントは無く、父ちゃんと母ちゃんのあの世の逢い引きなど、そんな事を思っていた訳でありますが・・・父ちゃんは57歳で逝っちまった訳でして、今の自分よりも若いんであります。
いや、自分で言うのもナニですが、私の父親ですからね、いい男でスゼェ・・・しかし、母ちゃんだって私のようなイケメンを生んだ女ですから、其れなりにいい女だった訳です・・・が、しかし、母ちゃんは85歳であります・・・しわくちゃの婆さんで三途の川を渡る訳です・・・問題はそこなんであります。
はたして、父ちゃんはしわくちゃの母ちゃんを見てどう思うのか? と。

そこら辺の所は、私の手持ちの仏教関係のテキストにも載っていないんでありますよね。
曖昧に、年齢や美醜は無い、みたいな・・・。

いや、自分の母親が逝っちまって茶化すのも馬鹿やろうでありますが、しかし、ホントに、もう85歳ですからね、完璧に寿命ですから・・・下手したらお祝いものだと内心思っている訳です。
85歳で逝った、じゃ無くて、85歳も生きた、と言うのが私の感覚なんであります。

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午後の独り言(喪)

2015-10-20 14:07:11 | 日記的雑談
子供の頃の「さようなら」は明日に続くさようならだった。
さようなら・・・またあした、と。

思春期の「さようなら」はひとつの恋の終わりを告げたが、それは新しい物語への入り口でもあった。

思い返せば、今の自分は人と別れる時、意識している訳でもないのに「ではまた」や、親しければ「またな」と、暗に再会の言葉を口にしている。

だが、近頃、ほんとうの「さようなら」を言う機会が増えた。
返事の帰って来ない「さようなら」だ。

その時は、さょうなら、ありがとう、そして、お疲れさま、と、心の中で言うのだ。

人は最後の「さようなら」から逃げようは無いのだが、それを言うのは寂しい。
会えないのが寂しいのではなく、逝ってしまった事が寂しいのだ。

自分は、悲しみは抱かないが、寂しい。 
ただ、寂しいのだ。

父の連れ合いだった婆さんが昨夜逝った。

三途の川の向こうでにこにこした父ちゃんが、母ちゃんが渡り終えるのを首を長くして待っているのが見える。
31年も先に逝って待っていたんだから、どれ程の思いか。









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