オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

パンドラの箱

2024-11-27 | 弁当

11/27(水) 昨日一日降り続いた雨が上がった夜明け前に目覚める。随分と降ったので今日は畑に出れないな、なんて思いながらYOUTYUBを開いて時の過ぎるにまかせるひと時。

ギター音楽を聴いていると、ちあきなおみの「紅とんぼ」が流れてきた。ギターの音色の儚さとともに或るスナックのことが思い出された。歌に出る新宿駅裏ではないが、その店は新橋駅烏森口の小学校裏にあった。

小さな建物の狭い階段をあがった二階、三四人が座れるカウンターと二つの狭いテーブル席がある小さなスナックで、店の名は「パンドラ」と云う。この場所に移る前は駅にもっと近くて広い店であったが・・・。

当時勤務していたのが日比谷公園前のビルだったこともあり、時折二次会三次会の後で近場に在る「パンドラ」に立ち寄った。独りだったり、部下を連れてのことだったりと。

そんな私たちにとてもよくしてくれた。飲み代が千円とか二千円とかで破格に厚遇して頂いた覚えがある。当時の部下だった勝田君などは一番恩恵に与ったようだ。

そんな気っ風とお人よしが災いしただろう、店は三年ほどでなくなってしまった。店がなくなる頃、私は品川駅南口のビルに転勤しており、足が遠のいていた。「紅とんぼ」の詩、歌ってよ騒いでよ今日でお仕舞い店仕舞い、のようなシーンに出会うことはなかった。

 

ママさんを知るきっかけは、烏森口の下手の一角が再開発前で雑多な小さな飲屋が林立していた頃のことだ。上司のお供で馴染だと云うそんな店の一軒に入った。知人の店の手伝いをされていたのだ。その後、再開発資金の恩恵に与って?最初のスナックを開いたときに案内を貰った。

ママさんの住まいが五反田だったことから、私の帰り道の途中だつた。遅くまで飲んだ時などはタクシーを使っていたので、目黒通り権之助坂下で下ろしたことが何度かある。

「パンドラ」という名前はでるが、その前の店の名前が浮かんでこない。その店で株主総会後の打ち上げに当時の社長も一緒だったと総務の人間から聞いている。

 

ちあきなおみの「紅とんぼ」、この歌を聴くと「パンドラ」を思い出す。飲みながら言われていた言葉「アリさんは自分で商売した方がいいよ」だった。それから十年以上経って自分でやるようになったが「オタカさん、大したことなかったよ」。

ママさんの名は、タカコさんだったはず。もう高齢だろうが、元気にされているといいのだが。何のお返しもできないままと、申し訳ない思いだけは未だ拭えない。その分は巷で返すしかないが・・・。

 

もう夜が明けてしまった。四十年も昔のこと、幻ならぬ現世のままなれどパンドラの箱が開いたが、正気に戻らねば・・・。

 

 

 

 

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