じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

出勤前に罵詈雑言

2021-10-13 12:36:17 | 日々の雑感
いや、昨夜は11時と言う滅多に無い深夜まで掛かって本を一冊読破したんだけれども、中身は素晴らしく得るものが多かったんのだが後味としては酷いものでありました。

なんと申しましょうか、湧き上がる憎悪に蜂起しちまおうか、なんて思ったんですが夜中なのでやめました、なんちゃって。

蜂起なんていうのは左翼が好む言葉ですから私ゃ嫌いですが、マジで殴り込んでやりいた気持ちにでしたが渡世人でも無いのでそれもやめます。

しかし、軽く調べると朝日新聞にカチコミ掛けたってのは結構あるんですね。

1987年1月24日(土曜日)の午後8時過ぎに朝日新聞東京本社で発生した朝日新聞東京本社銃撃事件。
1987年の憲法記念日5月3日、記者2人が殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件。
1987年9月24日午後6時45分ごろ、名古屋市東区新出来にある朝日新聞名古屋本社の単身寮が銃撃された朝日新聞静岡支局爆破未遂事件。

まっ、1987年に集中していてナニなんですが、憾みをかうような事ばかりしている新聞社ですから・・・と、言いつつ亡くなった人に罵声を浴びせるってのはアレなんで慎みます。

あれです、昨夜読んでいた本は、いかにして朝日新聞が慰安婦問題をでっち上げたのか、と、まんまと朝日と韓国の悪巧みに乗せられた日本の政治家・・・もちろん代表は河野洋平ですが、他にも戦犯がいたことも書かれていました。

まっ、河野洋平も可哀想っちゃそーなんです。
世論が荒れて治らない韓国の国内向けに頭を下げてくれ、二度と蒸し返さないからと頼まれた河野洋平はそれを信じて談話を出して頭を下げたわけですが、相手は韓国ですから舌の根も乾かぬうちに火に油を注いできたわけであります。

いや、慰安婦問題なんて韓国側から出た話じゃ無いんですぜ!!!
全部朝日の捏造でして今となってはそれらの嘘は暴かれているのに朝日は知らん顔であります。

で、次に書かれていたのが南京大虐殺の顛末ですが、これも朝日の仕掛けた嘘なんですが詳細は省きます。

で、朝日他の日本のメディアが何故に反日でこれほどまで酷く日本国を貶めるのに精を出すのかと言うと、本に答えは書いてませんでしたが、私の推測では「銭」でありましょう。

日本国を弱らせるってのが主たる目的でしょうが日米を離反させるって目的の時もあるでしょう。

さて、問題はここであります。
日本国の新聞社やマスコミが反日国の銭で買収されているって事実に国民が目覚めないと大変なことになるよ、であります。

なんとなれば、マスコミが味方になると何を動かせるかと言うと「民意」でありまして、早い話が選挙で反日議員やらが増産されちまうぞってことであります。

と、言うことは、戦後すぐから対日工作は進んでいるわけですから既に多くの反日議員が議席を持っているわけであります。

あれです、オーストラリアも中国に侵食され国を乗っ取られ掛けたってのはつい最近のことでありまして、本やニュースで読んだところではほとんど中国的共産国家になりつつあったわけであります。

やり方はいつもの方法でして、ハニトラと銭で政治家を、であります。

まっ、もしも自分がチャイナ美人にハニトラを仕掛けられたら絶対に引っかかるし、また黄金餅と引き換えに国を売れと言われたらあっという間にYesって言う自信もあるのでなんとも云い難いところではありますが、国を背負って立つ政治家や公器として存在する新聞社屋の人などがそれでは国が傾いちまいます。

まっ、田舎のジジイが知ったふりをして国を憂いても詮無いことではありますが、まっ、いいでしょう。

財務相だった麻生太郎副総裁に矢野氏が事前に了解を得たため、首相と麻生氏の関係に影響が及ぶ懸念もある。

財政規律を重視する財務省の基本的な立場を示しただけだとして擁護する声も多い。自民党幹部は「麻生氏がこれまで言っていることと同じだ。ブレーキのない自動車は困る」と話した。官邸関係者も「問題ない。言論の自由だ」と指摘した。

