ブログ仙岩

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岐阜はかって信長が夢見た平和の都?

2017-12-08 09:10:05 | 旅行
ブラタモリ、岐阜は織田信長が名付けた城下町で、450年前、この町を拠点に天下統一に乗り出し、鳴かざれば殺してしまえというイメージの信長がかって夢見た「平和の都」の理由を探る旅である。オーストラリア出身クリス・グレンさん案内で。

夜の長良川に舟を浮かべて楽しむ鵜飼を二人でコタツに入りながら1300年の歴史を楽しみ、信長もかって接待に利用していた鮎をタモリさん近江さんも舌鼓をした。私も過去に泊まり鵜飼を楽しんだが岐阜城には行っていない。写真yahooより。

そして長良川のほとりの岐阜城へロープウエイで。平にした建物にリスがおり、全山チャートの標高329mの金華山にそびえ立つ2段の石垣の上に回廊があり、濃尾平野のどこからでも見える信長流「戦わずして勝つ平和な城」でもあった。

金華山を降りた麓に信長公が30mのチャート岩盤の岩肌を利用した滝を作り、壮厳な庭園でも接待平和外交をしていた。

城下町でかっての堤防の外に道が集まっていた町は川港の河原町で、上流の美濃和紙を長良川の水運で岐阜へと運ばれたもので、平和外交の手紙に利用。岐阜の伝統工芸品「水うちわ」づくりにタモリさんがチャレンジ、センスや提灯も有名。

「楽市楽座」は円徳寺に信長が認めた立て札が残っており、古地図にはかっての織田家の場所に寺があり、飛騨・尾張の街道の交差点でもあった。おんな直虎では、信長は悪役になっているが、意外な一面を見た感じである。ありがとう。