ブログ仙岩

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大石邦子「あれから10年」を読んで

2021-03-09 05:05:36 | エッセイ
共通テストが終わった。昨年は入学しても入学式もなく、学校へも通えず一年が終わろうとしている。
でも、この経験を無駄にしないで、諦めず、人と比べず、自らの道を歩み通してほしい。
卒業、入学、成人、結婚式などのニュースを見ると、つい思い出してしまう子供たちがいる。あの子たちは今、どうしているだろう。
3.11の被災者が原発事故で強制的に、または自主的に故郷を離れて、会津にも避難してきた幾つかの町がある。
2011年の晴れた秋の日だった。自転車に乗った見慣れない男の子たちが家の前を行ったり来たりしながら、堀の中を覗き込んでいた。
「どうしたの?」と声をかけてみた。「あ、やっぱり、あの人だ~」と彼らは一斉に言った。
会津に避難している子たちだった。中学2年生で、教科書に私の文章が載っていて、この人は会津の人だと教えられ探検していたのだという。
可愛い4人で手招きすると縁側に上がり仮設の話をしてくれた。
「ね、今一番、何が欲しい?」私は尋ねた。一人が口を尖らすように言った。「自分の町!」。鳥肌が立った。別の一人が、「元の学校、校庭も、部活もやりたい。電気がついて、水が出て、お風呂が沸いて、お母さんが・・・」
「分かった。もういい、ごめんね」彼らはこれらをすべて失ってしまったのだ。今までの普通の生活が、いかに普通でなかったかを思い知らされている子たちだった。それでも彼らの眼差しは優しかった。「ね、あなた達が元気出さないと福島県が沈没してしまうから、お願いね」私は言った。
彼らは「任せておけ」胸を叩き、帰るとき、4人で手を重ね、私の手も重ねさせ、オーと声を上げたのだった。
涙が出そうだった。あれから10年。時々、大人になった彼らを想像してみる。コロナについて話しかけてみる。
もうすぐ被災地には、11度目の桜の花が咲くだろう。
仙岩の私は,人災の原発事故、人の手で、人が住めるように除染してほしい。写真は斉藤タケエの人形物語。