10/21(月)先週末の金曜日、帰京のANA便は大幅に遅延し17時に人形町に着いたが、予約していた歯科の時間には間に合わなかった。高知空港から歯科へ連絡を入れていた。予約でいっぱいとのことで「若し予約時間に若干の遅れであれば行きますが・・・」と。30分も遅くなっていたので日を改めて予約を取ることになった次第。
保谷さんから電話が入り「中村さんが着いて高松に入った」と。三ヵ月ぶりの東京、今夜は「高松蕎麦店」からのスタートである。東京メトロ人形町駅を出て角を曲がれば庶民の味方「ちょっぷく」が在る。店先から、店を守っているヨッチャンに挨拶し、脳梗塞でリハビリ中の店主山ちゃんの様子を聞いてから数分の高松へと向かう。
「高松」を目前にし、明日から始まる「祭礼とベッタラ市」の用意も整った提灯の灯りに迎えられ写真を撮った。今回の上京の主目的は、このベッタラ市のお祭りなのだから。翌日の賑わいの様子も併せて紹介する。
この祭礼は毎年10月19・20日と決まっている。曜日が変わろうが雨が降ろうが台風が来ようが日程は変わらない。会社がこの地に在った頃は屋台を出して祭りに参加していたが、それから六年になるか・・・。
高松では既にお二人が始めていた、勿論お酒である。久々、邂逅(五月の津軽旅行以来)を祝しての乾杯をし、近況などを聞く。中村さんは今日佐賀から来て、明日には帰るとのこと。高松ビルの五階に東京事務所があるので打ち合わせを済ませたとのこと。体調は宜しくないが、11月にはトルコに十日間の旅を予定と云う。
保谷さんは、四月にリタイアし悠々自適の日々を楽しんでいる。11月11日~15日まで来高するので「畑の芋掘りと柚子の収穫でも体験したら」と言ってある。
「高松」はいつも通りの繁盛ぶり、頃合いに席を譲って二次会、三次会と流れて結局六軒の店を廻り、帰宅は零時半であった。当然二日酔いで、翌日からのベッタラ市でのアルコール摂取量は控えめになった。
ベッタラ市初日は碓氷老人が、老人会の老婦人を同伴、青木君が滋賀から参戦。沼田君や油屋、原口と賑やかな面々が揃い、最後は「セイジュ」でカラオケとなったが、九時半に失礼した。
二日目の昨日、二時に岸本大兄と駅で待ち合わせ、祭りの屋台を一巡してから駅近くの仙台オデンとやらの店で歓談。喜夫をやリエ・ユリカからメールや電話が入り、大兄と別れた四時に万葉軒なる中華風の店に入り懇談。
三人ともナチュラル社時代のメンバーである。途中、学生時代からの腐れ縁、細川が椙の森神社に着いたの電話。すっかり忘れていたが、ベッタラ市で会おうということになっていたのだ。店に呼んで、一緒に飲むことにした。彼は郷里の富山に行ってきたとのことで、私が東京を直ぐに離れると思って今日帰ってきたと云うが?。
ユリもリエも、酒場で飲む機会などないとワイワイガヤガヤと騒がしいことこの上なし。三時間程大さわぎしてお開きにした。
そして月曜日の今朝を迎え、弁当作りとなった次第。久々の弁当ながら手の込んだものはやらない。肉を焼き、卵焼きを作り、蒲鉾や竹輪を切っただけのことである。東京を離れる今週いっぱい弁当作りをします。
今日の予定は、午後一時上野駅前で岩瀬さん(元ローカーボマスター)、保谷さん、沼田君の四人で御徒町の千ベロで昼酒、夕方に人形町でサラリーマン時代の部下?と歓談。明日は正午から、横須賀三春町の「天丸」(旧埼玉家)で 研究所勤務時代の皆さんと埼玉家会。帰りにできれば、馬車道で移転オープンした「メグスタ」に顔出しできればと思うが・・・。
そして23日は電信電話記念日となり・・・、交流会なる集いに参加する予定です。24日だけはフリーになっているので岡崎氏とスケジュールが合えば会いたいのだが。歯科にも行きたいのだが?。
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