皆様はサザエさんは好きですか❓
私ゃ娘が子供の頃は一緒になって見ていましたし、もっと遡っては自分が小学生の頃貸本屋から借りたマンガ本で見ていた訳であります。
その頃のサザエさんで記憶にあるのは、設定が終戦後の安定期に入った昭和20年後半か30年代始めで、サザエさん一家が引っ越してくる場面であります。
細かい事は忘れましたが引っ越し荷物が「縄」や「行李」や「籠」で括られていたのを覚えています。
が、話はそんな事では無いのであります。
私としては「サザエさん家には現実が無い」と話を持っていきたい訳であります。
現実が無いとはどーいう事かというと、サザエさん家に起こる不幸と言いますか問題は、せいぜいがカツオのテストの成績が悪くて云々とか、マスオさんが会社の書類を忘れてさー大変、なんてことな訳であります。
で、ここでサザエさん家やマンガの意図を考察する気は無いんですが、磯野波平以外は全員の名前がカタカナでありまして、ここに作者の大きなナニがアレしていると思うのは、如何でありましょうか。
で、さらに言えば、サザエさんのマンガで戦争や葬式の場面は見た記憶が無いのであります。
言ってしまえば、サザエさんのマンガでは人は死なないのであります。
と、いうことで、私は平和ボケ国家の日本を、人は争い死ぬという現実から目を逸らした「サザエさん国家」と呼びたいと思うのであります。
大日本帝国陸軍時代の日の丸
国軍の防空壕の中の司令部 たぶん
裕仁天皇の負け戦宣言詔書
日本軍の南部14年式拳銃
日本軍の爆弾と大砲の弾
と、いう前振りから台湾の博物館で見てきた写真を無理に引っ張りだす訳ですが、台湾では戦争博物館(国軍歴史文物館)で自国が戦ってきた歴史を見ることができる訳であります。
自分が訪れた日には何故かSAMSUNGとロゴの入った揃いのTシャツを着た小学生が先生の説明を熱心に聞いていたのを見ました。
日本国内で自国の戦争の歴史を断片や情緒抜きの説明と展示物で真正面から向き合う場所はありますか❓
私は博物館や資料館は嫌いじゃ無いので各地で見るんですが、大概が大空襲で焼け野原とか、悲惨な焼い弾の絨毯爆撃からどう逃げたか、なんてことな訳であります。
沖縄のそれらは悲惨さを前面に押し出し、悪者は爆弾を落としたアメリカでは無く戦争を遂行した日本国とか天皇とか軍部になっていると私ゃ思う訳です・・・おおっと、批判がましいことはやめておきましょう。
いや、台湾は戦勝国なので(賛否あると思いますが)堂々と誇りを持って大東亜戦争のことは取り上げられましょうけれども、その他の負け戦も歴史として展示し説明している訳であります。
日本には長崎と広島に原爆記念館がありますが、戦争の歴史のほんの一部でして、あれを見ても大日本帝國の戦争の歴史なんてのは殆どわからない訳であります。
さて、この度の台北市内徘徊で撮って余った写真を使って何かをひねり出そうという意図で無理やり始めた「サザエさん国家」ではありましたが、いや、広げた風呂敷はあまりにも奥が深く、当初予定した「台湾は自国の戦争の歴史を正面から教えているのに日本は何で隠してしまうのか」ではオチがつかなくなってしまった訳であります。
いや、中華民国の金門島と中華人民共和国が海を挟んで戦ったのは有名な話ではありますが、その時、台湾を支援していたアメリカが中国に対して核攻撃を計画したんですが、あのアイゼンハワーが許可しなかったという話がある訳です。
どーですか、日本は平和だなんて思っているのは昭和20年以来爆撃されていないからってだけのことでして、実際には何度も巻き添えを食うかも知れない場面はあった訳です。
いや、話を膨らませば憲法9条まで行ってしまう訳ですが、只でさえ畳切れなくなった風呂敷ですので控えますが、最後に、Wikiから拾った台湾の強かさを一つ認めておきたいと思います。
ネットから拾ってきました
この砲撃戦で金門には470,000発の砲弾が撃ち込まれた。砲撃に使用された砲弾の弾殻には非常に硬質な鋼が使用されており、金門住民は不発弾等を再利用して包丁を製造するようになり、これらの包丁は金門包丁(金門菜刀)として金門を代表する名産品となっている。
したたかですね・・・台湾人の強さをしみじみ感じる金門包丁ということで、脈絡の無いままに終わらせていただきます。
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