とくにNHKの大河ドラマとかで戦国武将が偉く格好良く描かれているな、なんて思うんですけど。
いや、元より自分の知識も巷の書物などで得た薄っぺらい物なので、秀吉が偉かったのかそうでは無かったのか、家康だって謙信だってドーなんだか、ホントの所は解らないんであります。
ただ、ナンと申しましょうか、立派な城を造るには資金や労働力が必要な訳ですが、それ、生産性の無い侍の集団がドーやって集めた? 何処から持って来た? と、思うと、当時の民百姓の立場で見たらホントに心の底から歓迎出来る人って居たのかな?ナンて思う訳です。
自分の愛読書・・・「雑兵たちの戦場」と言うのが戦国時代を知る手がかり、と言いますか、まっ、感覚的に一番受け入れ易いんで内容の善し悪しや真贋は解りませんが頼りにしている訳であります。
で、戦国武将が褒め讃えられるのは戦において有能勇敢で戦上手・・・要するに相手の兵を沢山殺したら偉い訳です。
その事だけを考えても天下統一とか領土拡張とかの野望に燃えて戦国武将なんてのは褒められたモンじゃ無いと思うんですけど。
余談ですが、こう言うのが罷り通ると言いますか、仕方が無いと納得出来ると大東亜戦争なんてのもすんなりと肯定出来るはずだと、私は思うんですけど。
ナンなんですかね? やっぱし槍と刀でヤァ~ヤァ~我こそは、と名乗りを上げて戦うのと遠くから鉄砲や大砲や爆撃で戦う事には何か違いが有るんですかね?
で、秀吉の頃なんてのは何度も奴隷禁止や廃止冷が出されているんだそうで、戦に負けた方は奴隷として刈られていたそうでありまして、それを解放していたようであります。
まっ、勝った側は奴隷を廃止して潜在的な不穏分子の戦力を削ぐのが目的で人道的な立場とかは無関係のようですけど。
アレです・・・奴隷として刈られる人は下級の武士から殆どが百姓上がりの雑兵なんで解放しないと戦乱で荒れた田畑も戻らないと言う側面もあったのか、なんて想像しますが。
奴隷でありますよ・・・日本国では普通に人身売買が罷り通っていたんでスゼぃ。
で、立派な城を建てられたのは戦に勝った大将な訳で、人と一緒に財産も奪って来たんでありましょう・・・それで城が建つ、なんて思うと立派な城こそ悪行と言いますか、非道の証、と、自分は思ってしまう訳であります。
まっ、しかし、天下太平の世に成ってからの城の普請は現代の公共事業と一緒で百姓では喰えない人達の為の失業対策であったなんて言われてますから一概に否定もナニなんだそうですが。
いや、歴史の話しは得意では無く、長く続けるとアレなんで止めますけど・・・自分は貧乏人で城はおろか立派な邸宅なんぞとも無縁の人生であります。
若かりし頃、世間一般の習いに従って仕官し、録を食んではみたモノの武運拙く出世の道は適わず、野に下るしか無かった訳でして、言ってみれば落ちこぼれであります。
なので権力や権威の象徴的なモノは脊髄反射的に避けちまうんでしょうね。
だからお城を見ると凄いなぁ~とか、キレイだなぁ~とは思いますけど、気持ちの何処かでドンだけの犠牲や無理が下地に有るのかな? なんて考えてしまう次第であります。
アレです・・・受け売り序でに書いちまうと秀吉の朝鮮出兵なんてのも仕事探しと言いますか、国内に戦が無くなって失業者が増えちまったんで出稼ぎ先として近くて手っ取り早い朝鮮に出掛けたんだそうであります。
まっ、秀吉のあとの家康は町の普請を失業対策にしたんで今日の大都市、東京が有る・・・一寸違いますかね?
まっ、雑談と言いますか戯れ言なので間違っていても怒らないで下さいよ。
でも思いませんか?
