5/6(月・祝日) 10連休の最終日となった、昼前に会社に顔を出すと、YとFが出社して情報誌のレイアウトや校正に勤しんでいる。
私は長い休暇中に溜まったメールのチェックなどの予定が、校正の方まで口を挟むこととなった・・・。
久しぶりに長い休みを取った。スケジュール表には「ワイハ」などと記したが、田舎で亡父の納骨やミカン畑の草刈、今が旬の「小夏」の収穫などで6日間を過ごす。あっという間に過ぎた。
アマガエルが・・ 収穫の「小夏」
帰省した29日は滞在中の食材の買い出し、30日は雨となったので納骨準備や苗(スイカ・メロン・カボチャ)を買いに出かけた。
この日、石材店が月末なので入金して欲しいというので、朝からお金の引き出しにテンやワンやした。田舎の農協から引き出すので現金が足りないと云う。安芸市内の本店とで分散して用意をする破目となった。
1日は、小夏の収穫や草刈をするが終わらず。久々の畑仕事で疲れてしまった。小夏は、器量がよくない上に酸味強くタネ多し。沢山稔ったが他人様に差し上げるほどの代物ではない。それでも、従姉妹たちは美味しいと言うので、どっさりと渡した。
2日は納骨で朝早くから準備(一時間もかかって納骨室や墓石を拭いた)をし、お寺さんを迎えた。墓の方は立派に出来上がっていた。納骨は親父の骨壺だけなのでスペースは十二分、お宝でもあれば此処に隠しておくのだが・・・・残念ながらそんなものはない。
広がる青空の下、親父の本当の終の棲家は輝いていた。立派な墓だ。
納骨の後は、叔父や従兄妹を交えて自宅にてお浄め(お祝い?)の食事。土佐の田舎料理は全て「皿鉢料理」なのだ。昼前からビールに日本酒、献杯と云うか杯のやり取りで結構に飲んでしまうのだ。酒呑みの親父だったので、飲まないと故人の慰霊にならない。
3日は朝から畑仕事に出る。草刈と小夏の収穫、綿の種を播き、絹ザヤの畝の草むしり、池の掃除と忙しい。体が動かない愚図オヤジであった。焼芋もやりました。
まあ何時もの如く、飯を作り、草刈と焚火をして過ごしたがアッツと云う間に休暇が終わった。4日、午前中の便で帰京した。夜、地元学芸大学の鷹番JVCのオヤジ達との懇談会。安酒場の「土間土間」で、スイスイとハイボールを空け、二次会はスナックでカラオケ(勿論「国境の町」です)を聴きながらハイボール(ここでは張り込んでシーバスリーガルのボトルが入った)。結局この夜、ハイボールばかり十数杯となった。
そんな所為か、翌5日は体調宜しからず。一日中本を読み過ごしたが、夜になり次女が入籍するのでと、婚姻届にサインを貰いに来た。「そりゃオメデトさん」とサインし、一緒に晩御飯。
かような具合に、ゴールデンウィークは過ぎたのだった。