ブログ仙岩

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3.11の日記前後から思うこと

2021-03-11 05:04:41 | 日記
三陸沖地震、東北関東大震災、M8.8国内史上最大。3.11(金)晴,14:46いや!ビックリ立っていられない。近くのAudio機器につかまり、長い揺れが収まると、台所の冷蔵庫のドアや引き出しを占めると音が消えた。茶の間に行くと、家具が倒れ足の踏み場もない。取りあえず外へ、玄関のガラス戸一枚倒れガラスが割れた。向かいの駐車場に家族がいた。
2/10.21:30震度4の地震、3/9,11:45宮城沖M7.2、震度5弱、0:37小名浜10㎝の津波、3/10三陸沖地震震度4、福島津波警報などの経験から、大津波を予想、妻と家に戻って、貴重品などもって、駐車場にいた家族や医院の駐車場にいた家族を案内して、裏山雷神へ避難、稲荷様広場で海を眺めていた。15:20一本の筋状の津波が東山地区に押し寄せ堤防を越えた。数分後一斉に津波が押し寄せ、道の駅の屋根がほんの少し見え、車が列になって北へ流されていく。津波もひけて少し安堵、隣の人が携帯でパチリ、私も携帯で海岸を一枚撮影した。雨が来たので社に身を寄せた。雷神から、四倉高校避難所へ道がない。登ってきた階段を降りて高校へ行く。区長が降りて戻り、道路は海水で通れないという。しばらく待って、ようやく、降りて貴重品と毛布等持って、ブレーカー2か所下げて、4時過ぎ妻と歩いて高校体育館へ、途中又津波が来るぞの掛け声で、近くの山に避難、収まりようやくまた高校へ、体育館の床のすみにぐるっと家族が避難していた。近くの押田やからむすびの差し入れがあり、夕食に頂いた。メールは通じない。携帯のニュースも15:10で終わり。10時過ぎ友人の差し入れを頂き、ようやく12時、ストーブで少し暖かい体育館で毛布の上に寝た。
12日、下の娘から、割りばし、毛布、座布団、カイロなどの差し入れあり、しかし、夕方原発爆発のニュースを上の娘から知り、友人も非難、私達は娘の車で高坂小体育館へ避難、ストーブ消してしまい寒い夜で眠れない。
13日、広野から避難者が来て、また爆発死者が出て、湯本以南でないと危険と言われた。すぐ下の娘の泉に避難、翌日県外でないと危険と分かり、16日11時、妻の姉水戸へ避難。1か月後帰宅、壊れた家財の運びなどで夢中で娘たちと片づけた。落ち着いて町の被害の様子を見て歩き出した。道の駅の写真はそこで撮影したもの。下の写真は今月6日同じところから撮影。
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2月13日福島鹿島沖地震、M7.3震度6強、相馬新地蔵王町、・・・2011.3.11の2/10震度4など前記しているように、また、ニュージーランドでは、2/22、M8.1日本人28名留学生犠牲に。そして今年、3/4M7.3、3/5M8.0ケルマデック諸島で大地震が起きている。
このことから推理すると、3.11は2/10の一か月後に起きているので、今月14日に、ニュージーランドでは17日後の今月22日に、大地震が予測される。これはあくまでも推計のことであり、少しは気にかけておくべきことであろう。以上。