まっ、出来レースでしょう。
味噌は、与野党の政策論争を「バラマキ合戦」と言ったところでありましょうか。

いや、一通り読んでみましたが正論でしたし、なによりもアメリカ様が金融緩和から舵を切ろうとしているのに日本はどーすんだってのは議論しても良い筈、と思うのであります。

まっ、この手の話が出るとすぐに増税に結びつけて反対って言いたい気持ちもアレなんですが、だったら国民も我慢しろよな、なんてことも思うわけです。

貧乏だから10万円くれ、とか、この仕事はきつい割に給料安いからなんとかしてくれ、とか言うの止めれば、と思うのであります。

金無いから子供作れないし、作っても金無いから育てられないから給付金増やして、なんてのも言語道断と思うんであります。

ねっ・・・自分が潤うぶんには国や自治体の懐なんて気にもならないでしょ?

所詮民百姓の意識なんてのは我田引水型でしか無いわけで、そもそも娑婆は餓鬼しか居ないんですから今更ってことですけれども、まっ、いいでしょう。

いや、何がどーなってこーなっているのか? 
まっ、良くわかりませんがワクチンから邪悪なものを感じるのは私の気のせいでありましょうか? なんちゃって。

おおっと・・・バイトに行くんで支度しなくちゃ。

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仕事にならねえ !!!

2021-10-13 10:04:47 | 日々の雑感
今日も雨です!!!
で、今日はバイトの出勤日なんですが午後3時からの勤務なので半日以上1日未満的に植木屋ができると踏んでいたわけであります・・・が、昨日に引き続き今朝も雨でした、ちゃんちゃん、と。

その昔死んだ父ちゃんがしつこく言っていたんですが「労働者にはなるな」でありました。

あれです、大正生まれでフンドシ愛好者だった父ですから労働者って感覚はおそらくブルーカラーとホワイトカラーの区別を言いたかったのかと思うんであります。

で、続く言葉は「どーしようも無い時でもせめて屋根の下での仕事にしろ」と言われたのを覚えております。

私ゃ第二の人生でアウトドア系の労働者になったので父が言いたかった事の意味はしみじみと、そしてつくづく分かるんですが、それって時代ってのもあるよな、と、もしも酒でも飲みつつ話ができたら、なんてことを思うのであります。

仕事が楽しく無い・・・まっ、わかります。

で、記事に対しては全方位に突っ込めるんですが、まずは仕事と生活を切り離して、遊びと仕事、なんてことを考えるのが拙いと思います。

食うためには働かなければってのは縄文人とても同じでして、仮に特権階級の支配者になったとしても、そんな人は稲刈りや魚獲りはしなくても常に権力闘争のあれこれに気を配り、言って見れば頭脳はフル回転の労働と言えると思うんであります。

と、言うことで、労働の形態がってことになりそうですが、それも社会全体の変化や国の状況を踏まえないと、だからこーなんだ的な決め付けはダメだと思うんであります。

東京って特異な大都市の駅前で通勤の人の感覚と田舎の労働者の感覚は全然違うってのも大きな突っ込みどころってのは如何でありましょうか?

あれです、西洋では・・・いや、この手の言い回しは大嫌いなんですが、確かフランス人だったと思いますけど今一確証が持てないので誤魔化しておりますが。

で、そっちの方の国では、労働は神が与えた罰なので仕方なく働く、ってことで仕事はさっさ済まし、だからリタイア後の遊びに萌えたりするそうであります。

ついでに言うと日曜日は何が何でも休むって感覚も、その日は休めと神様が決めたからでして、生きる事の中心に神様が存在する・・・らしいのであります。

いや、曖昧に言うのはアレです・・・自分は日本人しかやったことが無く、なんぼ本を読んで知識を入れても現実的にはわからないわけでして、ホントーに一神教の人たちはそう思っているのかは定かでは無いってことであります。
さらに、私ゃ陰気な関西人を沢山知っていますんで大阪の人だから皆吉本系かと思ったら大間違いってこともあるんで日本人はとか、フランス人はなんて断定は恐れ多くてできません・・・なんちゃって。

