31、4/1に避難指示準備区域が解除され、6年ぶりで我が家に戻った住民、相馬と双葉を結ぶJR小高~浪江間が開通した。福島民報より。
再出発した川俣山木屋の農家ではトルコキキョウの栽培に、郷土の躍進のシンボルとして取り組み、飯舘ふれ愛館の前にムラサキシキブの植樹をし、「陽はまた昇る」を宣言した。浪江では慰霊碑の前で日の出とともに黙とうし、早速、街中に賑わいをと、自転車の整備を行う開店作業をしていた。
富岡では、庁舎に明かりがともり、桜並木通りがライトアップされ、いわきへの定期運航バスが開始した。
しかし、一昨年解除の楢葉で暮らす男性は、戻った住民は800人余り、日中は住民や廃炉作業員で賑わうが、夜になると、いわきや避難先へ引き上げ、静まりかえってしまい、不安が増す。が、巡回パトカーの音を聞くと守られているのを感じ、よく眠れるようになったと、わざわざ、警察署まで出向いて感謝の言葉を伝えた女性がいた。一日でも早く活気がよみがえる日を望む。
再出発した川俣山木屋の農家ではトルコキキョウの栽培に、郷土の躍進のシンボルとして取り組み、飯舘ふれ愛館の前にムラサキシキブの植樹をし、「陽はまた昇る」を宣言した。浪江では慰霊碑の前で日の出とともに黙とうし、早速、街中に賑わいをと、自転車の整備を行う開店作業をしていた。
富岡では、庁舎に明かりがともり、桜並木通りがライトアップされ、いわきへの定期運航バスが開始した。
しかし、一昨年解除の楢葉で暮らす男性は、戻った住民は800人余り、日中は住民や廃炉作業員で賑わうが、夜になると、いわきや避難先へ引き上げ、静まりかえってしまい、不安が増す。が、巡回パトカーの音を聞くと守られているのを感じ、よく眠れるようになったと、わざわざ、警察署まで出向いて感謝の言葉を伝えた女性がいた。一日でも早く活気がよみがえる日を望む。