じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

夜の戯れ言

2015-10-11 20:52:40 | 日記的雑談
こうして社会的責任を一グラムも背負わない「無職」の生活をしていると、世間の出来事のほとんどを「仕方が無い事」と飲み込み、やがて何も感じなくなる。

ところで、どういう意味で「住所不定無職」や「仙台市青葉区の会社員」と言うのは付くのだろう? 事故や事件のニュースを聞くたびに「無職」と紹介された人にはそこはかとない、やっぱり感が漂うと思うのは私の思い過ごしだろうか?

で、社会の動きや新しい仕組みに対して「分け前」や「おこぼれ」に与る事は全く無いので私利私欲的見方が殆ど無くなる。

以前、ゴマメのように細かい商売とは言え社会から利益を頂いていた時には、少しでも自分が有利になるように世の中が転がらないかと血眼になっていた。

しかし、今は利害や利益からは蚊帳の外なので、どう転がろうと気持ちは動かないし、運悪く社会の仕組みが変わって「無職」ゆえの不利益を被る事態なったとしても、今更どうしようも無いので心境としては「鍋の中の鯉」なのだ。

ちなみに「鍋の中の鯉」とは、水を満たした鍋に鯉を入れ火に掛け、やがて水が湯になっても鯉は飛び出す事もせずにじっとしたまま煮られてしまう、と言う事からでた表現らしい。

鍋の中の鯉なのである。
まっ、いざ現実の時には飛び出すかもしれないが、耐えきれず厳しくなって行く世の中に飛び出した所で生産的手段をいっさい持たない自分は水の無い所で口だけぱくぱくして果てるのが関の山だろう。
だったら鍋の中でじたばたせずに茹で上がった方が良いと思うのだ。

しかし、だ。
今まで述べたような諦めの良さそうな半ジジイの心境は嘘ではないのだが、長い事その方向で生きて来た癖としての批判的精神は衰える事も無く、なまじ暇があり過ぎるので拾う情報も増え、その精神はかえって旺盛になった。

ここに矛盾は無い。
批判しているからと言ってそれに対する結果など微塵も期待していないし、そもそも、自分の声などどこへも届かない事を承知の上の「遊び」なのだから。

結局、朝日は、自分は朝日新聞様主義なんだよね

大阪維新の会の橋下さんのツィッターでの発言集のようなのだが、言葉は少し過激な所もあるが、自分としては読んでみて、何だこの野郎という所は無く内容は頷けるものだった。
要するに、反対だけなら猿でも出来る、が、じゃぁやってみろよと言われても出来ない人ほど批判の声は大きい。

ま、自分が批判的な人なので「言うだけただ」と言う気楽さと心持ちの良さは知っているが。

自分は大阪の事など一ミリも一グラムも知らなくて字面だけの雰囲気で語っているのも無責任だが、しかし、これだけ長い文章になると嘘を織り交ぜれば必ず辻褄が合わなくなると思うので、本当の事を本音で語っていると、自分は判断する。

橋下さん、人気を盛り返しつつあるようで少し嬉しい。
世の中は無茶でも何かやる人じゃないと事は進まないし、変化も起きない。

いつまでも同じで良いと思っているのは、時間が移っている中では退化でしかない。
憲法やら法律も周囲の状況が変われば変わって当たり前だ。
法律なんてものこそ、国を取り巻く状況で臨機応変が必要ななのだと思うが、日本は変化を好まない人が多いようで、変えようとすると叩かれる。

TPPから排除された中国と欧州、協力して日米に対抗か―米メディア

ほら、ねっ、と言う感じなんだが、自分はEUはユーロでドルに戦いを挑んで今追い込まれていると見ていたので、当たったなと思っている。

本来ならば中国はアメリカの僕となってよろしくやる予定だったのだが、中華思想はそんなにヤワなものではなかった。
この誤算にはアメリカも弱った事だろう。
TPPがまとまって取り敢えずは良かったが、日本にもアメリカにも獅子身中の虫は多く、未だ厄介なことは起こるだろう。

今の状態は日本に取っては戦後一番良い方向かもしれない。
国際会議での発言などのニュースを見ても決してお飾りや、ましてや全方位に都合の良いATM的存在では無い、と見える。

<野田氏「更迭」>還付金案、見送りへ 軽減税率の検討加速

実行力重視の政治を歓迎するんだが、しかし、無茶とごり押しで間違った方向へ行かれるのは困る・・・矛盾か?

