オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

腹減った・・・

2013-05-16 | Weblog

5/16(木) 今朝も五時過ぎに目が覚めるが、夢のことは覚えがない。どうせ碌な夢じゃないだろうから・・・。蒲団の中であれこれと考えながらも、結局は考えるのは止した、碌な考えが浮かぶわけじゃなしと。

近所の碑文谷公園辺りをぶらぶらと散歩する。公園のバラが綺麗に咲いているのが目に止まった。最近公園の中を歩いてなかった。写真を何枚か摂り、池に浮かぶ厳島神社に参拝。

                      

碑文谷の池は、立会川の水源とのこと、厳島神社は江戸時代にこの地を知行した旗本、神谷氏の勧請によると記されている。その昔は三谷池(さんやいけ)と呼ばれたそうだ。ここら辺りは三谷と云う地名だったが、今は鷹番と碑文谷となっている。

                     

余談ながら、脚本家の三谷幸喜氏は公園の側に住いが在る。氏がここに転居されて、三谷(さんや)という地名を知り親近感を持ったと、新聞に書いたことがあった。厳島神社が不審火で焼け、再建のおりには大枚のご芳志が、氏からあったと地元の世話人から耳にしたこともある。

碑文谷の地名どうり、環七通りが尾根上となりここは谷地で、武蔵野台地に降った雨が地下水となり湧くのではなかろうか。此処から中目黒・山手通りまではなだらかに下る。目黒川(近頃は桜で知られる)を越え、代官山・青葉台に至る坂となる。そして旧山手通りから渋谷駅に向かってまた下る。古くは山谷の多い地形だったことが、その地名からも判る。

                   

江戸時代は将軍家の狩場の一つで、鷹番という地名もそれに因む。150年ほど前までは、雑木林や竹林の原野ながら鳥獣を捕ることは許されず、鷹番衆が鷹の餌とする小鳥などを捕っていたことだろう。

碑文谷は小さな公園ながら、池に水鳥が遊び、神社を祭り、近年には隣接した某銀行のグランドも公園に繰り入れられ大きくなった。一日、散歩や遊びの老若男女でにぎわう。

 

散歩から戻り、風呂から出ると腹が減った。昨夜の夕食が早かった所為か。ゆで卵を作りながら、スムージーの食材を物色する。

今朝は、トマト・キューイ・小夏にスッティクブロッコリとなった。思い切って小夏は皮のままをミキサーに(小口切りにはした)。何しろ安物のミキサー(何かのポイントで交換した)、心配であったが・・・。

家人にミキサーのいいのを買わないか?と水を向けたが反応なし。スムージーを進めても飲もうとしない、どうも私のやることに対し不信な様子。諺にもあるじゃないか「信ずる者は救われる」と、不信心な輩は度し難いね~と、云いたいのだが。

あんずるよりは作るが易し、小夏の方は適度にこなれており何の問題もなく飲めた。ゆで卵は半熟で頂く。

                          

明日から、このパターンにするか。

 

 元気が一番・・・

昨日、後輩のTERASHIMA君を某社に訪ねた。久々であった。かつての上司・先輩との懇親会を何時頃にしようか等と話しながら、最近松山のKと話したか?と尋ねた。

「昨日、電話で話たばかりですが、すっかり元気になってましたよ」と言う。何だ?元気が無かったのか、と訊くと「年初めは落ち込んでて心配したんですよ」とのこと。

『Kは結構繊細なとこがあるからな、そうだったのか。元気になって良かった』と、云うしかできなかった。幾つになっても心配をしなきゃなならい、そんな気持ちはないが、元気でいてほしいものだ・・・。気合を入れに行くしかないか?するとまた気を使うだろうな?

俺のように空元気だけでも困ったもんだが、元気が一番。なるようにしかならへんぜ・・・。

 

 

コメント
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