あれです、岬めぐりを唄ったのは山本コウタローとウィークエンドでありましたが、自分のは遺跡巡りでありました。
まっ、正確に言うとミュージアム巡りが正しいんですが、まっ、いでしょう。
いや、本日の予定は植木屋だったんですが朝の天気があまりにも不穏だったために様子を見ていたら出かけるタイミングを逸し最早手遅れとなっていたのでありました・・・んじゃぁ植木屋は明日にして今日は休もう、と。
で、時刻としては既に10時近く・・・遠くには行けないし、今日は日曜だから迂闊なところへ行くと人ごみと渋滞で苛つくな、と言う事で近場にして次第であります。
10時過ぎMT-07に跨って向かった先は「奥松島縄文歴史資料館」でありました。
いや、距離にして40キロかそこらなので高速を使わなくてもって距離なんですが途中に渋滞の難所があるんで高速に乗った次第であります。
奥松島縄文歴史資料館
で、11時少し前に現場に到着し木戸銭の440円を支払って入りました。
ここは奥松島で発見された「里浜貝塚」からの出土品を元に作られた施設であります。
縄文時代 中期 中葉の土器
なんだこの変顔は!!!
いや、一口に縄文時代ということがどんだけ危ういかと思うようになった自分としては、ここの展示物は縄文の区分としては前期と中期がありましたが、自分の勘では中期の後の方に展示物の焦点が当たるのかと思いましたが、まっ、シロートの戯言であります。
で、既に多数の縄文時代の出土品を目にしている自分には特別目新しく感じるものは無かったんですが、これだけ精巧な土器を作れた縄文人がなんでこれほどフザケタ顔の土偶を作ったのか、ここはまた1つ謎が深まった次第であります。
で、展示物に丸木舟の上から銛を構えて魚を狙う縄文人が居たんですが、顔と雰囲気がアイヌっぽくて自分としては嘘くさいなと思えたんですが、まっ、いいでしょう。
ちなみに私はアイヌは縄文人とは無関係という説を信じる派であります、なんちゃって。
いや、中々良いものを見て名残惜しかったんですが施設は大きく無いので見学に時間はかかりませんで次の遺跡へと向かった次第であります。
が、時計を見たら間も無く昼飯時・・・向かう先は日本三景松島海岸なので閑散とした奥松島から出ちまったら混雑するなということで、すぐ近くの道の駅風のところで味噌ラーメンなど食し七ヶ浜町へ向かった次第であります。
七ヶ浜町歴史資料館
奥松島から七ヶ浜町までは国道48号線経由で40〜50分であります。
奥松島縄文歴史資料館と同じ松島湾沿岸でして、言って見れば反対側の岬って感じであります。
さて、調べるまでは存在さえ知らなかった七ヶ浜町歴史資料館でしたが、たどり着いてビックリ!!! なんと、無料なのであります!!!
で、静かな建物のドアをそーっと開けましたが人の気配は無く、勝手に見ていったください、って感じでありました。
いや、無料ということとやや古びた建物の雰囲気から殆ど期待していなかった自分は本気で吃驚であります。
これが!!! この展示施設が無料ですか、と思わず手を合わせ縄文人に感謝した次第であります。
尖底形土器と平底形土器が並んでいた
塩釜から黒曜石が出ていたとは知らなかった
いや、ここに展示されている縄文土器は生々しいと言いますか、自分が見るには煤けていて生活感がひしひしと伝わってくるのであります。
こんな土器で木の実や魚や芋を煮て食べたんだな、なんて思うと胸が熱くなるのであります。
で、大木囲貝塚から出土したんで大木式土器は年代の古い順から縄文前期の大木1式に始まり縄文中期の大木10式まで展示されていました。
大木式土器の中でも特に興味を持ったのは「繊維土器」でありまして、今後の博物館巡りではこんな物も探して見たいと思った次第であります。
沖には父ちゃんの丸木舟が
あれです、たぶん縄文時代ってのはこんな風だったと私ゃ信じます。
が、これは春の頃でして海は凪、大潮の日は絶好の潮干狩りで、父ちゃんは沖で魚釣りで見た目的にはすこぶる平和であります。
でも、縄文前期の人の平均寿命は31年くらいと書いてましたんで現実には厳しい生存条件だったのでありましょう。
で、二階の展示室には「赤井菅街遺跡群」の展示物があり、地方の豪族のあれこれと横穴式古墳からの出土品などあったんですが縄文好きの自分にとって奈良時代というとまるで昨日のような感覚なので少し早足で通り過ぎた次第であります
と、いうことで、無料というのに恐縮しながらもじっくり見学させて頂き大満足で次の目的地「東北歴史博物館」のある多賀城市に向かいました。
あれです、七ヶ浜町から多賀城市は目と鼻の先でしてバイクだと20分ほどであります。
宮城県立の建物はさすがに立派でした
なんと申しましょうか、私ゃ県立の東北歴史博物館に行って縄文時代のアレコレを見るコツを掴みました。
このように東北と銘打って広い範囲を扱った総合施設の展示物は薄く広くでして、言って見れば玉虫色な上に、歴史博物館となると旧石器から始まって終わりは昭和30年代くらいとなって小学生の学習にはとても良いけれどもマニアが見るべき場所では無いなと思った次第であります。
土偶も地域と年代が混じって掴み所なし
古墳時代の展示が充実していたかも?
いや、ネットで調べた時には期待が持てると思ったんですが表紙を飾った宮城県は田尻町から出土した遮光器土偶が光っていた程度でして、縄文土器や土偶をげっぷが出るほど見たいと思う自分にはとても薄味でありました。
が、あれです、縄文時代から昭和30年頃のセピア色したちょっと昔までを年代順に見られるってのは素晴らしいことではあります。
昭和の雰囲気が懐かしい!!!
いゃ、一番心に刺さった展示物は昭和でありました。
母ちゃんただいま、と言って家に上がり、腹減ったぁ〜と言ったあの日を思い出した六畳間でありました。
いや、縄文時代に凝って深掘りしている最中なんですが、本日の収穫は「縄文人は生活していた」と感じたことであります。
あれです、季節の巡りと自然の有様を熟知して食べ物を手に入れ、装飾品でお洒落もし、たぶん木の実や果物で酒を作り飲んでいたことと思うんであります。
まっ、生活は想像以上に厳しかったろうは思うんですが、仕えること無く銭が要らない暮らしってだけで憧れてしまう自分は現代に心を病んでいるのでありましょうか、なんちゃって。
本日の走行距離 115キロ
ガソリン 5リッター(740円)
高速代 880円
昼飯代 880円
入場料 880円
えっ? 880円の三連発でしたか、なんちゃって。
あー楽しかった、と。