じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

空気が見える

2016-05-07 20:29:39 | ダイビング関係のお話

青の世界に銀の空気


下に潜っているダイバーからの空気


オーバーハングの岩の下から登って来る空気


浅場での排気玉は大きくクラゲみたいだ


水圧の高い深場での排気は細かい


排気を丸くして作る バブルリング

水中は、当たり前の事だけれども水で満たされている。
なので水には溶けない空気を見る事が出来る。
海面の気圧を1として水深10m事に1気圧ずつ増える。
水深20mは3気圧になり、結構な圧力を受けている。
しかし、人間の身体は殆ど水みたいな物なので空気の入っている箇所以外は潰れない。
一番多く空気が入っている所は肺です。
スキューバー機材のレギュレーターが高圧のタンクの空気を水深の水圧と等しくなるように調整しているので肺は潰れない。
ついでに言うと、鼻の奥や耳の中にも大気圧の空気が入っていてそれも潰れる。
すると、特に耳にはかなりの痛みを感じるし、無理をすると鼓膜が破れる。
そんな事にならないように「耳抜き」と言う事をして深度下と同じ圧力の空気を耳に送り込んで「圧平行」をする。
これで安全な筈なんだけれども、どう言う訳か年期の入ったダイバーには耳の遠い人が少なく無い。
それもプロダイバーに多いのは、潜り方が無茶だからだろうと思う。
かく言う自分も右耳が遠い・・・まっ、加齢だとか言う人も居ますが、自分では原因は知っているつもり・・・。
と、言う事で、大深度で吐く息は細かい泡で出ますが、浮上するにつれ圧力が下がって膨張し、円盤やクラゲのようになって昇ってゆくのです。
息を吐く時にはゴボっと一気に吐き出される音がして、次に吸い込む音がシューッと聞こえる。
深度下では肺は潰れて小さくなるけれども、人間が潜れる程度の深度では損傷は無いらしい。
厄介なのは浮上する時。
深度下で圧縮された空気を肺に入れたまま呼吸を止めて浮上すると水圧が下がった空気が膨らんで、それでも口を閉じていたら肺は破裂する。
なので、スキューバーダイビングの講習の入り口で「絶対に息を止めない事」としつこく教えられます。




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好き嫌い

2016-05-07 16:14:03 | 日記的雑談
好き嫌いが激しい私・・・特に人間に対してそれが顕著であります。
しかも、女性へのストライクゾーンはほとんどボールは無いと言う感じなんですけれども、男性となると私のストライクゾーンはお隣韓国の政治姿勢のようにカメレオン的であります。
しかし、好き嫌いはいろんな要因で変化するようでして、近頃では、ナント申しましょうか、グレーゾーンとでも申しますか、好きじゃないけど嫌いじゃない・・・いや、それならドーでも良いのかと言うとそうでは無いと言う微かなこだわりは有る訳でして、まっ、面倒臭い奴なんですね、早い話しが。

しかし、年齢を経るにつれ食べ物の好き嫌いは激減しましたね・・・そんだけ味覚が鈍化したと言う事なんでしょうか?
今だと毒を盛られても平気で喰っちまう感じでして、毒味のある苦い物とかが殊の外好きな感じであります。
いや、辛さは痛点で感じるらしいんでそれは暴力反対の立場から歳を経ても馴染めない訳ですが、わさびは年々量が増えると申しますか、お刺身の時など下品と言われる食べ方で、醤油皿に大量に溶いてべちゃべちゃにして食べるのであります。
しかも、ドーしてなのか不可解なのですが、子供のように醤油を垂らすんですよね・・・こうして、昔し嘲笑しつつ眺めていた「汚ねぇ喰い方すんなぁ~」と言う年寄りになって行くんでありましょうか?

