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建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

創造都市(CREATIVE CITY)09-まとめ-

2010-05-01 15:24:04 | 講義・レクチャー Lecture

2010.4.19 高谷時彦

 

 

1.創造都市(CREATIVE CITY)の事例―ニューカッスル・ゲイツヘッド―その1

 

都市再生の世界的な潮流ともなっている「創造都市」の成功例として知られるニューカッスル・ゲイツヘッドを訪れる機会がありました。

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中心部の荒廃地区を芸術・アートをテーマに活性化したキーサイドQuaysideを中心に、チャップマン先生が案内してくれました。チャップマン先生は50kmほど南にあるティースサイド大学の先生ですがニューカッスルが生まれ育った町です。東北公益文科大学渋川教授とともに列車で到着した私たちを駅まで迎えに来てくださり祝日(8月31日:Bank holiday)にもかかわらず、精力的に案内してくださりました。

 

 

 ニューカッスル・ゲイツヘッドのあるイングランド東北部、タイン川流域は産業革命以来の重工業で栄えた地域です。タイン川をはさんだ北にあるニューカッスル市は商業都市で現在人口が約27万人、南にあるゲイツヘッドは人口約20万人で工業・炭鉱の町といわれてきました。中でもタイン川沿いのキーサイドQuaysideは軍艦の造船を中心に非常に栄えた地域で戦前の日本の軍艦の多くがこのタイン川を中心とした地域で作られていたそうです。しかし産業構造の転換の中でとくに20世紀の後半からは工場の多くがなくなってしまい、失業者の多い、荒廃した地域となっていました。

 

この地方がイングランドの中でどのような位置づけにあったのかについては小説家プリーストリーの『イングランド紀行』(岩波文庫、2007)を読むのがよいでしょう。1930年代の不況下のイングランドの様子が描かれています。残念ながらチャップマン先生の大学のあるティーズ地方やニューカッスルのあるタイン地方のことはあまり肯定的なトーンで描かれているわけではありません。むしろ産業革命からの繁栄をすでに終え負の遺産に苦しむ衰退を続ける街としての描写が続きます。

 

 

まず「薄汚いコテージの集合、トタンの礼拝堂、ペンキが剥がれ落ちた映画館、臓物が吊るされた肉屋のウインドウが見えてきた。産業都市の中心部に近づきつつある証拠だ」というのがゲイツヘッドの最初の描写です。またニューカッスルでの兵役時代の思い出が語られますが、いきなり「その辺一帯があまりに醜悪だった」こと「その地方が大嫌いになった」ことを思い出します。

 

 

 「これほどまでに都市としての尊厳や都市文明の証拠が欠けている町があったなら、その名前と特色を知りたいものだ。みすぼらしい巨大な宿泊所のような街を生み出す文明が真の文明といえるだろうか…中略…かつてゲイツヘッドはすばらしく精密な馬力のある機関車を製造していたが、町づくりをする暇はなかったと見える」。ゲイツヘッドは「労働者の宿舎の町」であり「市民が快適な町づくりをする時間もないままに産業のほうが先に衰退しつつある」町として描かれます。

 

 

ニューカッスルについては、劇場などもあり「中心部はある種の威厳がある」と書いていますが、今回見学したキーサイドは失業者の群れが見える大変荒廃した地区との印象を記しています。

 

 

余談ですが、プリーストリーは決して冷たく距離を置いてこの地域の人を見ているのではなく、行間からは彼の労働者に対する共感が読み取れます。

 

「この沿岸が煙に黒く汚れ、国民全体の幸福及び彼ら自身の安寧と自尊心のために懸命に働く数万の人々の労働の槌音が響いているとしたら、激しく心をゆさぶられたことだろう…中略…それは過去のことだ…この地方は無関心に打ち捨てられている」「タイン川を燃え上がらせるような炎の心と言葉を持った少年詩人がこんな通りから出てもよいではないか……」。

 

 

その荒廃していたキーサイドQuaysideが近年大きな変貌を遂げました。その経緯をチャップマン先生の研究室にいるオランダ人研究者Peter van der Graafの博士論文Emotional Ties to the Neighbourhood in Urban Renewal in the Netherlands and the United Kingdom ( Amsterdam University Press,2009)、ニューカッスル・ゲイツヘッドイニシアティブ(地域の魅力を発信するために両市のカウンシル(議会であるが、イングランドの場合には行政機関としての性格も併せ持つ)によって民間資金も導入したうえで設立されたマーケティングエージェンシー)のホームページhttp://www.visitnewcastlegateshead.comや『アート戦略都市―EU・日本のクリエイティブシティ』(国際交流基金編、鹿島出版会 2006)から引用させてもらいながら紹介します。

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 創造都市としての成功に向かう最初のきっかけはキーサイドから数十km離れた炭鉱跡地の丘に立つ「北の天使」と名付けられた巨大な彫刻(Antony Gormley)です。20mの高さをもち翼はジャンボジェットより大きい。今でこそWonders of Britainに選ばれるなど内外から高い評価を得ており、文化で都市を再生するGatesheadの象徴となっていますが1990年に計画案がゴームリーによって提示されたときには1.2億円という高額の製作費もあいまっていっせいに反対が起こったそうです。しかし彫刻家自身の忍耐強い説得もあり1998年完成してからは、市民の意識が変わり、熱い支持を得ています。

 

 

 

