じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

相対的理論を考える

2019-05-05 13:16:41 | 日記的雑談
私は難しい事を考えるのが好きであります。

で、今考えているのは「相対的理論」でありますが、かの有名な「相対性理論」とは似てないものでして、数学的でも科学的でも無い、割と非科学的な理論であります。

まっ、相対的理論なんて奇を衒って云うとナニなんですが、要するに仏様の教えそのままでして、真髄を語っちまえば「比べるな」の一言に尽きる訳であります。

いや、全ての問題はこの一言で片付くとお釈迦様は宣っておられまして、九分九厘納得なんですが、残り一分がどーも埋まらない・・・そこを考えている訳であります。

例えば、私の人生の大半を費やした大問題「貧乏」ですけど、これなどは明快で解り易い訳です。
比べる尺度が無ければ金持ちも貧乏も無いと、そう云う事になる訳です。

で、私の人生の命題とも言える「なぜ俺は頭が悪い」も貧乏と同様でして、誰かと比べなければ私の馬鹿さも浮き彫りにならないのであります。

まっ、貧乏も頭の悪さも相対ですから、比べるものが私より下の極貧であったり大のつく馬鹿であれば私の気分はルンルンになる訳ですが、お釈迦様は負の相対を語っている訳ではなく、目くそと鼻くそを比べて一喜一憂する事全般をお止めなさいと教えているのであります。

で、お釈迦様の教えを素直に受け入れ、目に見えない物差しで計った尺度に右往左往するのはやめようと思う訳であります。

例えば、焼肉屋に行って本当は和牛カルビーを食べたいんだけれども、サービス品の盛り合わせで我慢するなどは平常心で乗り越えられる程度にはなっている訳です。

仮に隣の席の家族連れが豪勢に黒毛和牛のA5ランクカルビーを食べ切れないほど注文する傍らで、肉の盛り合わせ2980円をちびちびと焼き、本当は生ビールのお代りと行きたいところをグッと我慢して無料のお茶を頼むなどは平気になった訳であります・・・まっ、貧乏も板についたと言えなくも無いんですが、精神的にはお釈迦様の教えを実践していると揺るぎないのであります。

で、よく分からない1分は比べる物や相手が無くて気持ちが迷う時、揺らぐ時の事であります。

例えば、これからバイトなんですが、正直に白状すれば行きたく無い訳であります。
このままPC相手に駄法螺を書き込んだり読書などしていられたらなんぼ気楽かと思う訳です。

で、ここで葛藤する訳であります・・・お釈迦様は自分に正直に生きれば良いんじゃ無いか、と宣い、自分が敬愛する一休禅師も同様の事を宣う訳であります。

しかし、ここで自分の思考は停止、もしくは堂々巡りに嵌る訳であります。

稼がないと貧乏になる、と火を見るよりも明らかな現実の比較になっちまうんであります。

いや、貧乏を恐れる訳では無いのであります。
今はかろうじて食える2980円の焼肉が食えなくなろうとも「相対的理論」を駆使すれば乗り越えられるんですけれども、PCと戯れる喜びと引き換えに失う焼肉の比較に「相対的理論」を持ち込んでもなんと無く相対していない気がするのであります。

なんと申しましょうか、私には見えるんであります。
空っぽの財布を逆さに振って不機嫌な自分の姿がくっきりと浮かんで見えるんであります。

かと云ってたった今の自分の気持ちに素直になるとバイトに行きたく無くなっちまう訳でして・・・ここん所が分からないんであります。

しかしね、出勤前に急場で書いたんで纏まりませんでしたが、本当はもっと深いところで「相対的理論」を書くつもりだったんであります。

そして、行き詰まるのは承知なのでその先の展開として「特殊相対的理論」も薄々考えている訳であります。

いや、すでに着替えなくてはならない時刻なんで尻切れで端折るんですが、結論としましては、どーだっていいじゃねぇかそんな事は、で済む話でして、好きにしろよ、という事に話は落ちる訳でありますけどね。

