オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

新年度になり・・・

2021-04-01 | 弁当

4/1(木)令和三年の新年度が今日からスタートした。とは云いながら、素浪人のこちらとしてはなんの感慨もないが。こうなって久しい・・・。

昨日は年度仕舞い、その年度末に後輩で舎弟ともいえる鉄平(通称)が、長いサラリーマン生活の幕を下ろした。

彼との付き合いも随分と長くなった。初めて顔を合わせたのは当時入寮していた津田沼市の前原団地に在った会社の独身寮である。頃は四月の始め、新入社員達が入寮して間もない時期であった。

当時の私は墨田地区管理部の労務厚生課に勤務しており、剣道部の再生に努めていた。入寮者の中に剣道をやっていたものがいると耳にし、それが鉄平であった。

高校を出たばかりの初々しい若者であった彼を、有無を言わさずに入部させて以来の付き合いになる。とは言いながら、彼は通信局の資材部に勤務している時、希望を出して出身地の鳥取に近い広島に転勤した。彼は三十半ばの年齢であったか。

遠く離れてしまったが交流は絶えなかった。彼が出張等で東京に来ると必ず我が家に泊まった。毎年旬になると実家のある名産・ニ十世紀梨が届き、今だ続く。義理堅いと云うか、無駄なことをすると云うか・・・。

この前に鉄平と顔を合わせたのは一昨年の九月下旬、我がラストイベントを横浜・馬車道のライブハウス「メグスタ」で開いたときである。わざわざ広島から来てくれた?呼んだと云うべきか。

その鉄平が明日、広島から遊びに来る。午後、安田駅で迎えることにしている。

彼が我が家に来るのは二度目であるが、一度目は四十年余も前のこと。彼の運転するワゴン車で一歳にも満たない長女と家人、それに伯父も同乗して二十時間も要した。神戸(大阪?)からフェリーで高松を経由した。フェリーの中で風呂に入った覚えがある。

日暮れてから東京を出発し、我が家に着いたのは翌日の午後だった。

一週間ばかり滞在すると云うので、畑で焼き芋でもしながら長年の労をねぎらうことにしよう!。彼の初々しい若者も、今や立派にオジサンであるが、俺たちの間では何時までも昔のままである。

 そうそう、鉄平はMIYAMOTO MASATOが本名で、出会った頃に人気があった漫画「俺は鉄平」から、鉄平と呼ぶようになり定着した。

 

 

 

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