オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

蛙の声を聞きながら・・・

2021-04-14 | 弁当

4/14(水)水曜日の夜明け前、蛙の鳴き声がつづいている。目覚めたの四時半であった。TVが点いたままでその音で目覚めたのだが・・・。

眠りに就いたのは時刻が今日に変わった頃であったろうが、すっきりとした目覚めである。日夜悩ませれている身体の痒みが和らいだ成果であろうか。

雨の昨日(午後から酷い大雨がつづいたが)、高知市内の皮膚科クリニックまで出掛けた。長い間つづいている湿疹の治療の相談である。三度目の受診であった。

乾癬でないかと疑い内服薬と軟膏を処方してもらっていたが一向に効き目がなく酷くなる一方であった。それに酷くなった背中の方は指が届かず軟膏も塗れない。

受診の結果「貨幣症湿疹」でないかと云うことになった。原因としては虫刺されや乾燥から生じて広がるようであるが・・・。納得して薬の処方と、背中への塗布は地元のクリニックでしてもらうことにした。独居の不便さを実感しながらも、他人へ感染はしないとのことで安心した次第。

そんな一日であったが、早めに治療が終わったので、帰路に在るボートピア土佐に立ち寄り二時間ばかり競艇遊びに興じた。この雨で帰宅しても動けないと、運試しの博打遊びであったが結果は悪くなかった。

 

土・日と潮をがいいので貝を獲りに行くというHIROMICHIさんの送迎を室戸岬方面の海岸までした。そんなことで予定していたお墓周りの草引き、やり残したミカン畑の草刈りをしなかった。

貝の方はあまり取れなかったが、連日季節の恵みを分け前に頂いて刺身やソテーにして食した。

              

HIROMICHIさんは筍・タラの芽、鮎に貝等と季節季節に訪れる自然の恵みを採るのが上手、と云うよりも執念があるね。先週のタラの芽採りの時は、危ないから止したらと言うのもきかず崖の上、垂直に近いダムの崖と八十歳と思えぬ身軽さで採ったし、筍を探して掘るとこれもまた丁寧に掘る。

里山暮らしを楽しむ上での我が師匠と云える。その師匠に、来月で東京に戻ると伝えると「鮎の解禁がすぐなのに勿体ない。解禁日なら囮さえつけていたら誰でも掛るに」と残念がった。

その鮎、稚鮎の遡上が心配である。昨年の今頃に下流の堰堤では稚鮎の遡上がよく見れたが(漁期になると不漁であったが)、二度ほど様子を見に行った今年は殆ど目にしないのだ。

              

今年も不漁であろうか?。

 

そんな一昨日の月曜日、曇り空の予報でお墓周りの草引きと、ミカン畑で草刈りの残りを済ますべく出掛けたが・・・。

焚火をしてから、畑の草刈に掛ろうとしたら雨が落ち始めたのだ。一向に止む気配がないが勢いよく燃え始めた焚火は消えなかった。草刈りを諦め始めた頃になって雨が止んだ。この間一時間。

               

この日の予定であった草刈りを済ませたかったので、雨に重いながらも草刈りを決行した。二時間程で済ますことができた。帰宅後、雨に濡れた体を湯に浸かって癒したが・・・、温まった体が痒くなり大変な目に!。明日はクリニックへと決意を固めた。

 

              

 

斯様な日々であるが、鉄平が帰ったら元気な様子の従姉が夕食に来るようになった。こんなに食べれんと言いながらも・・・。三日続けて来たが、大雨になった昨夕は声を掛けなかった。   

           

 

いつの間にか外はすっかり明るくなり、蛙の声も聞こえなくなった。今日はいい日和になりそうだ。さて、どう過ごすか?。

 

 余談であるが明るい話なので!

 月曜日の雨上がり後の草刈りをしながらNISHIUCHI君のことが頭によぎった。東京に戻る前に会って一献交わそうかと・・・

なんとその夕、帰宅してからスマホを見ると彼から留守電が入っていたのだ。留守電を開かぬままに電話した。「結婚することになりました、で報告を」という云うことであった。

こんな状況化なので身内で挙式をし、コロナが落ち着いたら披露をしたい。その折には案内をしたいので宜しくとのことである。

前から早く嫁を探せと、県会議員にカムバックした彼に言っていた経緯がある。オメデトウを伝え、来月半ばには東京に戻る、その前に一杯やろうと伝えた。

 

 

 

コメント
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