では、行ってきます。







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朝も早うから・・・

2019-05-05 10:20:54 | 日記的雑談
まっ、ここは炭鉱では無いのでカンテラ下げて仕事に行く事は無い訳ですが、昨日の元気の無さが嘘のような目覚めをした今朝、私は勇躍畑の巡回に出た訳であります。

いや、また畑と野菜の話かと言われると返す言葉も無いんですが・・・それしかやることが無いのが現実でして、そこを突かれると人生を根本から考えないとダメなんで勘弁してください。

と、云うことで、まずは心配の種のトマトさんを見に行った訳です。

昨日、トマトさんの活性を上げるべく秘蔵のアレをナニした次第でして、効果が出ていれば良いのだがと見に行った訳であります・・・結果は、一晩で劇的な効果が認められるほどの変化は無い感じでありました。

で、次は毎日のお約束、朝の水やりであります。

自分は土いじりや農作業が大好きですけれども、本職にならなくて良かった心底思うんであります。

作っている野菜も花も売り物では無い・・・要するに趣味の範囲なので野菜の病気を笑ってやり過ごせますけれども、これが飯の種だったら死活問題であります。

そんな緊迫した状態に追い込まれたら気の弱い私は畑のビワの気に縄など吊るして首を・・・なんちゃって。

いや、飯の種で無いということの気楽さは今までの仕事で百も承知二百も合点であります。

同じ事をしてもお代を頂くのと無償では精神的圧力は雲泥の差でして、銭をもらった瞬間から楽しかったはずの事が重荷に化けた経験数知れずであります。

古くはダイビングがそれでありましたね。
趣味が高じてイントラやガイドをやっちまって思った事は・・・潜るのが苦痛になった、でありました。

写真屋もそうでした。
趣味と実益を兼ねて写真屋のオヤジになってはみたものの、客の文句の多さに辟易して店から逃げ出したのは一度や二度では無いのであります。

考えてみれば分かりそうなもんですよね・・・写真なんて趣味性の強いものですから客は所謂「オタク」の類が多い訳です。
気に入られればがっぷり四つになりますが少しでも馴染まないところがあればすぐに来なくなります・・・まっ、来なくなる人は良いんですが文句百万遍語って立つ鳥後を濁すのが生き甲斐みたいな人も居たりして、アレは結構気の重い仕事でありましたっけ。

で、野菜の事なんですが・・・銭金の事もアレですが、野菜も草木も命でありますから自分が種など蒔いて発芽させたら天寿を全うさせる義務がある訳です。
と、云う事は、雨の日も風の日も面倒を見てやらなくてはダメな訳でして、1日たりとも目が離せないのであります。

余談ですけど、スキー友達に牛飼いが居るんですが、彼は早朝から昼ごろまで牛の世話をして午後から滑りにくる訳です。
で、彼に聞いてみた訳です「一年中ずっとそんな生活なの」と。
すると彼答えて曰く「1日目を離したら乳が出なくなるからねぇ、こんな暮らしを15ねんもやってるよ」と。
そして、牛飼い仲間で助け合って偶に休みを作るんだけれども温泉なんか行っても牛が気になって休まらないんだとか。

生き物に関わってしまう事の肝は、命を扱っている自覚を持てるか、なんだろうなと思うんであります。

生き物が命なら育てる自分も命であります・・・ここんとこ、人間相手の子育てなんかも似た感じかと思う訳ですが、なんと申しましょうか、全ての命とは対等であり、寄り添う心が肝心なのであるな、なんて事をキュウリに水をかけながら思った今朝でありました・・・なんちゃって、そんなのは嘘でして今考えた創作屁理屈です。


パラパラだったツツジが今日は満開


スズランは組んず解れつ咲き乱れ


スズランの隙を間を狙うアマドコロ


花も芳しい月桂樹


育てても鮭にはなら無いクロメダカ

と、云う事で朝っぱらから庭と畑で遊んだ訳であります。

いや、昨日の不調はなんだったんでありましようか?

多分アレです・・・バイト先で嫌な事があった後遺症でありましょう。

まっ、バイト先の事なんてのはどーでも良い事であります。
心配なのはトマトやスイカの明日の成長・・・なんちゃって。



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