地価の高い高級住宅地で高い塀をぐるーっと巡らせた大邸宅など見ると・・・ドンだけ悪い事をしたらこんな家が建つのかな? なんてね。
おっとぉ~稀勢の里を見なくちゃ・・・んじゃ、また・・・。
いや、元より自分の知識も巷の書物などで得た薄っぺらい物なので、秀吉が偉かったのかそうでは無かったのか、家康だって謙信だってドーなんだか、ホントの所は解らないんであります。
ただ、ナンと申しましょうか、立派な城を造るには資金や労働力が必要な訳ですが、それ、生産性の無い侍の集団がドーやって集めた? 何処から持って来た? と、思うと、当時の民百姓の立場で見たらホントに心の底から歓迎出来る人って居たのかな?ナンて思う訳です。
自分の愛読書・・・「雑兵たちの戦場」と言うのが戦国時代を知る手がかり、と言いますか、まっ、感覚的に一番受け入れ易いんで内容の善し悪しや真贋は解りませんが頼りにしている訳であります。
で、戦国武将が褒め讃えられるのは戦において有能勇敢で戦上手・・・要するに相手の兵を沢山殺したら偉い訳です。
その事だけを考えても天下統一とか領土拡張とかの野望に燃えて戦国武将なんてのは褒められたモンじゃ無いと思うんですけど。
余談ですが、こう言うのが罷り通ると言いますか、仕方が無いと納得出来ると大東亜戦争なんてのもすんなりと肯定出来るはずだと、私は思うんですけど。
ナンなんですかね? やっぱし槍と刀でヤァ~ヤァ~我こそは、と名乗りを上げて戦うのと遠くから鉄砲や大砲や爆撃で戦う事には何か違いが有るんですかね?
で、秀吉の頃なんてのは何度も奴隷禁止や廃止冷が出されているんだそうで、戦に負けた方は奴隷として刈られていたそうでありまして、それを解放していたようであります。
まっ、勝った側は奴隷を廃止して潜在的な不穏分子の戦力を削ぐのが目的で人道的な立場とかは無関係のようですけど。
アレです・・・奴隷として刈られる人は下級の武士から殆どが百姓上がりの雑兵なんで解放しないと戦乱で荒れた田畑も戻らないと言う側面もあったのか、なんて想像しますが。
奴隷でありますよ・・・日本国では普通に人身売買が罷り通っていたんでスゼぃ。
で、立派な城を建てられたのは戦に勝った大将な訳で、人と一緒に財産も奪って来たんでありましょう・・・それで城が建つ、なんて思うと立派な城こそ悪行と言いますか、非道の証、と、自分は思ってしまう訳であります。
まっ、しかし、天下太平の世に成ってからの城の普請は現代の公共事業と一緒で百姓では喰えない人達の為の失業対策であったなんて言われてますから一概に否定もナニなんだそうですが。
いや、歴史の話しは得意では無く、長く続けるとアレなんで止めますけど・・・自分は貧乏人で城はおろか立派な邸宅なんぞとも無縁の人生であります。
若かりし頃、世間一般の習いに従って仕官し、録を食んではみたモノの武運拙く出世の道は適わず、野に下るしか無かった訳でして、言ってみれば落ちこぼれであります。
なので権力や権威の象徴的なモノは脊髄反射的に避けちまうんでしょうね。
だからお城を見ると凄いなぁ~とか、キレイだなぁ~とは思いますけど、気持ちの何処かでドンだけの犠牲や無理が下地に有るのかな? なんて考えてしまう次第であります。
アレです・・・受け売り序でに書いちまうと秀吉の朝鮮出兵なんてのも仕事探しと言いますか、国内に戦が無くなって失業者が増えちまったんで出稼ぎ先として近くて手っ取り早い朝鮮に出掛けたんだそうであります。
まっ、秀吉のあとの家康は町の普請を失業対策にしたんで今日の大都市、東京が有る・・・一寸違いますかね?
まっ、雑談と言いますか戯れ言なので間違っていても怒らないで下さいよ。
でも思いませんか?
地価の高い高級住宅地で高い塀をぐるーっと巡らせた大邸宅など見ると・・・ドンだけ悪い事をしたらこんな家が建つのかな? なんてね。
おっとぉ~稀勢の里を見なくちゃ・・・んじゃ、また・・・。