オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

東横線沿いに西へ

2010-08-03 | Weblog

8/3(火) 夜中、暑くて目覚める。冷凍庫からアイスノンを取り出して枕にする。汗は引いたが眠れずに明け方となった。

今朝は、東急東横線沿いに下り、途中から呑川緑道を歩くつもりで家を出た。東京の小川は下水・汚水にまみれた後、暗渠となり道路や緑道に変身した。

目黒区を流れる呑川やその支流もすっかり姿を変え、昔の面影はなく緑の散歩道。春には桜の名所となる。

                    

高架となっている東横線の日陰沿いに環状7号道路に至る。線路を跨る陸橋から学芸大学駅方面を望。右手のネットはゴルフ練習場「スウィング碑文谷」だが、ここは今や東京で一番値段が高い練習場とか。若い頃は、土・日ここで何百球も打っていたが、今や訪れることはない。

当初の予定を変更し、環七から駒沢通り方面に向い途中の道路を下る。呑川緑道 (支流)を越え、「柿の木坂西児童公園」と云う、桜の古木が三本だけある小公園脇を通り「柿の木坂」に至る。

都立大学駅からだと7~8分か、現在は目黒区体区館やパーシモンホール・共同住宅となっている旧都立大学跡を歩く。都立大学が移転して随分となるが、元は1929年創立の府立高校~都立大学に至ると「70周年記念モニュメント」に刻まれていた。

都内有数の邸宅街である柿の木坂から八雲を抜けて、呑川りょく道(本道)に至り、更に進むと駒沢公園南口に着いた。この公園の直ぐ手間へに「やくも街かど公園」なる小さな公園と云うよりは、石イスが置いてある単なる広場があった。
今日は、ここから引き返し「衾公園・自動車公園」(ふすま)によって帰ることとした。

                       

「衾」と云う地名の謂れが記されていた。「村の地形から、飼料の衾の産地だった、伏せ馬という馬の病院があった」等諸説が書かれている。要は、判らんということだ。
この公園も、子供が小さい頃に自転車で何度か来ている。自転車で走り、交通マナーや規則を知る公園と、普通の公園と二種が隣り合っている。

                

                バルセロナ・ガウデイ公園のようなテラス風

歩き始めて、三十分以上が経過したので一寸急ぐ。帰りも柿の木坂を抜け、駒沢通りを上って行く。途中、「柿の木坂ゴルフ」の前を通過。ここも以前よく通った練習場。ここのゴルフコンペや忘年会にまで出ていた時期があった。スウィング碑文谷といい、すべてリニューアルしてから通わなくなった。打席がそれまでの土から、人工マットになったことによる。

車道を行く、上りの車が増えてきた。家を出てから丁度一時間で帰宅。

シャワーの後、ヨーグルト・清美ミカンに蜂蜜スプーン一杯。サニーサイドアップ二個、八枚切り食パンを一枚。アイスコーヒーが今朝の朝食。

 

 

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