財務省のやり方を蹴散らそうという人事のようだが、どつちらにしろ消費税10%を目指すとなると反対するしか無いのだが。
しかし、8%の今でさえ個人消費を中心とした実体経済の景気の足下は危ういと言うのに10%にしたらどうなるのか。
本気でやってしまったらGDP600兆円の話など笑い話にもならなくなる。

ここで、一つおやっ、と思うのは、官僚主導から逃れて政府の方針で押し進めようと言う姿勢だ。
このまま10%に上がれば、道は違えども行き着く先は一緒で茶番なんだが、もしも、再度延期や話が流れたら、これは凄い事だ。

選挙公約だとはっきり言い切っている以上やるんでしょう。
その結果はかなり良く無いと予想するのだが、まっ、戯れ言です。

おやすみなさい。

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旅への期待

2015-10-11 17:59:13 | 日記的雑談
旅に出たい心境と言うのは、自分の場合理由は一つしかありません、で、「刺激」であります。
まっ、刺激を細かく砕いてしまえばそこには沢山の要素が詰まっていて、細分化できるんですけれども、でも、基にあるのは「刺激」であります。

要するに痺れたいんですよね・・・非日常の中で脳味噌に刺激が欲しい訳です。

いろいろと言われてますね、脳内麻薬だのドーパミンだの、あれこれと。
そう言うのが欲しいのは間違いない訳です・・・行く前が一番楽しいと言うのは、アレ、脳内麻薬最強とうたわれる、エンドルフィンの効果ですか?
想像は現実を越える・・・これは間違いないと思う訳です。

例えば、今度行く予定のヒマラヤのトレッキングですが、昨年みたいな登頂はやらないんですが、それでも3週間も4週間も毎日歩く訳です。
標高850mの町から最高点は5400mの峠を越えるまで登り続ける訳です。
今、自分の中の想いは、一昨年通った道の風景がどうなっているのかなどの楽しい回顧が下敷きになったものでありまして、現実に起こるであろう、風呂には入れないやら、飯が口に合わない宿も多い、などは知っているくせに気持ちの隅っこに追いやっている訳です。

まっ、そこまで知っていて行こうとするんですから辛さも楽しみのうち・・・変態ですね。

自分のトイレには本棚がありまして、じっくりと座り込んで用を足す時、てきとうに本を手に取って、適当な所を開いて読む訳です。

本日の本は五木寛之の「世界漂流」と言う文庫本でありました。
いや、中身についての感想などでは無いんであります・・・まっ、拾い読みですから。

138ページ頃の「現代北京かけ足紀行」と言う行を読んでいたら・・・
 ぼくは観光ツアーご一行様の仲間に入れていただいて中国へ出掛けるのだ。
 これがもう二十年若けりゃ、単独行でもなんでもやっただろう。ウルムチ、トルファンあたりへ一年ぐらい行ってみたいと思う。だが、すでに五十路の半ばを過ぎ、カンレキまであと何年かという年齢にさしかかると、もはやそんな元気は無い。

と、述べているのであります・・・おいおい、私しゃ還暦を過ぎちまいましたけれども、思っている事は全然逆ですゼぇ、センセー、と、言いたくなっちまった訳です。

いや、還暦を過ぎたからこそ急いで行かなくちゃ間に合わなくなっちまいますゼぇ、と、申し述べたいんですけれども。
だって、目に見えて衰えて行くのが分かるんですもの・・・いや、誇張ではなく、確実に昨年より今年は色んな面で衰えています・・・まっ、資金的な衰えが一番著しく骨身にこたえます、ですけれども。

五木寛之と言えば旅する作家で名を馳せていた訳ですけれども、やっぱし、偉くなっちまうと旅の苦労よりも旅の楽しみ・・・楽しみは「らく」でありますから、そっちの方になっちまうんでありましょうか?

・・・地位とお金って、無いよりは有った方が良いのかもね・・・うらやますぃ。

まっ、旅の作家は数々居る訳です・・・自分はそっち方面は大好きですから様々読んでいるつもりですが、平成の世になってもう幾星霜、旅の本も様変わりしています。

まず、私が尊敬し、アッチは私を知らないのに勝手に師匠と崇めている下川裕治さんなどは例えそれが取材であっても、ついて回るのは「苦」でありまして、読む方は「苦」の底が深ければ深い程涙を流して喜ぶ訳です。

と、言う事で、同じ旅する作家でも、下川裕治を始祖とする「貧乏旅行派」と、椎名誠を元祖とする「顎足付き旅行派」に分けられるなと、勝手に決めつけている訳です。

いや、その他、特にインドとか東南アジアを彷徨った旅の本を出して其れなりに売れた人も居る訳です、が、それはやっぱしアジアに関しては下川裕治以後の人、と、私は捉えているんで一線を引いた所に置きたい訳であります。

で、唯今現在ですと、そりやぁ~もぉ~掃いて捨てるほどの旅行記が乱発されている訳でして、旅行記に触発されて行ってみようか、となってネット検索すれば地球に隠れる所は無い感じで、誰でも簡単に行けちまう訳であります・・・そして、行って来た人がまた似たような旅行記を書くと言う循環が出来上がっているのかと思う次第であります。

