本日は校外実習と言う名目の「大人の遠足」でありました。
ナンと申しましょうか、造園業に携わる者として見聞を広めるのが目的だと思う訳ですが、如何せん宮城県には京都や奈良、または四国や九州などに見られるような歴史の重みを備えた日本庭園は殆ど皆無な訳でありまして、掲げた目的とは程遠い実習となり、ドーしても気分は物見遊山の遠足になっちまうのであります。
いや、これを東北六県に拡大しましても、青森に一つと岩手に一つ、と、強いて言えば福島に一つ、くらいかと思う程に、日本庭園の寂しい地方な訳であります。
ちなみに上記の三つとは・・・青森の盛美園 ・岩手の毛越寺庭園・福島の御薬園を自分は上げる訳ですけれども・・・。
それでも奈良や京都の庭と張り合った番付では、私の見立てでナニなんですけれども、10両が良い所だろうと言う感じの位置だ思う訳であります。
ナント申しましても明治大正の頃には「白河以北一山百文」と軽んじられた地方でありまして、然も有りナンと言う感じであります。
よいですか?「人類皆兄弟」と言う話では無い
お寺の住職が苗木を作って植林してます
この池にユニック入れて、と、平間先生が昨日
池から五重塔を望む、が、どこか奥行きが無い?
本堂なんですが、やっぱし軽い感じが否めない?
造園科の紅二点・・・鯉(恋)に焦がれるお嬢様か?
檜作りの座禅堂と枯山水の庭
軽く見えると思ったらコンクリ製だった五重塔
と、言う事で、仙台市ではまともだと言われる日本庭園を持つ「輪王寺」に行って来た訳なんですが・・・まっ、悪くは無いんだけれども、歴史の重みに言葉を失うとか、動かし難い美意識に息を呑んだとか言う程の物では無かったなと言うのが私の偽らざる感想であります。
ナンと申しましょうか、どれもこれもが軽いと言いますか、まっ、重みがどこにも無いんであります。
いや、元々寺が出来る前から生えていたかもしれないアカマツなどの自然木の方に重みがある感じでして、造園して作り出されたそれはあんまし感じなかったんであります。
その理由は・・・あらゆる建物と樹木の配置がせせこましく感じると言いますか、ナンでアレ奥行きとか広がりを感じさせるモノが無いのであります。
その代わり、閉塞感と言いますか、行き詰まって出た無理矢理感と言うモノは建物の配置や庭の造作のあちこちに見られ・・・言ってみればまとまりの無い乱雑な風景と言う事じゃないかと思ったのであります。
まっ、生半可な知識でナニをほざくか、と怒られそうな感想ですけれども、しかし、これなら定義山の寺を回った方が精神的には開放されるよな、なんて追い討ちをかけて言ってみたくなる程に広がりの無い閉塞感いっぱいの寺と庭でありました。
まっ、結構な酷評ですけれどもシロートの戯れ言ですので真に受けないで欲しいと思いますが・・・まっ、いいでしょう。
で、ご住職は植林に熱心な方でありまして、横浜国立大名誉教授の某と言う偉い先生と一緒になって既に10万本以上もの植林を日本国内にとどまらず世界を股に掛けて植えている人なんだそうであります。
で、その辺の講話をスライド上映とともに伺いまして、人に依っては偉く感銘を受け、特に先の津波で失われた海岸部での植林のシーンで涙ぐむ人なども居た訳であります。
私はと言いますと、植林と言う人工的な事にあんまし興味が無いので、どんな樹種を植えようが心時めく事は無いのでありました。
いや、余談ですが、里山は人が管理してこそのナニであると言う人も居ますが、別に人が管理しなくても自然林として放って置けば普通にその地に適した樹相で森は広がる訳でして、人間が利用するのに都合が良い里山なんてドーだっていいじゃないかそんな事は、と、思うひねくれ者なので植林は嫌いであります。
