じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

急ぎ足で・・・

2019-01-16 21:56:01 | 日記的雑談
いや、8時半までのバイトの後帰宅して風呂に入って軽く一杯やって、パソコンに向かってヤプログを開き定期巡回をすませるとこの時刻であります。

私は概ね10時過ぎには就寝するタイプなので只今現在の時刻は感覚的には既に深夜であります。

が、んじゃぁ眠いのかと問われると然程でも無く、軽く飲んだ一杯が効いてまして良い感じなんであります。

今日はなんだか忙しかったなぁ・・・特別ナニって事は無いんですけど心身ともに忙しなかったであります。

本日、天皇陛下が主催されている「歌会始」なるものをテレビで見たんですが、歌を読む係の人ってスンゲエ声量といいますか、息が長いんですね。
で、天皇陛下の歌を詠んでいる時に聞いていたんですが語尾だけがやたらと長くてそこだけ聞くと何を言っているのか分からないわけであります。

和歌なのに分からないとはこれ如何に・・・いや、笑い事では無く、俺は日本語が不自由になったのか❓と思っちまった次第であります。

でも自分はその手の教養が無いので何れの何処が良いものなのか、正直に言ってわかりませんでした。

さて、体調不良からなんと無く抜け出しそうな雰囲気の本日・・・仕事場で体調の話になって愕然とした私でありました。

私の体調不良とは、仕事の後に疲労感を感じるとか、遅番続きだと朝起きた時から怠いとか、仕事が早番で終わった後にジムに行く気力が薄い、と、そんな事なわけであります。

で、本日仕事場での雑談時にそのような事を宣ったんですが・・・64歳にもなったら仕事を休まず続けられるだけで上等じゃねぇか、と怒られちまった次第であります。

まず、自分としましては仕事だけ出来ても楽しく無い訳でして、余力の無い生き方って寂しいと反論した次第であります。

しかし、全員一致でそれは体調不利用なんかでは無く年寄りの冷や水である、との意見でありました。

いや、そんな甘っちょろい身体を持った覚えは無ぇ・・・と言いたいところを我慢して、へいへいそーでヤンスねと頷いときましたが、私ゃキッチリと復活している感じがする訳であります。

そんな訳で明日はスキーですね。
そしてやっと筋トレも再開であります。

おおっと、もう10時20分です・・・寝なくちゃ。

ではみなさま、おやすみなさい、と。


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仕返し・・・

2019-01-16 10:58:28 | 盗作童話
私はハンドルを握りながら、FMラジオの軽妙な話と笑い声に苛立っていた。
しかしいつも気を落ち着かせる時に聞くナベサダのアルトサックスに変えても気持ちは落ち着かなかった。

北環状線は混んでいて車は信号のたびに止まるのにも苛ついた。

向かっている先は区役所だった。
区役所には先週も来ていて今日はその結果を聞くために足を運んでいた。


事の起こりは3ヶ月前のことだった。
安いチケットが手に入ったので5日間の駆け足でフィリピンに行った。

フィリピンで仕事をしていた事があった私はこの国に馴染んでいた。
そして、当時の思い出を引きずって薄ら汚れた街を徘徊するのが好きだった。

フィリピンに行ってする事といえば、昼間はプールサイドでビールを片手に本を読み、日没頃からはバーが密集するいかがわしい路地をそぞろ歩いて店を物色し、一本150円のビールを舐めるように飲む事、それだけだった。

その日も幾つかのバーを冷やかし飲み歩いていたのだが、何故かホテルから離れた店に腰を落ち着けていた。

自分のテーブルには客の財布の中身を狙って数人の娘が集まっていた。
彼女らは口々に「日本人か」「いつ来た」「いつまでいるの」「この街は初めてか」「名前は」と一通りの定型的な質問をすると「一杯おごって」と攻めて来るのだ。

円形のテーブルには3人分の椅子しか無いのだが隙間に体を割り込ませ与し易そうな日本人からレディースドリンクをせしめようと必死なのだ。

外は小雨が降ったり止んだりで人通りが少なかった。
だから店も閑散としていて、こんな時の日本人客は絶好のターゲットになる。

私は言葉が分からない素振りで娘たちの攻撃をかわしていると、背後から「クムスタ ナ マサヤ」と女の声がした。

振り返るとこの街で出会う筈の無い女が笑みを浮かべて立っていた。
彼女の名前はクリスティーン。
自分がフィリピンから引き上げる以前に少し関係のあった娘だ。

クリスティーンとはセブのバーで知り合って1年ほどの間飲み友達として付き合った。
フィリピン娘の多くが外国人の男と出会うと結婚を迫るのだが彼女にそれが無いのを良いことに、私は都合よく遊んだ。

当時の私はクリスティーンをバーから連れ出してはカラオケバーに行き、彼女が歌うマライアキャリーの曲を聴くのが好きだった。

カラオケバーには日本語の歌が少しあった。
「マサヤどの曲が好き」と尋ねられた時、てきとうに開いたページに載っていた尾崎豊のI LOVE YOUを指差した。
次に会った時、クリスティーンはI LOVE YOUを歌って聴かせてくれた。
それは少し怪しい日本語だったけれど私を驚かせるには十分だった。