そもそもパブリックアートを導入しようとしたのは1986年にGateshead Councilが現代美術館を持っていないので屋外でアート作品を展開しようと決めたことがきっかけです。Gateshead Council2006 によると「パブリックアート作ろうと考えたのは環境の質を高める特徴あるパブリックアートに毎日接することで場所の感覚(sense of place)を持ってもらいたい」と考えたからです。パブリックアートは社会的排除や町に対する市民の誇りや全般的なデザインの質向上にも効果ありと考えられたわけです。

 

 

 

 

北の天使の成功がベースにあることで、その後のキーサイドQuaysideに対する投資は順調に進んだようです。ここからの開発は、ニューカッスル・ゲイツヘッド両市のカウンシルと「英国の実質的な文化政策の執行機関」であるアーツ・カウンシルと中央政府の地域開発局に相当するone northeastが共同(パートナーシップ)で宝くじ資金をうまく活用しながら行いました。住民意識に隔たりのある二つの市が協力したことは画期的でした。協力できたのはパブリックアートが両市の再生にとって共通の目標となるという信念だということです。

 

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 小麦工場の外観を保全しながら内部を大胆に改装したバルチックセンターは2002年にオープン。バルチィックセンター(Baltic Center for Contemporary Art 投資額70億円)は収蔵品を持たず、そこにアーティストが滞在し現代美術作品を作っていくというコンセプトで運営されており、英国最大の現代美術館といわれています。年間40万人を集めるそうです。

 

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2004に開館したthe Sage Gateshead Music Center(投資額100億円)は両市を結ぶミレニアムブリッジ(投資額30億円、2001完成)と同じく、ノーマンフォスターの設計です。信じられないことですがミレニアムブリッジは歩道部分が船を通すために持ち上がります。チャップマン先生によるとブリッジの高い帆船が通るわけではないので今はそんなに高くクリアランスをとる必要はないのだが、これがほかの橋から受け継いだ伝統なのだとのことです。また「ロンドンのテムズ川にかかる同名の橋と違いこちらは振動問題がおきていないことが地元にとっての慶事だ」とはvan der Graaf氏の皮肉をこめたコメントです。このほか河岸には高級なアパートやホテルが建設されています。リバーサイドウォークには多くの人々が集まり、かつての荒廃が信じられないような光景が出現しています。

 

 

この地区の整備は、NewcastleGateshead Initiativeにより内外に広報されるとともに、両市が住むのにも学ぶのにも働くにも訪れるのにも世界水準の魅力を備えた場所であるというブランドの確立に力が注がれています。こうした試みにより、「ロンドンやパリのような完成された都市ではなくゲイツヘッドのような混沌とした都市に芸術家は集まってくるようになっており、それが経済的な成生産性や雇用の創出にとってもプラスになっている。アーティストだけでなく学者や起業家や旅行者にとって魅力ある都市になっている」という評価が高まり、ニューズウィークでは世界の創造都市(creative city)の中のトップ8都市のひとつに選ばれました(2002)。

 

 

 2000年に出されたCities for a small country (建築家R.ロジャーズとLSEの社会政策の先生であるA.パワーの共著Faber and Faber Ltd. London 2000。鹿島出版から1997年に出ている『都市 この小さな惑星の』の続編として位置づけられる)ではニューカッスルは都市再生に成功したビルバオと状況は似ているがこの時点では再生途上として位置づけられていましたがその後見事な成功を収めたといえます。

 

 

 

2.創造都市(CREATIVE CITY)の事例―ニューカッスル・ゲイツヘッド―その2

 

創造都市として成功したと評価されているニューカッスル・ゲイツヘッドの再生プロジェクトですが、批判がないわけでもありません。

 

 

文化というテーマに対しては「文化主導ということは生産の縮小という現実を横に置いた対応ではないか」という意見もあります。また文化、アートをテーマにしたことで、市民の自分たちの町や環境に対する関心が高まり、いまは市民が誇りとする町になっているといわれていることに対しても、客観的データなしに安易にアートと市民意識の変化を結び付けるべきではないという意見もあるようです。

ただ、北の天使をはじめとする一連のアート関連プロジェクトにより、町の環境が変わ利、外部からも多くの人たちが訪れるようになったことが、市民の意識にプラス方向に働いていることはおおむね首肯できるのではないでしょうか。

話を一度日本に戻します。

 

 

みなと未来地区や関内を中心とする臨海部の整備が大きな成果を挙げつつある横浜。開港150年の催しが続いているというニュースに誘われて覗いてみました。日本大通から大桟橋に抜ける町からの軸線と山下公園から赤レンガにつながる海岸の軸線の交差するノードである象の鼻周辺が整備されています。以前町から海への視線をさえぎっていた倉庫(たしか東西倉庫という名でした)が撤去され、日本大通から海に抜ける視線が通りました。また海岸部にそって快適な広場ができたことで大桟橋や赤レンガ倉庫周辺と関内の町が一気に近づいたような気がします。都市デザインとしては大変成功しています。

 

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実は横浜市は創造都市というコンセプトで関内や臨海部の街づくりを進めています(もちろんハード整備だけではありません)。中心部にばかり投資するという批判はあるものの、港周辺が美しくなりよその地域からも人が集まることに対して市民はよい印象を持っているように思います。港から遠く離れた丘陵部の市民もおおむね「みなと横浜」が自分たちの町・市のアイデンティティだと認識しているのだと思います。みなと横浜のよいイメージが横浜を代表し、近年の日産自動車本社の東京から横浜への回帰などにもつながっているようにみえます。臨海部の都市デザイン的な成功が都市全体の経済も含めた活性化に大きく寄与しています。横浜は日本における創造都市の成功例として位置づけられます。

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


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