文明の変化はより一層進み、自然はより自然が良いなんて人間にだけ都合の良い自然は無いのであります・・・それは不自然ですからぁ~・・・ナンチャって。
で、曹洞宗のお寺さんでして、しかも、今後お寺の名物として売り出そうとしている「座禅堂」が完成したばかりなので和尚さんの勧めもあって我々も座禅の真似事をして来た次第であります。
まっ、私は座禅の方は相当な域に達していると自負していますんでナニなんですが、今時は痺れ防止に大型の葬式饅頭のような厚い座布団が用意されているんですね・・・なので誰がやっても足は痺れません。
しかし、真新しい檜とお香が渾然一体と成って香る座禅堂は良い場所でありました。
短い時間ではありましたが、気持ちが落ち着きすっかり眠くなっちまいました。
で、生徒は昼飯持参で来たんですけれども、先生の飯が無いと言うんで一旦コンビにで飯を買い西公園で食おう、と言う事になり出掛けた訳であります。
いや、午前中は強かった風もおさまり、小学生やら幼稚園児がお弁当を食べている西公園に我々造園科も混じってお昼を食べたんですけれども・・・良いもんでありますねぇ~ 秋晴れの空の下、同級生が他愛無い話しをしながら飯を食う・・・ホントに良いもんでありました。
で、昼飯の後にもう一度輪王寺に戻り自由見学と言う事で、それぞれが思い思いの順路で再度見学をし、次に直ぐ隣りの資福寺に廻った訳であります。
いや、輪王寺は別名「花菖蒲寺」と呼ばれ資福寺は「あしさい寺」と呼ばれる訳であります。
と、言う事は・・・二つの寺とも庭を見るならその頃が一番と言う事で、紅葉にはまだ早く、夏の花も終わった中途半端な今時に行く場所では無いと言う事かと思う次第であります・・・が、行っちまったモノは仕方が無い、と。
と、言う事で、あじさいが無ければ何も無い寺の資福寺は、この地が自然林であったころの名残のアカマツなどを眺め、自然樹形って良いもんだなぁ、ナンて事で終わった訳であります。
いや、書き忘れてました・・・輪王寺では大変なモノに出会しました。
それは銀杏でありまして、そこはかと無い独特の香を充満させていたのであります。
この辺も良く無い印象に一役買っちまっているのかも知れませんね・・・いや、酷い臭いでありました。
さて、大した一日ではなかったんですけれども、ナンだか体調が左前でありまして、今夜はホントに早く寝ようと思います。
では 皆様 おやすみなさい
ナンと申しましょうか、造園業に携わる者として見聞を広めるのが目的だと思う訳ですが、如何せん宮城県には京都や奈良、または四国や九州などに見られるような歴史の重みを備えた日本庭園は殆ど皆無な訳でありまして、掲げた目的とは程遠い実習となり、ドーしても気分は物見遊山の遠足になっちまうのであります。
いや、これを東北六県に拡大しましても、青森に一つと岩手に一つ、と、強いて言えば福島に一つ、くらいかと思う程に、日本庭園の寂しい地方な訳であります。
ちなみに上記の三つとは・・・青森の盛美園 ・岩手の毛越寺庭園・福島の御薬園を自分は上げる訳ですけれども・・・。
それでも奈良や京都の庭と張り合った番付では、私の見立てでナニなんですけれども、10両が良い所だろうと言う感じの位置だ思う訳であります。
ナント申しましても明治大正の頃には「白河以北一山百文」と軽んじられた地方でありまして、然も有りナンと言う感じであります。
よいですか?「人類皆兄弟」と言う話では無い
お寺の住職が苗木を作って植林してます
この池にユニック入れて、と、平間先生が昨日
池から五重塔を望む、が、どこか奥行きが無い?
本堂なんですが、やっぱし軽い感じが否めない?
造園科の紅二点・・・鯉(恋)に焦がれるお嬢様か?