クリスティーンと出会って一年になる頃だった。
どんなに遅くても家に帰る彼女が、その日は珍しくベットにもぐったままだった。
そして、I LOVE YOUの歌詞を英語にしてくれと言った。

私は適当な意訳を加えた歌詞をノートに書いて渡した。
すると彼女は私にしがみつくようにして鳴き声を殺しながら「帰らないで」と言ったのだった。
私はそれから一月ほどしてフィリピンから引き上げ、クリスティーンに会う事はなかった。

27歳になったクリスティーンだが面影は少しも変わっていなかった。

私はテーブルに集まっていた女たちに一杯ずつおごって追いはらい二人きりの席を確保した。
「クムスタ」「OK ラン」・・・元気だったか? 変わり無い、と8年前と変わらない会話が始まった。

私と出会った頃のクリスティーンは香港のエンターティメントビザを取る金が欲しくて夜の街に出ていた。
だが、その費用をバーで稼ぎ出すのは不可能なのを彼女は知っていた。
それでもスーパーの店員などよりは幾らか稼げたし、運良が良ければスポンサーに出会えるチャンスに望みを託し夜の街に身を置いていた。

彼女から見せられた書類でエージェントに払う金額を知っていた私はフィリピンを出る直前にまとまった金を渡した。
それは言いたかった言葉を口にしなかった彼女に対する私の償いであった。

そして私はフィリピンを引き払い日本へ戻り、彼女はマカオのカジノのステージに立つはずだった。

私は忘れかけていたビサヤ語を思い出しながらクリスティーンにその後を尋ねた。
「アヤウ サバ」・・・そんな事尋かないで、と微笑んでいたが、この街にいる事自体が彼女のその後を物語っていた。

この街はフィリピンでも有数の歓楽街だが、彼女が目指した歌手の仕事はほとんど皆無だ。
僅かにカジノのホテルのステージなどは有ったが、歌手の仕事があるのなら場末のバーにいる筈は無かった。

クリスティーンは私に、なぜこの街にいるの? 仕事? ああ、また悪い遊びなんでしょう、と質問しては勝手に納得していた。

その夜私はクリスティーンを連れてホテルに戻った。
ホテルの屋上のバーで静かに飲みたかったし、彼女のその後にも少なからず興味があった。

「香港には行ったのか」「うん 行った」「成功しなかったのか」「話が違っていた」「やはり歌うだけじゃなかったんだな」「うん」と、こんな会話をして一杯飲み終えるとクリスティーンが部屋で飲もうと言い出した。

部屋に戻った私はシャワーも浴びずにクリスティーンを抱きしめた。

朝、目が覚めるとクリスティーンは窓際の椅子に腰掛け外を見ていた。
私が起きたのを見た彼女が「高いビルから眺めるこの街って錆だらけね」と言った。
そして「いつ帰るの」と。

私はそれには答えず「I LOVE YOUはまだ歌えるか」と尋ねると「もう忘れた」とうつむいた。
「ねえ、いつ日本に帰るの」とまた聞くので「今夜」と答えた。
「そう、貴方はいつだって帰ってしまう人なの」と窓ガラスに映る私に向かって言った。

Facebookのアカウントを尋ねるクリスティーンにお前のを教えろよ俺が探すから、と言うと今はNoveって名前なのと照れたように言った。

「金に困っているのか」と尋ねると「今夜は何時の飛行機、見送りに行く」と話をそらした。
更に問い詰めるように聞くと「貴方にお金の話はしたくない」と少し悲しそうな目をして言った。

私は財布の中のペソ札をクリスティーンの手に握らせた。

日本に戻った私は、クリスティーンの事は気掛かりだったが連絡はしないでいた。
お互いに距離が離れ過ぎたし、なによりも自分の年齢が彼女を遠ざけていた。

帰国してから数日後、Facebookにメッセージが入っていた。

It is bad news.
I am a career in HIV. hehehe!!
If you get angry with me, you ought to come here soon,and kill me.

あまり冗談の得意では無い彼女だが、これは流石に悪ふざけだろうと思った。
下手に驚いて返事を返せばまた深みに嵌まるのでは無いかと自重し放置した。

そしてまた数日後、And this is my revenge for you.とメッセージが来た。

何の仕返しだ今更と思いつつ、問い質したいのを我慢していた。

フィリピンのあの夜から3週間も過ぎた頃、私は微熱と風邪のような怠さに見舞われていた。
1週間が過ぎても微熱は続き、私は慌て始めた。
これはそのままHIVの初期症状では無いかと。

そして私は市が匿名で受け付けているHIV検査を先週、区役所で受けたのだった。

今は結果を聞きに区役所に向かっているところなのだ。

ナベサダのサックスが煩く聞こえるようになってきた。



これは創作であり私のことではありません。

へっ・・・結果ですか❓ 陰性に決まっているでしょ!!!











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