ひまわりさんより(4月1日)
昨日の安息日の午後の聖書研究会では、人間の清めは、霊と心と体の全体に及ぶことが教えられました。
「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。
また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、
責められるところのないものにして下さるように。
あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう」(1コリント5:23,24)
でも人間は、生まれつき罪人で、悪の霊に支配されて生きているのです。
「あなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、かつてはそれらの中で、
この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、
不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩いていたのである」(エペソ2:1,2)
私たちは、霊が新しくされないと、本当の意味で神様と結びつくことができないと思います。
カン先生がよく言われるように、真理を知識や概念でとらえるのではなく、古い自我にとらわれた私たちの霊が、
イエス様の新しい霊と入れ替わって初めて信仰の歩みが始まるのです。
神殿から去られるキリスト (デビット・カン講演 8回)
ですから今は、伝道してSDAのメッセージを受け入れた人を、私はあえてSDA教会に紹介していません。
かつては大勢の人たちを、SDAに送っていました。でも、今はもうそれはやっておりません。
こういった事に私は苦しんでいます。こういった状況にですね。
これらの魂をSDA教会に送ったならば、二つのことが起こります。教会に行くのをやめてしまって戻って来ないか、
安息日は土曜日だ、第7日が正しいんだ、という点だけを受け入れて、あとは教会の雰囲気に慣れてしまって
、他の教会員のようになってしまうかです。
私たちに連絡を取ってくる日曜教会の信者さんたちは、とても熱心な人たちです。
本物の三天使の使命を彼らに説いてきていますので、彼らの心は燃えてきているんですね。
イエス様はまた、当時のユダヤ人の教会を非難されました。彼らの経済状態も非難されました。
当時のユダヤ人の教会も、集められた献金、資金を神様の栄光のために用いていなかったのです。
美しい立派な建物を建てることにお金を費やしていました。
そのようにイエス様は、ユダヤ人の偽善の状態を非難されたあと、神殿から出てこられました。
それは、もうこの神殿には戻って来ないぞといった雰囲気でした。そのような印象を12弟子も持ちまして、
「私たちの先生が、もう神殿には戻って来ないぞと言ったような雰囲気で出て行かれた。
この神殿に君臨なさるのだと思っていたのに、
もう決して戻ってこられないような態度をとっておられる。どうしてだろう」
その時、イエス様は教会のために泣いておられたのですね。「ああ、エルサレム、エルサレム、
めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう・・・見よ、
おまえたちの家は見捨てられてしまう」(マタイ23:37,38)
そのようにおっしゃって、神殿のために泣かれたのです。そのようにおっしゃって、神殿から離れていかれました。