檜作りの座禅堂と枯山水の庭
軽く見えると思ったらコンクリ製だった五重塔
と、言う事で、仙台市ではまともだと言われる日本庭園を持つ「輪王寺」に行って来た訳なんですが・・・まっ、悪くは無いんだけれども、歴史の重みに言葉を失うとか、動かし難い美意識に息を呑んだとか言う程の物では無かったなと言うのが私の偽らざる感想であります。
ナンと申しましょうか、どれもこれもが軽いと言いますか、まっ、重みがどこにも無いんであります。
いや、元々寺が出来る前から生えていたかもしれないアカマツなどの自然木の方に重みがある感じでして、造園して作り出されたそれはあんまし感じなかったんであります。
その理由は・・・あらゆる建物と樹木の配置がせせこましく感じると言いますか、ナンでアレ奥行きとか広がりを感じさせるモノが無いのであります。
その代わり、閉塞感と言いますか、行き詰まって出た無理矢理感と言うモノは建物の配置や庭の造作のあちこちに見られ・・・言ってみればまとまりの無い乱雑な風景と言う事じゃないかと思ったのであります。
まっ、生半可な知識でナニをほざくか、と怒られそうな感想ですけれども、しかし、これなら定義山の寺を回った方が精神的には開放されるよな、なんて追い討ちをかけて言ってみたくなる程に広がりの無い閉塞感いっぱいの寺と庭でありました。
まっ、結構な酷評ですけれどもシロートの戯れ言ですので真に受けないで欲しいと思いますが・・・まっ、いいでしょう。
で、ご住職は植林に熱心な方でありまして、横浜国立大名誉教授の某と言う偉い先生と一緒になって既に10万本以上もの植林を日本国内にとどまらず世界を股に掛けて植えている人なんだそうであります。
で、その辺の講話をスライド上映とともに伺いまして、人に依っては偉く感銘を受け、特に先の津波で失われた海岸部での植林のシーンで涙ぐむ人なども居た訳であります。
私はと言いますと、植林と言う人工的な事にあんまし興味が無いので、どんな樹種を植えようが心時めく事は無いのでありました。
いや、余談ですが、里山は人が管理してこそのナニであると言う人も居ますが、別に人が管理しなくても自然林として放って置けば普通にその地に適した樹相で森は広がる訳でして、人間が利用するのに都合が良い里山なんてドーだっていいじゃないかそんな事は、と、思うひねくれ者なので植林は嫌いであります。
文明の変化はより一層進み、自然はより自然が良いなんて人間にだけ都合の良い自然は無いのであります・・・それは不自然ですからぁ~・・・ナンチャって。
で、曹洞宗のお寺さんでして、しかも、今後お寺の名物として売り出そうとしている「座禅堂」が完成したばかりなので和尚さんの勧めもあって我々も座禅の真似事をして来た次第であります。
まっ、私は座禅の方は相当な域に達していると自負していますんでナニなんですが、今時は痺れ防止に大型の葬式饅頭のような厚い座布団が用意されているんですね・・・なので誰がやっても足は痺れません。
しかし、真新しい檜とお香が渾然一体と成って香る座禅堂は良い場所でありました。
短い時間ではありましたが、気持ちが落ち着きすっかり眠くなっちまいました。
で、生徒は昼飯持参で来たんですけれども、先生の飯が無いと言うんで一旦コンビにで飯を買い西公園で食おう、と言う事になり出掛けた訳であります。
いや、午前中は強かった風もおさまり、小学生やら幼稚園児がお弁当を食べている西公園に我々造園科も混じってお昼を食べたんですけれども・・・良いもんでありますねぇ~ 秋晴れの空の下、同級生が他愛無い話しをしながら飯を食う・・・ホントに良いもんでありました。
で、昼飯の後にもう一度輪王寺に戻り自由見学と言う事で、それぞれが思い思いの順路で再度見学をし、次に直ぐ隣りの資福寺に廻った訳であります。
いや、輪王寺は別名「花菖蒲寺」と呼ばれ資福寺は「あしさい寺」と呼ばれる訳であります。
と、言う事は・・・二つの寺とも庭を見るならその頃が一番と言う事で、紅葉にはまだ早く、夏の花も終わった中途半端な今時に行く場所では無いと言う事かと思う次第であります・・・が、行っちまったモノは仕方が無い、と。
と、言う事で、あじさいが無ければ何も無い寺の資福寺は、この地が自然林であったころの名残のアカマツなどを眺め、自然樹形って良いもんだなぁ、ナンて事で終わった訳であります。
いや、書き忘れてました・・・輪王寺では大変なモノに出会しました。
それは銀杏でありまして、そこはかと無い独特の香を充満させていたのであります。
この辺も良く無い印象に一役買っちまっているのかも知れませんね・・・いや、酷い臭いでありました。
さて、大した一日ではなかったんですけれども、ナンだか体調が左前でありまして、今夜はホントに早く寝ようと思います。
では 皆様 おやすみなさい