と、言うことで、もはや書き始めの趣旨から脱線しちまったついでに言うと、この手の感覚の人は仕事に限らず生活全般が楽しく無いんだと思うのであります。

それは遊び方を知らずに育っちまったのでいざ大人になってもどーして息抜きして良いのかわからず、じつは余暇さえもが苦痛の原因なんてこともあると思うのであります。

仕事と遊びを揶揄する話でこんなのがあるんですが・・・。

男と女がいまして・・・
で、そう言うことになり、いざと言う刹那であります。
女「遊びじゃ無いのよ」
男「金払えってか」

いや、これをどのように捉えるかは個人の経験値と判断によると思うんですが、別バージョンもおひとつ。

男と女がいまして・・・
夜の帳も降り、しっぽりとって時でありました。
女「遊びじゃイヤよ」
男「では、これは仕事か」

と、言うことで、遊びじゃ無いのは仕事であり、仕事は金が入るが遊びは支払うってのが世の常のようでありますが、まっ、いいでしょう。

さて、話は遊びができないから仕事が面白く無いんだ、ってところに持っていくわけですが、はい、そこのあなたの異義は認めません!!!

いや、近頃流行りのアウトドアー的遊びを見ても画一的と言いますか、マニアル参照的な人が多いわけでして、ソロキャンプなんてのを見ると私ゃ笑いがこみ上げるんであります。

いやいや、バカにしているわけでは無く、ただ面白いと思うわけでして、皆様一様にスタイルが画一的でして・・・ああ、これはいつか来た道の煮かえしだな、なんて思うんであります。

あれです、こんなことはずーっと昔の昭和から始まったことでして、この手のパイオニアはビーパルって雑誌から、だと自分は思うんですが、まっ、いいでしょう。

で、キャンプは楽しいと噂に聞いて情報を集め、道具を買ってキャンプをしたけれども、ネットや雑誌で読んだよりも面倒くさくて楽しく無い・・・なんて人も多いと思うんであります。

で、これはどんな遊びでもそーなんですが、一過性でやり過ごしたら次を求めないと穴は埋まらないわけで、そーするとまた新しい流行物に手をだすってことになると思うわけです。

あれです、求めよさらば与えられん、てのは聖書の言葉ですが信心や感謝の気持ちが無いので求めは通じず与えられることもないわけであります。

で、ここでオチをつけるとすれば、心が貧しいんだね、で終われるんですが、もー少し引っ張りますと・・・犯人は承認欲求なのだ!!! なんちゃって、いみふめいですかね?

自分は今時で言う承認欲求ってのを昔言っていた「自我欲求」ってことだと思うわけであります。

あれです・・・皆様もご存知のマズローの欲求五段階、であります。
これの説明は省きますが、要するに一昔前までは満たされていた三段階目の「社会的欲求」が今は危ういってことだと思うんであります・・・へっ?何を今更、常識だろう、ですか? 

いやいや、自分は今気がついたんですからここは譲れないところであります、なんちゃって。

で、四段階目が「自我欲求」ですから、ここが今流行りの承認欲求となるかと思うんですが、しかし何事もにも閾値ってのがあるわけでして、三段階と四段階の際でうろうろしているって人はモヤモヤするんだろうな、と思うのであります。

あれです、分析だけしても解決にはならないので私からの提案なんですが、現代人が錯覚している「あーすればこーなる」と言う屁理屈を忘れることだと思うのであります。

あーしてもこーならない不条理は世の中になんぼでもあるわけですが、現代人の多くは学校で必ず解ける方程式を習ってくるんでなんでも解るとか判ると思い込んでいるわけです。

では、答えは何処にあるかと言うと「あきらめる」ってところにあるわけでして、漢字で書くと「諦める」では無く「明らめる」ってことなのであります。

いや、ふざけたことを言うなとのご意見もありましょうが、これがお釈迦様の言葉の真髄でして、言ってみれば「真理」なのであります。

と、いうことで、仕事がつまらないと思ったら家で軽く座禅などしたら気持ちが良くなりますぜ・・・なんちゃって。

いや、座禅ってのはひとつの形でしてなんでも良いのであります。
例えば、草むしりをしても禅ですし、飯を食っても禅なんであります。
と、言うことは・・・仕事をしても禅なので修行だと思ったら良いってオチは反則でしたかね?




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