オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

蕗の薹とばっけのことなど

2025-03-04 | 田舎暮らし
3/4(火)今日も朝から雨であったが、暖かい!。中庭の花梅が綿帽子のような花びらを咲かせて盛りになろとしている。暑さ寒さも彼岸までと云うが、先日までの寒の名残もなく春到来か。  


           
          
それにしても昨日の朝方の雨は激しかったし、風も強くて台風のようであった。午後には川の水が一気に濁っって水嵩がました。ともあれ、数日の雨で野菜や植物が一気に元気になった。白菜やキャベツは、依然結球せぬままに花を付けそうであるが。

先日の雨と暖かさで「蕗の薹」が出ているだろうと推察。雨が上がった日曜日の午後に河原に行った。出てましたよ!。
            

フキノトウ採りをするたびに浮かぶエピソードがある。
もう十五年近く前になろうか?。岩木山の麓で佐藤初女さんがお元気に「森のイスキヤ」を営んでおられた時代。取材で訪れていたTSUGAWAさんが酩酊して狼藉を働いた翌日、汗顔の至りで初女さんやスタッフの女性たちと某宮家の妃に送るフキノトウの採取に同行したそうだ。

シーズンも遅くていいものが採れない中で、T氏がとてもいいフキノトウを発見して皆から賞賛され、面目を施したと云う話である。帰京した彼から、この話は幾度となく聞かされたが、私が半ば信じていないと思っていたようだ。

それから三年程経って、一緒に「森のイスキヤ」を訪問した。その時にお昼を頂きながら、初女さんが「あの時は、とってもいいフキノトウを採って頂きありがとうござました」と言われた。前夜の狼藉のことに触れもせずに!。初女さんは出来た方である、偉い!。
以来、T氏はフキノトウのことで自慢話が増ることになった。昨夜も電話でその話が出たところであるが。このシーズンになると、この話を思い出しながら蕗の薹を採ることになるのだ。

佐藤初女さんが故人になられて久しい。昨年の五月、久々に弘前に旅行した折に森のイスキヤを訪ねた。初女さん亡きあとのイスキヤがどうなっているか知りたくて・・・。建物は以前のままであったが、使われていなかった。(このことは、昨年にも記したが)

蕗の薹のことを、津軽では「ばっけ」と呼ぶことを知ったのは、この地でその名前を冠した演劇集団があったからである。
私がサラリーマンをしていた当時、仕事の関係で「ばっけ」が採れる頃に施設訪問をして慰問芝居をするばっけのメンバーと取材で知り合った。「ばっけ」は解散して久しいが、それ以来、弘前との縁が続いている。東郷&橋本葉子夫妻のお墓があり、神さん夫妻が帰郷、そいえば、家人の祖先は津軽藩士だったとか。縁と云うしかない。


春と云えば乗っ込み鯛の季節。先週のことだが「豆電球」の店主秀吉さんから電話があり、炭焼き小屋で飲んだ。その時、ご一緒した釣り好きの友人が「釣れたら飲みましょう!」とのこと。

日曜日の午後、秀吉さんから「魚が獲れたから今晩一杯やるよ」との連絡を貰った。なんとなんと、見事な鯛がおわしました。真鯛とレンコ鯛、塩焼きと刺身で頂いたが「美味かった」の一言に尽きます。
          

田舎なればこその、山海の幸!。これからは、タラの芽・筍とシーズンが続くが、野菜作りの方も本番となる。忙しくなるねぇ~・・・。

東京へ行っている場合じゃないが、僅かな収入のために確定申告なる手続きがある。明日から日曜日まで行くことにした。併せて、夜の部が連日と昼の部までありんす!。

そうそう、脊柱管狭窄症の方だが、毎朝のストレッチ効果か?小康状態を保っている。




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