じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

暇なので 罵詈雑言

2021-10-24 11:10:38 | 日々の雑感
いや、午後2時半からはバイトなんですが、今は暇なんで暇つぶしには罵詈雑言ってことで、まっ、雑談であります。

【悲報】日本人は何故、ほとんど海外に移住しないのか

こんなスレが立っていて色々ご意見があったんだけれども、書かれていたことはそこそこ当たっているなと、思った次第であります。

まぁーた貧乏旅行自慢かと言われるとアレなんですが、約30カ国ほど、細切れの足掛けですが30年以上にわたって旅し、日本にいなかった時間を足したら10年を超えていました。
いや、8割がフィリピンなんですけれども、まっ、いいでしょう。

移住って言葉は大雑把でして、若者が人生を掛けて片道切符で出かけていくのと年金生活者が物価の安さを求めて東南アジアに潜り込むのでは意味が違い過ぎて話になりません。

あれです、片言の英語や現地語でも生活はできますが仕事となると別であります。
なので年金暮らしの移住は基本的に仕事はしないので簡単に成り立ちますが商売をするとか、勤めるとなったらそれは限りなく困難であります。

まっ、現地で良いパートーナーに恵まれ稀に成功する人も無きにしも非ずですけど確率は相当低いと思いますが、まっ、いいでしょう。

で、駐在員での海外暮らしが長いってのも移住とは別物と思うわけです。
そもそも駐在員には暮らしていけるお膳立てがあるわけでして、どれほど長く住んでいようとも個人が自力で暮らしているのとは別種と断言します。

あれです、海外の知らない街の人混みに1人でいるのと田舎者が東京の街の雑踏で感じる疎外感は別物でしてなんの目的もなく暇つぶしで居るとしたら寂しさの極致であります・・・と、自分は思いましたが。

いや、下らない持論は置いといて結論を言うと・・・日本人は日本が住みやすい、であります。
まっ、人それぞれなんで好き好きでありましようが、なんちゃって。


難しいことを難しく書く人だな・・・なんちゃって。

民衆と言いますか、大衆は「政治的に無知」とは言ってくれるじゃ無いかぃ!!!

こうした政治的無知は枚挙にいとまがないが、「アメリカ人はバカだなあ」と笑っているわけにはいかない。2014年の国際調査では、平均的な日本の回答者は失業率を大幅に過大評価し、殺人件数が減少ではなく増加していると誤解し、移民の割合を実際より5倍も多いと信じていた。さらに、日本人の約3分の2は政府の14の省庁の名前を半分もあげられず、大半は自分の選挙区の国会議員立候補者についてほとんど知識をもっていない。

あのね、筆者はこー言うことを書くのが仕事だから調べるし勉強するわけでして、言って見れば私ら愚民をバカにして飯を食っている輩なわけであります。

一般大衆というのは日々明日の飯とか子供の学費を稼ぐのに必死で政治になんぞ感けていられない・・・だから代議員制なんでしょ?

で、代議員制というのは性善説で成り立つものでして政治家は嘘を言ったり私腹を肥やすなんてことはしないって前提で成り立っているわけであります。

と、言うことで、信じて投票しても選挙前に言ったこととやってることがこれほど乖離していたら呆れてやる気も起きません、と思いますが如何でありましょうか?

しかも、戦前でも戦後でも大衆が納得した政治ってありましたか?

味噌はここなんであります・・・政治なんてものは愚民が何を言っても変わらないってことでして、騙すのが上手な為政者の時に多少は落ち着くって程度のことでありましょう。

政治について熱く語るひとたちにもっとも近いのはスポーツファンだと、ソミンはいう。自分が応援するチームや選手について詳細な知識をもつファンは、他のチームを含め、スポーツ界全体の(公共)利益について不偏不党の立場で考えているわけではない。むしろそれとは逆に、「俺たちのチーム」を絶対化し、チームと一体化する喜びや、勝敗に一喜一憂する高揚感(エンタテインメント性)を求めているだろう。

これは一理ある・・・正しい、が、だからどーした、であります。

いや、民主党が政権を取って日本は劇的に変わったですか?
目くそや鼻くそ的視点ではあれこれ言えますがあのまま政権が続いても日本が潰れたなんてことは無いと私ゃ言い切ります。

それは何故か? 早い話が日本国で政治家は大した存在では無いってことでして、官僚組織が機能していればそこそこ安泰ってことでありますが、まっ、これに関しての異論と反論は認めます。

で、話は逸れますが関連してるので聞いてください。

テレビの役割の変化であります。
昭和の時代のテレビは国民の息抜き、労働に精を出した民衆に手頃な娯楽を与え余計なことを考えさせない「一億総白痴化」が狙いでありました。