アレ・・・やっぱし、アジアに関してはベトナム戦争以後の混乱が治まったのがアジアの旅を簡単にした最大の要因でしょうね。
ずーっと昔しはベトナムの近くを旅客機が飛べないんで、タイに行くのに遠回りをしてました。
そして、その後はカンボジアの内戦とかであの地域の国境は越えられませんでしたから・・・そこを潜り込んで一筆したためた猛者は居る訳ですが、まっ、今は昔の話であります。

で、国境通貨も楽になった現在、その手のお手軽旅行記に共通しているのは・・・ネット出版であります。
いや、こう言ってはナニなんですが、玉石混合と言うよりは玉は殆ど無い、でありまして、電子書籍の旅の本で満足して読み、最終章では終わりがさみしくて溜息をついちまったと言うのは「珍夜特急」と題したツーリング旅行記だけであります。

下川裕治サンでもそーなんですが、キツイ旅を続ける情熱って、維持するのは大変なんじゃないかと思う訳です。
やっぱし、苦しいよりは楽をしたいし、生まれがちな想いとしては、一度やったからもういいや、かと思います。
だから、珍夜特急の作者も続編は出来ないみたいな事で締めてたと記憶してます。

で、自分もいろいろな形の旅をしてみて、一番楽で楽しいのはパッケージ旅行だと確信する訳です。
ナント申しましても旅のプロが下調べをして組み上げている訳ですから、シロートがコンビニで雑誌を立ち読みして得た情報で組み立てるよりもよほど的を得ているに決まってる訳です・・・まっ、しかし、それは楽しい旅だったけれども「心に残る旅」には意外とならないんですけれどもね。

ああ、自分は何を書いていたんだっけ? 五木寛之で旅の話に入ったのだったが・・・まっ、いいでしょう。

そう言う訳で・・・旅に出たい想いの底には脳内麻薬が潜んでいる、と言う事ですかね?
なので、一度取り憑かれたら中毒なんで社会復帰は難しいです。

いや、これホント・・・東南アジア方面に行くと沢山居ますゼ・・・手遅れだなぁと思える日本人が。




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午後の野良写真

2015-10-11 13:43:21 | 日記的雑談

紅葉もしくは枯葉 


紛う事無き枯葉ですね


微妙に紅葉ですか、ね?


木に在れば紅葉 落ちて枯葉か?


いや、木に在ってもこれは枯葉か?


こじつけは もういいでしょう


紅くなったり黄色くなったりするのかぃ?


前期高齢と後期高齢の違いですかね?


これ、この後黄色になるかも知れないんでスゼ

まっ、今日が雨で暇じゃなければとても世間様にお見せしたりしない類いの写真なんですけれども、ナニせ暇なモノですから・・・。

おひまなら来てよネ 私さみしいの・・・と唄ったのは五月みどりでありました。
彼女も流石に、いまは婆ちゃんでしょうけれども、まだ50歳くらいの時にお脱ぎになっていらっしゃるんですよね・・・ババアのヌードなんか、と、馬鹿にしていたんですけれども、ある時、週刊誌かなんかでチラッと見た訳です。
いや、別に驚きもしませんでしたが・・・やっぱし若いのが良いな、と言うのが率直な感想で在りました。

まっ、私がナンボ大声で暇なんだからぁ~と、騒ぎましても誰も尋ねて来ないし、何事も起きない訳であります。

ああ、突然ですが、あれほどヒットした、あったかいんだからぁ~のクマムシは今ドーしてますか?
まっ、自分は一日に1時間程、夜のニュース位しかテレビを見ないんで知らないんですけれども、未だ生きてましたか?

温かいモノが欲しくなる今日この頃・・・でも、二度目って無いんですよね、なかなか。

ああ、柿の実が熟してきましたかね・・・ヒヨドリが来てます。
あいつら、美味そうなのを少しずつ突いてダメにしていくんで嫌いです。


汚れた窓ガラス越しなんで こんなもんです


窓を開けたら鳥は逃げちまって柿だけです

明日は月曜日・・・私は無職で予定もありませぬが、是非晴れて欲しいもんであります。


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暇な日曜日の独り言

2015-10-11 10:34:12 | 日記的雑談
蝶が舞い 蝉が鳴き トンボが飛んだ しかし 今日は落ち葉がはらりと散る
何気無い野山の風景も須く無常でありました・・・ナンチャって、柄にも無い。