まっ、女性の好み・・・好き嫌いなんてのは年齢的にドーでも良くなっちまったと言いますか、もう既に子孫繁栄の意思は霞んじまいましたんで・・・いや、断じて放棄した訳ではないのでありますが、本音を言えば土俵に上がれる自信は無いのであります。
で、そう言う観点で女性を眺めますと、若いこのピチピチ感は言うに及ばず大好きでありますが、熟女や熟れ過ぎの感の有る女性は別な方向で魅力的であるな、なんて思うようになった訳であります。

で、只今、自分でも驚くような変化としまして「趣味園芸」に大きく傾いている訳であります。
元々自然は好きな私でありましたんで草花には馴染んでいた訳であります。
しかし、主義としましては「手にとるなやはり野におけ蓮華草」派でありまして庭に植えられた草花に興味など湧かなかった訳です。
と、言うよりも鉢植えの植物は花そのものよりも植木鉢と言う閉鎖的環境で花を育てて愛でたい人の心境を鬼であるな、とさえ思っていた訳であります。
愛玩のために品種改良された植物は美しくは有るけれども、どこか不自然と申しますか・・・アレです、その昔し、夜の街で出会った華やかな女性の姿にダブっちまうのでありままして、まっ、そう言う思いがした訳であります。

ところが、今の私はドーでありましょうか?
本日はお日柄が良く無く時折強い雨が降る、庭いじりには向かない日であったにも拘らず、私は草むしりをしたりミックスサラダ野菜の種蒔きをしたり、葡萄棚に添え木を増やしたりなどした訳であります。
で、自分が植えた訳でもない花たちではありますが、既に枯れて見られなくなった花に思いを馳せつつも、新たに咲き誇る次の花たちに心を時めかせている訳であります。


雨が降り風が吹くたびに花が少なくなる


自分の一番好きな花になった ハナミズキ


今一番勢いのある サツキ

で、問題なのはキンモクセイの木であります。
昨年来、私は邪魔だから切り倒してしまおうと何度か言っている訳であります。
そしたら、今年は木に勢いが無く葉っぱが枯れ気味で花芽が見えない感じなんであります。
いや、私には分かるんです・・・キンモクセイはいつ切り倒されるのかと日々怯えて暮らしているのであります。
なんて罪な事をしちまったんだ、と、思いつつ、先ほどキンモクセイに枝払いはするけど切らないからな、と、言ってやった訳です。
まっ、キンモクセイが返事をする筈も無いんでアレなんですけれども、確かにそんな感じは受けた訳であります。
今年も秋になったらあの香が楽しめるように・・・手入れなどしてやろうと思う訳であります。

2年前なら迷わず切り倒していたんですけれどもねぇ。
喰えないキンモクセイよりもリンゴでも植えたい私であった筈なのですけれども・・・これも無常でありましょう。


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水中の地味な奴ら

2016-05-07 12:37:28 | ダイビング関係のお話
スキュバーダイビングの魅力は・・・ナンでしょうね?
見た事の無い世界を見る、覗き見的喜び?
浮きもしない沈みもしない、重力から解放された浮遊感か?
スキューバー機材を失うと数分と生きてはいられない世界に身を置く緊張感?
しかし、最初の頃はどれもが当てはまるけれども、長い間潜っていると、見慣れた風景に馴れた感覚と、スキューバー機材は壊れないと言う安心感も手伝ってちょっとやそっとの事では動じないし感動も無くなっちまう訳です。
ンじゃぁ、何故に潜るのかと言いますと・・・ホントは良く分からないんであります。
しかし、潜ってみると、何度潜っても心地良いと言いますか、落ち着くと言いますか、言葉では表せない感覚に陥るのは紛れも無い事実なのであります。
で、無理に理屈をこじつけますと、それは光ではないかと思う訳です。

水中は暗いのかと言うとそんな事は無くて、水深50mでも相当明るい訳です。
しかし、水の屈折と浮遊物の関係から、色は無くなっちまう訳であります。
水深10m程度で赤い色から消えて行く訳でして、色の波長の長い物から消えちまうんですね。
最後に残るのは青の世界であります・・・まっ、人間の目は高性能なので記憶から色を導き出して見えない色も見ちまうようでありますが。
で、陸上では滅多な事では上下の動きと言うのは無い訳であります。
屋根から飛び降りて一瞬の浮遊感を楽しむなどは可能としましても、それは一方的に落下であります。
しかし、水中では上下に自由に移動できる訳であります。
そして、上下の移動は深度の移動な訳でして、深度に伴って色彩は敏感に変化する訳であります。
で、色を彩るのは光でありますから、やっぱし、潜ると言う事は光を感じる喜びなのか?なんて事を思う訳ですが・・・まっ、これは人様々と思いますんで私個人の感想と言う事でありましょうか?