CMもそうでして、高度成長は重厚長大を是とし、大きい事と無駄なことが元生やされたわけで、今の時代とは対極的でありました。

で、テレビが大衆娯楽の花形に育つ頃、田舎にはまだ集団就職なんてのが残っていまして現代のようにバカでも大学に行くって時代ではありませんでした。

さて、なんぼFラン(偏差値40以下)でも四年間余計に学校に行っていれば多少の知識はつくし、何よりも中卒・高卒とは意識が違うわけであります。

そんな世代が親になり社会の構成員となってからテレビは変わったと思うのであります。

水戸黄門や遠山の金さんやプロレスは無くなり、実はバラエティー番組なのに政治風味やニュース味に仕立てたものが多くなり自称知識有る系を取り込んだと思うのであります。

で、これで世論を操れることを確信した反日のテレビ朝日が繰り広げたテレビタックルなどが見事に当たって民主党政権まで漕ぎ着けたわけであります。

と、まぁ、簡単にテレビの話を書きましたが新聞や週刊誌でも同じでして、政治を学ぶなんてのは余程暇な人でない限りは不可能だし、筆者が示すような難しい論にしてもそれが正しいって実証は無いわけで、必ず反論があるわけです。

と、なると、多少興味のある人が自分の気分の良い方のニュースや記事を探しては読み、ますますその方向に傾くってことでありましょう。

蛇足ですが、既存の反日メディアが見透かされ疎まれているのはその正体とあざとさがバレてしまったからでしてその点では救われる方向だと思います。

で、テレビのワイドショーをニュース番組だと思って疑わない人は反日テレビのご意見番に拍手を送り投票をするってことでありまして、それも日本国民の意思であります。

だからスポーツと政治は、なんてのは当たり前でして、自分に言わせると何を今更当たり前じゃねぇか、であります。

結論なんですが・・・議会制民主主義の根幹は政治家が嘘つきだったり金儲け目的の人では成り立たないってことであります。

ですから、与野党の意見に相違があっても国益に沿った話であって目指すところは同じだが道は違うってことなはずなんです。
まっ、共産党などは論外ですが。

民衆は無知である・・・だから立派な代議士に託すんですから糾弾されるべきは政治家でありまして不勉強な愚衆では無い、なんちゃって。

いや、もう出かける時刻なんで少し急ぎましたが今日は中々良い出来だったと思うんですが、まっ、いいでしょう。

では、行ってきます。











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きょうは温かい

2021-10-24 10:19:50 | 日々の雑感
先ほどまで日差しがあったからか庭や畑に出て作業をしていると汗ばむほどでありました。

いや、温かいと言うのも確かではありますが自分の身体がそろそろ冬体質に馴染んだのだと思います。

今日はユキナを蒔きました。
ユキナは雪菜と書きまして、多分東北地方特有の冬の菜だと思います。
名前の通り雪の降る頃に収穫する物ですが、採りそびれて雪に埋もれたらしめたものであります。
雪の下の菜は寒さに耐えるためか葉を皺くちゃにして雪に接する面積を減らし糖分を蓄え甘みを増すのであります。

が、それは上手な農家さんの作るものでありまして似非百姓の自分の雪菜はただの菜っ葉でありますが、それでも冬には雪菜を作らないと落ち着かないのであります。

今朝、トイレに入って何気なく手にした本が坂口安吾の「白痴」でありました。

あれです、自分のトイレの壁には自作の本棚が設えてありまして約250冊ほど、主に文庫と新書系が収まっているのであります。

で、滞留時間の長い自分は物思いに耽ったりスマホのニュースを見たり、時には目に入った本を開いたりするわけであります。

それが今朝は「白痴」でありました。

いや、何度か読んでいるものなんですが今回は引き込まれたと申しますか、こんなに強い印象を持った記憶がないのにやたらと引っ掛かるのであります。

引っ掛かるとは不正確ですが、なんと申しましょうか、厭らしい感じをひしひしと受けるのであります。

嗚呼、俺だわ・・・自分に酔っている大バカ者の所業だわと、まるで自分の過去を見る気分になったのであります。

まっ、冒頭の30ページほどを流し読みした感想なので適当なものではありますが、女と金にだらしなく屁理屈をこねては自堕落な生き様を正当化する・・・なんちゃって。

あれです、中学の国語の時間に感想文を書いてこいと言われ倉田百三の「出家とその弟子」を取り上げて書いて行ったわけですが、先生の評価は丙でありました。
原稿用紙で10枚以上の大作だったのに・・・馬鹿野郎、なんちゃって。

いや、ガキの頃から道ならぬ男女の関係ってのが大好きでして、とくに蓮っ葉な女や春をひさぐ女との関係ってのに強く惹かれたわけであります。

なんと申しましょうか、社会の全ては男女の関係から始まり、そして終わると思うのであります。

なので男が女に夢中というのは自然でして、それをどうするかって処で経済、なんてのも出てくると思うわけです。

いや、女が男に夢中ってのもあるんですが、それでも女はあくまでも受け身でして、生物の特性として普遍と思うのであります。

で、春をひさぐ女と買う男ってのは経済の問題なんですが、そこに人情とか心の問題を持ち込むと突然社会を否定することになりかねないわけでして、小説では大概そーいうことになるわけであります。

へっ? 相当意味不明、ですか?
そーですか、男と女じゃ無い間柄も市民権を得た時代ですからそーとも言えますが、まっ、いいでしょう。

それにしても、もしも白痴の「いずこへ」の「私」が安吾自身であったとしたら、あの時代の三文文士は随分とモテたのであるなと、羨ましい!!!

いいなぁ、助平で甲斐性なしの「私」にぴったりな自堕落な女との道行き!!!

嗚呼、そういう想いを抱くには少し齢をとりすぎた、なんちゃって。








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