権現森の散策は四季折々の変化の中に自然の無情無常を見るのであります。

あらぁ~・・・とんでもない間違いを続けていたかも知れない。
いやぁ~・・・全然気付いてなかったわぁ「無常」と書いていたつもりが「無情」になってるぅ~。
いや、これは、相当前から引きずっている間違いだな・・・これは相当恥ずかしいぞ。
なんたって「無常」ナンて言葉は深い所の意味を狙ってわざと使う訳ですから・・・それが、無情では殆ど馬鹿を曝け出す訳で・・・これはぁ~0yazi、一生の不覚、末代までの恥・・・世が世であれば謹慎の上蟄居閉門、その後、殿からの沙汰を受けて切腹・・・いや、恥ずかしい。

まっ、済んでしまった事は仕方が無い・・・意外と気付かれていないかも知れないし。

あぁ・・・しんみりと書く予定で始めたんだがなぁ~「地」って、隠せないですね。
オラ、やっぱし低級だわ・・・オチャラケるしか能が無いんだわ。

と、言う事で・・・権現森を歩いた話の続きです。


松尾神社

江戸の末期頃・・・天保の頃の建立と書かれていましたが、今回行ったらその説明書きの石碑が無くて、新たに、先の3.11の震災で受けた被害を修復するのに募った寄付などの説明に変わっていました。

写真では分かり難いですが、屋根に囲われて小さな社が有りまして、それが本当の「松尾神社」なんであります。
なので、相当小さな社ですね。
飢饉で困窮した時に建てられている訳ですから派手で大きな物が建つはずも無いんですが。


松尾神社から見える観音様

昭和の何時頃だったか、観音様の奥に見えるホテルの脇に本社のある地元の会社が建てた観音様です。
まっ、バブル期の開発で儲かったんでしょうけれども、その後はご他聞に漏れず傾いていき、会社は無くなり、観音様は残ったと言う風に聞いている訳です。
しかし、今では真言宗のお寺がドーのコーのと、立派な存在のようでして、霊験とご利益のあらたかな観音様として信仰を集めている・・・らしいです。
私の記憶では高さは100mもあるような・・・そして、500円払えばエレベーターで展望台まで昇れたはずであります。
白衣観音ですが、一時少し汚れた衣を纏った感じでしたが、今は見事に真っ白であります・・・儲かってるんですかね?


松尾神社までのブル道

4年半前の3.11の地震の後、松尾神社の隣に「防災無線基地」と言うのが建ちまして、その時にブル道が開かれた訳です。
で、昨日3ヶ月振りで行って見たら既存のアンテナの隣に新たな施設の建設が始まっていて、それの資材運搬用にブル道が拡張されていたようでありました。
まっ、国有林ですから一般平民は何の口出しも出来ないんですけれども、しかし、こうして残り少ない里山が姿形を変えちまうのは心痛いもんでありまして、無常はやっぱし無情に通じるモノがあるなと思ったりする訳です。


G737の札が付けられて松の木

ペンキでバッテンが書かれた松の木は病気の松の木でありまして、近々伐採され薬品を掛けられ、殺虫の為にビニールシートで覆われる訳であります。
いや、「松枯」とともに問題になっているのが「楢枯」でありまして、こっちもカミキリムシの幼虫が穴を開けて喰っている訳です。
まっ、私の感覚では、ブル道を造られるよりは自然の虫が木を枯らす方が納得がいきますけれども・・・まっ、どっちにしても国有林ですから、一般平民は無関係でありますが。


これ、何の像だと思いますか?

いや、仏像とかの「偶像崇拝」は、宗教上の理由からしない立場なんで全然詳しく無いのであります・・・なので、これが菩薩なのか観音なのか、分かりませぬ。


同じ像でも作者に拠って表情が違うなと思って・・・

仏像などは美術品としては見ますけれども、そこに何か有り難い物を感じたりはしない性格なんで見分け方なども知りませぬ。
で、ここには似たような、と、言うよりも同じ像が三体あるんですけれども、それぞれに制作者が違うので顔の表情などは全部違う訳です。
なる程なぁ~・・・古刹で見られる年代物で名のある仏像などは霊験は別にしましても、何処かに品と言いますか慈しみの心と言いますか、私のような者でさえそれを感じる訳で、やっぱ、違いって有るんだなと、しみじみ思いました・・・いや、ここの仏像がナンだカンだと言う事では無いんでありますよ。


これは恐らく「勢至菩薩」だと思いますが・・・

で、名前が良く判らない像はこの大きな像(3mくらい)を中心に周りに配置されている訳です。
で、一見すると中心の勢至菩薩と思しき像と同じに見えなくも無いんですが、しかし、手にモノを持った勢至菩薩は無いと思うので、コレは違うんだろうかなぁ~?と、なる訳です。
まっ、厳密に行ったら大きな仏像も左手に何か持ってそうですけれども、しかし、手の平が見えて印を結んでいそうにも見えるんで勢至菩薩かなと・・・ろくに知りもしないくせに適当な事を宣ってみました。

以上・・・権現森のお話で有りました、と。

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