アナジャコ 出ているのは目では無い、かな?


モンハンジャコ 味はアナジャコに劣る


オニオコゼ 顔のアップ


オニオコゼ 左向き 全身


オニオコゼ 真上から 全身(別個体)

と、言う事で、アナジャコとモンハナジャコはフラッシュ使用で色が出ていますが、オニオコゼは自然光で見た目の通りに写っている訳です。
いや、カメラのフラッシュや水中ライトも持っているんで色を出すのは簡単なんですが図鑑写真を撮りたい訳じゃないんで自分はあまりライトは使わないのであります。
オラは見たままに撮るんだ!!!・・・ナンチャって。

で、アナシャコは喰ったら美味いんですが数が多く無いからか日本のように専門の漁師などは居ないようです。
モンハナジャコはシャコパンチが強く不用意に手を出すとパチンと弾かれて痛い目を見ます。

で、オニオコゼは背びれに強力な毒針を持っているんですがとても美味い魚なので現地の潜り漁の漁師も喜んで獲ります・・・昔は大きな魚体も居たんですが一生懸命に喰っちまったからか近頃は数も減り魚も小さくなった気がします。
食べ方は、お察しの通りでして、鍋と言いますか、スープにするのが良いようであります。



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晴耕雨読

2016-05-07 10:24:38 | 日記的雑談
晴耕雨読・・・そんな1日になりそうな雰囲気であります。
庭の草取りをしていたら雨が落ちて来たのを良い事にさっさと止めちまいました。
種蒔きは好きですが後の面倒は見ないタイプでして、そんな私に勝手に生えて来た雑草の心配までしろとはナントご無体な、と言う心持ちで、今朝の雨は天の恵み、と。

で、雑草を引っこ抜いたり鎌で欠き切ったりしていてフト想った訳ですが・・・「雑草って俺の事だよな」なんてね。
いや、野原に生えている雑草を気にして抜く人は居ない訳です。
そもそも、雑草だらけの野原でナニを持ってして雑草と言うのかさえも疑問になっちまうと思う訳です。
そして、人は、庭に生えれば雑草の類いがたまに訪れた郊外の野原などで可憐な小さな花を付けると「あ~ら可愛い」とか宣いつつ愛でたりもする訳です。
そう思うと、雑草は野原に生えてこその命であるなとしみじみと思うのであります。
まかり間違って高級住宅地の手入れの整った庭になど生えた日には根こそぎ駆逐されちまう定めを背負う事になるのでありましょう。
これって、人間社会と何も変る所の無い様ではないか? ナンて事に思いを馳せた時、私は我が身と目の前のぺんぺん草やハコベとが重なり、遂には雑草どうしの心が通じちまいまして鎌を握る手から力が抜けたのでありました・・・なぁ~ンて事は無いのでありますが、しかし、雑草も人も生きる場所を間違えると邪魔物扱いなんだよなぁ~ナンて事を思ったのはホントであります。
そして、我が身を振り返って、見事に背伸びした雑草であったなぁ、と思うとき、人の世の無常を感じるのであります。

庭の雑花たち


名前は知らない 薄いピンクの花


野菊に似た とても薄いピンクの花


他の雑草を駆逐して増殖するスズラン


名前は知らない 白い花


サニーレタス

いや、庭の雑草および準雑草と目される草花を撮った訳でありますが、一番始末に悪いのがスズランであります。
園芸種として売られているんで雑草ではない・・・かも知れないがその繁殖力は流石に道産子と言う感じでして、私といたしましては「もー要らない」であります。
で、他の花は雑草なのか婆様が植えた物かは分かりませんが、まっ、勝手に生えて来るんで雑草扱いであります。
で、唯一種を蒔いた記憶が有るのが「サニーレタス」でありますが、これは苗を作る時に余った種を庭の隅に捨てたら勝手に生えて来た物でありますので、素性としては由緒正しい物ではありますが、出生の事情と今後のサニーレタスの生育環境を鑑みますれば、これもやっぱし雑草なんでありましょう。
やっぱし、人も草花も氏素性よりも「今」でありますねぇ・・・生まれた所で最善を尽くす!!! 
頑張れ雑草!!! と、言いつつ鎌で掻き切る我の非情さ・・・合掌。



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